方向音痴のスプリング2
「おばさん、誰?」
悪意もなにもなく自然な感じで出てきた呼称に一瞬気が遠くなる。
確かに学生からしてみれば自分の倍以上生きてる女性は「おばさん」だろう。
パネだと若い子にも名前で呼ばれてるから驚いたけれど。
「ここの卒業生で、あなたの先輩よ。私もオガマ先生にはお世話になったの」
「ふぅん……先生、ボクのスキル話したの?」
「いいや。アデリーには提出レポートの仕分けを手伝ってもらっていたんだ。スキルの話はなにもしてないよ」
レポート、と小さく呟く。スプリングはなにか思うところがあるらしい。
少々卑屈と先生は言っていたな。
「スプリングさんが勉強熱心でレポートの出来がいいという話は先生から聞きましたね」
「いえ、ボクは親友に色々教えてもらってて、本当は優秀ってわけじゃなくて」
親友ねえ。
「親友だからバウキスさんにレポートを写させてあげてるのかしら?」
「そうだよ! おばさんは友達いないの?」
「写させてあげてるのね?」
被せるようにそう言うと、あっ、と失言に気付いたスプリングは固まった。先生の目の前でレポートを写させているなんて言ったら、親友のレポート評価が落ちてしまうと思ったのだろう。
部外者である私の口から知らないはずの親友の名前が出てきたことには気が回っていないようだ。
「私にも学院時代からの親友はいるけれど、レポートを写したり写させたりはしなかったわ。苦手分野はどうしてもあるけれど、手助けならともかく丸写しなんて自分の力にならないもの」
「アデリーたちにも苦手分野があったのかい? ふたりともいつも飛び抜けていたように思うけれど」
「それはありますよ。努力で補っただけです。卒業してからだって、あのとき努力しておいて良かったと思うことばかりです」
「……します。お願いします! ボクの評価を下げていいので、バウキスの評価は下げないでください!」
しばらく固まっていたスプリングがどうにかしないといけないと思ったのか小さく震えながら懇願し始めた。
「それは難しい相談だ。たった今、写させていると聞いてしまったからね」
「ボクがバウキスのレポートを写したんです! 優秀なのはバウキスなんです!」
「友達想いは結構だけど、それではいけないんだよ」
「そんな……ボク、バウキスに絶交されちゃう。ボクにはバウキスしかいないのに……」
どうもふたりの間にあるのは健全な友人関係とは言えないようだ。
グスグスと泣き始めたスプリングはしばらく放っておくことにした。
泣き終わるのを待つほうが話はしやすい。
「オガマ先生、必要ならレポートの鑑定書出しますけど」
「アデリーにわざわざ出してもらうのは悪いなあ」
「私は路傍の石にだって鑑定書を出しますよ。必要なら手間を惜しまないというのが私のポリシーです」
「ではお願いするよ」
鞄から紙とペン、魔法印を取り出して、いつも通りの鑑定書をこの場で作成していく。
学生のレポートに正式な鑑定書を書くのは私が初めてなのかしら?
