第弐楽章
――ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「うおっ、また女神の『寝返り』か⁉」地鳴りのような重々しい音に、イズールが飛び上がる。「キノ、【女神召喚】を。さっきみたいに空に放り投げられるのはごめんだぜ」
「もっもっ、んく――私の腹の虫だ」魔物肉で頬をリスのように膨らませながら、キノ。
「ぶふっ。虫が出していい音かよ。てめぇは腹ん中でどんなケモノを飼ってやがんだ?」
――そうして、話は冒頭に戻ってくる。
【アマテラス・オリジン】の体表に降り立ったキノたちは、大胆にも女神の上で食事をしている。そうしないと、キノが燃料切れで動けなくなるからだ。
「口元、付いてるぞ。ったく手の掛かる。いつまで経ってもガキだな、てめぇは」
「レディに失礼だぞ」大人しくイズールに口を拭われながら、キノはむくれる。
「こんなちんちくりんなレディがいてたまるかよ」
「そんなちんちくりんを娶りたがるお前は何なンだ。趣味趣向が歪んでいるのか?」
「誰も立候補しないから、仕方なくもらってやることにしたンだぜ?」
「失礼な。私にだって想い人の一人や二人くらいはな」
「二人もいたら拙いだろうが」
イズールと掛け合いを続けながらも、キノの手と口は止まらない。鍋の中の魔物肉とキノコスープが瞬く間に消えていく。
「それにしてもお前、本当美味しそうに食うよな。どれ、一口……おえええぇっ」
つられて魔物肉を食したイズールが、ヱ―テル酔いでうずくまる。
「ふふふ」そんなイズールの背中をさすってやりながら、キノは楽しい。「酔うと分かっていて、なぜ喰う」
「だって、姫さんがあまりにも美味そうに喰うからよォ」
「こうしていると」夜空を見上げながら、キノは感慨深くなる。「戦争中だということを、忘れてしまいそうになる。ちょっとした旅行、冒険だな。私はずっと、冒険に憧れていたンだ」
「うっぷ……どうしてだい?」
「未知のキノコに出逢えるかもしれないだろう?」
「だろうな。知ってたよ」
「それに、私は長いこと『塔』から出られなかったから。お前とフレディが話してくれる冒険譚が、私の世界のすべてだったンだ」
「これから思う存分冒険すればいいだろ。今日からは記念すべき最初の冒険。ハネムーンだ」
「なんて血なまぐさいハネムーンなンだ。だいたい、結婚は戦争の後だと言っているだろう。作戦の成功報酬が私なンだから」
「ををを⁉ ついに俺の嫁になると認めたな⁉」
「近づくな! 腰をくねらせるな! ちょん切るぞ!」
「それで、俺の立派なイチモツをキノコと一緒にコートの中で干すってのか? 怖すぎるだろ。なんて言う割りに、俺の膝の上には座るんだな。どういう感性してるんだ?」
「仕方ないだろう」キノは後頭部をイズールの胸板に当てる。トクン、トクン、トクン。「こうして人と触れ合うのは、生まれて初めてなンだから」
「それにしても」【アマテラス乙式】状態で【アマテラス・オリジン】の体表を隠密行軍しながら、キノは体内のイズールに尋ねる。「なぜ、私たちは落ちてたンだ? 降下作戦は【スクルド】で安全に行ったはずだが」
「女神の寝返りだよ。降下後、【アマテラス乙式】で移動していたら、女神がいきなり寝返りを打ったンだ。その衝撃と風圧で、吹っ飛ばされた」
「なンとまァ! そんなに頻繁に寝返りを打たれて、中の人たちは大丈夫なのか?」
「さぁね。これでアズマ皇国が滅んでくれてたら、話は早いンだが。っと、着いたぜ」
言われて、キノは足元――どこまでも深く暗く続く、巨大な穴を見下ろす。
「ここが、アズマ皇国の入口――【アマテラス・オリジン】の『口』か。聞いてはいたが、本当に歩哨の一人もいないンだな。ここは、言わばアズマの国境線だろうに」
「現地人スパイからの情報どおりだな。口、と言ってもこれだけの巨人の口だから、馬鹿みたいにデカい。カバーし切れないんだろうさ。だが、ほら」イズールがキノの腕を動かし、対岸で煌々と輝く灯りを指差す。「きちんと階段が整備されている辺りは、常に歩哨が立っている。さぁ、見回りが来ないうちに、さっさと飛び込むぞ」
「了」
キノは穴の中に飛び込んだ。ジェットヱンジンを駆使して落下速度を抑えつつ降下していく。女神の『喉』は不思議と明るく、そして温かい。やがて見えてきたのは、
「これは……『森』か?」
一体全体、どういう理屈だろうか。【アマテラス・オリジン】の『喉』には三六〇度木々が生い茂っている。そして、
「重力がある?」ジェットヱンジンを切って森に降り立つ。上を見上げれば、「森?」
遠く数百メートル上空にも、やはり木々が。だが、木々が落下してくる様子はない。
「不思議な空間だが」とイズール。「女神の喉の中には全周囲に重力が発生しているらしいな。それに、見て見ろ、キノ。このとおり、木々がちっとも傷ついていない」
「どういう意味だ?」
「ついさっき、女神が寝返りを打ったばかりなのに」
「あっ! つまり――女神の体内は、女神自身の動きの影響を受けない?」
「この不思議な重力に似た力で、守られているのかもな。つまり、この奥に潜むアズマ人たちは無傷だ」
「悔しがるべきか、アズマの非戦闘員が無事なのを喜んでやるべきか」
「心優しい姫さんだ」
と、その時。
「きゃぁああッ‼」
明確に命の危険を知らせる悲鳴が、森を貫いた!
キノは即座に歌唱し、ヱ―テル波で索敵する。果たして、巨大なオオカミ型の魔物に追いかけられる少女の姿を見つけた。
「民間人! 助けるぞ」
「意見具申を」
「不許可」
キノとイズールの、端的な会話。父王との試合の中で編み出した、意志疎通の速度を最重視した話法だ。さらに、特徴がもう一つ。それは、イズールが明確に、キノの指揮下に入っていることである。今回の潜入破壊工作を行うにあたり、キノは一足飛びに士官学校を卒業し、兵卒も下士官も少尉すらも飛び越えた、中尉の地位を得た。異例の大出世である。他方、傭兵イズールは少尉の扱いだ。
「潜入がバレるだろ!」上官命令は絶対。それでもなお、イズールは意見を具申する。潜入早々、作戦が失敗しかねないからだ。
「不許可だ」だが、キノの生来の善性がそれを許さない。「見捨てられない」
「ちっ……了」
了解したからには、イズールは動く――そのことを確信しているキノは、嬉しい。
果たして、長巻を抜いた【アマテラス乙式】が木々を斬り飛ばしながら激しく前進し、今まさに少女に飛びかかろうとしていたオオカミを両断した。
「いやぁお嬢さんたち、強いね!」
その美しい少女は、『フレデリカ』と名乗った。ノルニル顔で、瞳は吸い込まれそうなほど綺麗な碧。美しい金髪は無造作に伸ばされていて、まるで『切るのが面倒くさかったから』とでも言わんばかりの粗雑さでまとめられている。
(可愛いのに、もったいないな)と、キノは思う。母のノルニル顔を受け継げなかったキノは、碧い瞳と金髪に対する強いコンプレックスを抱えている。黒髪は黒髪で自慢だが、金髪に対する羨望も同時に存在するのだ。
「お陰で助かったよ。ところで」農夫のような薄汚れたつなぎを着たフレデリカが、キノの巨体を見上げる。「姿は見せてくれないのかい?」
そう、キノは未だに【女神召喚】を解いていない。【アマテラス乙式】によって正体を隠しているのだ。
「いつまた魔物が出るかもしれないだろう?」キノは流暢なアズマ語で応える。
「でも僕は、命の恩人の姿を拝んでみたいんだよ。記念に握手もしたい。コレでも僕、アマテラス様の祈りを知っているんだよ。キミたちの道中の安全を祈願させておくれよ」
そう言って人懐っこく微笑むフレデリカを相手に、キノは弱り果てる。
「おいまさか」イズールがキノにだけ聴こえる内部マイクで話しかけてきた。
「仕方ないだろう」キノも内部マイクで返事をする。「ここで断っては、かえって怪しまれる。幸い私はアズマ顔だ。お前は仮面を外すなよ?」
と言いつつ、イズールの素顔を未だ一度も見たことのないキノである。顔を知らずとも好きになれる。恋とは不思議なものだ。
「【女神送還・ヱ―テル一単位――ラッ!】」女神の体がヱ―テルの塵となって消え、中からキノの裸身が現れる。
同じくアマテラスの中から放り出されたイズールが、キノを空中で華麗に抱き上げ、静かに着地した。流れるような所作で、キノをトレンチコートで簀巻きにする。女性相手にもキノの裸身を見せたくないらしい。
(ふふん、亭主気取りか? 気の早いことだ)だが、悪い気はしないキノである。
「思ったとおり、可愛らしいお嬢さんだね。それに、何て綺麗なアズマ髪」
「いやぁ」罵倒慣れしているキノは、褒められるのに慣れていない。
「ではさっそく祈りを。ヴィ~ヤ~ァィア~――」
それは、祈りというより歌だった。周囲を漂っていたヱ―テルが反応し、キラキラと光り輝く。光を纏いながら歌う少女。幻想的な光景だった。
「ねぇねぇお嬢さんたち、どこから来たの?」歌唱の後、フレデリカがぐいぐいと距離を詰めてきた。「そのトレンチコート、ノルニル風だね」
「ええと、その」キノは弱る。「これは鹵獲品を買ったもので」
「あれ? コートの中から何か落ちたよ。キノコ? アズマじゃ見ない種類だね」
キノは早くも、少女フレデリカに正体を見せたことを後悔しはじめている。フレデリカが、あれやこれやと詮索してくるからだ。こんなことになるのなら、女神化を解かずにさっさと逃げた方が良かった。
「二人で旅行? どこに行く予定なんだい?」
「悪いが、詮索は止めてくれないか。私たちはやんごとなき出自でな」噓ではない。「お忍びの旅なんだ。助けた恩を思うなら、これ以上つきまとわないでくれ」
「そんなこと言わないでおくれよ。命の恩人のことを知りたいだけなんだ」
「あぁもう!」キノはトレンチコートを脱ぎ捨てる。「【女神召喚――】!」
歌唱とともに【アマテラス乙式】と化したキノは、イズールを拾い上げて逃げ出す。
「あぁっ、待ってよ――」とフレデリカの声が聴こえてくるが、振り返らない。
フレデリカを巻いてから【女神送還】し、【アマテラス・オリジン】の喉元にある最初の街へ潜入しようと考えていたキノだったが、
「そこの女神乗り、止まれ!」あろうことか、街の門番に呼び止められてしまった。歌唱で脚力を強化させたフレデリカが余りにも速く、振り切れなかったのだ。「召喚を解け」
言われたとおり召喚を解くキノ。こんな序盤から強行突破するのは下策と考えたからだ。イズールが即座に、キノにコートを着せる。
「アズマびとか。そっちの大男、仮面を取れ」
「悪い。わけあってこいつぁ外せないンだ」
「怪しいヤツめ。尋問室で続きを聞いてやってもいいんだぞ?」
「待ってくれ!」キノは慌てる。「コイツの身元は私が保証する」
「初対面の相手に保証されてもな。アズマ顔だとはいえ、お前がノルニルのスパイだという可能性だってあるんだぞ」
(うぅっ、どうすれば……やはり強行突破するしかないのか⁉)
キノが大きく息を吸った、その時。
「困るよお客さん!」フレデリカが駆け寄ってきた。「勝手に歩き回らないでよ」
「あぁ、なんだ」とたん、破顔一笑する門番。「フレデリカの客か。こんな時期に観光とは、酔狂なことだな」
そこからの話はスムーズで、キノたちはあっという間に街に入り込むことができた。
「その……助かった。ありがとう」
「ふふん」と鼻先を擦ってみせるフレデリカ。「お嬢さんたち、この街は初めてだね? 未知の土地を歩くには、水先案内人が必要だ。そうは思わないかい?」
「うぐっ。……そのようだな」この少女、ずいぶんと顔が利くらしい。(どの道、現地で案内人は雇うつもりでいたンだ。計画が早まっただけだ、問題ない)
そう思うことで、自分に対する体面を保とうとするキノ。
「ようこそ」先導するフレデリカが、笑顔で振り向いた。「ようこそ、喉笛の街へ!」
――ヒュオォオオオオッ!
