第壱楽章
物心ついたころから、鉄格子に囲まれた小さく冷たい部屋だけがキノの世界だった。
母は物言わぬ人形で、最低限の世話をしてくれるメイドたちはキノに絶対に話しかけてくれない。二足歩行のケモノになりかけていたキノが言葉を覚えることができたのは、夜な夜な『塔』によじ登ってきて、鉄格子越しに話しかけてくれた二人の少年のお陰だった。
「よっ。今日も飢えているかい、姫さん?」
角牛の頭蓋骨を被った大柄な少年イズール・サンと、
「道中でハトみたいな魔物を狩ったんだけど。食べるかい、キノ?」
神秘的な美貌を持つ金髪碧眼のフレドリク。
「食べる! 【明かり・ヱ―テル十単位――ラララッ】」
鉄と火を司る【アマテラス丙式】で部屋を照らしながら、キノは鉄格子に駆け寄る。背伸びをして、鉄格子に顔を寄せる。
ハト型の魔物を受け取ったキノは、イズールからもらったナイフでハトの皮をはぎ、アマテラスの炎でハトを炙り、フレドリクが差し入れてくれた塩を振ってかぶりつく。
「美味い!」
「差し入れておいて何だけどさ」フレドリクが苦笑している。「魔物の肉なんて、よく食べられるよね」
「まったくだぜ」同意するイズール。「味は悪くねぇンだが、ヱ―テル酔いで吐いちまう」
「私は平気だ。カビまみれのパンやウジの沸いた肉なんかより、よっぽど美味い」
「「あー……」」
「お礼にキノコを食わせてやる」
キノはジメついた『塔』の部屋に自然発生し、長年の研究の末に食用化に成功させたキノコを部屋の一角から収穫してきて、さっと火で炙って二人に提供する。火は、彼女の腕輪――民間用に威力を落とされた【アマテラス丙式】が発生させる。
「今日は何を教えてやろうか」仮面の下で、イズールが楽しそうに笑う。「言葉はもう完璧だったっけか?」
「ノルニル語、アズマ語ともに完璧だ。ノルニル神話もアズマ神話も、すべて諳んじられるぞ」
「となれば歌唱かな?」今度はフレドリクが言う。「とはいっても、キミはもう、僕が教えられることはすべて覚えてしまったから。優秀すぎる弟子を持つのも考えものだね」
イズールとフレドリク。この二人こそは、キノの教師であり、師匠であり、兄であり、父だった。
「それなら、話が聞きたい。前回の戦争の話を。『猛き氷の騎士』と呼ばれていた母上が、【アマテラス・オリジン】を打ち破った戦いのことを!」
♪
長い長い、戦乱の時代があった。
古の大国ノルニルと、新興国アズマによる終わりの見えない絶滅戦争。喉から手が出るほど不凍港が欲しいノルニル王国と、北方の鉄鉱石と製鉄技術が欲しくてたまらないアズマ皇国。両国とも、相手国を屈服させ、すべてを略奪する外に選択肢はなかった。
戦争は当初、兵力・兵器・兵站すべてにおいて圧倒的に勝っていたノルニル有利に進められた。が、国家滅亡を目前にしたアズマが禁呪に手を出し、異世界の女神アマテラスの召喚に成功したことで、戦況は一気に逆転した。
今から十四年前。女神召喚に成功したアズマが手にした新戦力は、二つ。
一つはアマテラス自身だ。全長四千メートルもの巨体はそれだけでも脅威なのに、アマテラスは鉄と炎を自在に生み出すことができた。刀を、銃弾を無限に製造し続けられるアマテラス。自ら前線に赴き、蹴りのひとつで一個旅団を壊滅させ、炎のひと吹きで街ひとつを焼き払う怪物。
二つ目は、アマテラスがアズマ皇国に下賜した魔石――女神召喚装置【アマテラス甲式】、同出力低下版【乙式】、部分召喚装置【丙式】、同出力低下版【丙式】である。高音域歌唱を行える女性歌唱師たちが女神となり、男性パイロットが女神に搭乗して戦う。今までは非戦闘員だったはずの女性が前線に大量投入された。
ノルニル王国の前線はあっという間に崩壊した。ノルニル王国は女神アマテラスが率いるアズマ皇国軍に体内を食い破られるような形で、アズマによるノルニル王国首都包囲を許してしまった。その間、アマテラス降臨からたったの一ヵ月。
追い詰められたノルニル王国のピノ王――ピエール・ノルニルは、国民全員で【運命の三女神】に祈りを捧げた。果たしてその祈りが通じ、三女神が現界した。
そこからの三日間は、『女神大戦』と呼ばれている。たったの三日でノルニル王国首都は崩壊し、両国の軍は九割の兵を失い、女神たちが吐き出す天変地異のような魔術の、そのあまりにも高濃度なヱ―テルが大地を淀ませたことにより、大地は人が住めなくなった。
