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23 兄と妹


 太陽が地平線に飲み込まれる頃に辿り着いたクリフの緑屋根の家は、異質な静けさに包まれていた。


 白い門扉をくぐって扉を叩いたオルティスさんの後ろで、よく整備されている広い庭を覗き見る。

 扉が開いたままの小さな物置小屋に、凶器になり得る斧だの猟銃だの剪定鋏だのが置かれているのが見えた。誰の趣味なのか花のアーチまである庭は、悪趣味とまではいかないが気が引ける感じがある。


「ああオルティスさん、いらしたの」


 そう言って扉を開いたのは手伝いの女性だろう、俺を一瞥した老婦人は「ま、あんたってまさか」と片眉を上げてから「オリバーさん、待っていらした方ですよ」と部屋の奥に向かって呼び掛けた。


 少し間を置いて階段を慌ただしく駆け下りてきたオリバーは、柵に肘をかけて肩で息をしながら「どこに行ってたんだよ」と、俺に向かって苛立たしげに目を眇めた。


「オリバー、ダイアナは今どこにいる?」

「ああ、それなら今上の階にいます。呼んできましょうか?」

「後でいい。ゼフは?」


 「伯父さんは……」オルティスさんの問いに、オリバーが顔を顰めて首を振る。「さっきまではダイアナを怒鳴りつけてたんですけどね、行先も言わずに外に出て行きましたよ」


「ダイアナ自身は平気そうな顔はしてましたけど、俺が止める間もなく一度顔をぶん殴られたんです。あの精神異常者、自分から人を殴った癖して動揺して外に飛び出すんですから本当に意味が分からないですよ」


 敵意を隠さずにそう言い切ったオリバーが前髪をかきあげる。


 「怪我は」と俺が慌てて尋ねると


「してるに決まってるだろ、口の辺りに結構な内出血だ」


 と、大きく溜息を吐いてしっしっと俺に向かって手を払った。

 こんなに邪険に扱われる道理があるだろうか、と不満に思っても、それを表に出すわけにもいかず「そうですか」と大人しく引き下がるしかない。


「で、何の用です? そこのとは話したいことが山程あるんですけど、オルティスさんはダイアナともう話していましたよね」

「あれだけの時間で話が足りると思うのか? あいつはまともな状態じゃないだろうに……ダイアナの性分は俺が一番よく知っているんだ、おいダイアナ、どうせ聞いているのなら降りてきたらどうだ?」


 渋い顔をするオリバーをよそに、遠慮無く室内に踏み込んだオルティスさんが階上に向かって声を張り上げる。

 すると扉が開く微かな音が聞こえ、少ししてハンカチで鼻を押さえたダイアナが慌てた様子で柵から身を乗り出し、こちらに顔を覗かせた。


「ごめんなさい、着替えていたんです」

「そりゃ悪いな、俺たちがそっちに行った方がいいか?」

「大丈夫です、部屋が酷いことになっているものですから。今そちらに行きますね」


 そう早口に言い切った彼女が急ぎ足で階段を降りてくる。


 それから直ぐさまオルティスさんの方に向き直り、


「ありがとうございます、あれから落ち着けました」


 とはにかんだ。


 先程まで着ていた首元の詰まった服ではなく、襟ぐりの広いゆったりした昔風の深紅の服を着た彼女の頬には痣がある。

 鼻血が出ているのだろうか、鼻を押さえる白いハンカチには血が滲んでいた。


「ダイアナ、本当に大丈夫なのか?」

「グレイソンこそ腕は本当に大丈夫なの? これくらいなら慣れてるから大丈夫、直ぐに血も止まるから」

「慣れてるってなんだよ、かなり酷い怪我だろ、それ」

「いいのいいの、それより用があって来たんでしょう? もう夜になるんだし、話は早く進めた方がいいんじゃない? ごめんなさいマーサさん、今日の夕食はもう二人分お願いします」


 都合の悪いことを誤魔化さそうとするように捲し立てる彼女に「はいはい」と軽く返事をしたあの手伝いの人が家の奥へと入っていく。


 深い息を吐いて一度ハンカチを放し、「止まらないな」とひとりごちた彼女がオリバーをちらりと見て、それから何かが喉か鼻に詰まったのか軽く咳き込んだ。


「ねぇオリバー、それでいいよね? グレイソンは私を助けてくれたの、だからそんな目を向けないで。グレイソンがいなかったら私はあの森の中でとっくに死んでいるんだからね」

「お前はそう言うけどな、俺からしたら俺の可愛いダイアナがよく分からない人間と三日もいたってのか嫌なんだよ。ただでさえお前には変な虫がつきやすいってのに、俺はどうも信用出来ないね」