少女の言葉に呼応するかのように、『喉笛の街』が嘶いた。
「不思議な街だな」
「そう?」金髪だがアズマ人のフレデリカが、首を傾げる。「僕にとっては見慣れた光景だけど。なにせ生まれ育った街だしね」
先ほどまでいた森と同じく、巨大な筒状の空間――【アマテラス・オリジン】の喉の内側三六〇度に家屋が張り付いている。見上げると、空はなく街がある、という奇妙な光景。太陽もないのに、辺りは不思議と明るい。
「着いたよ。ここが、『喉笛の街』一番の市場だ」
立ち並ぶのは、アズマ風の木造家屋だ。店先では様々なものが売られている。人通りも多い。
「うわぁ~! 何だコレは?」「蕎麦だね」「コレは?」「お寿司」「コレはコレは⁉」「味噌田楽」「コレは分かるぞ、シイタケだ!」「正解。干しシイタケだね」
はしゃぐキノに、フレデリカが苦笑する。「っていうか、食べ物ばっかりだね。もっとほら、服とか装飾には興味ないのかな? 黒髪にはアズマ服が良く似合うと思うよ」
「くっくっくっ。姫さ――じゃなかった、キノは九割が食欲で出来てるからな」イズールが、シイタケに首ったけなキノの首根っこを掴む。「ほら、こっちの店も見てみようぜ」
「ぐえっ、イズール、何をする」イズールに連れてこられたのは、アズマの服飾店――呉服屋だ。「私は、服には興味ないから」
嘘だ。本当は、シノ姫や他の女子学生のように、キラキラとした服やアクセサリーを身に付けてみたい。オシャレをしてみたい。だが『塔』での暮らしが長かったキノは、どんな店に行けば良いか分からないし、相談できる相手もいなかった。ウジウジと悩んでいるうちに、一年が過ぎてしまったのだ。
「ん、そうなのか? けど」イズールが耳元で囁いてくる。「情報収集しなくちゃなンねぇだろ? ここは人が多いから、もってこいだ」
「~~~~!」イズールの極上の低音が耳元で炸裂し、キノはぞわぞわする。「わ、分かったから! お前は離れていろ」
「え~?」言われて、大人しく離れていくイズール。「お。この小袖、いいな」
店内には多数の男女がいて、めいめいに世間話をしている。鉄器の値段が高騰していて困る、とか、どこそこの街では食料が軍に買い占められているらしい、とか、近所の某の息子が徴兵されてどこぞの方面軍へ送られた、とか。どれも立派な軍事機密だ。
(なるほど、世間話も馬鹿にはできないな)などとしたり顔で頷きながらも、キノの目は、我知らずイズールの姿を追っている。
イズールが試着をしようとしている。イズールは今、質素な柄のアズマ服――いわゆる『着物』を着ている。アズマに潜入するのに都合が良いからだ。イズールが自前の着物を脱ぐと、胸板によってぱつんぱつんに押し上げられたワイシャツが現れた。
(お、おおお……)思わず、逞しい胸板を凝視してしまうキノである。
「好きなんだね」
「なぁっ⁉」フレデリカに耳打ちされ、キノは飛び上がった。「な、何の話だ」
「だって、彼のことをずっと目で追ってるよ」
「そ、それはっ。別にそんなんじゃ――」
「おうおう、何の話だ?」試着を終えたイズールが戻ってきた。
キノは真っ赤だ。見られたくないところを見られてしまった、という気恥ずかしさから、「お前には関係ない!」思わず、イズールに正拳突きを放ってしまう。
「おぐぉっ⁉」キノの拳を股間で受け止める羽目になったイズールが、うずくまる。
キノは店の奥へと逃げる。すると、フレデリカが追いかけてきた。
「ほらほらキノちゃん、せっかくだしオシャレしてみようよ」
「……私はいい。どうせ似合わない」
「ほら、かんざしだよ。黒髪によく映える」
「あ、コラ、何を勝手に」と文句は言うものの、キノは手鏡に映る自分――花のかんざしに彩られた姿に目を奪われる。
「いてててて」イズールがやって来た。「何なんだよ、キノ」
キノは、イズールの顔――仮面の奥の瞳をチラチラと見る。
「ん、何だ?」イズールはピンときていないようだ。
「お兄さん!」大慌てのフレデリカが、「何だ、じゃないだろ⁉ 褒めるんだよ、早く!」
「お、おおおおお! ええと、かんざし、似合ってるぞ!」
「…………。やっぱり、いい。どうせ、いつ死ぬかも分からない身なンだから」
「ふんっ、もっもっ」焼き鳥の屋台でキノがやけ喰いをしていると、
「さっきはごめんね~」フレデリカがやって来た。
「別に」キノは内心、戸惑っている。心が上手く制御できないのだ。「人生なんて、所詮は死ぬまでの時間稼ぎだ。私は美味い物さえ食べられればそれでいい」
イズールの一挙手一投足に、なぜこうも心をかき乱されるのかが分からない。イズールが、かんざしに気付いてくれなかった。ただそれだけのことが、世界の終わりに匹敵するくらいの一大事に感じられたのだ。無視されることには慣れきっていたはずなのに。
(これが、『好き』ということなのか? だとしたら、ずいぶんと不自由だ)
「寂しいことを言わないでおくれよ。あのお兄さんのことが好きなんだろう?」
「分からない。この感情が何なのか。それに、この感情を向けるべき相手はもう一人いるンだ」
「へぇ。こんなに可愛い女の子を置き去りにして、そのひどい男はどこにいるんだい?」
「フレディのことを悪く言うな!」
「フレディ? 僕?」
「……すまない。キミによく似た名前の友達がいるンだ。大切な、大切な友達が」
「聞かせてほしいな」
乞われるまま、キノはフレデリカにフレドリクの話をする。もちろん、自分がノルニル人であることや、王女であること、軍人であること、【アマテラス・オリジン】の心臓破壊作戦のために潜入中であることは伏せて、だ。
イズールとフレドリク。二人はキノの教師であり、師匠であり、兄であり、父だった。そして多分、恋人でもあった。あのころからずっと、今日に至るまで、キノはイズールとフレドリクのことを愛していた。今も愛している。
「フレディは歌が上手で。アイツが歌うと、【アマテラス】の炎が蝶のようにひらひらと舞うンだ。綺麗だったな。ヱーテル操作のことは全部、フレディに教えてもらった」
「うん。うん」フレデリカは余計な口を挟まず、ただ静かに話を聞いてくれる。
キノはフレデリカの横顔を見る。金髪碧眼。美しいノルニル顔。長い歴史の中で、ノルニルとアズマは混血が進んでいった。だから、彼女のようなノルニル顔のアズマ人も珍しくはない。が、これほどまでに美しい目鼻立ちのアズマ人は珍しい。
(というか、本当に似ている)記憶の中の、かつての恋人に。もう一人のフレディ――フレドリクに。「なぁ、フレデリカ。フレディ、と呼んでもいいか?」
「ん?」フレデリカ――フレディがキザっぽく微笑む。「喜んで。お姫様」
だが、別人だ。そもそも性別が違う。フレドリクは男の子だった。裸を見て確認したことがあるわけではないが、彼は男性を自認していた。そして、この美しい少女は女性だ。胸はキノよりもなお平坦な位だが、何と言っても声が高い。裏声というわけでもなく、自然な女性声だ。声変わりしない男性というものは、存在しない。だから、別人。
フレデリカは聞き上手で、そして記憶の中のフレディを思い起こさせることもあり、キノは彼女との会話にすっかり夢中になってしまった。人付き合いが極端に苦手なキノにとって、これほど短期間で胸襟を開いたのは驚くべきことだった。フレデリカには、人の心を開かせる魅力のようなものがあるのかもしれない。キノの対人スキルが脆弱すぎるということもあるだろうが。
「探したぜ」キノがフレディとの会話に没頭していると、イズールがやって来た。「えーと。キノ、コレ」
イズールが気恥ずかしそうに差し出したのは、先ほどキノが試着していたかんざしだ。
「……要らないと言っただろう」
「俺が、お前に身に付けておいてもらいたいンだ。お前が俺の女だっていう証が欲しい」
「……ぷっ。くくく、いっちょ前に亭主気取りか?」
「う、うるせぇよ。ほら」
だが、キノは受け取らない。代わりに、イズールに後頭部を差し出す。「ほら」
「やっぱり受け取ってくれないのか?」
「違う。だから、ほら!」キノは、気恥ずかしくて堪らない。「さ、挿してくれないか」
「ふんふんふ~ん♪」イズールにもらったかんざしをいじりながら、キノは上機嫌で市場を練り歩く。「イズール、次はあの店に入るぞ!」
キノは、胸の奥がキュンとなる、生まれて初めての不思議な感覚に酔いしれている。キノは、グイグイとイズールの手を引く。普段の自分ならけっしてしないような、過剰なスキンシップをしていることに自覚はない。
「どの店だ? って、またキノコかよ。もっとこう、装飾品とかよ、女らしい店を選ぶことはできねぇのか?」
「でも、シメジだぞ? 香りマツタケ、味シメジ。『故郷』では手に入らない一品だ」
「くっくっくっ。まぁ、女らしくはなくとも、お前さんらしいわな」
イズールの大きな手に触れたところが、熱い。手指を絡ませると、接触しているところがなんだかピリピリする。フワフワとした心地良い感覚があって、頭がぼーっとなる。
ふと、店先に飾られていた鏡に写った自分の顔を見て、キノは愕然となった。顔は耳まで真っ赤で、頬と口がだらしなく緩んでいる。とても、軍人の顔とは思えない。
(わ、私としたことが、なんとはしたない)とは思うものの、イズールの手を掴む自分の手は溶接されているかのように、ちっとも離れようとしない。指先一つ、制御できない。(これではまるで、デートというやつじゃないか。私は仮にも上官。しっかりしろ!)
そう、デートだ。イズールのことを何年も何年も想い続けてきて、思えばこれが初めてのデートなのだ。敵陣のど真ん中で、実に滑稽な話である。作戦に失敗し、明日には死ぬかもしれないのに。いや、だからこそ、キノは今を精一杯楽しむ。泣きたくなるほどの悲痛さで、今を謳歌しているのだ。
「うっ、お腹が」
「をいをいをい、さすがに喰いすぎだぜ。ほら、廁――トイレはこっちだ」
「う、うう……ん? イズール、初めての街なのに、よく知っているな」
「んお、あーいや、アズマの街だとだいたいこういう場所にトイレを置くもンだからさ」
イズールに手を引かれ、市場の外れに向かうと、果たして本当にトイレがあった。各々個室に入るわけなのだが、ここでキノは戸惑った。
「おい、おいイズール!」壁越しにいるはずのイズールへ声を掛けると、
「んお、何だい姫さん」果たして返事があった。
「よ、用の足し方が分からない。この穴はいったい何なンだ⁉」
「あー……ノルニルにボットン便所はないからなぁ。足開いて跨ぐンだよ。くれぐれも落っこちるんじゃねぇぞ? 最悪、窒息死する」
「あ、あ、あ、足を開いて、跨ぐ⁉ なんてはしたない」
「をいをいをい。お前さん、普段から全裸のクセに、そういう恥じらいはあるンだな」
「全裸じゃない。コートを着ている。もういい、イズール。話しかけるなっ」
「へいへい。そっちから話しかけてきたってのに、理不尽な姫さんだねぇまったく」
とにもかくにも、悪戦苦闘の末にキノは無事用を足し、手洗い場に設置されていた【ミヅハノメ丙式】の水で手を洗い、出てきた。
「その、助かった」外で待ってくれていたイズールに、声を掛ける。「アズマ服の着付けといい、トイレといい、詳しいンだな」
「あー。まぁ、傭兵歴が長いからなァ。最前線ってのは和洋入り混じってるもンだから」
「な、なるほど」さらりと言われたが、それはつまり、両国が苛烈な戦闘を繰り広げ、奪っては奪い返され、奪われては奪い返す、を繰り返しているということだ。それがイズールの日常だったのだろう。「なんともすごい話だな……ん?」
少し歩いて、キノは首を傾げた。フレディが、鳩を飛ばしていたからだ。
「フレディ、何を?」
「あぁ。ちょっと、仲間に連絡をね」フレディが意味深に微笑む。「さぁ、お次は今日のツアーのラストにしてメインディッシュ。とっておきの観光スポットへご案内するよ」
「着いたよ。ここが今、アズマで最もホットな場所――」連れて来られたのは、『喉笛の街』郊外の、工場や倉庫が立ち並ぶ場所。曲がりくねった道の奥の奥、まるで隠れ家のようになっている扉を、フレデリカが開いた。「抗アズマ・レジスタンスのアジトさ!」
キノとイズールを出迎えたのは、一触即発の雰囲気を纏った、十数人分の視線だ。
「えっ」気が動転したキノは、実に数秒もの間、何もできずに立ち尽くした。
隣のイズールはといえば、すでにキノを背後に庇い、腰の長巻きに触れている。
「どっ」絞り出すように、キノ。「どういうことだ⁉」
「どうもこうも、言葉のとおりさ。お姉さんたち、アズマ人じゃないね?」
慌てて女神召喚の魔石に手を伸ばすキノだったが、イズールに止められた。
「何を」と言いかけて、ようやくキノは、十個以上の銃口に狙われていることに気付く。
「ねぇ、キノちゃんとお兄さん。ノルニル王国王女キリヱスタ・ノルニルと、報酬次第で東西どちらの味方にもなるとウワサの、『東方不敗』イズール・サン」フレデリカが、すべてを見透かした瞳で笑いかけてくる。「僕らの敵は共通だ。仲良くできると思わないかい?」
フレデリカが建物の中に入り、スタスタと歩き出す。中は倉庫になっていた。広い。数百メートル四方はあるだろう。フレデリカは、そんな広大な倉庫のそこかしこで銃を構えているレジスタンスたちの元へ近寄っては、その銃身を優しく下ろしていく。
殺気立っていたレジスタンスたちは、フレデリカに諭された途端、大人しく銃口を下ろす。若く粗暴そうな雰囲気のアズマ人男性、中年のアズマ人男性、老人男性、メガネを掛けたハーフ顔の美青年、ふくよかな体格でエプロン姿のアズマ人女性、震える手で拳銃を握りしめるアズマ人の少女、スキンヘッドの壮年のアズマ人男性。誰もが、フレデリカの求めに応じて銃口を下ろした。あの少女は、可愛い見た目に反してずいぶんな発言力を持っているらしい。だが、
「俺は認めねぇ!」
全員が全員、フレデリカの言うとおりにするのかというと、そうでもないようだ。
声を上げたのは、老若男女の入り混じったレジスタンスメンバーの中でもひときわ小さな子供だった。おかっぱ頭の黒髪と、日に焼けた肌。気の強そうな目元のアズマ顔。
(あれは、男か? 声変わりもまだの、子供じゃないか!)
