52話 ありがたくない勘違い
だからオレは、黒咲が提示した条件を即座に受け入れると答えてしまう。
「い……いいぜ、その代わり、水族館が閉まってても、後で言い訳はナシだからなっ」
「ふふ、当然だよ。もしその時は……景君がどんな命令でも、必ず実践してあげるよ。それがあんなコトやこんなコトだとしても、ね?」
そう言いながら黒咲は、着ていたTシャツの襟に指をかけ。鎖骨を見せつけるような真似をしてくる。
さすがは剣道部のエース、くっきりときれいに浮かび上がる鎖骨が引き締まった身体であることを証明していたが。
「な、何してんだよく、くく、黒咲っっ! ば、馬鹿っ、み、見えちまうだろっ?」
ホテルに到着した時には雨に濡れてしまっていたTシャツももうすっかり乾き、あの時のように色々と透けてはいかなったが。
それでも、黒咲が襟にかけた指を下へと引っ張ると、無い胸の谷間の部分が見えそうになっていたので。
慌ててオレは襟からのぞく素肌から顔を背けていく。
「ん? 私は景君にされてしまうだろう命令の予行演習をしているだけなんだけどね」
「よ、予行演習って……」
命令を一つできる、と提案してきたのは黒咲だし。突然そんな事を言われたからといって、黒咲にやらせたい内容なんて正直頭に浮かんでなかった。
せいぜいが、学校であまり話しかけてこないようにするとか。夏休みの課題を全部代わりにやってもらう程度くらいだったが。
「いや、だって景君……こういう時の定番と言えば、裸を見せたり、それ以上の男女関係を求めるのが正常な男子高校生というものだろう?」
「あ……あのなあ……っ」
どうやら黒咲は、オレがこの賭けに勝ったら今口にしたような性的欲求を満たす命令をしてくると考えてたみたいだ。
確かに、昨日は海の中で黒咲に強引に唇を奪われるかたちで彼女とのキスを経験したオレだったが。
(だからといって……黒咲の胸を見たいか、と言われたら。そこまで興味ないんだよなあ……)
腰まで伸ばした黒髪の似合う整った顔は間違いなく美人、いや超がつくほどの美人たろう。
頭も良いし、運動神経も抜群なこともあってスラリと引き締まった体型をしている……のだが。
それでも、今言ったように「黒咲の裸が見たい」と思ったことはただの一度もない、というのが正直な話だ。
原因はやはり、高校生にしては平坦すぎる胸だが。
(そんなこと、口が裂けても言えるワケないしな……)
オレの中では絶対不可触となっている黒咲の胸には、こんな逸話もある。
……あれはオレや黒咲がまだ入学したばかりの時の話だ。
やたら黒咲に交際を迫る、少々素行の悪いと評判の三年の先輩がいたが。
ついに多くの生徒が見ていた中でハッキリと黒咲に交際を断られた際に、その先輩は黒咲の胸を「貧相な胸のくせに」と馬鹿にした。
次の瞬間、三年の先輩の身体が大きく宙に浮き、背後へと吹き飛んでいった。
黒咲のビンタ、ではなく握り拳が先輩のアゴを直撃したインパクトの瞬間を、その場にいた全員が見てしまったのだ。
元々が強引に交際を迫った様子がオレを含むその場の全員が証言したこともあって、黒咲の行為は正当防衛となり不問にされたが。
さすがに一年の女子に殴り飛ばされたのがショックだったのか、三年の先輩は二度と学校に来ることなく転校していった。
その他、黒咲の胸に関しては色々な事件が起き、その凄惨な結末をオレは一番近くで見てきたのだ。
そんな胸を含む黒咲の身体は、オレにとっては性的興味の対象というよりかは、むしろそれ以上に恐怖の象徴でしかなかった。
「そんなに照れないでも、私は景君が何を望んでるのか、しっかりわかってるつもりだから……私に遠慮せず、何でも言ってくれていいんだからね?」
「はぁ……わかった、わかったよ」
それに、オレも黒咲との付き合いはもう七年、いや八年目となる。
一度思い込んだら頑固な性格の黒咲を、今この場で何か言い繕ったところで彼女の勘違いを解くのは無理なのは。真由を除けばオレが一番よくわかってる。
だからこそ、ため息を一つ吐いてから。
「と、とにかく。水族館が開いてるか、それともまだ閉まってるのか。まずは確かめにさっさと行くぞっ」
おそらくは無い胸の谷間をまだ見せているだろう黒咲を見ないまま、オレは先に水族館のある五階へと向かっていく。
「お、おい景君? そっちはエレベーターと真逆の方向だけど」
「そりゃ、エレベーターじゃなくって階段を使うつもりだからな」
別にエレベーターを待つ時間が惜しい、というワケではなかったが。
オレがエッチな願い事をすると誤解されたまま、黒咲から顔を逸らしていた手前。エレベーターが到着するまでの時間が、どうしても気まずい雰囲気になってしまいそうだったからだ。
「なるほど、食事をしたばかりだからね。食後の腹ごなしに軽い運動をするのは悪くない」
さすがは剣道部のエース。
本来の理由とは違い、すっかり考え方が体育会系なのが少し笑いのツボに引っかかってしまい。
笑いをこらえきれなかったオレは、口を手の甲で押さえたまま失笑してしまう。
「ぷっ……軽い運動、ねえ、ぷ、くくっ……」
「む。ということは、それとは違った理由が階段を使ったのにはあった、ということかい?」
どうやらオレに笑われたのが黒咲のカンに触ったのか、先程までオレをからかっていた口調より低い声色でわざわざ階段で五階の水族館へと向かう理由を問い詰めてくる。
(しまった……藪蛇だったか?)
「……な、何のことだよ」
「面倒くさがりな景君が、待っていれば到着するエレベーターを使わずに、わざわざ階段を昇るだなんておかしいな、とは思ったんだ」
あくまでとぼける事で、後ろからついてくる黒咲の追及を逃れようとするオレだったが。
そこは小学校の頃からの付き合いの黒咲、面倒なことを嫌うオレが階段を極力使わないことなどお見通しだった。
(く、くそう……勘が鋭いぜ。長い付き合いなのは、黒咲も同じ条件なんだよなあ……)
「それに、さっきから何で景君は……私を見てくれないのかな?」
そう。不覚にも、黒咲の言葉に吹き出してしまったことで。不自然に階段を使ったことに何か妙な意図があったと勘繰られてしまったオレは。
これ以上、変なことをしゃべるとさらに墓穴を掘るかもしれないと無言のまま、黒咲に先行して階段を昇り。
水族館へと向かいながら、握っていたスマホの画面で現在の時刻と着信を確認する。
「時間はまだ九時二〇分、それに……」
高熱を出したにもかかわらず、一人になりたがっていた真由からの連絡は来ていなかった。
(連絡がない……ってことは。今のところ、真由に何かあった、って事態にはなってないってこと……だよ、な?)
真由の希望通り、一人で寝かせることを認めはしたが。真由の容態が心配だったオレは彼女のスマホにメールを送っておいた。
何か体調がおかしい、と思ったら絶対に連絡しろと。




