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16 蠟燭に火を灯して


 何も無い暗闇の中に、まず最初に光が芽吹いた。


 二つの葉をつけたそれはめくるめく間に背を延ばし、うねりながらまた新たな葉を生み――不意に鋭い風が吹いて、瓦礫のように崩れ落ちる。


 待て、と手を伸ばす間もなく、それは跡形もなく消え去った。

 光を失った世界はまた闇に覆われて――「グレイソン?」と、鈴の鳴るような声が俺の思考をこじ開けた。


「どうしたの、大丈夫?」


 暗闇から引き揚げられたばかりの、ぶれる視界にダイアナの姿が映った。

 ぼんやりとした頭を動かして左右を見回すと、茶色の岩壁が目に入る。向こう側に俺たちが通ってきた扉は無かった。


 どうやら坑道に戻ってきたみたいだが、直前の記憶が定かではない。

 岩壁にもたれて座り込んだ俺は、少しの間気を失っていたようだった。最悪なことに、腰に提げていた角灯も割れてしまっている。


 不安そうに俺の顔を覗き込み、髪にそっと触れてきた彼女の手首を掴む。


 びくりと身を竦めて逃げ出そうとした彼女は、でも逡巡するように目を伏せた後、俺の手を引いて立ち上がらせた。


「ごめんね、怪我はない?」

「ああ、ダイアナは?」 

「死んでいるんだから怪我なんてしないよ、本当の体は向こうにあるんだし」


 上手く足に力が入らずによろけ、岩壁に背中をぶつける。「遅かったですね」少し刺のある声に、そこにヘイゼルがいるのだと気が付いた。


「でもよかった、貴女とまた会えて」

「ヘイゼル!」


 感慨深そうに両手を広げて歩み寄ってきたヘイゼルの胸元に、ぱっと目を輝かせたダイアナが飛び込む。

 彼女の方がヘイゼルよりずっと背が高いのに、まるで心が通じあっている娘と母同士の抱擁に見えた。背中と頭に手を添える手つきも、その目つきも。


 「ごめんなさいね」そう言ってダイアナの背中を摩るヘイゼルは、子を愛おしむ母のようでしかない。

 

「私が貴女を守ってあげられたらよかったのだけど……本当に大丈夫? クリフの家なんてどうなってもいいの、貴女が無事ならそれで……」

「うん、整理はついたから、だからきっと大丈夫。それに私だってクリフ家の一人だよ」 

「ちが、私はそんなつもりで言ったのではなくて――」

「分かってる、私は私のすべきことをするだけだから。だから見ててね、私は私のやり方であの人たちに復讐するから」


 「復讐」――予想だにしていなかった物騒な言葉に、氷のように冷たい戦慄が走る。


 穏やかな雰囲気のように思えていた二人の抱擁の最中にそんな単語が出てくるなんて微塵も思っていなかった俺は壁にもたれていた背中を浮かし、二人を見た。

 こちらに背を向けているダイアナの表情は見えない。だが、目を見開いたヘイゼルが絶望的な表情で彼女を見上げているのは見えた。


「大丈夫、ヘイゼルを傷つけた人にも然るべき罰を受けてもらうって決めてる」

「ダイアナ、そんなのどうでもいい、私は貴女が幸せでいてくれるのならそれでいいの、そんなことをしたら下層の生物にしか――」

「ディランを殺した私にはもう関係ない。あの子と一緒に生まれ変わることも出来ないなら、どこにいても地獄には変わらないもの」


 縋り付いているヘイゼルの腕を、ダイアナが掴んだ。

 青褪めたヘイゼルが俺に救いを求めるように視線を向けてきて、でも何も知らない俺にはどうすることも出来なくて。


「私とグレイソンがここにいるんだもの、あの人(・・・)もきっとヘイゼルに会えるよね?」

「ダイアナ!」

 

 絶叫したヘイゼルがダイアナを強く突き飛ばす。


 そのままよろよろと後退った彼女は両手で顔を覆い隠し、岩壁に背中をつけて座り込んだ――「どうして」と首を横に振った彼女を見下ろして、腕をおさえたダイアナが「会いたいって言ってた癖に」と鬱々しく息を吐く。


「ヘイゼルがまだここにいるのは未練があるからじゃないの? 本当は早く塔にのぼって生まれ変わりたいのに、あんな森から出たいのに、それなのにまだあの人(・・・)を愛してるからそれが出来てないんでしょう?」

「それは……」

「ねえヘイゼル、もうやめない? 復讐のためにクリフの血族を森に誘い込んで殺して、そこまでしてるのに踏ん切りがつかないならさ、私と一緒に地の底まで堕ちようよ」


 静かでいて、どこか嘲るような誘う声。


 つい先程まで生への希望を抱いていた美しいいたいけな少女は、今はどこにもいない――ふふ、と喉奥で途切れ途切れの笑い声を上げたダイアナがふらふらと俺の元まで後退り、唖然としている俺の胸元に背中を投げ出した。


「ちゃんと終わらせなきゃ、ね、いけないの。そうしないと誰も報われないじゃない」

「ダイアナ、俺は――」

「本当にごめんねグレイソン、私って結局はこういう人間なの。伯父さんは本当にいい人だったよ、でも絶対に償わせないといけない。それがちゃんとした方法じゃなかったとしても、私がどんな思いをしてたか分からせてやらないと……」