「ノルニル人なんて、どうせ土壇場で裏切るに決まってる!」
「……やめろ、カヱデ」リーダーらしきスキンヘッドの壮年男性が、少年――カヱデの頭を掴んだ。
「だって、信じられるわけがないだろ⁉ 確かに、アズマ軍のヤツらは俺の母ちゃんと姉ちゃんを殺した。けど、父ちゃんを殺したのはそいつらノルニル人なんだぞ⁉」
「……飲み込め」スキンヘッドがカヱデの頭を撫でる。「父を戦地で殺したノルニル軍人と、母と姉を犯して自殺に追い込んだアズマ憲兵。後者の方がより憎いから、お前はレジスタンスの道を選んだんだろう?」
「けど、けどよ……」カヱデは納得できない様子だ。「そ、そうだ! そもそもコイツら、戦えるのか? こんな奴らに、【アマテラス】が操れるわけが――」
「ほう」フレデリカがニヤリと微笑んだ。「つまり、この人たちが【アマテラス】召喚に成功すれば、入団を認めるということだね?」
「しょ、召喚に成功するだけじゃ駄目だ。ボスに勝てるくらいじゃないと」
「言ったね?」フレデリカが笑みを濃くする。キノたちの方へ振り向いて、「さぁ、キノちゃんとお兄さん。あの巨大なオオカミ型魔物を一刀両断せしめた絶技を、もう一度見せておくれよ!」
「ちょっと待て!」キノは慌てる。「お前たちの仲間になるとは一言も――むぐっ」
イズールの大きな手が、キノの唇を塞いだ。イズールがくるりと体を入れ替え、大きな背中で自身とキノをレジスタンスたちから隠す。偉丈夫イズールに比べてあまりにも小柄なキノは、されるがままだ。
「イズール、何をする」
「聞け」ひそひそ声のイズール。「実際、コレぁ絶好のチャンスだぜ。敵の敵は味方だ」
「だが」キノも小声で返す。「信用できるのか? 仮に彼らが信頼に足る人格を有していたとしても、戦闘力の方がお粗末では、足手まといにしかならない」
そう。キノとイズールは今や、ノルニル王国で国王ピノ・王妃ボノのデュヱットに次いで、ニ番目に強い。問答無用で一騎当千ならぬ一騎当万。そんな『最強』の一角と言って差し障りない自分たちに、片田舎のレジスタンスたちがついて来られるとも思えない。
「だから、それを今から確かめるンじゃねぇか。模擬戦してみて、共闘するに耐えない実力だったら、この話はなかったことにすればいい。連中にとっても『敵の敵は味方』だ。断ったからといって、通報されるこたァねぇだろ」
「なるほど!」キノはカヱデたちの方へ勢い良く振り向き、「受けて立とう! この私にぶちのめされたいのは、誰だ?」
連れてこられたのは、街郊外の森。木々が伐採され、ちょっとした広場になっている場所だ。レジスタンスの訓練場なのだろうか、数百メートル四方の空間は遮音魔導具で囲まれており、内部の音やヱーテル反応を漏らなさいようになっている。
(ここならば、多少本気を出しても憲兵に気付かれることはないな)
キノはトレンチコートを脱ぎ捨てる。
「うおっ」「きゃっ」「ひゅう♪」「ガキじゃねぇか」
レジスタンスたちの声を無視して、
「【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル一万単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
歌唱。現れたのは、全長七メートルの鋼鉄の女神【アマテラス乙式】だ。最低要求ヱーテルの千単位に対して一万単位も込めたのは、レジスタンスたちに対する牽制。
キノ機の全身から、高濃度ヱーテルが陽炎のように立ち上っている。その威容に、レジスタンスたちが一様に言葉を失う。
(ふふん)相手を圧倒できたことに、キノは気を良くする。「乗れ」
「了」イズールが搭乗してくる。
「さて。私の相手をするのは誰だ?」
「俺だ!」出てきたのは、先ほどの少年――カヱデだった。
「ええっ⁉ お前、女だったのか⁉」
「違う、俺は男だ!」
「男なのに女神を? まぁ、声変わり前ならそういうのもアリなのか……?」
「【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル一万単位――】」混乱するキノをよそに、衣服を脱ぎ捨てたカヱデが高らかに歌唱する。「【ヴェーゥィアー~~ィヤー~~!】」
「ほほぅ、一万単位とは」キノが、体内のイズールにのみ聞こえるマイクで喋る。
「ははっ。見事に意趣返しされちまったな」
「だが、実際見事だ。これは期待できるかもな」
キノは、カヱデがさり気なく発した『ヱーテル一万単位』という言葉の意味を考える。
魔術の才を持たない者で、一未満。火起こし程度の簡易な魔術が使える者で、数十。正規の魔術兵として好待遇を受けられる者で数百。【女神召喚】が可能な者で、ヱ―テル総量数千。この時点で、数千人に一人のヱリートという扱いだ。
ひるがえって、戦闘開始時点の【女神召喚】に一万単位を使ったカヱデ。女神戦では、ちょっとした機体の運動や、高速移動時に使用するジェットヱンジン、【火炎】などの攻撃魔術などに相当量のヱーテルを消費する。一万単位同士の戦闘なら、十万~百万単位のヱーテル消費は覚悟しておく必要がある。
あの幼い少年に、どれほどのヱーテル総量があるのかは分からない。が、初手で軽々と一万単位を消費した以上、十万程度で息切れするようなタマではあるまい。つまり、ノルニル正規女神の中でも最上位に匹敵するほどの逸材だ。
「【ァァア~~~~!】」少年・カヱデが歌い切った。
キノがレジスタンスに所属し、この少年と共闘するとなり、命を預けるに足る相手かと考えた場合、(召喚に要する時間が、やや長い……できれば、数秒。いや、一秒以内に召還を完了してほしい)
そのような不満が残る。が、そういった不満を思う余地があるほどに、カヱデの【女神召喚】は見事だった。今まで、キノは母とイズールとフレディ以外の他人に対して、『諦め』以外の感情を抱いたことがなかった。誰かに何かを期待しても、裏切られるだけの人生だったからだ。
不満は、期待の裏返し。カヱデ機から立ち上る陽炎――あまりにも濃密すぎるヱ―テルが発する蜃気楼を目の当たりにして、我知らずキノの口元が緩む。そもそも、キノが『共闘し得る』と認めること自体が極めて稀有であった。キノが認めた相手は、今のところ父王ピノ・仇敵ボノ妃のデュヱットと、
「いや、悪かった。認めよう。女神召喚師としてのお前は、超一流だ」
今、目の前に佇むカヱデ少年のみである。
「だが、女神戦となると、話はそう単純でもない。なにせ」キノは、体内で操縦桿を握るイズールを思う。「パイロットの腕がモノを言うからな」
「へっ。問題ねぇよ」カヱデがハッチを開いた。乗り込むのは、
「先ほどの男性?」カヱデを諫めていた、リーダー格のスキンヘッド男性だった。(なるほど、彼が『ボス』か)
キノが目したとおり、やはり彼がこの組織を纏めるリーダーだったらしい。
(それにしても)改めて、カヱデ機を観察する。(これはなんとも)
「変わった機体だな」キノの疑問をイズールが引き継ぐ。
「ああ。アレにはどういう意味があるんだろう?」
カヱデ機は、通常の【アマテラス乙式】よりも鋭利なフォルムの機体だった。ベースはキノの乙式と同じだが、手足が異様に長い。
「やってみれば分かるさ」
「をいをいをい、油断して負けるンじゃないぞ?」
「俺を誰だと思ってるンだ? 東方不敗のイズール様だぜ」
などと、キノとイズールがじゃれ合っていると、
「相手に一撃でも入れた方が、勝ちとする」サブリーダーらしき金髪男性が、両機の間に立った。
キノ・イズール機――ヱーテル一万単位の【アマテラス乙式】。
カヱデ・リーダー機――ヱーテル一万単位の【アマテラス乙式改】。
両者は、数百メートルの距離をもって対峙する。
「それでは――」サブリーダーが腕を振り上げ、振り下ろした。「――始め!」
「【鉄鼠の檻】!」開始と同時に、カヱデが鋭く歌唱した。「【ヱーテル五千単位・ヴェーゥィアー~~ッ!】」
途端、土中から無数の鉄の棒が突き出してきて、格子状に絡み合いながら天へと伸びていく。あっという間にジャングルジムが出来上がった。
(速い。見事な魔術だ)
キノの称賛を置き去りにする速さで、カヱデ機が地を蹴った。
「キノ、A/B充填」
「了。【各部A/B充填――】」
「間に合わない! 肩前部に集中」
「っ? ――了!」最初はイズールの焦りが理解できなかったキノだったが、視覚カメラに映る敵機を見て、すぐに理解した。速い。敵機が異常なほどの速さでこちらに肉薄しつつある。わずか数秒で、数百メートルもの距離がゼロになりつつある。「【肩前部A/B充填・ヱーテル千単位・ラァーッ!】」
キノが辛うじて短縮歌唱を終えた直後、カヱデ機が目前に達した。スキンヘッドのリーダーが操るカヱデ機が、【アマテラス乙式】標準武装のアズマ刀を抜刀する! 神速のイズールにも匹敵するほどの抜刀術。キノは、目で追えなかった。だが、
「遅い」イズールにとっては、なお温いようだった。
彼は長巻の鞘で敵機の刀を受け流す。同時に剣の威力を殺すために半身になると、敵機が疾走してきた勢いそのまま、キノ・イズール機の横を走り抜ける形となった。イズールは、キノ機の全長よりもなお長い長巻きを、淀みのない動作で抜刀。得物を両手で保持し、こちらに背中を向ける形となった敵機に向かって跳躍する。
(これだ)キノは、感動する。キノ自身では目で追うことすらできない敵の攻撃を、危なげない動作で受け切り、一秒の戸惑いもなく攻撃に転じる。そのような超人じみた機動こそが、剣の達人をパイロットとして乗せる意義なのだ。
イズールは、強い。とんでもなく強い。が――
「なぁっ⁉」キノは悲鳴を上げる。
――レジスタンス・リーダーもまた、相当の使い手のようだった。背後を見せ、一方的に追撃されるはずだったカヱデ・リーダー機が、一瞬のうちに一八〇度回転し、こちらに向かって斬りかかってきたのだ。
ゼロコンマ数秒前までは背中を向けていたはずの敵機が、今は正面からキノ機に正面から斬りかかっている。どういうことかというと、敵機が地面から突き出していた鉄棒を左手で掴み、鉄棒を軸に体を一八〇度回転させたのだ。敵機は勢いを殺すどころか、遠心力によってさらに速度を増したうえで斬りかかってきた。
「そうくるよな!」その動きを読んでいたのか、イズールが両肩全面のA/Bを全力噴出させ、後退。間一髪で敵機の刀を避けた。
そこから、カヱデ・リーダー機によるダンスが始まった。ジャングルジムで覆われた戦場を、敵は縦横無尽に動き回る。背後から襲いかかってきたかと思えば、次の瞬間には頭上から飛びかかってくる。ジャングルジムを使いこなした立体的な戦闘機動だ。長い手足を活かして、サルのように飛び回る。
「まるでバッタだな」イズールにだけ聞こえるマイクで、キノ。
「サルではなくて?」
「鉄棒上での戦い振りは、まさにサルだが。地上戦での跳躍力も、またすごい」
「ああ。【アマテラス】の正しい運用方法だ」
【アマテラス】は逆関節の二脚人型。逆関節の脚部はジャンプ力に優れている。だから、七メートルの巨体にもかかわらず十メートル近くを軽々と飛び上がったり、『横』へ『跳ぶ』かのごとき動きで平面上の高速移動をも実現している。その分、方向転換には弱いのだが、そこは土中から伸びた無数の鉄棒と遠心力によってカバーしている。よく考えられた戦法だ。
「いいセンスだ」珍しく、本当に珍しく、イズールが褒めた。「このままじゃ負ける」
などと言いながらも、イズールは得物の長巻きでもって、危なげなく敵機の斬撃をいなし続ける。が、ここは【鉄鼠の檻】に囲まれた、敵のホームグラウンド。キノ・イズール機はジリ貧になっていく。
「このままじゃ、拙い。キノ、発声準備。思いっきりだ」
「了。【マイク充填・ヱーテル百単位・ラッ!】。【ヱ―テル波照射・ヱ―テル一万単位――・三・ニ・一・ララルララルラァー~~ッ!】」
「【オォオオオオーー~~~~ッ!】」イズールが全力歌唱した。
キノ・イズール機のスピーカーから発せられた極低音の大音声が、ヱ―テル波に載って戦場を満たす。次の瞬間、戦場を覆い尽くしていた鉄の棒――魔術【鉄鼠の檻】が、砂のように消え去った。イズールのマイナス歌唱によって打ち消されたのだ。男性歌唱師の、正しい運用方法である。
足場を失った敵機が、なすすべもなく落下してきた。イズールは、敵機が地面に叩きつけられるその前に、長巻の鞘でもって敵機を叩き伏せた。
「インチキだ!」全裸のカヱデが、ワーワーギャーギャーと騒ぎ立てている。「たった一度の対抗歌唱で俺の【鉄鼠の檻】が吹き飛ばされるなんて、絶対おかしい! お前ら、訓練場に何か仕込んだんだろ⁉」
「ふふん」キノは得意満面だ。「この状況、アズマのことわざで何と言うんだったかな? あぁ、思い出した。『弱い犬ほどよく吠える』」
「うぎー!」
