方向音痴のスプリング
いつもは緩くまとめた髪をきっちり結って上げ、化粧は濃いめに。銀縁の伊達眼鏡に暗色のカプリーヌをかぶれば、ぱっと見の印象は少し硬めの女になる。
「アドリア」
「準備できましたからいつでも出られますよ」
今日の私はシノマキの旧友ではなくビジネスパートナーとして横を歩くので、ロールプレイは早いうちからやっておきましょう。
冒険者ギルド本部所属鑑定部門監査相談役アドリア。偽装とはいえ貴人ではないため身分証にそこまで嘘はない。あと資格情報は載ってないかな。
これが貴族とか神殿の高位者だともっと手の込んだ嘘になる。照会1回では出てこないとか。
王都の入口の検問所は毎回特に問題なく通過している。
年に一度くらいだし、人の出入りの多い王都なら衛兵さんもいちいち覚えてはいないだろう。
どちらかというとシノマキが女性を連れているという点のほうが目立っているかもしれない。
金あり名誉あり将来性ありで顔も悪くない未婚男性なので、女嫌いと噂されていても近寄る女性は後を絶たない。
一緒に歩くだけで周囲の女性と一部の男性からどす黒い感情を一身に浴びるのだが、それは学生の頃からずっとなのですっかり慣れたものだ。
「相変わらずおモテになりますね、シノマキさん」
「……少し急ぐか」
「大丈夫、慣れてます」
「無理するな」
そう言うなり私の手をとり、シノマキが早歩きしはじめた。
周囲の悪意の量が増したな。あと好奇の目も増えた。
こういうことして変な噂になったら困るのはシノマキなのに。
誤解されやすいが友達想いの優しい人だから私が傷付かないか気にしたのだろう。
私の中のシノマキが人から理解されないと寂しそうに言っていた少年のままであるように、彼の中の私も校舎裏でこっそり黙って泣いていた少女のままなのかもしれない。
学び舎でもひそひそと女の子たちの声がする。
こちらは全く隠さない好奇心いっぱいの視線で微笑ましい。
去年も一昨年も立ち寄っているから私を見たことある子もいるだろうが、そんなのごく一部だしね。
シノマキは結構怖い講師なのだろうか?
気にされつつも意気揚々と囃し立ててくるような子は男子も女子もいない。
「ではまた後で」
「はい、お仕事頑張ってください」
教務室へ向かうシノマキを見送って、私は先生がいる筈の部屋に向かう。
「来ました!」
おじいちゃん先生なのでノックは聞こえにくいらしく、訪ねるときはいきなりドアを開けるように言われている。
まるで壁のように詰まれた書類の森の奥、部屋の主は私に気付き持っていたお茶を飲み干した。
「やあアデリー。そろそろ来ると思っていたよ」
「お久し振りです。今年も雑用しにきましたけどなにかあります?」
「そうだねえ。アデリーに頼みたいものはあるよ」
突然訪ねてきた卒業生に対しても特に驚くことがなく昔と態度が変わらない。
オガマ先生のこういうところが好きだ。
他の講師は私の就いた地位しか見てない気がする。
目の前に紙の束が次々と積まれ、頼まれたのはレポートのオリジナル探しだ。
今年度提出されてまだ評価がついていないものだが、文言を多少変えて内容はほぼ同じというレポートが多発しているらしい。
いつの時代も楽をしたい子はいるものだ。
「内容は良いからオリジナルを作成した子にはいい評価をあげたいなあ」
ということなので、さっと見つけてみましょうか。
そうして過去数回分の提出レポートを確認するとどれもオリジナルの作成者は同じだった。
さらにそれを書き写した最初のひとりも同じ。
その他は最初に書き写したものを写したものばかりだ。
「オリジナル作成者は全てスプリング。最初に写しているのは全てバウキス。他はバウキスから写しています」
「ふむ」
「スプリングとバウキスの間でどういうやりとりがあったのかはわかりませんが、故意に周囲へ写させているのならバウキスの行為は少し悪質かもしれません」
友達に頼まれてレポートを写させてあげる。そういうことは珍しくない。
おそらく最初の写しはスプリングという学生の善意によるものだろう。
しかし写したレポートをさらに複数人に写させているバウキスに誠意のようなものは感じられない。1回なら集団から迫られて無理矢理写させられてる、ということもあるかもしれないが、バウキスのレポートを写している人間は一定ではない。
つまりバウキスはスプリングの功績を自分のものとし、自分の評価を上げるためにレポートを写させている、という可能性がかなり高い。
「ふむ」
オガマ先生は納得したように、ノートに走り書きをしている。
相互関係を詳しく調査するのかもしれない。
「心当たりはあるよ。スプリングは勉強ができるけれど少々卑屈でね。人当たりの良いバウキスと仲良くしているけれど……ちょうどこの後スプリングがここに来るんだ。会ってみるかい?」
「……先生ったら、レポート探しは口実でしたね? 本当の目的は私とそのスプリングを引き合わせたかった、でしょう?」
「いやいやレポートもそんな気がしていただけだからね。実際助かったよ」
口実であるという部分は否定しないのね。
オガマ先生のところに来るのなら私とシノマキの後輩ということにもなる。
会ったほうがいいと先生が思ったなら会っておきましょう。
しばらくすると息を切らしてひとりの学生が入ってきた。
褐色肌で短髪の活発そうな少女だ。今年の入学生だろうか、まだ幼さを感じる。
そして彼女が視界に入った瞬間、私は驚いた。
彼女が本来であればここにいるはずのない人間だからだ。
彼女の先天スキルは判明した瞬間に王城へと召し抱えられ、学院に入学することはない。だからこの学院には彼女を伸ばすノウハウもなければ、指導方法を知る講師も存在しない。
彼女のスキル欄にある「転移魔法」はレアであり、特別視される、当たりと呼ばれるモノ。
レベルは低くても王城ならば指導者がいるはずで……
思わずリミッターの制御を緩めて詳細を確認する。
レベルは低い。これは上げればいいだけだから問題ないか。
移動距離は短い。レベルを上げれば距離は伸びるタイプだし、これも問題じゃない。
となると資質のほうかな?
……なるほど、これのせいか。
彼女の性質のところにしっかりと極度の方向音痴と表示されている。方向感覚や距離感が重要視される転移魔法だから、きっと彼女は狙ったところに転移することができない。
恐らく一旦は王城へ行き、資質を見てスキルを伸ばされることなく家に帰されたのだろう。早過ぎる挫折だ、それは卑屈にもなるね。
ただ教室からの移動時間を考えて、彼女は迷わずにオガマ先生のところまでやってきている。レポートの出来が良いということは優秀で、反復させれば道を覚えられるのかもしれない。
さっきから私のことを何者だろうと怪訝そうにしている彼女に興味が湧いてきた。
「はじめましてスプリングさん。あなたは自由に飛んでみたい?」