100話 歴戦の龍
咆哮と共に、窪地全体を押しつぶすような、物質的な質量を持ったプレッシャーが降り注いだ。
一頭目の赤龍とは比較にならない。それは、数多の死線を潜り抜けてきた「暴君」だけが放つ、殺戮の覇気だった。
「くっ……! なんて奴だ……」
ガルドが呻き、金縛りに遭ったように身を硬くした。
頭上に君臨するその姿は、先ほどの赤龍とは異なっていた。鱗は深紅を通り越し、黒ずんだ血のような色(黒紅色)に変色している。その強靭な肉体には、魔物の爪痕や冒険者の剣によるものと思われる、歴戦の古傷が無数に刻まれていた。
何より恐ろしいのは、その顔面だ。左目は何らかの攻撃によって潰され、垂直に走る深い傷跡によって隻眼となっていた。残された右目だけが、爛々と輝く金色の光を放ち、眼下の獲物たちを冷酷に射抜いている。
「ガルド! 赤龍は一体じゃないのか!?」
アエラが震える声で叫んだ。
「ギルドの偵察だと、一頭のみという報告だった……!
くそッ、恨むぜ……ギルドの奴らめ!!」
ガルドは毒づきながらも、必死に剣を構え直した。
(やばい……フォーメーションも組めていない。それに、さっきの戦いでみんなの疲労は限界のはずだ!)
ショウの心臓が早鐘を打つ。魔力はこの体のおかげでまだまだ余力はあるが、精神的な消耗が激しい。この状態で、あの歴戦の龍と戦うなど、自殺行為だ。
「ガルドさん……ここは一度引きましょう! 俺が目眩しをします、その隙に……!」
「無理だな、ショウ」
ガルドは即座に否定した。
「ここから逃げたとしても、空を飛ぶ奴にはすぐ追いつかれる。結局、背を見せて殺されるだけだ。それに、場所を移動したところで、さらに別の魔物に出会したら……それこそ終わりだ」
「ガルドの言う通りじゃな。……腹を括るしかないわい!」
エマが杖を強く握り締め、不敵に笑った。彼女の目にも、恐怖ではなく、極限状態を楽しむような狂気が宿り始めている。
皆がその言葉に頷き、覚悟を決めた瞬間。
隻眼の赤龍が大きく口を開いた。その喉の奥に、一頭目のブレスよりも遥かに白く、眩いほどの灼熱の炎が凝縮されていく。
「ブレスが来るぞ! ショウ、エマ!!」
「まかせろ!!」
「分かりました!!」
二人が同時に杖を突き出した。
「――ウォーターウォール!!」
「ヘルゲートとの戦いを思い出すのう、ショウ!」
「ええ……あの時も、死にそうでしたね!」
刹那。
赤龍の口から、窪地全体を昼間のように照らし出す、極太の白熱ブレスが放たれた。それは、当たれば一瞬で肉を蒸発させ、骨まで灰にするような殺人的な熱量。
「ジューーーーーーーーーーッ!!!」
ブレスが水の壁に激突し、凄まじい水蒸気爆発を引き起こした。周囲は一瞬にして視界ゼロの白い地獄へと変わる。
ショウとエマは、腕が焼け落ちるような熱に耐えながら、必死に壁を維持し続けた。
「ゴードン!!」
ガルドの声が響く。
「うすッ!!」
蒸気の向こう側。ゴードンが大盾を前面に押し出し、その上にガルドが飛び乗った。ゴードンが剛腕でガルドを、砲弾のような速度で赤龍へと撃ち出す。
「援護するよ!」
アエラが蒸気の隙間を縫って、無数の爆弾矢を赤龍へ放った。
「シューシューシューッ!!」
「私も……!! ――真空斬!!」
アリナが三日月型の光の刃が、ガルドを追い越すようにして隻眼の龍へと迫った。
「ドドドドドドドォォォン!!!」
爆弾矢、そしてアリナの真空斬が、赤龍の胸元に命中した。しかし。
「……ッ、ぴくりともしない!?」
隻眼の赤龍は、爆発の煙を煩わしそうに払い落としただけだった。歴戦の古傷が刻まれた黒紅色の鱗は、ジルから継承した真空斬ですら、傷一つつけることができないほど強靭に鍛え上げられていたのだ。
「恨みを晴らさせて……もらうぜ!!」
ガルドが二振りの剣を上段から振り下ろした。だが。
赤龍は冷酷な隻眼でガルドを捉え、その巨大な爪をカウンターで薙ぎ払った。
「くそッ、速すぎ……!」
ガルドの双剣が、龍の爪によって紙のように弾かれた。そのまま、ガルドの巨体は爪に捉えられ、凄まじい速度で吹き飛ばされる。
「シューーーーー、ッドォォォン!!」
ガルドは崖の岩肌に激突し、岩を砕きながら地面へと崩れ落ちた。
「ガルド!!」
ゴードンが叫ぶ。
しかし、赤龍の狙いは既にゴードン、そして後ろにいる魔法チームへと移っていた。
奴は上空から滑空してくると、巨大な爪を地面に叩きつけ、大地を裂きながらスピードを上げて突っ込んできた。
「ガガガガガガガーーーッ!!」
爪が地面を削り、火花と土煙を上げながら迫る、紅蓮の死神。
ゴードンが、仲間を守るために前に出た。大盾を構え、重心を限界まで下げる。
「ふッ……んんぬぅぅぅッ!!!」
「ドガァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!」
窪地全体を揺るがす、この日一番の衝撃音。
赤龍の突進をゴードンは大盾で受け止めた。しかし、防ぐことはできなかった。
「う、わぁぁぁぁぁッ!!!」
ゴードンの盾は砕けこそしなかったものの、龍の圧倒的な突進力に耐えきれず、彼はそのまま後ろへと吹き飛ばされた。彼に守られていたショウ、アリナ、エマ、アエラも、その衝撃波に巻き込まれ、バラバラに弾き飛ばされた。
「うわ!」
「くっ!」
「きゃぁぁぁっ!」
ゴードンが威力を身を挺して殺してくれたおかげで、ショウたちは地面に叩きつけられながらも、なんとか一命を取り留めた。しかし、土煙の中に横たわるゴードンは、ピクリとも動かない。彼が愛用していた大盾には、赤龍の爪による深い亀裂が入り、その巨体は、戦う力を失い、ただ沈黙していた。
(やばい……前衛が一瞬で二人ともやられた……!)