基本、笑わないキノなのだが、こういうときは我知らず微笑む。『良い性格』をしているのだ。迫害され続けてきて、性格が歪んでしまったとも言えるが。
「それで、リーダー殿。私たちはお前らのお眼鏡に叶うことができたのかな?」
「ああ」カヱデに上着を着せてやりながら、リーダーが頷く。「だが一つ、聞かせてくれ。お前たちの目的は何だ?」
「私たちの目的は」キノは隣のイズールを見上げる。イズールが力強く頷いた。「【アマテラス・オリジン】の心臓の破壊だ」
レジスタンスたちは、両手を上げてキノたちを歓迎してくれた。理由は主に二つ。
一つは、キノとイズールの圧倒的な武力。【アマテラス乙式】、同【甲式】、そして【伍式ベルダンディ】、【伍式スクルド】、【伍式ウルド】すらをも使いこなすキノと、無敵の剣豪イズールの存在は、戦力不足にあえぐレジスタンスたちにとって天の恵みだった。
もう一つは、目的が一致していること。
「今さらだが」レジスタンスたちのアジトで茶を振る舞われながら、キノはリーダーに尋ねる。「【アマテラス・オリジン】の心臓を破壊してしまっても構わないのか?」
「……ふっ。本当に今さらだな」今までずっと無表情だったリーダーが、相好を崩した。「だが、大丈夫だ。心臓が動き出したのは、ここ数年のことだと言われている。つまり、【アマテラス・オリジン】は亡骸のままでも十分に居住地として利用可能なんだ。それに――」
リーダーの視線を受けて、フレデリカが言葉を引き継ぐ。「それに、心臓を破壊すれば、ノルニルから大量の報酬をもらえる約束だからね」
「ノルニルと内通しているのか⁉」驚いたキノが、カップを取り落としそうになる。取っ手のないカップ――『チャワン』に扱いに不慣れなのだ。
「そんなに驚くことかい? 敵を崩すには内側から。西も東もやっていることさ。そして」金髪美少女フレデリカが、ない胸を張る。「僕が仲介役なのさ。ノルニル顔は、こういうときに便利だから。それに、女の方がパトロン受けも良いからね」
「と言うと? ま、まさか見返りに体を差し出したり⁉」
「違う違う。パトロンが女性なのさ。キミもよく知る人物だと思う。ボルケシア・ノルニル王妃――ボノ妃さ」
「げっ。……ん? ちょっと待て」キノの瞳に険が載る。「じゃあお前たちは、私たちが今日、ここに現れると知っていたのか? 今までのは、すべて芝居?」
考えてみれば、フレデリカのやり口がスムーズすぎるのだ。【アマテラス・オリジン】の口の先で、魔物に追われる遭難者を装って待ち伏せ。キノたちに取り入り、流れるようにレジスタンスへ紹介し、こうして仲間に引き入れてしまった。
「待った待った!」フレデリカが慌てる。「それは邪推がすぎるというものだよ。確かに、僕があの森で張っていたというのは事実だよ。でもそれは、【アマテラス・オリジン】が【ノルニル・オリジン】の膝を折らせてからこっち、ノルニルから侵入してくる者がいないかを監視していたからなんだ。あわよくば仲間に引き入れるためにね」
「ふむ。まぁ、そんなところだろうな」キノは頷く。この作戦は、極秘も極秘。だから、協力者はキノが現地調達することになっていた。現地のスパイやレジスタンスに事前に協力を仰いだ場合の、情報漏洩のリスクを危惧したためだ。「そもそも、お前たちレジスタンスの目的は何なんだ?」
「……レジスタンス、と一言で言っても」リーダーが口を開く。「その数は膨大だ。大手だけでも数十。弱小を含めれば数百もある。雨後のタケノコのように生まれては、アズマに叩かれて消滅、を繰り返している。そういう意味では、俺達もすっかり古参だな」
リーダーの背後で、カヱデが隣の大人に『うごのたけのこって何だ?』と聞いている。『雨の後にはタケノコがたくさん生えるという意味だよ』と応える大人に対し、カヱデがさらに『えっ。胃酸の雨でタケノコが生えるのか⁉』と尋ねている。
(胃酸? 何の話だ?)カヱデたちの会話が気になるキノだったが、今はリーダーの話に集中することにする。「あ、ええと、どのくらいになるんだ?」
リーダーが、数十名のメンバーを見渡してから、「十年」
「長いな」十三歳のキノにとっては、およそ自分の人生と同等だ。
「レジスタンス組織の目的は、様々だ。軍部による収奪から自衛するために団結した組織、腐敗した軍部を倒して新政権樹立を目指す組織、単に暴れたいだけの組織。中でも俺達の目的は、少し変わっている」
「ほぅ」
「俺達の目的――それは、祖国に帰ることだ」
「…………ん? お前たちの祖国はここじゃないのか?」
「をいをいをい、キノ!」イズールが慌てた様子でキノの頭をぶっ叩く。
「痛っ。お前、上官に向かって――」
「上官の失言を窘めるのも、部下の立派な仕事だ! 昔、俺が教えてやった両国の歴史を忘れちまったのか? いいか、アズマはそもそも極東のアズマ列島を根拠地とする国だ。軍事拡張を続けるアズマは列島を出て大陸に侵出し、そこでノルニルとぶつかった。そんで、【アマテラス・オリジン】の召喚に成功したアズマは、さらにノルニルの領土のど真ん中を喰い破るようにして西進し、ノルニル首都に到達したンだ」
「それが、今から十四年も前の話だ」とリーダー。「俺やそこの爺さん、こいつやそいつのような、この組織の立ち上げメンバーは全員、当時は最前線で戦う兵士だった。強制的に徴兵され、ノルニルから奪い取った鉄道で西の前線へ送られ、使い捨てのように前線に放り込まれた」
だが、【アマテラス・オリジン】の圧倒的な力を借りたアズマがノルニル首都を滅ぼすかに思われたその時、ピノ王は【ノルニル・オリジン】の召喚に成功した。原初女神同士の言語を絶するぶつかり合いの末に両女神は疲弊し、ピノ王とチノ妃がその間隙を突く形で【アマテラス・オリジン】の封印に成功。ノルニルは勝利したが、女神同士の戦闘の結果、周辺の大地は超高濃度ヱーテルで汚染され、人が住めない土地になった。
チノ妃がキノを身ごもったのも、その時期だ。
「カネが必要なんだ」リーダーの、絞り出すような言葉。「カネさえあれば、結界付きの魔導飛行船が買える。そうすれば、祖国に残してきた妻と娘に会える……!」
「そして、一攫千金を得るために【アマテラス・オリジン】の心臓を破壊する必要がある、というわけか」筋は通っている。信じても大丈夫そうだ。「だが、わざわざ非合法なことに手を染めなくても、アズマ軍に頼んで連れ帰ってもらうことはできなかったのか?」
アズマの利になりかねない発言だったが、キノはあえて尋ねた。ノルニル側の作戦の全貌を伝える前に、疑問点をすべて潰しておきたかったからだ。
「十年前からそうだったが……アズマ軍部は、もう駄目だ。上級将校から下士官に至るまで腐敗がはびこっていて、どいつもこいつも私腹を肥やすことしか考えていない。一兵卒や民間人のために高級品である飛行船を飛ばすような篤志家など皆無だ」
「ふむ」
「同じ理由で、アズマがノルニルに勝利することも、また不可能だ。軍部の奴らは、十年前の時点で戦争への勝利も、祖国への帰還も諦めてしまった。お前たちも見ただろう、この街を。女神の体表は強靭な皮膚によって守られている。ノルニルの砲撃も、汚染された空気も防ぐ無敵の盾だ。だが、大きく開けた口は無防備。この『喉笛の街』は、ノルニル軍の侵入を防ぎ得る唯一の防衛線だ。だというのに、ろくに防備も固められていない」
リーダーの言うとおりで、キノが見た限り、『喉笛の街』はまさに平凡な『街』といった風情だった。本来なら要塞と化していてもおかしくない立地なのに。
「奴らにとっては戦うことよりも、カネを集めることの方が大事なんだ。今でこそ【アマテラス・オリジン】の復活の兆しを得て団結しているように見えるが、どうせすぐに派閥同士で足の引っ張り合いを始めることだろう」
「…………」キノは、リーダーの瞳を見る。その言葉に嘘はないようだった。「いいだろう。ノルニル軍の作戦は、こうだ」
キノたちが囲むテーブルに広げられているのは、巨大な人体の平面図――いや、『地図』だ。【アマテラス・オリジン】の体内図。
「ノルニル軍の作戦は、三つの段階から成る。一つ」キノは地図の心臓を指差す。「キノ・イズール機による心臓破壊。二つ、キノ・イズール機の脱出および破壊成功の信号弾射出。三つ、ノルニル全軍の空挺降下」
「心臓への道順は分かっているのか?」リーダーの問いに、
「おおまかには、な」キノは頷く。「基本的には人体と同じなンだ。ここ、喉から肺に侵入し、大動脈経由で心臓に至れば良い」
「それは無理だ」リーダーが首を振る。「肺は、帝がいる心臓に続く、唯一の道。いわば最終防衛ラインなわけだから、アズマ皇国軍のほぼ全軍でもって防備されている。数十万もの歩兵が詰めており、【アマテラス甲式】使いは公表されている数だけでも十三デュヱット、同【乙式】に至っては千を数える。その全軍で、民間人のほぼ全員を両肺に収容し、完全な監視社会を形成している」
「つまりアズマ軍は、外よりも内側に、その戦力を向けているのか」軍国主義の末路だな、という言葉をキノは飲み込む。キノ自身が軍国主義の権化たる軍人だからだ。「お陰で我々は、こうして難なく潜入できたわけだ」
「そうだな。そういう意味では、俺たちレジスタンスの成果とも言える」
「だが逆にその所為で、肝心の心臓に至れない。しかし、千に数十万、か」
さすがに渋面のキノ。正直、【アマテラス甲式】の方は、一対一なら何とかなるのでは、と思った。要は先日の老婆戦の再現を演じれば良いからだ。だが、千の【アマテラス乙式】と数十万の歩兵と面と向かってやり合い続けながら前進するのは、キノとイズールの二人では不可能かに思われた。たとえ、ここにいるレジスタンスたちが全員ついて来てくれたとしても、だ。
「手はある」リーダーが言った。「先ほど『唯一の道』と言ったが、実は心臓に至る道は一つじゃない。あまり知られていない、裏口が存在する」
「と言うと?」
「まず――」リーダーが地図を示す。「ここ、喉から胃に至る。胃は常に胃酸の雨が降り注いでいる危険地帯で、軍も駐留していない。
次に、小腸。ここは別名『大迷宮』と呼ばれており、魔物の巣窟でもある。採掘資源を求めて一定数のアズマ軍が駐留しているが、まぁ、肺に比べればずいぶんとマシだ。
小腸から、毛細血管を見つける。
毛細血管から静脈に入り、大静脈への流れに乗れれば、左心房はすぐそこだ」
「ほう!」
「だが、言うは易いが、行うのは困難だ。まず、胃。胃領域はここ、『喉』などより圧倒的に広い上に、常に胃酸の雨が降り注いでいる。浴びれば、常人などあっと言う間に肌が焼けただれる」
(なるほど、先ほどカヱデ少年が言っていたのはこのことか)
「次に、小腸。ここは別名『大迷宮』と呼ばれており、魔物の巣窟でもある。アズマ軍の哨戒部隊も頻繁に現れる。そして、大静脈。河の流れに沿って進んでいくことになるが、ここには心臓に至るまでにはいくつもの関所を越えなければならない。裏口とは言っても、警備がゼロなわけじゃないからな。最後に、心臓。『心臓の間』は、文字どおりアズマの心臓部。帝がおり、帝を守るための大要塞が築かれていて、アズマ帝国最強の近衛集団が警備している」
「一つずつ潰していこう。胃酸は問題ない。今の私は巨人【スカジ】が使えるからな。魔術【ニョルズの船】でお前たちを渡らせつつ、私自身は船に覆いかぶさって胃酸の雨の傘になってやろう。小腸の魔物は、なおのこと問題ない。が、敵の哨戒は良くないな」
「そこは、俺たちレジスタンスの情報網に任せてもらおう。度重なる潜入捜査で、哨戒部隊の配置から交代の時間まで、もはや丸裸になっている」
リーダーが振り向くと、そばに立っていた身軽そうな若者が微笑んだ。哨戒部隊の情報が記されているのか、手帳を得意げに見せてくる。
「それは頼もしいな。関所は? 私には、強行突破しか思いつかないが……」
「大静脈の河は、長い。船が使えるとしても、心臓に至るまで三日は掛かる。それほどの間、追われ続けて休み無しに進むのは現実的ではないだろう。任せろ。現地には協力し合えるレジスタンス仲間がたくさん潜んでいる。変装、隠し通路、賄賂。やり方はいくらでもある」
リーダーが、また別の方を見ると、ずんぐりむっくりとしたアズマ男性が頷いた。彼は、彼に懐いた様子の伝書鳩に手紙を結んでいる。他のレジスタンス組織に渡りをつけようとしてくれているのだろう。
(頼もしいな!)キノは、未知の快感に酔いしれる。(これが、『仲間』というやつなのだろうか。なんとも心地良い)
キノは、楽しい。こんな風に大勢とテーブルを囲むのも、同じ目標に向けて協力し合うのも、生まれて初めての経験だ。
「出発は、明日の未明だ。いいな?」リーダーの問いに、
「了!」キノは力強く頷いた。
こうして、キノたちの冒険が始まった。
(あつっ、あつつつつっ、熱い!)
