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31 姉と妹


 ゼフが死に、オルティスさんが行方知らずになってから、一ヶ月半が過ぎた。


 最初の内は大騒ぎだったアーベントも、日が経つ毎に沈静化していき。

 警察も有力な証拠が見つからない以上、捜査はまだ続いてはいるものの概ねの結論は固まりつつあるようだった。


「――別に難しく考える必要は無いんだ、この式は知らなければ難解でも一度解法さえ分かれば応用も効くから。この場合はこれをこっちに移項すればいい、ほら、後は素直に計算すればなんとかなりそうだろ?」


 叔母の家に戻った俺は、約束通り集会所で子供たちに勉強を教えていた。


 子供たちに恐れられていたオルティスさんがいなくなり、日によっては十人以上教わりに来るようになって、寂れていた集会所はすっかり賑やかになった。

 あのジェシーとチャーリーも毎日のように来ているし、俺によく懐いてくれている。


「ねえ、この文字ってなんて読むの?」

「『借用証書』? ――なんでこんなものをまた……」

「なんかお父さんがお母さんに怒られててさ、この紙がお父さんの机に置いてあったから。ここに近所の人の名前が書いてあるんだよね」

「今すぐ全力で走って返してくるんだ、取り返しがつかなくなる前に」


 下は三歳から、上は十三歳から。


 主に上の学校を目指している子供につきっきりになりながらたまに自分の勉強をして、何かを尋ねられたらそれに答える――最初は面倒で仕方がなかったけれど、案外そういうのも悪くない。

 ただ将来の選択肢からは何があっても教師は外そうと思う。


「――グレイソン、あんたまた大変そうなことになってるんだね。ほらあんたたち、この子が迷惑そうにしてるんだからどきな」


 勉強する気のない小さい子供たちにまとわりつかれながらリーベッツの高等学校に行きたいのだと言うジャクソンに数学を教えていると、末っ子のジェフを抱えた叔母が大部屋の中に入ってきた。


 途端にわあっと騒々しく俺から離れ、子どもたちは本だの学校の課題だのが置かれた机にさっさ戻る。

 それに呆れた俺は居心地悪そうにしている叔母に向き直り、空いてる椅子をその辺から引きずり出して差し出した。


「ここにでも座ってください」

「ありがとね、ジェフも重いくせに甘えん坊だから腰が痛くてさ。あたしに出来ることはなんもないけど、困ったことがあれば何でも言っておくれよ」


 ――叔母と叔父はあの日の夜、三日間も姿を眩ました上にアーベントを大混乱に陥らせた俺をそれぞれ一発殴った後、二人で俺を抱き締めて泣いた。


 「姉さんがいなくなったばっかりなのにあんたまで死んだら私はどうすればいいんだ」そう涙を流す叔母が信じられなくて、でも、多分この人はこの人なりの愛し方で俺を愛そうとしてくれているのだ、と気が付いた。

 途端に叔母に苦手意識を抱いていた自分が馬鹿らしく思えて、それから叔母と上手く付き合えるようになったのだ。

 

「大変ですけど今の所はちゃんと回ってます、互いに教え合ってくれていたりもするので。騒がしいのにももう慣れました」

「そうかい、ならよかったよ。エルジオとレオナルドはどうしてる?」

「あの二人は……まあかなり楽しそうにしてますよ、皆と」

「つまりさぼってるってことだね? まああの子たちに勉強なんてもんはハナから期待してないけどさ、従兄弟なんだから少しくらいはあんたを見習ってくれたっていいのに」


 あーあ、と溜息をついた叔母がぐるりと部屋を見渡し、後ろの方で四人組になって騒いでるエルジオとレオナルドを睨みつける。

 その視線に気が付いた兄弟はぎょっと目を見開いて震え上がり、いそいそとペンを持って誤魔化すように机に座った。


 それを見た叔母が「ほんと馬鹿だね」と心底残念そうに呟く。

 正直なところ、学業の方ではあの兄弟はからっきしもからっきしで、どうにか勉強というものに興味を持ってもらうところから始める必要があった。


「碌な人間になれやしないね、あんな調子じゃ。まあいいや、体力だけはあるから生きてく道はいくらでもあるだろうよ、きっと」

「人には向き不向きがありますからね。算数だけはちゃんと教えます、漁師の仕事に必要でしょうから」

「ああ、頼むよ。ったく、本当に誰に似たんだか……嘘をつくのも下手なんだ、このあいだも二人が皿を割ったってのは明らかなのに苦しい言い訳ばっかしてね」


 貴女に似たんでしょう、とは言えるはずもなく、「さあ」と苦笑して肩を竦める。

 不器用で荒々しい叔母は誤解を招きやすいけれど、暴れん坊の子供たちを確かに愛しているのだ。


 呆れたように二人を眺める青い目には、母とは違う形の愛情が滲んでいる――母と同じ顔の叔母に、以前の俺は母を重ねすぎていた。

 こうやって向き合うことがなければ、俺はきっと叔母に対して歪んだ感情を抱き続けていただろう。


「そうだ、一昨日オリバーに聞いたんだけど、ダイアナちゃんが明日退院するらしいから今日の内からリーベッツに向かうんだって。あの子と仲良かったろ、あんた」


 不意に叔母が口に出した名前に、体を固くする。ここ一ヶ月、聞かない日は全くと言って無かった名だ――窓から射し込む強い光に逃げるように視線を向けて、その眩しさに目を細める。

