腐敗の魔女ライラック
今日は珍しく閑散としたギルド内で、ミネットちゃんがチラシを見ながらため息を吐いている。
この町の醸造所兼飲み屋「醸し屋」で行われる毎年恒例振る舞い酒のお知らせだ。
開催日は本日。つまりお酒が飲める町民と冒険者たちはそちらに行っている、というわけ。
今年採れた果実で仕込まれ、今朝絞られたばかりの新酒を惜しみなく振舞うこの行事は年々参加者が増えているという。
ミネットちゃんもイケる口で参加したかったようだが、先日妊娠が発覚し、そのまま結婚の日取りも決まり、後任が決まって引継ぎさえ終わればいつでも退職できる状態の彼女は、当然イベント参加不可である。
醸し屋が営業を始めてから数年経つがすっかりこの町に定着したようだ。
果樹園はあれど醸造所が存在しなかったこの町は、他の街から購入するか、家庭内醸造すかしかお酒を手に入れる手段がなかったけれど、醸し屋がある今となっては昔の話。
醸し屋は蒸留所も新しく作ったし、今働いている従業員もいずれ独立して自分で醸造所を立ち上げることを目標にしているようだから、この町の酒飲みたちの未来は明るいわね。
「飲みたい……うう……今年は当たり年だって……」
「大丈夫。醸し屋の葡萄酒は毎年当たり年よぉ」
果樹園のブドウの品質が毎年上がっているから、去年より今年は確実に美味しいし、今年より来年のほうが美味しい。
なお私の分は毎年別に確保されているので、イベント中に行く必要はない。
「そういえば、醸し屋のおかみさんってアデリーさんがスカウトしたんでしたっけ?」
「ええ、元々は通りがかりの旅の方だったわねぇ」
「その頃って今みたいに町が発展しはじめる前だったのによく受けてくれましたね」
「私もまだ赴任したてで、白金バッジを持っているだけの新人だったわぁ」
そんな新人の言葉に心を動かされて田舎町に移住した彼女は、当時それほど切羽詰まっていたのだろう。
前に住んでいた場所でなんて呼ばれていたかしら?
そうそう思い出した、その頃の彼女の二つ名は「腐敗の魔女」だった。
閑古鳥が鳴く私の勤め先に、同じく閑古鳥が鳴く町の検問所から依頼が飛び込んできたのは業務終了間際の時間だった。
どうやらスキルの制御ができておらず、喋る言葉も不明瞭な旅人が現れたらしい。
もう帰る気満々だった先輩や上司たちは嫌な顔をして、スキルを受け取ったばかりの子供が使うスキル制御の魔道具を投げるように私に渡し、鑑定が使えるのだからちょうどいいと私ひとりで現場に行かされることになった。
新人ながら資格者で先輩方より給料がいい新人を少しいじめてやろうという気分だったのだろう。
私に高い給金を払っているのは冒険者ギルド本部であって上司じゃないのに不思議な話だ。
特に予定もないので了承して検問所へ向かうことにした。
私だって特別製の腕輪がなければ日常生活が送れないのだ。検問所の旅人さんも困っているに違いない。
「お待たせしましたぁ。冒険者ギルド・パネ支部鑑定員のアデレードです」
検問所の簡素な詰所に到着すると、中は異様な雰囲気だった。
問題の旅人は、立ったまま俯いているけれどまだ年若い女性のようだ。
紺色の長い髪も結ばず、足元は裸足で、黒くて重たそうな布を体に巻いている。
「お疲れ様です!」
「とりあえずスキル制御……の前になんのスキルなのか見させてもらいましょう」
彼女がほぼ裸みたいな状態でいる理由も知りたいし。
名前はライラック。14歳、ってまだ学院に行っているような歳じゃない。
ああ帝国寄りの小さい村出身で帝国の教会でスキルを得てそのまま学院に入ったのね。
となると帝国語のほうが通じるかしら。
さて肝心のスキルは……菌類の活性化……よくわからないわ。もうちょっと詳しく見てみましょう。
リミッターの出力を下げて表示されているスキル名をさらに詳しく確認する。
つまり腐敗や発酵を促したり、茸を栽培できたりするのね。それで今は低レベルかつ制御もできてないから、彼女が知っている腐敗という現象だけが発現していると。
それで「腐敗の魔女」なんて二つ名を付けられた挙句、帝国の学院から追い出された。
帝国には制御の魔道具がなかったのかしら?
『お嬢さん、ここまでよく来たわね。私はこの町のギルド職員よ。今からスキル制御の魔道具を装着するので腕を出してもらっていいかしら?』
帝国語で話しかけると彼女はびっくりしたように顔を上げた。
土埃で汚れているけれど美少女だな。
『いけません。魔道具が腐ってしまいます』
『魔道具が? 帝国のスキル制御の魔道具は金属ではなかったのしら?』
『木製でした』
『私の持ってきた魔道具は腐ったりしないから安心して』
私がそう言うと少女は恐る恐る腕を出した。
うん、ちゃんと装着できたし、スキルも無効化できたみたい。
『じゃあそこの木製の椅子に座ってみて。この腕輪の効果が切れるまではもう腐ったりしないわ』
信じられないような顔をして、それでも私の言うとおりに座ってくれた。
うん、ちゃんと効いてる。
彼女も効果を理解したのか大粒の涙をぼろぼろを流し始めた。
きっとまだ年若い彼女にとってここに来るまで辛いことの連続だったのだろう。
「衛兵さん、今日は暗くなってきたし、彼女をうちで預かってもいいでしょうか? 今日はうちに泊めて、明日ギルドに連れて行こうと思います」
「助かります。若い女の子が一晩ここじゃ休まらないだろうし。それじゃあ後は頼みます」
彼女に関する情報をなにも伝えていないのに、ギルド職員を信用し過ぎなのでは?
まあ事件らしい事件などないこの町だからこそだろう。
身分証も無いだろうし、明日ギルドで仮発行してもらおう。
『裸足だけどまだ歩ける? 今日は私の部屋に泊まってもらうわ』
『申し訳ないです』
『困っている人を助けるのはギルド職員として当然のことよ。気にしなくていいわ』
道中あまり食べられてないのか身体の状態が衰弱に近いな。
柔らかく煮た野菜と肉団子のスープくらいなら食べられるだろうか?
服と靴はうちにある私のものでしばらく我慢してもらって、下着は明日買おう。
さてギルドの新人、赴任したての17歳の私が借りている部屋は集合住宅とはいえなかなかの広さだ。
本来は子連れ夫婦が住むような部屋なのでワンルームではなく、いつか素敵な男性と出会えたらすぐに同棲できるようにベッドもふたつある。
生活に便利な魔道具も買い揃えてあるので彼女が泊まっても不自由することはないだろう。
一般的なギルド職員と比べてもいい暮らしをしていると自分で思う。
資格を取ればそのまま給金に反映されるのだから、みんな資格を取ればいいのに。
部屋に着いてから床を汚してしまうからと入ろうとしないライラックを無理矢理部屋に引きずり込み。
お風呂にお湯を溜めておく。
それから牛乳を人肌より少し熱いくらいに温めて、カップに入れて手渡しておく。
『とりあえずお風呂にお湯が溜まるまでそれ飲んでね。ただの牛乳だけど』
喉も乾いていたのだろうか。溢しそうな勢いでカップが空いた。
『改めまして。私はアデレード。勝手に鑑定したからあなたの名前やスキルはわかっているけれど、確認のために名前を教えてくれる?』
『私はライラックです。アデレードさん、今晩お世話になります』
うん、嘘吐きではないということは良いことだ。




