49話 黒咲が引っ張るその先は
「……と、まあ。そういう事だよ景君」
何が「そういう事」なのかはわからないが、なぜか嬉しそうな口ぶりの黒咲がオレの手を握ってくると。
「なら私たちは言われた通りに、真由を一人にしてやろうじゃないかっ」
「い、いやいやっ、ま、待て待て黒咲っ?」
すっかり浮かれ気分の黒咲に。エレベーターまでグイグイと引っ張られながらもオレは、部屋にあった時計を指差していくと。
「時間を見ろっ! まだ八時過ぎだってのっ!」
そうだ。沖縄旅行の二日目ということで、惰眠を貪っていたオレは。
外はタイミング悪く襲来した台風十号の激しい暴風雨の中、朝七時前という時刻にやってきた黒咲によって叩き起こされ。
その間、黒咲の面倒だったり、起きてきて高熱だった真由の看病の用意だったりと色々とあったが。
実はまだ時計は八時を回ったばかりであり。
オレはまだ朝食すら摂っていないというありさまだった。
「どこに行こうとしてたが知らんが……こんな時間だ、まだどの施設もオープンしてないぞ」
オレたちが宿泊する『伏魔殿』と呼ばれている普久間殿ホテルには、高級リゾートホテルを名乗るだけあり映画館や水族館など様々な娯楽施設が併設されてはいるが。
当然ながら、それらの施設がオープンするのは一〇時からとなっていて。黒咲と向かうにはあまりにも早すぎるのだ。
「そうか、まあ確かに……こんな早くからは映画館も水族館も開いてはいないか。それなら──」
時間が早すぎるから落ち着け、とオレは黒咲のことを説得し、納得してもらったつもりだったが。
その黒咲はというと、一瞬だけ考えた素振りを見せたが。結局はさっきと同じようにオレの手をグイグイと引いてエレベーターへと向かっていく。
「お、おいっ黒咲っ……話聞いてなかったのかよ?」
「一つだけ一緒に行ける場所があるじゃないか」
「え?」
そう言われても、こんな時間にオープンしてる施設なんて温水プールつきの大浴場くらいだが。
さすがにこの台風だ、野外に設置された露天風呂は閉鎖されているが。
まさか?
(昨日あれだけ泳いだから……今日はプール、ってのは勘弁願いたいんだけどなあ……)
だけど、一日泳いだだけで満足してるオレと違って化け物的な体力の黒咲が一言「泳ぎたい」と言いだしたら。
一般的な男子高校生の体力・筋力のオレだが、黒咲に押し切られるのは確定だ。
「も、もしかして……温水プールとか」
エレベーターが到着するまでの待ち時間に。
オレは黒咲に、これから向かおうとしている場所を予想してみせたのだが。
「ん? 何を言ってるんだい景君。あれだけ昨日海で泳いだのに、まだ泳ぎ足りないのかい?」
それを聞いてきょとんとした顔の黒咲の反応から、どうやら行き先は大浴場ではなかったらしい。
だとしたら、一体どこに行こうというのか。
(いやそもそも、宿泊してるオレより外から来た黒咲のほうが詳しいとか……おかしくないか?)
多分、不思議そうな顔を浮かべていたのだろうオレに黒咲は「ふふっ」と微笑みかけながら。
「さっき景君が言ってたじゃないか。二階でビュッフェ形式の朝食を出してくれているんだろう?」
「……あ!」
そう言えば、真由に自宅から持ってきた解熱薬を飲ませるため、口にいれる軽食をどうしようか話してたあの時に。
ポロっと漏らしたかも、と思わず声を出してしまった。
確かに朝食のビュッフェ会場に入れるようになるのは八時から、今からなら問題なく入ることができるのだけど。
「いやあ、部員のみんなが起きる前にホテルを抜け出してきたから実はお腹がもう限界でね」
そう言いながら黒咲が自分のお腹をさすっていると、グゥゥゥ……と腹が鳴る音が聞こえてきてしまった。
「ふふ。いつも私はパン派なんだけどね、今日くらいは景君と一緒にご飯で朝食というのも悪くはないかもしれないね」
「え……えええっ? く、黒咲って……朝食、パン派なのかよ?」
「ん、意外かい?」
黒咲がまさか朝食はパン派だった、という衝撃の事実を聞いてオレは驚く。
(いやいやいやっ! 黒咲の見た目なら白米に味噌汁、焼き魚に梅干しか漬け物……じゃないのかよっ?)