「よし、できました。オガマ先生用の予備と学院長提出用です」
「アルフリードのところにこれを出す必要がないといいんだけどね」
おや、学院長は私の頃から変わっていないようだ。オガマ先生とは同期で友人だと聞いているから結構なお年だと思うのだけど。
学院長なんて遊びにきても会うことはないし、気にしてなかったな。
「ああ、もう代変わりはしたんだが、新しい学院長が盛大にやらかしてね。今はアルフリードが代理で席は空いてるんだ。どうだいアデリー、立候補してみないかい?」
「名ばかりですがもう役職は持ってますので。オガマ先生はお座りにならないので?」
「私はここでのんびり学生と触れ合っているほうが性に合ってるね。残念だなあ、アデリーが学院長になれば学生にとって良いだろうに」
「まあ、お上手」
そんな私たちのやり取りを、スプリングは唖然とした顔で眺めていた。
こぼれていた涙も引っ込んだらしい。
「……先生、この人は何者なんですか? 学院長になるような人なんですか?」
「うん。学院長へ就任することに反対意見があるとしたら若さと、教員経験の無さくらいだろうね。経歴、能力、資金力、人柄。その辺りはなにひとつ問題ない人物だと思っているよ」
「買いかぶり過ぎですよ先生」
おべっかを使うことのない先生にそういうことを言われるのは少々照れる。
「あなた、私の正体を知りたいならさっきの質問に答えて」
「さっきのって……飛びたいに決まってるでしょ。だけど王城で鑑定した人に私のスキルは使えないって言われたら、その望みはないってことじゃない」
ふぅん。
王城付きということは白金か。
随分世間知らずの子が見たのねえ。
その白金鑑定員が冒険者ギルド本部に所属していなくても、認定試験を取り仕切っているのはギルド本部だ。
自部門の最高ランク有資格者の情報は組織外で働く人でも把握している。
流石にシノマキの魔巧技師とか販売員とかの商工ギルド管轄は知り合いしか知らないけどね。
「王国の常識しか持ち合わせてない鑑定員のことは忘れなさい」
「でも」
「スプリングさんは、他国で転移魔法スキルを持ってる人がどのようなことをしているか知ってる?」
「ううん」
「発覚した瞬間に王城へ行くなんてのは王国だけなのよ。例えば冒険者ギルド本部には、共和国や小国出身の転移魔法持ちの職員が数人所属してるわ」
私がそう言うとスプリングは驚愕の色をその目に浮かべた。
常識の外にあったのか王城以外で働くという選択肢がまるで頭になかったようだ。
「確かに転移魔法はレアで、この学院にはあなたを育てるノウハウがない。だけどレアはレアで唯一じゃない」
「冒険者ギルド本部に行けば……ボクでも飛べる?」
「あなた次第ね」
新しい紙を取り出して、縦横の線を引く。
「校庭にこういう格子状の線を引いて、どこかのマスにわかりやすい目印を置くの。その目印に向かって飛ぶように練習しなさい。あなたは方向音痴だけれど迷わずにこの部屋に来ている。反復練習すれば方向感覚と距離感が身につくタイプよ」
「はい」
「それからもし将来ギルド本部で働きたいなら、多国籍組織だから最低2か国語は業務で使えるレベルで話せないといけない。スプリングさんならそうね、さっき言った転移持ち職員がふたり共和国出身だから共和国語がいいと思う」
「はい」
さっきとは違う目標と希望を持ったキラキラした瞳に私は安堵する。
やっぱり学生には未来などないと卑屈でいるより、将来を信じてもらいたいよね。
「あとね、今度バウキスさんにレポート写させて欲しいって言われたら、手伝うからレポート一緒にやろうって言ってみて」
「……そんなこと言ったらバウキスに嫌われちゃう」
「今年入学よね? 卒業までに出会うあなたの友達はバウキスさんだけじゃないわ」
ここは人のことを言えないのだけど。
私はシノマキしかいなかったわけだし。
「さっきよりずっといい顔をしているスプリングさんは素敵よ。その顔をこの先もできるなら、あなたと仲良くなりたいって子も出てくるはず」
先生の部屋を出ていくスプリングを見送って、そういえば自己紹介をしていないと思い出す。
きっとあとで先生が教えておいてくれるだろう。
「あそこまで煽るなら、スプリングが卒業の年になったら紹介状を頼むよ」
「その頃に私が寿退職してなければ、署名入りで金縁の封筒をお送りしますよ」
先生も私も、スプリングなら採用条件をひょいと充たしてしまうと疑っていない。
方向音痴でも、優秀な子に方向をちゃんと教えてあげたら途中で回り道してもいつか辿りつけるのだ。
「スプリングに会ってくれてありがとう。もしアデリーがギルドを寿退職したら、この部屋の主をアデリーに譲りたいなあ」
「私はまだまだ至らないところばかりですから、先生に引退されては困りますね」
きっとこの後、バウキスとの仲に亀裂が入り、スプリングは傷付くだろう。
その後良い友達に巡り合えるかは正直運に左右されると思う。
だから私の言葉は結構無責任で、もしかしたら辛い目に遭わせてしまうかもしれない。
「アデリー。悪いようにはしないから安心なさい。学院には私もシノマキもいるんだ。子供たちの進むべき方向が決まったなら、迷わぬように寄り添う。それは私たちの仕事だからね」