 かりかりと鉛筆でものを書き込む音さえ、嫌に鮮明に聞こえた。


「そう、ですね」

「なんだいその顔。まあ分かるけどさ、あんなことがあったんだし」


 そう訝しげに眉を顰めた叔母に、取り繕うように


「オリバーに酷くどやされましたからね、お前がいながらよくも俺の可愛いダイアナをあんな目に遭わせてくれたなと。見舞いに行きたいのに突っぱねてくるんです、あいつ」


 と肩を竦めてみせる。


 事実、森の中でひとりで倒れていたダイアナを夜が明ける頃に見つけて以来、彼女とは一度も会えていない。

 激高したオリバーが俺とダイアナを会わせたがらないのもあるし、俺自身も彼女と顔を合わせることが恐ろしくて仕方がなかったのだ。


 最近のオリバーの意気消沈した様子を見るに、恐らくダイアナの左目はものを見る機能を失ってしまったか、よくても極端に視力が低下してしまったのだと思う。決してひとりにはさせないと豪語していたくせに、彼女に合わせる顔もない。


「ああ、そうなの? まあ何してんだって話だけどさ、あんたも。でもどうせなら会いに行ってあげなね、オリバーが言うにはダイアナちゃんはあんたと会いたがってるらしいから」

「なんでそんなことをあいつが――」 

「さあ、あんたのその態度がオリバーの癪に障ったんじゃないの? 強引に頼み込めばダイアナちゃんの見舞いにも行かせてくれたんじゃないかね、それだけ言うならってさ。駄目だって言われてはいそうですかと早々に引き下がったんだろ、どうせ」


 返す言葉もなく黙り込む。


 確かにオリバーに「ダイアナの見舞いに行かせてくれないか」と言ったのは一回だけだ。

 その時に「お前が何をしたのか分かってるのか」と怒鳴られて手痛く殴られてから二度と打診もかけずにいたけれど、もう少し粘って誠意というものを見せていればオリバーも首を縦に振ったかもしれない。


 けれど今更どうすることも出来ないし、一度長い溜息をついてから、遠慮がちにこちらを見ているジャクソンに「取り敢えず分からないことがあったら全然話に割って入ってきてもいいから」とだけ言う。


「……あいつって本当にそういう性格なんです?」

「ダイアナちゃんのことになると過剰になるけど良い子だよ、基本は。運動も出来るし年寄りの人にも積極的に手を貸すしね、頭が良すぎて周りと話が合わないから小さい頃は問題ばっかり起こしてたけど、合理的かどうかと同じくらいに情を大事にする子だからさ、律儀なのよ」


 聞けば聞くほどオリバーが妬ましく思えてきて、「分かりました」と話を切る。


「やめてくださいよ、あっちの方が頭も良ければ顔も良いなんて俺の立場がないじゃないですか」 

「……頭の出来は知らないけど顔はどうさね、あんたもかなり綺麗な顔してるんじゃないの? 今どきの男前って感じじゃないけどさ、女の子には人気だろ」

「オリバーに言われたんです、お前みたいな顔の男は大体女を弄ぶことを生業にしてるって」

「あんたが? どうでもいいことをくよくよ心配してるんじゃないよ、姉さんの短所まで似ちまったんだね――そんな馬鹿みたいな悪口なんて気にせずに大胆になりなよ、大胆にさ」


 思い切り貶されてはいるけれど、叔母の言葉はこれ以上ないくらいに的を射ていた。


 昔から大胆になりきれないのだ、同級生との賭け事でも大勝ちよりも堅実な勝利を優先するし、成功した時の想定よりも失敗した時の挽回方法ばかりを考えてしまう。

 最初から失敗を恐れているようでは大成功を収められないとわかっていても、俺の脳味噌は地に足をつけるべきだと強く主張してくるのだ。


「分かりましたよ、俺は策士や投資家には向かない人種です。大胆になるべきだというのは自分でも痛いくらいに分かってますから」

「あんたったら……まあいいや、意固地になるのはよしなね。取り敢えず明日はダイアナちゃんに会いに行きな、それくらいの大胆さがなきゃ女の子の心は手に入らないよ。一応言っておくけどグレイソン、あんたってかなり分かりやすいんだからね」


 本当に最悪だ。


 思い切り溜息をついて、でも、認めるしかない。


 腕を組んで「会いに行きますよ」とだけ返し、項垂れる。

 報われるかどうか分からない好意を知られるのは気分が悪いけれど、それだけ分かりやすい自分も悪いのだ。

 

「……そんなに分かりやすいものですかね」

「分かりやすいよ、耳が赤くなるから。興奮したら首まで真赤になる類の人間だね、あんたは」


 その通り過ぎてもうこれ以上は何も言えない。


 こればかりは父親似の皮膚の薄い色の明るい肌を恨むしかないのだろうか――にやにやと勝ち誇ったように口角を上げる叔母は、いつも肯定してくれていた母よりもずっと俺の弱点を知っているようだった。



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