翌日、昼。キノたちは、果てしなく続く胃酸の海を渡っていた。
イズール及びレジスタンス十数名が乗っているのは、小型の帆船――キノが召喚した【ニョルズの船】だ。女神【スカジ】が使える魔術の一つである。薄っすらと輝く光の船は、胃酸の海でも溶けることなくスイスイ進む。が、際限なく降り注ぐ胃酸の雨の方はどうしようもない。
(熱ぅい!)そこで、キノの出番である。巨人の女神【スカジ】に変じたキノが、四つん這いになって腹の下に船を収め、イズールたちを雨から守るのだ。(いつまで続くんだ、この地獄は)
背中は酸性雨で叩かれ続けている。海の中に突っ込んでいる手足に至っては、数時間も前から感覚が失われている。
「お、おい、大丈夫かよ⁉」腹の下から声を掛けてきたのは、カヱデだ。
「大丈夫だ」キノは必死に平静を装いながら、応える。「ガキはガキらしく、自分の心配でもしていろ。油断して落っこちるなよ?」
「何だとこの野郎」
この熱は確かに地獄だが、回復可能な地獄だ。というのも、【女神召喚】中に受けた傷は、【女神送還】時には完全に癒やされるからである。どれだけ損傷を受けても、なかったことにできる――それこそが、【女神召喚】の最大の強みだ。
戦場において、『無敵』とすら称し得る最高戦力、女神。だが、だからこそ、女神召喚師たちは男性歌唱師――『鎮魂歌唱師』を恐れる。先日の選抜戦では、イズールが剣を振るう度に【女神召喚】を強制解除された女子学生たちが大量生産されていたが、女神召喚師にとって、あれほど恐ろしい光景もない。
もっとも、たとえ鎮魂歌唱師がいなくても、多大なダメージを受けてしまったら女神は戦闘不能に陥ってしまう。【女神召喚】と【女神送還】を無限に繰り返すことで回復し続ける、という手段も考えられなくはないが、【女神召喚】の度に最低要求量のヱーテルを捧げる必要があるため、そんな荒業ができるのは世界広しと言えどもヱーテルお化けのキノくらいなものだ。
(それに、今のように再召喚回復が使えない場合もある)巨人の手足と背中に蓄積しつつあるダメージを思いながら、キノは内心冷や汗まみれだ。(手足の動きが悪くなってきた。再召喚したいところだが、そんなことをしたら【ニョルズの船】が消失してしまう)
キノが【女神召喚】を解いた瞬間、キノに命を預けてくれているメンバーたちは全員、胃酸の海に真っ逆さまだ。
(目が霞んできた。カメラがやられたか。外部音声も聴き取りづらく……)
朦朧とした意識の中、進軍することしばし。やがて、対岸が見えてきた。
(あぁ、助かった!)レジスタンスメンバーが船から折り、耐酸加工した傘を開いたのを視た瞬間、キノは意識を手放しそうになった。(【女神送還】――)
「キノ!」イズールの悲鳴を、遠い意識の彼方で聞いた。
「んお……」気が付くと、イズールに背負われていた。「ここは?」
「キノ!」イズールの、ほっとした様子の声。「あぁ、良かった。ここは十二指腸の先、小腸迷宮の入口辺りだ」
例によって木々や草花が自生しており、一向は道なき道を進んでいる。辺りは、暗い。昨晩も経験したが、不思議なことに【アマテラス・オリジン】の体内には昼と夜がある。
「私はどのくらい寝ていた? 今は何時だ」
「二十時十四分。半日寝ていたが、無理もない。よく頑張ったな」
「……ふんっ、子供扱いするな。降ろせ、自分で歩ける」
「へいへい。つっても、今日はもう、ここで夜を明かすンだがな」
見れば、レジスタンスメンバーたちがテキパキと野営準備を始めている。遮音結界・迷彩結界の設置、テント設営。昼間の働きで遠慮されたのか、キノには仕事が割り振られなかった。手持ち無沙汰になったキノは、さっそく料理を始める。
「豚系魔物の肉と牛系魔物の肉を刻み、塩、コショウ、おろしたジンジャーと一緒に良く練り込む」
慣れた手付きで料理をしていると、カヱデが横から覗き込んできた。
「ソースには、もちろんキノコを使う」キノはトレンチコートの内側をまさぐり、キノコを取り出す。
「それ、シイタケか?」とカヱデ。「ノルニルにもあるんだな」
「これは私が自分で栽培したやつだがな」
「え⁉ すげぇ」
「ふふん。軍人にならなければ、キノコ農家になっていたところだ。本当なら刻んだシイタケを水で戻し、戻し汁をソースのベースに使いたいところだが、行軍中はそうもいかないか。ん? カヱデ、お前が持っているのはソイソースか?」
「これは醤油だ」
「ソイソースか。使わせてくれ」
「やだよ」
「後でハンバーグを喰わせてやるから」
「本当か⁉ やった」
「では、肉を焼く」トレンチコートの中から、今度は小型フライパンと魔石【アマテラス丙式】が出てきた。「魔物のラードを敷いたフライパンをよく熱し、肉を投入」
「をいをいをい」イズールが近付いてきた。「火起こしに料理まで、さすがに迂闊じゃねぇのか?」
「大丈夫だ。上昇気流を作って匂いを散らしている」
「道理で温かいわけだ。相変わらず、ヱーテルの無駄遣いだな」
「使うそばから、こうして喰って吸収してしまうからな。刻みシイタケを炒めて、醤油で味付け。デンプンを回し掛けてとろみを付けてやれば――」キノの前に、キノの顔よりも巨大なハンバーグステーキが現れた。「できた! 合い挽き肉のおろしジンジャーハンバーグと、アズマ風キノコソースだ」
「喰わせろ!」カヱデが飛びつく。
「構わないが、喰えるのか? 高濃度ヱーテルで汚染された魔物だぞ」
「んぐぅ⁉ お、おえぇぇ……きぼぢわるい。美味しいのに気持ち悪い」
「もぐもぐ、もっもっ、んふふっ、ヱーテル酔いだな。頑張って喰ったら、きっとヱーテル総量が増えるぞ」
「本当か⁉ もぐっ……うぉえぇぇ」
「おいガキ」イズールがカヱデの背中をさする。「魔物肉を喰ってもヱーテル酔いしないのも、喰えば喰うほどヱーテル総量が伸びるのも、ウチの姫さんだけだ。からかわれてンだよ、お前さん」
「あっはっはっはっ」
キノは、楽しい。こんなに笑ったのは、生まれて初めてのことかもしれない。他のレジスタンスメンバーも、魔物肉ハンバーグを一口もらったり、キノから干しキノコを融通してもらったり、とキノと積極的に交流を持とうとしてくれる。こんなにたくさんの人間に馴染むというのは、キノの人生の中で初めての経験だった。
食事のあとは、就寝だ。キノとイズールは、それぞれ小さなテントを割り当ててもらった。見張りも免除してもらったキノは、あとは寝るだけなのだが、昼間イズールの背中でたっぷり眠った所為で目が冴えてしまっている。
「おい、イズール」キノが自分のテントから這い出して、イズールのテントの前に立つと、テントの中がじんわりと輝いていた。「イズール?」
「うおっ」中に入ると、イズールが大慌てで角牛の仮面を付けたところだった。「お、お、おう、姫さんか。どうした、こんな時間に?」
「そんなに慌てなくても」キノは少し、悲しい気持ちになる。「どうせ結婚するのに」
「悪いな」入念に仮面を付け直すイズール。
(……ん? 暗いな。灯りを点けているものだとばかり思っていたが)
「それで、何の用だい? こんな時間に男の部屋に這入り込むたァどういう了見――」
「付き合え」
「え? ほ、本気で言ってんのか⁉ お、おうおうおうおう」イズールがズボンに手を掛ける。「据え膳喰わぬは何とやら」
「え、え、え? なぜ脱ぐ? ちょっ、近付くな! 腰をくねらせるな、ちょん切るぞ⁉ 付き合えっていうのはそういう意味じゃなくて、【女神召喚】の調整のことだ!」
「……だろうな」大人しくズボンを履き直すイズール。「ンなこったろうと思ったよ」
「それで、何をするんだい?」
レジスタンスたちの野営地から少し離れた森の中に、キノはいる。イズールだけでなく、フレデリカも一緒だ。ついて来たのである。
「【零式ノルニル】の起動実験だ」
国宝【零式ノルニル】を始め、キノは彼女の全戦力をレジスタンスたちに開示している。心臓破壊作戦の全貌を開示した以上、もはやいかなる隠し事も無意味だからだ。
「確か、今まで一度も起動に成功していないんだっけ?」
「ああ。【女神召喚・零式ノルニル・ヱ―テル一万単位――ララルラルラァー~~ッ!】」キノはボノ妃から手渡された古びた魔石を掲げ、高らかに歌い上げる。が、魔石は何の反応も返さない。「……これだ。やっぱり、ボノ妃にニセモノを掴まされたンだろうな」
「ふぅん。見せてもらってもいい?」
「いいぞ、ほら」
「わ、わわわっ。国宝なんだろう⁉ 投げないでおくれよ」しばし、キノが出した灯りの下で魔石を検分していたフレデリカだったが、「あはは、さっぱり分からないな。見せてもらっておいて何だけど、僕は女神に関しては門外漢だから」
「えっ、フレディは【女神召喚】できないのか?」
「【アイテムボックス・ヱ―テル十単位――パラリラッ!】」フレデリカが、虚空に手を突っ込んだ。「僕の武器は、コレさ」
虚空から引きずり出されたのは、二丁のマスケットだった。火打ち石にクズ魔石が使われている、フリントロック式マスケット。
「【アマテラス甲式】や【乙式】、【丙式】を削り出したあとの残りカスを溶かして固めたモノ――通称『クズ魔石』。コレ単体ではマッチ程度の火も起こせないゴミだけど、こうして銃と組み合わせてやれば――」
いきなり、フレデリカがキノに銃口を向けた。
「え? 何を――」
――タァーーンッ!
発せられた炎の銃弾は、木の上からキノに飛びかかろうとしていたサル型の魔物の頭を吹き飛ばした。
「このとおり。強力な武器に早変わりさ」
「びっっっっくりしたぁ~!」胸を撫で下ろすキノ。
咎めるようにイズールの方を見てみれば、彼はのん気に口笛を吹いていた。その左手が長巻の鯉口に添えられているところを見ると、魔物の存在には気付いていたらしい。
「悪趣味な演出は止してくれ、フレデリカ」
「あはは、ごめんごめん」笑いながら、二本の長銃でお手玉を始めるフレデリカ。「キノの驚く顔が見たくってさ」
「まったく……」などと言いながら、キノの心は激しくかき乱されていた。フレデリカに銃口を向けられたからではない。彼女の悪戯っ子のような表情や、銃を手足のように扱うその様子に、『フレディ』――フレドリクの面影を見たような気がしたからだ。(アイツも、銃の扱いが抜群に上手かった。私も追尾機能を付与した【火球】なら飛ぶ鳥を落とすことはできるが、銃で鳥を撃ち落とすなんて離れ業ができるのは、後にも先にもフレディだけだ)
「それにしても、フレディは【アイテムボックス】持ちだったのか。羨ましいな」
「え、キノは使えないの? それだけ強大なヱーテルを持っているなら、むしろ使えないほうが不思議なんだけど」
「いやぁ、私はどうも、そういう小難しい魔術が苦手で」
「くっくっくっ」イズールが割り込む。「姫さんは破壊と魔物料理が専門だからな」
「【ああん? 燃やされたいのか、イズール?】」
「うお、熱っ! 燃えてる、燃えてる! さり気なく話法歌唱で火ぃ出すんじゃねぇ!」
「相変わらず仲良しだねぇ」銃で遊んでいたフレデリカだったが、急に銃を構えた。彼がぐっと銃把を握ると同時、薬室の辺りが一瞬だけぱっと輝いた。
(ヱーテル弾を装填した? また魔物か⁉)トレンチコートの下から【アマテラス乙式】の魔石を取り出し、握りしめる。
果たして暗がりの中から現れたのは――
「誰だ、貴様らは⁉」アズマ軍上等兵の制服を着崩した中年男性――アズマの兵士だった。つまり、敵だ。「こんなところで何をしている?」
(どうする、誤魔化すか⁉ それとも、殺すか⁉)キノの脳が目まぐるしく運動する。(こんな序盤で通報されるわけにはいかない。悪いが、殺してしまったほうが……いや、そもそも私に、人が殺せるのか?)手が、震えている。いつかその時が来るとは思っていたが、こんな、何の前触れもなく急に『その時』が訪れるとは。(いや、そんなのは甘えだ。敵地のど真ん中にいるンだぞ、キノ。分かっていたことじゃないか。覚悟が固まりきっていなかったのは、お前の怠慢だ)
だが、そんなキノの迷いは、次の瞬間、消失した。森の奥から、二人目のアズマ兵が現れたからだ。いや、二人目の敵が現れたくらいで解消されるほど、キノの殺しに対する恐れは小さくない。が、そんな恐れなどあっという間に塗りつぶされるほどの、それは衝撃だった。
二人目のアズマ兵が、年端もいかない少女たちを縄で繋いで連行していたのだ。しかも、暗がりでも分かるほどに、少女たちには暴行の痕があった。
「【女神召喚・アマテラス乙式】――」
――タタァーーンッ!
キノが【女神召喚】するより早く、アズマ兵たちが後頭部から血を吹き出して倒れた。
「分隊長殿⁉ いったい何――」少女たちを最後尾から小突いていた三人目のアズマ兵の言葉は、途中で途切れた。イズールの長巻きによって、体を真っ二つにされたからだ。
「まぁ、よくある話さ」少女たち――小腸迷宮でひっそりと暮らしているアズマの民間人たちを手当し、解放した後で、フレデリカが吐き捨てるようにそう言った。「今のアズマは、軍部によって完全に支配された世界なんだ。民間人の大半は、『喉笛の街』で分岐した先の、『右肺の街』と『左肺の街』で、軍部の監視の下で強制労働に従事している」
(あんなのが)キノは目眩を覚える。(あんなのが『よくある話』だと⁉)
「けれど、全員が全員、そうじゃない。肺から抜け出し、胃酸の海を越えてここまで来る民間人も、稀にいる。さっきのは、その子孫だろうけどね」
「典型的な腐敗兵士さ」アズマ兵たちを埋めた後で、カヱデがその上に唾を吐く。「コイツら、目が光っていなかっただろ?」
「目が光る? どういうことだ?」
「アマテラスの『加護』さ」とフレデリカ。「アズマ皇国や皇室に強い忠誠心を抱いている将兵には、【アマテラス・オリジン】から加護が与えられるんだ。加護持ちの将兵は、瞳が炎のように赤く輝いている。目が輝いていなかったということは、忠誠心を持ち合わせていない、ということ。隠れアズマ人狩りをしていたのも、国に通報して労働人口を増やすためではなく、奴隷として売っぱらうか、個人的に楽しむためだろうね」
「ど、奴隷……? 楽しむ?」その言葉の、あまりのおぞましさに、キノは身震いする。気を紛れさせたくて、無理やり質問した。「そ、そうだ、加護とはどんなものなンだ?」
「加護の度合い――つまり忠誠心の強弱によって程度はまちまちだけど、まずは体力と腕力の上昇だね。加護持ちのアズマ兵は、三日三晩行軍し続けることもできるし、素手で岩を砕くとも言われている。それと、強い加護持ちは歌唱力も強化される。女性がより強力な魔術や【女神召喚】が出来るようになるのはもちろんのこと、男性歌唱師でも初級の魔術が使えるようになる」
「反則じゃないか、そんなの」
「あはは。無尽蔵のヱーテルとかいう極大の反則をカマしている子が何か言っているよ」
一週間が過ぎた。その間、キノたちはアズマ皇国深部へと順調に浸透しつつあった。小腸迷宮の踏破、毛細血管への侵入、大静脈大河の危険たっぷりな川下り。レジスタンスたちに助けられながら、キノとイズールは『右心房』へ着実に進んでいった。
具体的な経路。レジスタンスが長い活動の果てに培った、アズマ軍基地や歩哨などの位置が丁寧に記載された地図。一歩一歩着実に、任務達成に近づいている高揚感。信頼できる仲間たち。閉ざされた世界しか知らなかったキノにとっては、どれも生まれて初めての快感だった。キノはレジスタンスを助け、レジスタンスはキノたちを助けた。彼らはチームだった。互いに命を預け合う、大切なチームだ。
レジスタンスのメンバーは、総勢数三十二名。過酷な冒険の中で、キノは様々な者たちと絆を結んでいった。スキンヘッドの男、レジスタンスリーダーことヤタロウ。ヤタロウの専用機・カヱデ少年。鳩を愛し、鳩に愛される男・カラスマ。身軽さが自慢で、象徴迷宮内のアズマ兵哨戒ルートを丸裸にしたサルトビ。アズマ憲兵に戯れに目玉をくり抜かれ、復讐を誓う隻眼の少女・マナコ。ノルニル顔でメガネのサブリーダー・ジーク。金髪碧眼、魔銃の名手フレデリカ。
一癖も二癖もあるメンバーたちの中で、キノが最も仲良くなった相手は、『二人目のフレディ』ことフレデリカだった。二人はさながら数年来の大親友のようで、その仲睦まじい様子はイズールが嫉妬するほどだった。
実際、キノはフレデリカを数年来の大親友のつもりで接していた。フレディの姿や言動はかつての恋人・フレドリクを想起させるものばかりで、キノはフレデリカの中にフレドリクの面影を探していた。あまり健全とは言えないが、キノは彼女に彼を重ねてしまっていた。
キノとフレディは様々なことをして時間を過ごした。狩り、料理、世間話。中でもキノが夢中になったのは、互いの技術の教え合いっこだった。フレディはキノに魔銃に扱いを教えようとしたが、キノはあまりにも不器用で、何発撃ってもヱーテル弾を真っ直ぐ飛ばすことができなかった。『悪いが、これなら直接【火球】を飛ばしたほうが早いな』とはキノの談。