「やめて、私はもう子供じゃないから、ほら血が着くから離れてよ」


 仰々しい態度でオリバーが強引にダイアナに肩を組みかけ、縮こまった彼女が眉を顰める。

 けれど彼女は彼の手を振り払おうとはせず、目の奥にはどこか安心したような光があった。


 俺には、そんな子供じみたやり取りをしている二人が心から信頼しあっているように見えた。

 それなのに何故ダイアナは彼にも己の窮状を、苦しみを共有して頼ることが出来なかったのだろう。


 オリバーがリーベッツにいたからなのか、それとも親し過ぎたからこそ頼れなかったのか。分からない。何故彼女は俺を――。


「幼稚な振る舞いをするなオリバー、お前は今年でいくつになる?」

「二十一です」

「疑問を持て、クリフ家の長男じゃなけりゃお前は今頃戦場にいる」

「飛び級もした上に次席での卒業が内定しているくらいには普段は俺もまともですよ。ダイアナを妙な人間から守る為なら俺はいくらでも馬鹿になります」

「……本当に愚かだな、お前は足元が少しも見えてやいない。お勉強がお得意なのは結構だが、少しは人間というものを学べ」

「はあ? そりゃオルティスさんよりは……」

「口を慎め、分からないなら何も話すな」


 そう言って部屋の奥へ向かったオルティスさんの言葉の意味が理解出来ないように眉間に皺を寄せたオリバーと俺は全く同じだった。


 互いに顔を見合せて、首を傾げ合う。まさかこんなことで初めて彼と分かり合えるとは思わなかった。

 ダイアナだけが静かな面持ちでオルティスさんの後ろ姿を目で追ってはいたけれど、何が「分かっていない」のだろう。


「……私も行くね。オリバーはもう少し人の機敏に気をつけるべきだよ」


 「待て、どういう意味だよ」彼の腕から離れてオルティスさんの後を追おうとするダイアナに、困惑しきった彼が問う。

 その声につられて振り返った彼女はオリバーを見て、それから俺を一瞥して「盲目的過ぎるの」と眉を下げた。


「昔からそうだったでしょ? ディランより私の方をいつも可愛がってくれてた」

「それは相性ってもんがあるだろ」

「うん、ディランとオリバーと絶対に馬が合わないだろうね、二人は違うって言い張ってたけれど、私からしたら全く同じ。二人とも意志が強いの、それで明確な目標もある。私は……どうしたいのかもう分からなくなっちゃった、流れされるままに生きてるばかり。これ(・・)が終わったらどうなるんだろう、やりたかったことが全部無意味になるのかな。忌々しいことばかり考えて……」


 がしゃん、と、奥から何か缶のような何かが落ちた音が聞こえた。


 「あら、お茶っ葉こぼしちゃった」そんな呑気な声が聞こえてくるのにも目もくれないで、ダイアナはどこでもない空中をぼんやりと眺めていた。色素のごく薄い虹彩に、開ききった瞳孔が揺れている。


 また(・・)だ。


 また彼女があの時(・・・)と同じように――ぞくりと粟立った肌と本能に従うまま、「なあ」とダイアナに腕を伸ばす。


 けれど彼女は俺にうわ言のような返事を返しこそすれ、明確な情動を示すわけではなく。

 まずい、と俺が彼女の肩を掴もうとするよりも先に、俺を突き飛ばすように押しのけたオリバーが彼女の元に駆け寄っていた。


「いっ……!」

「ダイアナ、いいから黙って俺の目を見ろ」


 壁に片肘をついたオリバーがその腕でダイアナを抱え込み、あまりの勢いに体勢を崩してよろけた彼女の顎をもう一方の手で掴んだ。


 鼻先が今にも触れ合いそうな程に顔を近づけた彼は、口元を塞ぐ手を外そうと必死になってもがく彼女に「落ち着け、もうどこにも行きやしないから」と囁いて。

 

「待てよ、そんな乱暴な方法をとる必要ないだろ!」


 これのどこがダイアナを正気に引き戻す方法なんだ、と、一気に頭に血が上る――明らかにやり過ぎだと思ったのだ、暴れたのならともかくダイアナはただ意識が空に飛んでいただけで、苦しげに呻いて抵抗している彼女を放っておけるはずがない。


 けれどオリバーは、がなった俺がその肩を引くと「お前は黙ってろ!」と剥き出しの敵意を俺に向けて怒鳴り返し、俺の手を強い力で叩き落とした。「俺の方が余っ程ダイアナのことを知ってるんだよ!」


「……ほら、深く息を吸って吐くんだ――そう、それでいい。いいか、もうじき俺があの人をなんとかしてやるから、その後にゆっくり考えよう、な? ここを離れてどこか平和な所に行くんだよ、そうしたら何もかも良くなるから」

 

 彼は酷く暴力的でいながら、残酷なまでに優しかった。


 涙ぐんで妹を抱き締めた兄の言葉に、ダイアナのぶれていた視点が真正面を向く。

 「もう遅いよ」そう返した言葉も突き放すようでいて、彼の背中に回された手と閉じられた瞼は明らかな安堵に満ちていた。


 こんなにも近くにいるのに、まるで俺はいないようで――赤く潤んだ瞳が物憂げに瞬いた瞬間、彼女が抱いていたという「忌々しい感情」の正体を悟ってしまった。


 美しい兄妹愛――そう言い切ることが出来たならどんなに良かったろう。


 けれど二人を目の前にして背筋に走った嫌悪にまみれた悪寒が、そうではない(・・・・・・)と本能に告げている。


 いくら違うと自分に言い聞かせようとしても、無理だった。


 人間が太古の昔から禁忌としてきた、けれどアーベントでは今でも秘密裏に続いている因習。

 それを彷彿させる感情が、ダイアナの光に溢れた瞳の中に渦巻いていた。

  



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