101話 焦土の審判
隻眼の黒影は、なおも闘志を燃やす四人の人間を、嘲笑うかのように睥睨した。その巨大な顎が開き、窪地全体を震わせる咆哮が放たれる。
「ギャァァァァァァァァァァァァーーーーーーン!!!!!」
その轟音は空気を物理的に圧殺し、ショウたちの体に走る激痛をさらに増幅させた。だが、その絶望の淵で、エマの声が鋭く響く。
「ショウ! お主の最高まで練り上げた魔力のライトニングボルトなら、奴に通用するかもしれん! ありったけの魔力を溜めて、思いっきりぶち込んでやれ!!」
エマの言葉に、ショウはハッとした。隻眼の龍の鱗は、ガルドの剣もアリナの真空斬も弾き返した。だが、一点突破の雷撃なら、あるいは――。
「……分かりました! やってみます!」
ショウはグラウンド・エッジを両手で強く握り締め、体内の全ての魔力を、限界を超えて絞り出した。それは、全身の細胞を焼き切るような苦痛を伴う。だが、彼は杖を媒介に、その膨大なエネルギーを先端へと集中させた。
「――はぁぁぁぁぁぁっ!!!」
グラウンド・エッジの先端に、青白い稲妻の帯が生まれ、暴れ始めた。
「バチバチバチバチバチィィッ!!!」
周囲の空気が焦げ、小石が重力を失ったように浮き上がる。ショウの髪が逆立ち、その瞳は雷光と同じ青色に輝き始めた。
「ショウの最大のライトニングボルトが溜まるまで……奴をひきつけるぞ! 行くぞッ!!」
エマの号令と共に、三人の決死の防衛戦が始まった。
「皆さん……よろしくお願いします!」
ショウが魔力の充填に集中する中、赤龍は再び灼熱のブレスを放とうと、喉の奥に白熱の光を集めた。
「させぬわッ! ――ウォーターウォール!!」
エマが杖を叩きつけ、巨大な水の壁を顕現させる。
「ブシューーーーーッ!!!」
放たれた白熱ブレスが水の壁に激突し、爆発的な水蒸気が視界を奪う。その霧の隙間を、アエラが突っ切った。
「こっちだよ、大トカゲ!!」
アエラが、龍の唯一の視界である右目を狙って爆弾矢を放った。
「バババババーン!!!」
顔面で炸裂する爆炎。赤龍が苛立ちに咆哮を上げ、巨大な爪をアエラへと振り下ろす。アエラは紙一重でそれを回避し、龍の注意を自分へと引きつけた。
「私も……!!」
アリナが、龍の死角である左側から肉薄した。隻眼ゆえの見えぬ側。彼女は疾風のごとき速度で走り込み、龍の足や腹部、鱗の隙間へと、無数に剣を斬り込んだ。
「ハァァァァッ!!!」
「ズバババババババァァァン!!!」
火花と血飛沫が舞う。しかし、歴戦の龍は、その小さな羽虫のような攻撃に動じることなく、長い尻尾を大きく薙ぎ払った。
「きゃぁぁっ!!」
アリナは回避しきれず、尻尾の直撃を受けて吹き飛ばされた。地面を「ズルルルルーン」と激しく削りながら転がるアリナ。だが、彼女は吹き飛びながらも、剣を振り抜いた。
「――真空斬!!」
放たれた三日月型の光の刃が、龍の喉元へと直撃する。
「ズバァァァン!!!」
ダメージこそ少ないが、龍の意識を完全にショウから逸らすことに成功した。
「よくやったアリナ、アエラ! ――下がれ!!」
エマが、これまで以上の膨大な魔力を杖に集め、窪地のすべての「水」へと干渉し始めた。彼女の魔力が、世界を書き換えていく。
「大海の主よ……全てを薙ぎ払い、粉砕せよ! ――テリオス・リヴァイアサン!!!」
その呪文が完了した瞬間、ブレスで蒸発しかけていた水蒸気が一箇所に集まり、命を持った巨大な「鯨」の姿へと変貌した。
「……ッ、何て魔法だ!」
アエラとアリナは、その圧倒的な魔力の奔流に巻き込まれぬよう、左右へと大きく跳躍した。
水でできた巨大な鯨は、咆哮を上げながら、隻眼の赤龍へと真正面から激突した。
「ゴォォォォォォォォォォォォッ!!!」
圧倒的な質量の水流が、龍の巨躯を飲み込み、向こう側の崖へと力ずくで押し流していく。
「ズドーーーーーーンン!!!!!」
窪地全体を揺るがす、凄まじい衝撃音。赤龍は崖の岩肌に叩きつけられ、その衝撃で崖の一部が崩落した。
凄まじい水飛沫が霧となって窪地を満たし、冷たい雨のように降り注ぐ。
「ザーーーーーーーッ……」
(あのエマの魔法……いつ見ても、常識外れだ。やったのか……?)