巻き上がる土煙が薄れ、窪地には重苦しい沈黙が降りた。
ガルドは崖の岩肌に叩きつけられたまま動かず、盾となったゴードンもまた、深い亀裂の入った大盾を抱えるようにして地面に伏している。
隻眼の赤龍は、勝ち誇ったようにその巨躯を直立させた。空を覆うような翼を半開きにし、残された四人――ショウ、エマ、アリナ、アエラを、天から見下ろす冷酷な神のごとき視線で睨みつけている。
その絶望的な光景を前に、アエラが震える手で弓を握り直した。彼女の肩は激しく上下し、頬には飛び散った土と血がこびりついている。
「……あたしが、奴をおびき寄せる」
アエラが、絞り出すような声で言った。その背中は、死を覚悟した者の特有の、痛々しいまでの静けさを纏っていた。
「アエラさん……?」
「あんたたちは、その隙に逃げな。……元々、この依頼は一頭が前提だった。二頭目がいたのは、あたしたちの偵察ミスだ。ここからは、もう契約外だよ……」
アエラは振り返り、悲しげに、それでいて吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「短い間だったけど、あんたたちと一緒に戦えて楽しかったよ。……さ、準備しな。あたしが死ぬ気で時間を稼いでやるから」
彼女は再び龍へと向き直り、たった一人でその巨大な殺意に対峙しようとした。だが、その背中にかけられたのは、逃げるための足音ではなく、静かで、冷徹なまでの拒絶の言葉だった。
「…………何を言っているんですか、アエラさん」
ショウだった。彼はグラウンド・エッジを支えに立ち上がり、服の汚れを払うこともせず、アエラの隣へと歩み寄った。
「俺はまだ、レンのいた場所を聞いていません。あなたがここで死なれては、俺が困るんです。……だから、勝手に命を投げ出さないでください」
「ショウ……あんた……」
「そーじゃ、そーじゃ!」
エマもまた、不敵な笑みを浮かべて杖を構え直した。その瞳には、恐怖を完全に塗り潰した黄金の魔力が宿っている。
「この歴戦の主を倒して、手柄を独り占めなんぞさせんぞ! このプリティ天才大魔法使いエマ様が、こやつの首をもらうのだ。アエラ、お主に先を越されては癪に障るわい!」
「そーですよ! アエラさん、私たちはまだパーティです!」
アリナが剣を引き抜き、その鋭い切っ先を隻眼の龍へと向けた。
「仲間を見捨てるようなことは、ルミナ大陸を出た時から一度も考えたことはありません。……最後まで、一緒に戦いましょう」
三人の言葉に、アエラは目を見開いた。絶望に支配され、一人で散る道を選ぼうとしていた彼女の心に、熱い灯火が灯る。
「おまえら…………ふっ、本当にバカな奴らだね。こんな勝ち目の薄い賭けに乗るなんてさ」
アエラは、こぼれそうになった涙を乱暴に拭い、力強く笑った。その笑みは、先ほどの死を覚悟した冷たいものではなく、仲間への信頼に溢れた、戦士の笑みだった。
「……いいよ。そこまで言うなら、付き合ってもらうさ! 倒すよ! みんなで、あの大トカゲを!!」
「はい!」
「おう!!」
四人の闘志が一つに溶け合い、爆発的な魔圧となって放たれた。
圧倒的な格上の存在を前に、なおも牙を剥く人間たち。隻眼の赤龍は、自分に怯えぬ獲物たちの不遜さに、地を震わせるような低い唸り声を上げた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
なんと100話まできました!
読んでいただいている皆様のおかげです!
ありがとうございます!
ぜひここまで読んだご感想や評価をお願いしたいと思います!
また、引き続き投稿していきますのでこれからも『異世界転生 勇者の体で下宿屋営みます』をよろしくお願いします!