一方のキノは、フレディに魔術を教えた。キノはかつて、フレディから魔術を学んだ。そんな自分が教師役となることに奇妙な気恥ずかしさと高揚感を覚えながら、キノはフレディに手解きした。が、大したことは教えられなかった。フレディは既に【アマテラス丙式】による炎と鉄の魔術を使いこなしていたし、一方でキノが教えられるような超極大魔術は扱えなかったからだ。キノが扱う、直径数十メートルの【大火球】は、つまるところ五単位や十単位で生み出せる初級魔術【火球】に、数千とか数万とかいう馬鹿みたいな量のヱーテルを注ぎ込んだ『だけ』のものだ。『そんな乱暴な離れ業、ヱーテルオバケのキノにしか到底無理だろうね』とはフレディの談。
魔術の才能を全く持たない者で、一未満。火起こし程度の魔術が使える者で、数十。正規の魔術兵として好待遇を受けられる者で数百。【女神召喚】が可能な者で、ヱ―テル総量数千単位。この時点で数千人に一人の逸材なのだ。そんな数千人に一人の逸材たちですら、一日に一回、二回ほどの【女神召喚】で息切れするのだ。単なる【火球】に数万単位ものヱーテルを注ぎ込む、注ぎ込めるような馬鹿は、世界広しと言えどもキノだけだろう。
実際、フレディのヱーテル総量は一万を少し超えるかどうか、という程度の量であるらしい。それを聞いたキノが『ずいぶんと少ないな』と真顔で答えたところ、引きつり笑いのフレディに『アズマでもノルニルでも、ヱース・オブ・ヱースを名乗れるレベルのはずなんだけど』と言われた。つまり、フレディは【女神召喚】も可能なレベルの魔術師だということだ。そこでキノは、フレディに【女神召喚】を教え込もうとした。が、数々の魔術を扱い、魔銃を手足のように操るにもかかわらず、彼女は女神化ができなかった。
魔術が使えても女神化ができない女性歌唱師というのは、相当数いる。と言うより、女神士官学校に入れず、通常の士官学校留まりの魔導兵希望者の大半はそうだ。原因は、ヱーテル総量不足によるものだ。【火球】は五や十そこらのヱーテルで発生させることができる。鉄の生成なども、数十や数百単位あれば何度も生成可能だ。
が、これが魔術の奥義たる【女神召喚】となると、練習機【参式ヴァルキリー】ですら最低要求ヱーテル量五〇〇単位。主力戦車【伍式ヴェルダンディ】で一五〇〇単位。未来予知を可能とし、成り手が希少な【伍式スクルド】は三〇〇〇単位。数秒以内の過去改変を可能とする【伍式ウルド】に至っては、五〇〇〇単位ものヱーテルを必要とする。それも、あくまで最低要求量である。強度を上げるにはより多くのヱーテルを込める必要があるし、ひとたび戦場で敵『鎮魂歌唱師』に遭遇したら、強制的に【女神召喚】状態を解除させられ、せっかく奉じた巨大なヱーテルが水の泡になるリスクが生じる。となれば、最低要求量の数倍はヱーテルを持っていなければ心許ない。これが、【女神】が強力なのにもかかわらず、両国とも保有数が千に満たない理由だ。
ひるがえって、フレディのヱーテル総量は約一万単位。比較的燃費良好な【アマテラス乙式】を十回は召喚できる総量である。十分に、十二分に女神化可能な水準なはずだった。だからキノは、フレディが【女神召喚】できない理由が分からなかった。キノのようにヱーテル過多で暴走するということでもない。フレディが歌唱すると、彼女の丹田から放出されたヱーテルが鋼鉄の肉としての形を帯びる前に、霧散してしまうのだ。まるで、フレディ自身が女神化を望んでいないかのように。
『どうもボクは』そんな時、フレディは寂しげに微笑んだ。『乗られるよりも、乗るほうが好きらしい』
『えっ⁉ 女神に女が乗るのか⁉ 女同士でだなんて、そんな』
『実際、カヱデに乗ったことなら何度もある。あの子はリーダーの専用機を自称しているから、ものすごく嫌がられるし、しばらく口を利いてもらえなくなるけどね』
『男・女ではなく、女・男⁉ 嫌がるカヱデに無理やり……⁉ あわ、あわわわわ』
何やら新しい世界への扉が開きそうになるキノだった。
『ねぇキノ、試しに乗せてもらえない?』
『えっ、えっとそれは』
『をいをいをい』と割って入ってきたのはイズール。『コイツは俺の専用機だぜ』
と言って、馴れ馴れしく肩に手を回してきたイズールに、キノは多少の苛立ちを覚え、ちょっとした意趣返しがしたくなった。
『モノ扱いするな。私にだって、パイロットを選ぶ権利はある』
『をいをい、まさか』
などといった会話の果てに、フレディがキノに乗ったりもした。フレディは操縦が抜群に上手くて、それがまたイズールの嫉妬心を爆発させたりもした。
『すべてはお前のお陰なンだ』そんな時、キノはそう言ってイズールを慰めた。『お前とフレディがいなくなってから、私の時間はずっと止まったままだった。塔を出てからも、私の心は塔に縛りつけられたままだったンだ。そんな私をすくい上げてくれたのは、お前だ。あの日、あの線路を挟んでお前と再会した時、私の時間はようやく動き出したンだ』
『お前、そんな大げさな』
本心だった。キノは一年もの間、学校に通ったにもかかわらず――シノ姫の妨害があったとはいえ――ただの一人の友達も作ることができなかった。キノは自分の世界から、暗い塔の部屋から一歩も踏み出すことができずにいたのだ。それが、イズールが現れた瞬間、何もかもが激変した。自由に女神化し、暴走させずに動かせる手足を得た。塔の外へ飛び立つための翼を得た。イズールに手を引かれるがまま歩くうちに、新しい世界を知り、多くの仲間を得たのだ。
とかくも、レジスタンスたちの中で最も深い絆を結べた相手はフレディだった。だが、他にも深い絆を結べた相手はいた。その相手というのは、誰あろう、初対面の時にキノに突っかかってきた少年・カヱデだった。
「怖いんだ」
いよいよ『右心房』を徒歩一日の距離に収めたある日、カヱデが火の前で丸くなりながら、そう呟いた。
「何が怖いんだ?」相変わらず魔物肉とキノコで炊事に励みながら、キノは尋ねる。
時刻は夕方。場所は、心臓に至る大通りから逸れた森の中だ。
「お前とリーダーはレジスタンス最強の戦士だ。今までの旅路でも、敵女神を何度も撃破してきたじゃないか。ノルニル正規軍にだって、お前らほどの強者は滅多といないぞ」
「そうは言ってもよ、今まで俺たちが殺してきたのは、いずれも目の輝いていない奴らばかりだった。けど、目が輝いている奴ら――加護持ちが相手となると、逃げるしかない」
「安心しろ。いざとなれば私が出る」
「うん……」それでもなおカヱデがうつむいているので、キノは調理を中断してカヱデの背を撫でる。カヱデの背中が、震えている。「明日が怖いんだ」
「明日が? なぜだ」
「生きているかどうか、確かめるのが怖い。明日になっても、俺がちゃんと生きているのか。ヤタロウ兄が生きているのか。カラスマが、サルトビが、ジークがフレディがサチがマナコがビアンカがケンゾウがカミラがチヨマルがドミニクがトラジロウが、明日になってもちゃんと生きているのか確かめるのが、怖いんだ」
「それは……」キノは、適当な言葉でカヱデを安心させようとした。が、できなかった。幸いにも今日、この日まで、死者ゼロで乗り切ることができた。が、ここから先は敵地のど真ん中だ。犠牲は、出るだろう。きっと、出る。ただの一人も欠けることなく心臓に到達し、心臓を破壊し、脱出するのは不可能だ。「安心しろ。私が何とかする」
結局キノは、根拠のない言葉でカヱデを慰めた。こんな、十にも満たない子供に覚悟を背負わせることはない、と考えたからだ。
「そうかもな。だってお前は強いし……女だから」
「どういうことだ?」
「俺はさ、やっぱり怖いんだ。たとえ明日を生き延びても、明後日を生き延びても、一週間、一ヶ月と生き延びれば生き延びるほど、いつか必ず破滅の日がやって来るんだ。だってそうだろ? 俺はこのとおり、男だ。長く生きていれば、いつか必ず声変わりしてしまう。そうしたら俺は、ヤタロウ兄の専用機ではいられなくなる。俺の存在意義が失われてしまう……」
(あぁ、なるほど)キノは納得した。カヱデにはどうも、レジスタンスの――リーダーの力になれることが生き甲斐、と考えているようなところがある。いや、もっとはっきりと言うと、『ヤタロウ兄の専用機でいることだけが、俺の存在理由だ』とすら言い出しかねないほどの、凄惨なまでの一途さがある。(確かに声変わりしてしまったら、女性歌唱師としての力を失ってしまう。【女神召喚】ができなくなる。だが、どうしてそこまで)
「以前、小腸迷宮の手前で子供を救ったことがあっただろ?」
「ああ」あった。キノやカヱデなどよりもなお幼い少女たちが、アズマの下級兵に犯され、縄に繋がれ、連行されていた。
「あれは、かつての俺なんだ。俺は右肺の街から逃げてきた脱走民の子供だ。見つかった時、母親と姉はアズマ兵に殺されて、俺は売り飛ばされることになった。殴られ、犯され、何も信じられなくなったその時、助けてくれたのがヤタロウ兄だったんだ。格好良かったなぁ。悪いアズマ兵たちをばったばったとぶっ殺して、俺を自由にしてくれて。でも、俺には行く当てがなかったから。飯炊きでも囮でも何でもするからって言って、レジスタンスに転がり込ませてもらったんだ。そうして、見様見真似で歌の練習をしているうちに、女神化の力に目覚めた。嬉しかったなぁ。これでやっと、ヤタロウ兄に恩返しができるって思ったんだ。でも……」カヱデが自分の喉を締める。ぐっと。未発達の喉仏を、これ以上成長するな、と押さえつけるように。「だから俺は、明日が怖い」
「こ、この作戦が終わればっ」カヱデの壮絶な過去に気圧されながらも、キノは綺麗事を口にした。「お前たちは大金を手に入れるんだろう? その金で魔導飛行船を買って、アズマ本国に帰るんだろう? そうなれば、【女神召喚】ができなくなったって、ヤタロウ氏と一緒にいられるだろう。皆で一緒に、平和に暮らせるンだ」
「あぁ」カヱデが弱々しく微笑んだ。「あぁ、そうだな。そうなると良いな……」
そんなふうにして、キノたちは――敵地のど真ん中にいることを思えば、滑稽なほどに――穏やかな十日間を過ごした。
もちろん、敵将兵とは何度も遭遇したし、その内の何割かはやり過ごすことができず、止むなく戦闘になった。だが、キノとイズールが出ることはなかった。キノとイズール、レジスタンスリーダーの合議によって、キノ・イズール機の存在はギリギリまで――心臓内部に侵入するまで隠すことに決めたからだ。
キノほどの超強力な女神が現れたら、必ずやアズマ軍は出所を探ろうとするだろう。今の今まで出てこなかった理由を探ろうとするだろう。しかも、レジスタンスと共同戦線を張っていることを知れば、遠からずノルニルとの関係を疑うだろう。そうなれば、ノルニルの心臓破壊作戦及びその直後の一大攻勢作戦に気付かれるかもしれない。気付かれないまでも、心臓周辺の防備を固められかねない。
キノ・イズールが手を抜いて戦えば良いのでは? という意見も出た。が、それはリーダーによって却下された。理由は二つ。
一つは、見た目。キノは【アマテラス甲式】と同【乙式】を持っているため、ぱっと見ではアズマ軍や抗アズマレジスタンスに扮することができる。が、キノの体内に眠るヱーテル総量があまりにも多すぎるがゆえに、キノ機からは常に高濃度のヱーテルが陽炎のように立ち上っているのだ。だから、キノ機の立ち居姿を見られただけで、熟練将兵には見破られてしまう。
今一つは、キノとイズールの戦い振りが、どうしても大味にならざるを得ないことだ。キノたちも、わざとそうしているわけではない。が、何しろ吐息一つで空を【火球】で覆い尽くしてしまうキノや、長巻きの一振りで敵機を輪切りにし、女神化を強制解除してしまうイズールの戦力が、一般的な女神に比べて規格外すぎるのだ。何気ない一挙手一投足のすべてが規格外なので、ひとたび前線に立たせてしまったが最後、絶対にアズマ将兵の記憶に残り、記録になってしまう。隠しとおすことができなくなってしまう。
だからキノは、ハラハラしながらカヱデ・リーダー機やフレディ、他メンバーたちの戦闘を見守ることしかできなかった。
とにもかくにも、一行は心臓目前の大静脈水路にまで到達した。味方側に損害を出すことなく。明日はもう、『右心房』への侵入だ。心臓は、右心房・右心室・左心房・左心室から成り、帝がいる『心臓の間』は左心室にあると言う。キノたちは大静脈水路から右心房へ侵入し、勢いそのままに右心室へ侵攻、右心室最奥の壁をぶち破って左心室へ侵入する予定だ。
『心臓の間』に到達すれば、あとはもう、キノの最大最強火力でもって、帝もろとも心臓を燃やし尽くす。その時には、老婆から預かった【アマテラス甲式】を使うことになる。
キノは明日に備え、早めにテントに入っている。テントの外は、騒がしい。明日の大襲撃を前に、幾つものレジスタンス組織が集結しつつあるのだ。渡りは鳩使いのカラスマが付けてくれた。
「襲撃は明日の未明四時十五分だ。タイミングを合わせてくれ」
「分かった」
聞こえるのは、レジスタンスサブリーダー、メガネのジークの声だ。他レジスタンスたちとの折衝は、主にジークが担当している。
カラスマとジークの尽力により、キノたち一行は今や五百人を越す立派な大隊と化している。とは言え、キノが直接行動を共にするのは、あくまでヤタロウが率いる名もなきレジスタンス組織の計三十二名だ。レジスタンスというのは主義思想の違いから纏まりがなく、無理に統合しようとすると、やれ『誰が頭だ』、やれ『取り分は』、と諍いになってしまう。よって、キノたちは、
『明日四時十五分に右心房に襲撃を掛ける』
『タイミングを合わせて、その襲撃に参加せよ』
という大きな部分でのみ統一しつつ、具体的な作戦は各レジスタンスの得意なやり方に任せることにした。
話はすべて、ヤタロウとジークが取り纏めてくれた。彼らは最古参レジスタンスとして、発言力を持っているらしい。これが、他のレジスタンス組織――日銭を稼ぐために軍の補給路を襲撃しているような、盗賊まがいの低俗な組織などに拾われていたら、キノはこれほどスムーズに心臓には至れなかっただろう。潜入初日にフレディに拾われたのは、本当に幸運だったのだ。
「走れ!」
サルトビの号令で、キノたちは一斉に走り出す。後方、暗い水路の奥からは、激しい戦闘音が聞こえてくる。襲撃当日、右心房に続く何本もの水路の一つを進んでいた一行は、運悪く敵の歩哨に見つかってしまったのだ。
「拙いぜ」息を切らしながら、サルトビが言う。「女神化する前の奴らの目を見ちまったんだが……デュヱット揃って目が光ってやがった。加護持ちだ!」
(加護持ち……初めて遭遇したな)
加護は、アズマ皇国と皇室に心から忠誠を捧げている将兵に発現する。体力・腕力の上昇、自然治癒力の増加、ヱーテル総量・ヱーテル操作力の向上。加護持ちの将兵は素手で岩を砕き、三日三晩飲まず食わずで戦い続けることすら可能らしい。
(フレディとカヱデは大丈夫だろうか)
♪
(加護持ち――!)カヱデは恐慌の只中にいた。敵機が、よりにもよって加護持ちの【アマテラス乙式】だったからだ。
カヱデは今まで何度も女神戦を経験している。並の女神相手なら圧倒できるだけの実力もある。が、加護持ちとの戦いは初めてだった。
「……大丈夫だ」自身の中――操縦席から、ヤタロウの落ち着き払った声が聞こえてきた。「俺が、ついている」
「お、おう!」ヤタロウのたった一言で、カヱデは無限の勇気が湧いてくる。「【鉄鼠の檻・ヱーテル五千単位・ヴェーゥィアー~~ッ!】」
狭い水路の中、敵機を通せんぼする形で鉄製の檻が生成される。
「銃隊、一斉射!」フレディの号令とともに、レジスタンス十名による射撃が始まる。
「魔術隊も続け! 【ダバラダバダバラ~~~~ッ!】」隻眼のマナコを中核とする攻撃魔術要員十名が、檻の向こうへと一斉に【火球】を放り込む。
【鉄鼠の檻】で敵の動きを封じ、檻の外から銃と【火球】で滅多打ちにする。それが彼らレジスタンスのいつものスタイルだ。大抵の相手は、これで決着がつく。つかない場合は、十分に弱らせたところで【鉄鼠の檻】を一部解除し、カヱデ・ヤタロウ機がキノ・イズール機との模擬戦で演じたような立体的な戦闘でとどめを刺すことになっている。
数十秒もの間、一方的な攻撃が続いた。爆炎と土煙で、檻の向こうは見えない。
(やったか――?)カヱデがヱーテル波を照射しようかと思ったその時、
「うわっ⁉」「きゃあっ」「熱っ」
檻の向こうから猛烈な熱風が襲いかかってきた。フレディたち銃隊も、マナコたち魔術師隊も、ともに後方へ吹き飛ばされていく。だがカヱデには、戦友たちを気遣えるだけの余裕がなかった。なぜなら、
「む、無傷だって⁉」
熱風で吹き飛ばされた土煙の向こうから、敵【アマテラス乙式】が現れたからだ。あれほどの攻撃を浴びても、損傷どころか傷一つついていない。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な! ヤタロウ、どうすれば⁉」
「【檻】は健在だ。【火球】を撃ちまくれ」
「わ、分かった! 【火球・ヱーテル五百単位・ヴィ――】」
カヱデの歌は、続かなかった。
敵機が、刀を抜いたからだ。
その刀身が、高濃度ヱーテルによる陽炎を纏っていたからだ。
その刀身が、まるで熱したナイフでバターを削ぎ切るかのごとき手軽さで、【鉄鼠の檻】をバラバラにしてしまったからだ!
「オォオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
さらに、敵機が男性パイロットによる低音域歌唱を響かせながら、背部のジェットヱンジンを吹かせて猛烈な速度で前進してくる。ヤタロウは、見事に反応した。抜き放った刀でもって、敵機が振り下ろした刀を受け流した。
いや、受け流そうとした。が、失敗した。カヱデの、渾身の歌唱によって生成した自慢の刀が、敵機のマイナス歌唱によってヱーテル粒子へと還元されてしまったからだ。敵の刀身は勢いそのまま、カヱデ機を袈裟斬りにする。
「ぎゃああッ!」体を真っ二つにされた痛みとともに、カヱデは強制的に女神化を解除された。カヱデの裸身が水路の上に投げ出される。カヱデは震える手で胸や腹に触れる。良かった、ちゃんとくっついている。傷もない。体を斬り裂かれてしまったような気がしたのだ。いや、事実、敵機はカヱデ機を真っ二つにした。「そ、そうだ、ヤタロウ兄は⁉」
「大丈夫だ」すぐそばから声がした。ヤタロウがカヱデを抱き起こし、コートを着せ、【アマテラス丙式】の勾玉を握らせてくれる。「逃げるぞ」
「【鉄・ヴィァ~ッ!】」
遮二無二生み出した鉄の盾が、敵機の巨大な刀身を弾き返した。生身と思って油断してくれたからだろう。二度目はあるまい。
(無理だ、無理。二人揃って逃げ切るなんて、絶対に無理だ)敵機を見上げながら、カヱデは絶望する。全長七メートルの鋼鉄の兵器は、生身で見上げると恐ろしいほどに大きい。人間なんて、踏み潰されただけで簡単に死んでしまう。(二人揃っては、無理だ。けど――…一人だけなら?)
カヱデは、固めた。
壮絶な覚悟を。
人生の中で、たった一回しか固めることのできない覚悟を。
(俺は、死ぬ。ヤタロウのために、死ぬ。ここで足止めして、死ぬまで戦う)
カヱデは微笑む。ヤタロウが戸惑う。
「逃げてくれ、ヤタロウ。……生きてくれ」
「何を言って――」
「【ヴィ~ヤァ~~ォァ~~ッ!】」カヱデは意図的に熱を排除した【熱風】を生じさせ、ヤタロウを水路の先へと吹き飛ばした。
【アマテラス丙式】を握りしめながら、カヱデは立ち上がる。
体は震えている。
が、心は不思議と静かだ。
♪
「カヱデを置いてきただって⁉」
サブリーダー・ジークの叫びに、キノは戸惑う。リーダー・ヤタロウがフレディたちを連れてキノたちと合流できた矢先のことだったからだ。
「カヱデはお前の大事なデュヱットだろ⁉ 戦力としてだけじゃない! 我が子も同然だって、言ってたじゃないか!」
「だがっ」珍しく――本当に珍しく、リーダーが声を荒げた。「アイツが、それを望んだんだ。生きてくれ、と、そう言ったんだ」
リーダーが握りしめる拳からは、血がしたたり落ちている。
それを見て、キノは決断した。
「イズール、いけるな?」
「是」隣のイズールが、端的に答える。
キノは、トレンチコートを脱ぎ捨てる。
「【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル一億単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
ヱ―テル光がキノの臍の下から放出され、キノを包み込み、鋼鉄の肉、燃えるような赤き甲冑、全長七メートルの巨体、美しき女神【アマテラス乙式】へと変化する。
「なっ」リーダーが戸惑う。「心臓へはまだ――」
「大丈夫だ。あとは私に任せろ」
イズールを搭乗させ、キノは前進する。一歩、踏み込むたびに、水路の水が蒸発していく。レジスタンスたちから距離を取ってすぐに、キノは背部A/Bを全力燃焼。瞬く間に水路を進んでいき、ものの数十秒で敵機とカヱデが見えてきた。
(カヱデは――生きている!)
満身創痍だが、カヱデは五体満足で立っていた。鉄や【火球】を生じさせながら、必死に戦っている。
キノは、戦場に飛び込んだ。イズールに操られるがまま、キノ機は長巻を振るう。一度、二度、三度、四度。イズールが長巻きを振るうたびに、敵機の手足が斬り飛ばされた。
鎧袖一触。ものの数秒で、敵機は無力化された。
さらに、イズールが長巻きを振るう。『東方不敗』の神速剣。敵女神が、金太郎アメのように輪切りになった。
鋼鉄の肉体を維持できなくなった敵の女神召喚師が、女神化を解いた。光り輝くヱーテル粒子の中から、アズマ顔の女性の裸身が現れる。……と同時に、体を真っ二つにされた男性パイロットの亡骸も。
女神召喚師が泣き崩れながら、デュヱットの片割れにすがりつく。
イズールは、そんな女性を脳天から真っ二つにした。
痛みはきっと、なかったはずだ。
キノは敵の亡骸から目を逸らしつつ、カヱデを抱きかかえ、リーダーたちのもとに戻った。涙を流しながら抱き合うカヱデとリーダーを見て、キノの心は少しだけ晴れた。レジスタンスたちは皆、笑顔だ。何だかキノは、ようやく自分が彼らの仲間に加わることができたような気がする。
にわかに、水路の先が騒がしくなってきた。
「キノ、索敵を」
「了。【全周囲ヱ―テル波照射・ヱ―テル五十単位――ラァー~~ッ!】」キノの脳裏とイズールが座る操縦席のモニタに、複数の敵機の反応が映し出される。「リーダー、敵の増援だ。このまま突っ切るぞ!」
「分かった」リーダーが頷き、レジスタンスたちに指示を出す。瞬く間に、キノ・イズール機を先頭にした陣形が組みあがった。
「さぁ、征くぞ」キノは、前進する。
しばらく進むと、水路の先から光が見えてきた。出口が近いのだ。そして、出口に立ちふさがるようにして、多数の【アマテラス乙式】がいる。
「任せろ」イズールがキノ機を巧みに操り、A/Bを噴かして全力前進。戸惑った様子の敵機たちに向かって長巻を振るう。「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
低音域歌唱の載った刃が、敵機たちを強制的に【女神送還】していく。ヱ―テル粒子とともに中空へ投げ出されるアズマ軍の男女たち。気にせずイズールはキノ機を前進させ、水路の外に出る。レジスタンスたちが続く。
水路の果ては、空中だった。地上数十メートルから、滝のようになっているのだ。キノ機はジェットヱンジンを噴かせながら、危なげなく降下する。だが、生身のレジスタンスたちは、そうはいかない。
「任せて!」マナコが鋭く歌唱した。「【女神召喚・ヨロヅハタトヨアキヅシヒメ・ヱ―テル三千単位――ダバダバラルラー~~ッ!】」
マナコが鋼鉄の女神へとその身を変じた。薄く清らかな絹の衣を身に纏っている。彼女が指差すと、指し示した方向へ絹の道が伸びていく。機織りの女神としての力だ。
レジスタンスたちはその絹に飛び乗って、進んでいく。
キノの眼下には、大要塞が広がっていた。鉄壁に守られた何百棟もの建造物には、未明だというのに煌々と明かりが灯っている。そんな建屋群を守るために、無数のトーチカが、まるでハリネズミのように大静脈運河側に向けられている。【アマテラス・オリジン】の『右心房』――アズマ皇国軍の、まさに心臓部である。
キノが拡大させたカメラ映像の中では、建屋の中から何組もの男女――女神のデュヱットたちが飛び出しつつある。彼ら・彼女らはいずれも、目が太陽のように輝いている。加護持ちなのだ。キノが地面に降り立った頃にはもう、数十体の【アマテラス乙式】と、【乙式】の二倍以上の身の丈を持つ女神――【アマテラス甲式】が計三体、屹立しつつあった。【乙式】の方は、まだまだ増えていく。
「はははっ、壮大な光景だな!」キノは、身震いする。武者震いだ。
「どうする?」
「気にせず進む。向かってくる奴は強制的に【女神送還】だ」
「了」キノの指示どおりに、イズールがA/Bを焚いて全力前進しはじめる。
トーチカ群が、一斉に火を吹いた。キノ目がけて送り込まれてくる無数の榴弾は、キノが同じく無数の【火球】でもって相殺する。キノ・イズール機は縦横無尽に地を駆け空を駆け、あっと言う間にトーチカの上を飛び越えて、建屋群の中へと突入する。四方八方から【アマテラス乙式】が襲いかかってくるが、いずれもイズールの低音域歌唱を乗せた剣の一振りで女神化が解除される。建物の間から射撃してくる有象無象の歩兵どもは、適当に【火球】を投げつけて黙らせる。そのまま、『右心房』最奥の巨大な城壁へ到達できるかに思えた、その時、
「ま、まずい!」キノは、焦った。【アマテラス乙式】の何体かが、キノではなく上空を走るレジスタンスたちを狙ったからだ。複数の【火球】が絹の道目がけて飛んでいくのが見える。「レジスタンスを助けるぞ!」
「了」イズールがキノ機を鋭く跳躍させる。
瞬く間に、キノ機は絹の道と同じ高度にまで到達した。キノは【火球】で敵の【火球】を相殺しようとする。が、間に合わない。敵の【火球】が次々と絹の道に着弾し、道が燃えはじめた。
(まだ間に合う!)キノは慌てない。「【女神送還・ヱーテル単位一・ラッ!】」
「うおっ⁉」突如として中空に放り出されたイズールが困惑する。
「【女神召喚・伍式ウルド・ヱ―テル五千単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
身の丈五十メートル。キャタピラの脚部を持ち、巨大な盾で全身を覆い隠す姿は、正に戦車。数秒以内の過去を【改変】の力を持つ、過去の女神ウルドの顕現である。
キノの視界の先では、絹の道を焼かれたレジスタンスたちが、失われた道から落下しつつある。
「【過去改変・ヱーテル一億単位・ラァアアアッ!】」技巧を凝らしている暇はない。キノはただただありったけのヱーテルを込めて、短く鋭く歌唱した。
ヱーテルの波を当てられた、キノ・イズール機の周囲数十メートルの風景が、逆再生を始める。落下しつつあったはずのレジスタンスたちは『上』に向かって落下しはじめ、燃え広がりつつあった絹の道の炎は瞬く間に小さくなっていく。数秒以内の過去をなかったことにする、過去の女神ウルドの力だ。今やレジスタンスたちは全員、絹の道の上に戻り、手酷い火傷を負っていたはずの者は傷一つない。
「これが、ウワサに聞く【過去改変】⁉」機織りの女神【ヨロヅハタトヨアキヅシヒメ】に変じているマナコの、驚いた声。だがすぐに我に返り、「魔術隊、消火急いで!」
水神【ミヅハノメ】の勾玉を取り出した魔術隊が、絹の道を消火していく。
飛ぶことを想定して設計されていないため、【ウルド】にはジェットヱンジンが搭載されていない。自由落下しつつあったキノは【伍式ウルド】を解除し、すかさず【伍式ヴェルダンディ】を召喚する。
優美な甲冑装甲を身に纏った、ケンタウロスのごとき肉体。ノルニル王国の主力戦車。心身を【加速】させる力を持った、音速超過機動を可能にする究極兵器。
キノは【伍式ヴェルダンディ】の召喚に、最低要求ヱーテルの六万倍以上の、一億単位ものヱーテルを注ぎ込んだ。すかさず【伍式ヴェルダンディ】が暴走しそうになるが、
「……ったく、相変わらず俺の姫さんは無茶をしてくれる」
イズールの低い声で、体が静まった。自由落下の真っ最中だったイズールが、空中で【伍式ヴェルダンディ】のたてがみを掴み、その驚嘆すべき身体能力でもって、キノのハッチを開き、中に潜り込んできたのだ。
キノとイズール。最強デュヱットの完成だ。
「【思考加速六百倍・ヱーテル総量一億単位】。併せて【身体加速六十倍・ヱーテル総量一億単位――ライラライラライラァー~~ッ!】」
途端、世界が静止した。いや、違う。正確には、キノの体感で六百分の一の速度で世界が動いている。今のキノは、一秒を六百秒――十分と体感できる。キノの体内に乗っているイズールもまた、同様だ。
思考速度を数十倍~数百倍化、身体速度を数倍~数十倍化させることができる――それが、【伍式ヴェルダンディ】のマシンスペックである。だが、それはあくまで理論上の数値であり、実際にその能力を開放できる女神召喚師は少ない。ノルニルの精鋭女神召喚師ですら、出せるのはせいぜい、思考速度で五十倍、身体速度で五倍といったところだ。設計上の上限である思考数百倍、身体数十倍を実現可能なのは、それこそノルニル最強の戦士であるピノ王とボノ妃くらいなものだろう。
だが、キノはそれを実現させた。それも、五百九十九倍とか六百一倍のような不安定な数値ではなく、思考六百倍、身体六十倍というぴったりの数値で。そのようにしたほうが、現実時間の進み方を認識しやすいと考えたからである。
人外じみた芸当だ。恐らくは、全人類の中でただ一人、キノにのみ許された芸当。ヱーテルオバケたるキノにのみ許された曲芸だ。
キノ機が着地し、走りはじめる。
走る。
ただそれだけの動作で、分厚く白い空気の膜が発生する。音速を超えたのだ。衝撃波が、たまたま足元にいたアズマ将兵を打った。アズマ将兵がゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと吹き飛ばされていく。今のキノは、ただ走るだけで歩兵を圧倒することができる。
女神が相手でも同じことだった。キノと、『右心房』最奥の城壁を結ぶ道の間に立ちふさがる【アマテラス乙式】たちに、キノとイズールはひどくゆっくりと肉薄する。自分たちが想像する、十分の一の速度で。だが実際には、音を超える速度で。イズールが、【伍式ヴェルダンディ】の主兵装である長剣を振るう。ただそれだけのことで、眼の前の敵【アマテラス乙式】が輪切りになり、強制【女神送還】された。
時の女神ヴェルダンディの主兵装は、剣。銃など、かえって足手まといになるからだ。銃弾よりも早く動ける者にとって、銃など重荷でしかない。
十分の一の世界で、キノとイズールは敵【アマテラス乙式】たちを殲滅していく。時々、敵の【火球】が頭上――レジスタンスたちが渡りつつある絹の道に向けられる。そんな時はすかさず飛んで、絹の道に至り、敵の攻撃を叩き落とす。
仲間たちを守ったその足で、今度はちょうど目についた【アマテラス甲式】――全長十五メートルの巨体へと肉薄する。イズールが剣を振るうたび、【アマテラス甲式】の四肢が輪切りになった。
キノとイズールが敵女神の大半を殲滅しつつある中、敵はと言えば、碌な抵抗もできずにいる。当たり前だ。外の世界では、未だ数秒すら経過していないのだから。
「はははっ!」キノは笑う。圧倒的な全能感。無敵だ。イズールが操る自分は、間違いなく世界最強なのだ。この世界に、自分たちに敵う相手など一人もいない。
ふと、キノは気付く。大静脈運河の方から多数の反応。見れば身なりも武装もてんでバラバラな数百人の群衆が、運河や水路の中から飛び出しつつあるところだった。
(あれは、他のレジスタンス組織か!)