ショウは、魔力を溜め続けながら、霧の向こうを見つめた。エマの極大魔法。これなら、あの歴戦の龍でも、タダでは済まないはずだ。
「やったか……!?」
アエラが、弓を構えたまま呟いた。
「ザーーーーーーーッ……」
崩落した崖の下、静寂を切り裂くのは降り注ぐ水滴の音だけだった。
水煙がゆっくりと晴れていく。誰もがその決着を確信した、その瞬間。
「――ゴォォォォォォォォォォォッ!!!」
瓦礫の山が、内側からの凄まじい爆発によって吹き飛ばされた。
土煙を切り裂き、天高く舞い上がったのは、隻眼の黒影。エマの極大魔法「テリオス・リヴァイアサン」の直撃を受け、全身の鱗から血を流しながらも、その瞳には、理性を焼き尽くすほどの「怒り」が宿っていた。
「ギャァァァァァァァァァァァァーーーーーーン!!!!!」
怒り狂った龍は、天から窪地を見下ろすと、翼を畳んで急降下した。荒々しい飛び方で、両の爪を地面へと叩きつけ、大地を切り裂きながら、ものすごいスピードでショウたちへと突っ込んでくる。
「ま、まずい!! 下がりれ..」
エマが叫ぶが、遅かった。
紅蓮の暴君の突進が、エマ、アリナ、アエラの三人を捉えた。
「ズバーンッ! ズバーンッ!!」
「きゃぁぁっ!」「うわぁ!」「くっ!」
三人は木の葉のように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。赤龍はその勢いのまま、魔力を溜め続けるショウの元へと、殺意の爪を向けた。
(や、やばい……間に合わない!!)
ショウの手元には、まだ未完成の、暴れる雷光。回避も防御もできない。死が目前に迫った、その時。
「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!!」
ショウの前に、血まみれの巨漢が割り込んだ。ゴードンだ。彼は、砕けかけた大盾を限界まで押し出し、迫り来る龍の爪を真正面から受け止めた。
「ガチチチチチチチチチチチチチッ!!!」
凄まじい火花が散り、金属が擦れる不快な音が窪地に響き渡る。ゴードンは、全身の骨が砕けるような重圧に耐え、泥を削りながらも踏みとどまった。
「ゴードンさん……!」
「シュッ!!!」
ゴードンの盾に止められた赤龍の顔面の前に、影が飛んだ。ガルドだ。彼は、崖に激突した衝撃で全身を負傷しながらも、不屈の闘志で立ち上がっていた。ガルドは大小の双剣を十字に構え、戦気を最大まで高めた。
「十字……真空斬ッ!!!!!」
一閃。アリナの技をさらに昇華させた、十文字の光の刃が、赤龍の眉間へと炸裂した。
「ズバーンッ!!!!!」
「ギャァァァァァァァァァァァァーーーーーーン!!!!!」
赤龍は、悲鳴のような咆哮を上げ、顔を押さえるようにして天高く舞い上がった。額の傷口から、熱い血が雨のように降り注ぐ。
「二人とも……大丈夫ですか!?」
ショウが、溜め続ける雷光を必死に抑えながら叫んだ。
「ああ……なんとかな、っ!」
「うっす……まだ、動け、ます……!」
ガルドとゴードンは、ボロボロの体でショウの前に立ち続け、背中で仲間を守る意志を示した。
しかし、天に舞い上がった赤龍の様子がおかしかった。
奴は、低い位置を円を描くように、ゆっくりと旋回し始めたのだ。不気味な静寂が窪地を支配する。
「何をしていやがる……? 最後の足掻きか?」
ガルドが呻いた。
吹き飛ばされていたエマ、アリナ、アエラも、痛みに耐えながらショウの元へと集まった。
「撃ち落としてやる!!」
アエラが弓を構えた。だが、エマがそれを制した。
「ま、待て……アエラ。奴の……手を見ろ」
エマの声は、恐怖に凍りついていた。
円を描きながら飛ぶ赤龍の爪の先に、小さな、しかし太陽のように眩い「炎」が灯っていた。
「な、何あれ……? ただの火?」
アリナが呟く。
「ボボボボボボッ……」
小さな炎は、龍が円を描くたびに、さらに光を帯びていく。それは、遠く離れていても分かるほどの、圧倒的な「熱」と「魔力」を濃縮させていた。それは、自然界の炎ではない。龍が体内の全魔力を、極限まで圧縮して作り出した、究極の「魔法」だった。
「?????????」
「あ……あれは、魔法じゃ。……お主ら、伏せろ!!!」
エマが叫んだ瞬間、赤龍の手の炎は、下へとゆっくり落とされた。小さな、美しいほどに澄んだ種火が、重力に従って、ゆっくりと窪地の中心へ降ってくる。
「まず、い……ッ!!!」
ショウの脳裏に、直感が死を告げた。
地に炎が落ちた、その瞬間。
「ボーーーーーーーーーーーーーーーーーーンンンンンッ!!!!!」
一瞬で、世界が真っ白な光に包まれた。
着弾点から放たれたのは、爆発ではない。それは、すべてを焼き尽くす「光と熱」の洪水だった。凄まじい熱風が窪地を駆け抜け、肌を刺す。音は消え、ただ圧倒的な白光だけが視界を支配した。
「くっーーーーーー!!!!! シューーーーーーー!!! 熱いィィッ!!!」
ショウは、あまりの熱に皮膚が焼け焦げるのを感じながら、溜めていた雷撃を保つために必死に踏みとどまった。
やがて、光が収まり、ショウがゆっくりと目を開けた。
彼の目の前には、崩れた岩の壁が立っていた。それは、爆発の瞬間に、エマが最期の魔力を振り絞って作った、防壁だった。
「……みんな!!!!!」
ショウの視界の先。
エマの作った岩壁のおかげで、ショウと、彼が溜め続けていた「ライトニングボルト」は、無傷で保たれていた。
しかし、彼の周囲には、赤龍の究極魔法「焦土の審判」の直撃を受け、全身を焼かれた仲間たちが、誰一人として動かず、地面に横たわっていた。
静寂が戻った焦土。
ショウの前には、ボロボロのエマが作った、温かい岩の壁。そして、その向こう側。土煙を払い落とし、自分だけを狙う、隻眼の黒影。
その先端には、今、エマたちが命を懸けて守り抜いた、最大出力を超えた「青白い雷光」が、完成を告げるかのように、ひときわ激しく暴れ始めていた。




