腐敗の魔女ライラック3
正確な体のサイズは把握できているけれど、似合う似合わないというのは実際に着せてみないとわからないわけで、迷うくらいなら両方買おうとやっていたら結構な量になってしまった。
最初は私の服と靴を貸すつもりだったが、やはり不慮の事態に備えて彼女専用の服や靴を用意すべきだと思ったので、多い分には困らないけれど。
ライラックがやってきたときに巻いていたごわごわした布は麻布を柿渋で染めた布で、おそらく動物素材の布よりは植物素材のほうが腐りにくいのだろうと服も下着も全て綿にした。
靴は靴底が木製のサンダルだ。町の中だけならこれでそう不自由はしないと思う。
荷物を抱えて部屋に帰るとライラックも起きていたので、買ってきたものをそのまま手渡すと慌てだした。
『そんな、私お金持ってないので返せません!』
『気にしないで。ライラックが身の振り方を決めるまでは私が面倒を見るのだから』
というか大した負担でもない。王都に比べるとこの町は物価が安いし。
地方から王都の学院に入った学生は寮がなければ特殊技能で稼げる子以外はすぐに破産してしまうだろう。
しばらく休みを取ったので、その期間に生活に不自由しない程度の王国語を教えると言うと、ライラックは嬉しそうな顔をした。
言葉が通じなくて困った経験も沢山したんだろうね。
よし、私も頑張ろう。
乾いた大地が水を吸うようにライラックは王国語を習得していった。
元々聞き取りはできていたので話すほうもきっかけが必要なだけだったのかもしれない。
それほど手間もかからなかったので、もうひとつの問題へとりかかることにした。
「じゃあその温めたミルクの周囲に漂う乳酸菌に手伝いを呼びかけるようにスキルを使ってみて」
「うん」
ライラックは緊張した様子で慎重にスキルを使用した。
ミルクは変色することなく端から凝固していく。
「そうそうその調子」
鑑定で見てみるとミルクがヨーグルトへと無事に変質した。
ライラックは腐敗させずにうまく発酵へと導けたようだ。
スキルの制御は私も得意ではないけれど、スキルの方向性を腐敗より発酵へ向けさせるくらいならできる。
腐敗も全く不要ではないけれど、わかりやすく生活に直結する発酵のほうが彼女には向いていると思う。
「できた! 私、腐らせなかった!」
「すごいわライラ。教えた通りにちゃんとできたわね」
「昔制御できてた頃の感覚も思い出してきたの」
それなら近いうちに魔道具を完全に外せるかもしれない。
出会った頃よりスキルのレベルが上がっているけれど、訓練のために一時的に魔道具外してもスキルが暴走したりはしていないし。
「そろそろ王都の学院に紹介状を書かないと」
「私は、このままアデリーとパネで暮らしたいけれど、やっぱり学院は行かなきゃだめ?」
「そうね。将来のことを考えるなら学院に通って卒業するのは大事よ。特にライラみたいな強い力を持っている子はね」
「でもこのままじゃ、アデリーになにも返せないよ」
途中からギルド職員の義務というよりは個人としてライラを助けていた部分があるので恩返しなんかは特にいらないけれど、ライラックは気になるらしい。
そうねえ……
「この町って足りないものが多いと思わない?」
「私の故郷に比べたらそうでもないけど、前に通ってた学院のある街と比べたらそうかもしれない」
「パネって旅人が立ち寄る町だから酒場を兼ねた宿屋は多いでしょう? それでそんなに悪くないぶどうを作る果樹園もある。それなのに、醸造所が無いの」
「醸造所ってお酒を造るところ?」
「そう、ぶどうを発酵させて葡萄酒にする場所よ。だからライラの卒業後の進路のひとつとして、この町で醸造所を立ち上げるって選択肢を考えてくれないかしら?」
学院で他にやりたいことを見付ければそれでもいいし、故郷に帰ってもいい。あくまで選択肢のひとつだ。
「醸造所を立ち上げたら、アデリーへの恩返しになるの?」
「お酒は好きだから、この町に醸造所ができたら嬉しいわね」
「それなら考えてみる。学院で勉強を沢山してもっと上手にスキルを使えるようになるから、アデリーには一番に飲んでもらわなきゃ」
小娘の戯言で人ひとりの人生を決めてしまったので思い出すと少し恥ずかしくなる。
ギルド長の脅し方や仕事の休み方も荒々しい。今ならもう少しうまくやるだろう。
パネに人が増え、忙しくなるごとにギルドの職員は入れ替わり、当時からいる人はもう半分くらいになってしまった。
当時のギルド長も数年後穏便に引退していただいたし。
昔のことを思い出しているといつの間にか閑散としていたギルド内に喧騒が戻ってきた。
振る舞い分の新酒が打ち止めになったようだ。
あとは小金を稼いで夜からまた飲み屋で飲むのだろう。依頼の受発注カウンターと売店が俄かに混み始めている。
近場で採集や狩猟などをして夕方になれば今度はこちらの鑑定カウンターが帰ってきた人たちで混むのだろう。
これもなんだか毎年恒例になってきたなあ。
少し残業をしてから、屋台で一口大に切って揚げられた魚や、チーズを薄く切ってカリカリに焼いたものを買って帰ると、ドアの前に色鮮やかな毛織物を羽織った人がいた。
「遅いじゃないアデリー」
「誰のせいかしら」
きっと私のせいねとライラは笑った。
合鍵の場所は変えてないのに毎年ドアの前で待っているのはなんでだろうな。
部屋に入るとライラは布包みの中から、葡萄酒の瓶をふたつ取り出した。
「出かける間際に旦那に文句言われたわ。一口くらい飲ませてくれって」
「まあそうでしょうね」
「でも本当の一番搾りはアデリーに飲んでもらわなきゃ。旦那になんて飲ませないわ」
気の毒に。
旦那さんの果樹園のお陰でいいお酒になるのだから、一口くらいはあげてもいいと思うけれど。
でもライラは毎年律義に約束を守る。
仕事があるので一番には飲めない私に、今年一番最初に絞った葡萄酒を持ってきて、そのままふたりで部屋飲みする。
「そういえば今日なんとなくライラが王都の学院に転入する前くらいのことを思い出してたのよ」
「どんなこと?」
「ここで初めてヨーグルトを作ったこととか……もう誰もライラが腐敗の魔女って呼ばれてたことなんて信じないでしょうね。こんなに立派になったんだもの」
「呼び方なんてなんだっていいわ。あの日アデリーに出会えたってことだけでこの先死ぬまで何回だって乾杯できるし」
それはきっと、私もそうだと思う。
あの日ライラに出会って、卒業して戻ってきたライラが色々足りない町にひとつ名物を増やした。
それはとても素晴らしいことだ。
醸造所を作る過程で早々に果樹園の息子と恋に落ちて結婚してしまったことについては、ものすごく先を越された悔しさはあるけれど。
今ではお互い忙しく、なかなか会う機会も減ってしまったけれど、この夜は重ねる杯が尽き眠りに落ちるまで話が尽きることはなかった。