他のレジスタンス組織たちが『右心房』で気を引いている間に、キノ・イズールを始めとするヤタロウのレジスタンスが『右心房』の城壁を抜いて、『右心室』へ至るのだ。
「前進する」
「了」
行き掛けの駄賃とばかりに【アマテラス乙式】の一体を無力化させたイズールが、キノ機を操って『右心房』の中央通りを疾走する。すぐに、城壁に到達した。鉄の壁と、鉄の門。火と鉄を司る【アマテラス】に守護された国ならではの防備だ。イズールが城門に斬りかかるがびくともしない。
「【アマテラス】に切り替えるか?」
「いや、時間が惜しい。キノ、脚部と背部にA/B充填」
「了」キノはありったけのヱーテルをジェットヱンジンに込める。
キノが歌唱している間に、イズールはキノ機を十歩ばかり下がらせた。
「充填完了」
「了」イズールが、一歩目を踏んだ。A/B全開。魔術【身体加速六十倍】も乗っている鋼鉄の体は、一歩目から音速を超えた。巨大な質量が、圧倒的な速度でもって行う体当たり。【伍式ヴェルダンディ】の肩が鋼鉄の扉にぶつかり、扉をたわませ、ぶち抜いた。
城壁が、開いた。中で待っていた光景は――
「これ、は……?」キノは、拍子抜けした。
てっきり、『右心房』に倍するような堅牢な防備が待っていると覚悟していたのだ。だが、広がっていたのは、ごくごく一般的なアズマ家屋ばかり。つまり、『右心房』こそが最終防衛ラインであり、『右心室』は行政・軍令・居住に特化した地区だった。
キノは、勝ったのだ。
(良し! あとは『左心室』への壁をぶち抜けば――!)
キノの感動をよそに、イズールが淡々とキノ機を動かす。【伍式ヴェルダンディ】を見上げて腰を抜かしつつある政府高官や高級将校などを無視して、キノ機が『右心室』の中央通りを疾駆する。『右心室』は、『右心房』と同じく、広い。数千人を収容できるほどの巨大な空間である。城壁から最奥までは一キロメートルばかり。だが、【身体加速六十倍】を持つキノ機にとっては、文字どおり瞬きする間に踏破できる距離だった。
左手には、拍動する肉の壁。イズールが剣で斬りつける。肉の壁から血しぶきが吹き上がるが、その傷は瞬く間に塞がってしまう。イズールが、何度も何度も斬りつける。が、結果は同じ。
「再生が早すぎる! イズール、【アマテラス甲式】で突破するぞ」
「了」
キノはいったん【伍式ヴェルダンディ】を解除し、【アマテラス甲式】を召喚する。全長十五メートルの巨人として屹立したキノは、
「【大火球・ヱーテル――】」ありったけのヱーテルを、魔術に込めた。臍の下、丹田から凄まじい量のヱーテルが吸い上げられていく感覚。「【百億単位――――ラァァアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!】」
キノの目の前に生成された、直径数十メートルもの炎の塊。赤かったそれは、瞬く間に黄色くなり、白くなり、そして青くなった。キノはそれを、『左心室』との間を隔てる肉の壁へと押し当てる。
――ジュッ
肉の焼ける嫌な臭いとともに、肉の壁が焼けただれ、炭化し、崩れ落ちていく。やがて、大きな大きな穴が空いた。穴の向こうに広がっているのは、『右心室』とは打って変わって、贅を凝らしたきらびやかな家屋群。帝が『左心室』に住んでいるというのは確かな情報らしい。炭化した肉は、再生しようとしてもできない様子だった。
「ふぅ……」一息ついたキノは、【大火球】を消滅させ、カメラに意識を向ける。見れば、ヤタロウたちレジスタンスが門を超えて『右心室』に到達したところだった。「レジスタンスたちを援護するぞ」
「了」
キノはレジスタンスたちを巻き込まないよう細心の注意を払いながら、幾つもの【火球】で『右心室』の家屋を燃やしていく。本当は、逃げ惑うアズマ人たちも一緒に燃やしてしまうべきなのだろうが、非戦闘員を一方的に攻撃するのは気が引けてしまった。
【アマテラス甲式】が出す炎はどうしても大味で、細やかな操作が利かない。どうせこれからレジスタンスたちと一緒に『左心室』に突入するのだから、とキノは一度【女神送還】し、再度同【乙式】を召喚する。戦場で何度も何度も召喚・送還を繰り返すなど、普通の女神召喚師にはできない。無尽蔵のヱーテルを持つキノにのみ許された芸当だ。
【火球】とイズールによる剣技でレジスタンスたちを援護すること数分。ついに、レジスタンス三十二名全員が『左心室』手前にまで到達した。
「……行くぞ」リーダー・ヤタロウが、さすがに緊張した面持ちで命令する。「キノ・イズール機を先頭に、カヱデ・ヤタロウ機を僚機に。突入!」
キノ機とカヱデ機、そしてフレディ率いる銃隊、マナコ率いる魔術隊は、『左心室』の最奥に築かれた城に向けて、一直線に進軍する。武闘派ではない残りの十余名は、適宜散開して退路の確保に努める。
キノ機は城の城門を踏み潰し、現れた近衛の【アマテラス乙式】数機を斬り飛ばし、カヱデ機とともに天守閣へ。【アマテラス乙式】による警備を前提としているのか、天井の高い屋内を突き進んでいく。敵女神はキノ機とカヱデ機で無力化し、敵歩兵はフレディたちとマナコたちが相手をする。
やがて、天守閣の頂上、帝と思われる老人が居座る部屋に到達した。
「ひぃっ」老人は、この近衛と思われる女神召喚師に庇われながら、ひどく狼狽した様子だった。
キノは、父王を思い出した。模擬戦で父王に敗れたあの日、無数の【火球】で天を埋め尽くしたキノに対し、微笑んでいた父を。生殺与奪の権を握られてなお泰然とした様を崩さなかった、王者の姿を。キノの中では、あれこそが王者の姿だった。ひるがえって、この老人は何だ? 顔を真っ青にさせて、今にも失禁しそうなほど震えている。ノルニル王国は、こんな男におびやかされていたのか。
「キノ」イズールの落ち着いた声が、キノを我に返らせた。「『心臓の間』は、この部屋の奥だ。行くぞ。行って、すべて燃やし尽くして、【アマテラス・オリジン】にとどめを刺す」
「了!」
近衛の女神召喚師が、【アマテラス乙式】を顕現させた。だが、その敵機にパイロットが搭乗するより早く、イズールが敵機を斬り飛ばしていた。
キノ機が、奥の部屋に入る。
「これは……これが!」
飾り気一つない、こじんまりとした部屋だった。
部屋の中心に、奇妙なモノが浮いていた。
「【アマテラス・オリジン】の心臓!」
心臓、と表現する他ない、直径数メートルほどの肉塊が、宙に浮いていた。脈打っている。生きているのだ。
「【火球・ヱーテル――】」
その時、キノは違和感を覚えた。
ヱーテルが、上手く操れない。
丹田から、ズルズルと膨大なヱーテルが吸い出される感覚はある。が、それがキノの手の平に集まらない。吸い出されたヱーテルの行く先は、
(女神の心臓? ヱーテルが、吸収されて――)
「うわっ⁉」
背後で、声。振り向けば、カヱデとリーダーが宙に投げ出されていた。敵からの攻撃ではない。カヱデが、女神化を維持できなくなったのだ。そうして、
「…………え?」
キノ機も、また。【アマテラス乙式】を形作っていたはずのヱーテルが、光の粒子となって解け、【アマテラス・オリジン】の心臓へと吸収されていく。キノは強制的に【女神召喚】状態を解除させられてしまった。
「イズール、何か様子がおかしい!」
「ヤタロウ!」その時、マナコと魔術隊が駆け込んできた。「それが心臓かい⁉ 何をやっている、さっさと心臓を破壊――あ、あれ⁉」
マナコたちもまた、ヱーテルを心臓に吸われ、魔術を成すことができない。
「イズール!」キノは叫ぶ。なぜか分からないが、自分は今、魔術が使えない。ならば、「早く、剣で心臓を斬り刻め!」
「了」イズールが、長巻を抜いた。
(あぁ、良かった。イズールの剣ならば、この心臓を破壊することなど造作もない。これで、任務達成だ。後は巨人【スカジ】に変じて、レジスタンスの皆を抱えて逃げるだけだ。戦争は終わる。私はイズールと一緒になれる。幸せになれる――!)
イズールが、長巻を振るった。
ヤタロウが、輪切りになった。
「…………は?」キノは、意味が分からない。
「ヤタロウ――!」カヱデが絶叫する。
イズールが、再び長巻を振るった。今度は、マナコが輪切りになった。床に、二人分の血と臓物が広がる。
「はい、お疲れさん」無感動な、イズールの声。
レジスタンスたちが恐慌状態に陥った。魔術は使えない。女神化も維持できない。唯一の戦力であるはずのイズールが、ヤタロウを殺し、マナコを殺した。殺したのだ。
『心臓の魔』に、通常の小銃で武装したアズマ将校たちがなだれ込んできた。将校たちによってレジスタンスたちが捕らえられ、または殺されていく。殺されていく。次々と、次々と!
(コイツらはどこに潜んでいた⁉ いや、そんなことよりも、イズールだ!)混乱の極地にいるキノは、言葉を発することすらままならない。「い、イズール、なぁ、おい、お前、いったい何を――」
「見て分からないのか、姫さん?」
姫さん。キノのことをそう呼ぶイズールは、アズマ将校たちに攻撃されない。逆にキノは、将校たちによって体を押さえつけられてしまった。キノの頬に、ヤタロウとマナコの臓物が触れる。キノは、丸腰だ。キノに武術の心得はない。魔術が使えないキノは、無力な小娘に過ぎない。
状況は、明らかだ。あらかじめ準備していたかのような、武装した将校たち。そんな将校たちと内通している様子のイズール。
思い返せば、順風満帆な旅だった。レジスタンスたちの情報網のお陰、ということもあっただろう。だが、それを加味しても、順風満帆すぎる旅路だった。アズマ将兵との遭遇戦は数える程度。『右心房』に至るまでに、アズマの主力たる加護持ちの女神と遭遇したのは、たったの一度。『右心房』に入ってからも、いくら寝込みを襲ったからとはいえ、いくらキノが規格外の武力を有しているからとはいえ、あまりにもあっさりとここまで辿り着けた。
考えてもみろ。
たった三十余名の素人集団が、たったの十日ばかりで、敵国の中枢も中枢に到達できてしまったのだ。それも、ただの一人の犠牲もなく!
「う、裏切ったのか⁉ なぜだ、どうして、イズール⁉ いつからだ、いつの時点から裏切っていた⁉ 答えろ、イズール・サン!」
「俺の――いや」イズールが、仮面を外した。「余の名前は、そんなおかしな横文字じゃない。日出処ノ皇子。それが余の名だ」
イズールの――アズマ皇国皇太子の目は、燦々と輝いていた。
【アマテラス・オリジン】の、加護の光で。