 虚ろな、無気力な目と視線が合う。 


 ようやく彼女の言っていた言葉――おかしくなった、自分が自分でないようだ、という意味が真に理解できたような気がして、唾を飲み込んだ。


 抑圧と自己嫌悪に塗れて泣いていたダイアナ、俺の言葉に希望を抱いて微笑んでくれたダイアナ、今こうして復讐を考えてヘイゼルを挑発しているダイアナ――あまりにも短時間で様子が変わり過ぎている彼女はそれぞれがまるきり別人のようで、どれが本当の彼女か分からない。

 いや、そもそも本当の姿なんてあるのだろうか。


「分かった、俺は事情は何も分からないし止めやしない。でも本当にそれでいいのか?」

「……うん、いいの。ディランも私がそうすることを望んでると思う、あの子を殺したのは私だけど、でも伯父さんがあの子の自由を奪ったから」

「本当に?」

「そうじゃないとおかしいよ、だってディランはいつも伯父さんを恨んでたから、だから、だから……」


 言葉を詰まらせた彼女の口から次に出てきたのは、引き攣れるような嗚咽だった。

 俺の腕に齧り付くように抱きつき、ずるずると滑り落ちていく彼女が地面に膝をついてしまわないようになんとか引き揚げようとしても、「ごめんなさい」と取り憑かれたように連呼する彼女の足には力が入らない。


 人というものは、本当にここまで壊れてしまえるものなのだろうか――そう思って唇を噛んだ時、「おお、おお、争っておられますなぁ!」と、あの肌が粟立つ嬉々とした声が天井から聞こえてきた。


 その声につられて天を見上げれば、空が見える火口口からあの不気味な大きな嘴のマスクがこちらを覗いている。

 「何をしてるんだ!」そう俺ががなったのも束の間に、ルーヴェがひゅっと隼のように飛び降りてきた。


「心外でございますなぁ、私はただ御三方がどうしていらっしゃるのかと案じて参った次第でございますのに」

「……わざわざ来る必要なんてないだろ、見世物じゃないんだ」

「ほほほ、死者と生者が揃って死者を蘇らせようとするなど、幾多ある死者の国でも初めてのことでございましょうな。それもヘイゼル様、貴女様は何人もの死者を私めに与えてくださったというのに、一体どのような心変わりがあったものか――」

「やめなさいルーヴェ、そのようなことを彼らに聞かせてどうするのですか!」


 「やめませぬとも!」けたたましい嘲けるような笑い声が狭い坑道の中で反響し、幾重にも重なる。

 翼を広げるように両手を広げ、爪先立ちのような格好をしたルーヴェが両耳を抑えて怯えているダイアナの顔を覗き込もうとして、それを俺が腕を伸ばして跳ね除けた。

 

「だからなんなんだよ、今更なんだっていうんだ!」

「うるさい餓鬼め、私はその娘に用があるんだ――ダイアナ・クリフ、死んだお前が蘇るためには条件があってねぇ」

「……な、なに?」


 抑揚のある不気味な声が鼓膜に刺さる。体を反転させてしがみついてきたダイアナを抱き留めて、彼女の目を塞いだ。

 威嚇するように両腕を上げたルーヴェの手には鋭い鉤爪が光っていて、今にも俺ごとダイアナを切り裂こうとしているように見える。


 だとしても背を向けて逃げ出すつもりなんて毛頭ないし、こんな状態のダイアナを置いて行くなんて尚更だ。 


「おお娘よ、喋れるのか! それならばいい、私の言葉を一言一句違わずにその醜い心に刻みつけるのだ!」


 まるで本物の鳥のように体を左右に伸ばしながら揺れる気味の悪い鳥人間に、いつでも心臓を容易く捻り潰されるような気がして胸に冷たいものが降りていく。


 生者でも死者でもない「管理人」とは、即ちなんなのだろう。


 神の使いか、それとも神そのものなのか。

 どちらにしても、俺の命なんて簡単に奪ってしまえるのだろう。それだけの圧倒的な強さ(・・)を、ルーヴェからは感じるのだ。


 ふと、ルーヴェの肩越しに、ヘイゼルが頭を抱えて蹲っているのが見えた。


 見たくもない残酷な何かを見てしまったかのような、そんな表情には見覚えがある――ああそうだ、あれは丁度二年前のことだった。もうじき戦争が始まるのだ、と言った父の表情と同じだ。


 先の長くない母を案じていた父は、戦地に赴くことよりも母の傍にいられないことに酷く悲しんでいたのだっけ。

 母はそんな父を慰めていたけれど、死に近い病人がそれを嘆いている家族を慰めるなんて本当におかしな話だ、と思う。


「いいかい、私に生者の魂を捧げるのだ――二つ、二つだ!

そうすればダイアナ・クリフ、お前のその命という蝋燭に再び火が灯るだろうよ! 行け、行け、今すぐにお前たちを生者の世界に帰してやろう!」


 近いはずの高笑いが、遠く向こうに聞こえる。

 押し付けられたダイアナの体は緊張して硬直し、彼女の目を覆った俺の指に睫毛が擦れた。 


 刹那、意識がスプーンでかき混ぜられたように大きく揺れて暗転し――酷い耳鳴りと共に視界が白く明滅したかと思うと、次の瞬間には青い顔をしたオリバーが「おい」と叫びながら、ダイアナを抱えて倒れている俺の肩を激しく揺さぶっていた。



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