偏見がすぎるかもしれないが。黒髪にポニーテール、そして剣道部という、まさに「剣道小町」と呼ぶにこれほど似合う外見をしている黒咲が……朝食はパン派だったなんて。
だけどそういえば、確かテレビ番組で観た気がしたが。古典的な文化な街並みで有名な京都の人たちは、意外にも朝食はパン派が多いらしいが。
「あ、いや……意外すぎるっていうか、黒咲さ……よくウチで一緒に朝ご飯を食べてたじゃん」
しかも、まだ母さんが生きていた頃。オレを迎えに朝早くやってきた黒咲に、母さんは喜んで朝食を用意していたこともあり。オレと黒咲は一緒に朝ご飯を食べることもあったのだが。
オレが根っからのご飯派だったこともあってか、ウチの朝食で食卓にパンが並んだことはほぼなかったハズだ。
だけど、本当に黒咲が「朝食はパン派」だとしたら、うちでの朝食を我慢して食べてくれていたことになる。
気づけなかったオレも、そして母さんもだが。
黒咲も一言「朝食はパン派」と言ってくれたら、母さんはきっとイヤな顔を一つせずにパンを用意したに違いない。
(白米派のオレとしては困りモノだけど)
オレは、当時そんな黒咲の朝食の好みに気づいてやれなかった申し訳なさと。
今の今まで一度もパン派だったことを話してくれなかったことへの寂しさが混じった、少し複雑な感情で黒咲をジッと見ると。
「ま、待った待った、景君っ……違う、違うんだっ、そういう意味じゃあないよっ?」
その黒咲は慌てた様子で手をパタパタと振りながら、オレの心の中を読んだかのように首を横にブンブンと振って否定する仕草を取る。
「むしろ……景君のお母さんの朝ご飯はパン派の私でも百点満点の美味しさだったよ。いつもいつもありがたく御相伴していたくらいさ」
「お、おう……っ」
「ほら、私の家は朝食を摂ろうと思ったら、私が用意しないといけない環境だったから。余計に景君のお母さんには感謝してたんだよ」
そうだ、確か。
黒咲の家はちょっと大変なことになっているので。家事のほとんどを黒咲がしていると……以前、彼女の口から聞いたことがある。
だからなのか、黒咲は良くオレの家に遊びに来るものの。オレは一度も黒咲の家に遊びに行ったことはないし、家の近辺すら近寄らせてもらえなかった。
そんな黒咲の家族環境を思い出していたからなのか、少しボーっとしていたのだろう。
「ほら景君、エレベーターが来たよ」
目の前で開いた扉に、さっきからずっとオレの手を握りっぱなしだった黒咲に再び手を引っ張られていくと。
「うん、懐かしい話をしてたら今朝は久しぶりに白いご飯が食べたくなってきたよ。それと、景君──」
「な……なんだよっ……」
黒咲がジッとこちらの目を見つめてくると、少し悪い予感がしたので思わず後ろに下がろうとしたが。
残念ながらここは逃げ場のないエレベーターの中で、しかも片手は黒咲と繋がったままだ。
オレが一歩下がったのに、黒咲は二歩こちらとの距離を詰めてくると。
「せっかく二人きりなんだ。だから、私の事は名前で呼んではくれない……かな?」
彼女の言葉を聞いたオレは、昨日の黒咲とのやりとりの一から十までをすっかり思い出し。
すっかり頬を赤らめてしまうのだった。




