13 幕を下ろす時
絹のように流れる黄金色に輝く長い髪、宝石のように透き通る緑がかった薄灰色の瞳、日に焼けた橙に透ける健康的な肌。
誰よりも自然で美しく、太陽のように人を惹きつける明るい笑顔――彼女を一目見た瞬間に感じた衝動が、嫌という程俺に彼女への想いを喉元に突きつける。鋭く研がれたその切先に目を背け、彼女の名を呼んだ。
「ダイアナ、だよな」
自分が思っていた以上に、遥かにずっと情けない声が喉から転がり落ちる。
それに少しだけ目を丸くしたダイアナが眉を下げ、「そう」と穏やかに微笑んだ。
「紛れもなく私だよ。ありがとう、私を捜しに来てくれて。ヘイゼルだよね、貴方をここまで連れてきてくれたの。見てたよ、全部」
後ろ手に腕を組んだ彼女はそう言って、眩しそうに目を細めると双子の幻影が遊んでいる方に顔を向ける。
悲しさと寂しさを帯びたその整った横顔に自然と目を惹かれ、気付かれない内に視線を逸らした。
清流のように透明な響きを持つその声は芯が通っていて、それなのにどこか投げやりで。
髪を耳にかけた彼女が天を仰ぎ、それから「座って話さない?」とスカートが汚れるのも厭わずに地面に両膝をつく。
彼女のすぐ隣に座ってもいいものだろうか、と一瞬考えたけれど、別にどうだっていいじゃないか、と腰を下ろす。気を紛らわせようと下草に手を這わせると、雨が降った後のように湿気ていた。
「良い景色でしょう? ここではね、ずっと同じ時間が繰り返されているの。ずっと、ずっとね」
初めて会った時と変わらない明るい声に戸惑いながら、彼女の横顔を見る。
自ら命を絶った人間とは到底思えない、気さくな態度。
まるでそうなって当然だったとでもいうような――彼女を連れ戻すことは本当に正しいことなのだろうか、と今更になって不安に思う。
ダイアナが自ら望んで選択したこの道を一方的に間違っていると非難することは簡単で、でも。
「……どうして?」
「ディランが死んでしまった日にね、ああやって喧嘩したの。謝ろうって思った矢先にあの子が死んじゃって、だからかなぁ、本当はすごく嫌なはずなのに」
こちらに顔を向けたダイアナが困ったように笑い、肩を竦める。
あっけらかんとした、けれどどこか寂しさを湛えている彼女の瞳――不意に燃え上がる小屋を見ていた彼女の表情を思い出し、全身に悪寒が走る。
苦痛に耐えきれなかった彼女は、そうやって振舞うことで深過ぎる傷を覆い隠そうとしているのだ。
「ダイアナ」
「どうしたの?」
「戻ってきてくれないか」
地面に押し付けた震える拳を握る。これは自分の我儘であって、真に彼女のことを考えた提案ではないのだろう。
彼女の瞳がすっと表情を無くしても、どうか、と願ってしまう愚かな心臓が拍動するのだ。
あの夜、ダイアナに命を絶つことを決断させるような何かがきっとあったのだと思う。
それまで耐えてきた彼女を繋ぎ止めていた蜘蛛の糸がぷつりと音を立てて途切れてしまうような、そんなことが。
「私は――」
「一緒に集会所に行こうって、迎えに行くからって、そう約束しただろ」
変わらない明日があると思っていたから、そんな約束を俺としたんじゃないのか――顔を逸らしたくなるのを唇を噛んで堪え、ダイアナの瞳を真っ直ぐに見据える。
彼女はそれに明らかに動揺したようだった。視線を彷徨わせ、自身の手首を掴んだ指に力を入れながら「ごめんなさい」と首を横に振る。
「約束を守れなくてごめんね、でも破るつもりもなかったの、本当にグレイソンとなら仲良くなれるって思ったから、だから……」
「それならどうしてあんなことをしたんだよ、ダイアナが首を吊って死んでいるのを見つけた時、俺がどんな思いだったのか――」
そう身を乗り出してから、ダイアナの顔が酷く青褪めていることに気がついた。
今にも血が滲みそうなまでに唇を強く噛み締めて眉を顰め、何かに怯えているかのように肩を震わす。
それから息を荒くした彼女は顔を両手で覆い隠し、「仕方ないじゃない」と、初めて声を崩した。俺はもう、そんな彼女に何かを言うことも出来ずに。
「昨日の夜ね、伯父さんに殴られたの。お前がオリバーと夫婦にならないなら駄目なんだって……それが絶対だからって、もう無理だよ、もう、私にはもう無理だった」
「は?」間の抜けた声が無意識の内に転がり落ちる。
どういうことだろう、と思考を巡らせて、合点がいった瞬間一気に顔から血の気が引いていく――血縁や集団の結束を強める目的で王侯貴族間や閉鎖的な集落で行われていた、近親婚という悪しき風習。だがそれは六十年前の革命時に革命政府が制定した憲法で既に禁じられたことだ。
けれどこの信じ難い話が示す所は、つまり。
「ダイアナを捜している時途中まで一緒だったけど、オリバーって実の兄妹……だよな」
胸に嫌なものを感じながら、言葉を喉に詰まらせて問いかける。
従兄弟同士ならまだしも、同父同母の実の兄妹の近親婚なんて古代から禁止されているのではないか。
少なくとも俺が知る限りはそうだし、あってはならない話だ、と思う。けれどダイアナの言葉を信じるなら。
「そう、そこまで知ってくれているんだね。本当は私じゃなくて伯父さんの娘さんたちのどちらかでよかったの、けれど二人共海で亡くなってしまったから、だからそれでおかしくなってしまった伯父さんは……クリフの一族がこれまで繰り返してきたそれに酷く固執するようになってしまった」
そこで糸が縺れたようにダイアナが口を噤む。何度か次の言葉を継ごうとして息継ぎし、それが叶わないまま充血した目を閉じる。
それから彼女は首を振って両膝に顔を埋めた。長い髪の毛が川のように肩と背中を流れ、痛みの無い毛先が大地に広がる。
「本当に――本当に酷いことをされたの、でも元々はとても優しくて良い人だったから、だから私は伯父さんを憎めなかったし憎みたくなかった。仕方ないんだって、もしかしたらまた昔みたいに優しくなってくれるかもって……そう期待していたの」
「それが言い訳なんかになるか!」込み上げてくる感情に任せ、そう声を荒げた。
例えどんな事情があろうがひとりの少女をここまで追い込んだ事実は変わらないし、ダイアナからなにもかもを奪ったことが許されていいはずがない。
おかしくなった大の大人が幼い少女から家族を奪うことが正当化される残酷さから、彼女自身が目と耳を塞いで逃げているだけではないか。
「俺は事情をよく知らないから分からないよ、でもおかしいだろそんなの、なんでその犯罪者を庇わなきゃいけないんだ? どんな理由があろうが許されていいわけがない、絶対に。なんでそれで父親が殺されないといけないんだ」
感情に突き動かされるままに立ち上がり、彼女の華奢な両肩に手を置く。
すると彼女が俺の片腕を引っ張って、親に縋る幼児のように俺の首元に顔を埋めた。
「優しいね、グレイソンは。お母さんだって私たちを守ってくれなかったし、アーベントの皆だって伯父さんを怖がって知らないふりするのに――オリバーとヘイゼルくらいだったな、信じられる人は。でも二人にも滅多に会えないし、苦しくなるから会いたくもなかった」
熱い液体を皮膚に感じて、それで彼女が泣いていることを知った。
多分、今は何も言わない方がいい。何か言ってしまえば、徹底的に彼女が壊れてしまいそうな予感があった。
彼女の瞬きと共に擦れる長い睫毛の感覚がいやに擽ったくて、この状況でそれに意識が向く己の心に怖気を感じる。
「でもあそこで死んでよかったな、期待はしてたけど本当に誰か来てくれるなんて思ってなかったし、しかもそれがグレイソンだなんて」
そう言ったダイアナが僅かに顔をこちらに向けて、柔らかく微笑んだ。
その赤らんで濡れた表情は鳥肌が立ってしまうくらいに美しくて、愚かな俺はその滑らかで自然な美しさから目を離せなくなってしまう――きっと彼女はそういう意味では言っていない。
けれど俺の心は醜くも期待しているのだ、どうか彼女が俺の手を取って、そして好いてくれやしないかと。
邪な感情が行動原理に含まれていることが申し訳なくて、けれどだからこそ彼女に幸せになって欲しいと願う。
「……どうして俺が君をここに捜しに来ると思ったんだ? 誰かが来ることを期待したなら、それはまだ生きたいって思っていたからなんじゃないのか」
「そうかもしれないね、グレイソンに勉強教えて貰うの本当に楽しみにしていたから。本当は死にたくなんてなかったのかも、それでも私は……」
「ならなんで」
「死にたくなくても死ぬしかなかったの、お前ももうすぐ十五なんだからって、それで実の兄と寝ろって強要されることがどんなものだと思う? オリバーだって拒否するって決まってるのに、私が嫌だって言ったら何回も何十回も殴られて蹴られて、こんな目に遭うくらいならもう死ぬしかないって思った」
「いつでも死ねるって、だからまだ生きようって、そう思えるように用意していたあれを本当に使う日がくるなんて思わなかった」――唖然とする俺を横目に、穏やかな笑みを浮かべた彼女が俺の腕を引っ張って支えにし、ゆっくりと腰を上げる。
彼女の亡骸に刻まれていた傷を思い出す。「そうか、だから」なんて納得したくない。
心臓が締め付けられるように拍動するのを感じて、震える腕を伸ばしてダイアナを抱き寄せた。
「ごめん」
「どうしてグレイソンが謝るの?」
「……本当にごめん、何も分かってないのに立ち入って」
「いいんだよ、私がそうして欲しかったから。私こそごめんね、貴方がこんなに気負う必要なんて無いのに」
彼女の細い手が俺の首に回る。もうなんだっていい、この邪な感情が誰かに打ち明けられるようなものでないにしても、出会ったばかりの彼女にこんなにも惹かれている。
「ここに来て君を連れ戻すって決めたのは俺だ。俺ができることなら何でもする、君の父親も、ディランも殺した伯父をどうにかすることだって――」
「違う」
「どうにかすることだって出来る」――そう言い切る前に、ダイアナが上擦った声で割入った。
有無を言わせずに門を強制的に閉じるような口調に戸惑っている内に、顔を強ばらせた彼女が俺を突き放す。
意味も分からずに「なにが」と呟いた俺に、唇を戦慄かせた彼女が「違うの」と首を横に振り、ああ、と悲痛な呻き声をあげて顔を覆った。
「ディランは伯父さんが殺したんじゃない――私、私がディランを殺したの」