そうして、三日目の夜。三女神の導きによってアマテラスの眼前へと到達したピノ王と王妃チルデシア・ノルニル――『猛き氷の騎士』チノが、アマテラスに致命打を与えた。
チノ妃がアマテラスの瞳に穿った剣。三女神から下賜された、過去と現在と未来を紡ぎ合わせた運命剣『時編み』。アマテラスの中へ潜り込んだ『時編み』はアマテラスの心臓を縛り上げ、アマテラスが過去にも現在にも未来にも行けないようにした。つまり、死である。
♪
「女神【アマテラス・オリジン】は膝を折り、倒れ伏した!」フレドリクが謳い上げる。「腐り落ちたる皮と肉。骸骨と成り果てたアマテラスの体内に逃げ込んだアズマの残党。一方のノルニルは、首都中心に残されたわずかな区画を三女神【ノルニル・オリジン】が切り取り、地殻ごと大空へ持ち上げることで難を逃れた」
そう、それこそは、汚染された地にあってノルニルに唯一許された最終領土。三女神が掲げる『盆』の上に存在する土地。キノたちが住んでいるここ、ノルニル空中庭園である。
「母上は、国を守ったンだ。なのに」
こうして今、母は幽閉の憂き目に遭っている。
「私を孕んだから……私の所為で」
「キノの所為、ということはないと思うけど……」慰めてくれるフレドリクと、
「処女懐胎、か」思案するイズール・サン。「男だらけの戦場で、ピノ王に覚えのない子供を授かった。王も不器用だよな。こんな、ヱ―テル濃霧の立ち込める陰気な塔なンぞにチノ妃とお前を閉じ込めたりせず、自分の子供だと言い張っちまえば良かったのに」
「でも実際、私の目も、髪も、顔立ちも。父と母とは似ても似つかない」
金髪碧眼を大多数とするノルニルにあって、黒髪黒目で平坦な顔立ち。両親とも金髪碧眼なのに。そうしてチノ妃とキノは、塔に幽閉されたのだった。
「とにかくっ」場を取りなすように、フレドリク。「歌を覚えよう! キノには歌唱の才能があるよ。歌さえ覚えておけば、将来がどんな風に転がろうとも生きていける」
「そうだな! 【小火球群・ヱ―テル百単位――ララルラルラァー~~!】」
七色の小火球を生み出し、クルクルと踊らせるキノ。
「大したもんだ」「本当に」
イズールとフレドリクが感嘆の吐息を漏らす。
「超高温を操る力もさることながら、同時に温度差を付けられるなんて! キノは天才だよ」
「まったくだ。それに何より、美しい」
「えっ⁉」
「あっ、声な⁉ 姫さんの歌声が綺麗って話な⁉」
「わ、分かっている!」
わちゃわちゃするキノとイズールと、そんな二人を眩しそうに眺めるフレドリク。
「ねぇ、キノ。キミは誰のために歌うんだい?」
「うーん、自分自身かな? それと、母上。あぁ、フレディのためにも歌いたい。イズールもまぁ、どうしてもと言うなら加えてやってもいいかな」
「をいをいをい、何で俺だけ扱いが雑なんだよ⁉」
不幸な幼少期だったのかもしれない。だがキノ自身は、自分を不幸だとは思っていなかった。キノコ栽培は楽しかったし、腹が空いたら夜な夜な塔から抜け出して魔物を狩って食うことができた。
何しろキノにはイズールがくれた【アマテラス丙式】があり、魔物の血肉から得られる無限のヱ―テルがあった。鉄と炎を自在に操れるキノにとって、夜中に鉄格子を焼き切って塔を抜け出し、朝になる前に戻って接合し直すなど児戯にも等しかった。
塔から逃れようと思えば、できた。が、そうはしなかった。母を置いていくのが忍びなかったからである。
二人の師匠から歌唱を学び、魔物相手に実戦を重ね、たくさんの肉を食らってすくすくと育った。キラキラと輝いていた青春時代。だがそんな日々が、ある日突然終わりを告げた。
アズマによる空中庭園襲撃事件。街が炎に包まれたその日以降、イズールとフレドリクが訪れることはなくなった。信じたくはないが、二人とも死んでしまったのかもしれない。キノは、生きる目的を失った。
そうして、三年が過ぎた。
十二歳の春、キノは唐突に許された。母がついに衰弱死したのだ。罪の根拠を失ったキノは、塔から釈放された。
放り出されたその日に放り込まれたのは、女神士官学校。人付き合いを知らないキノは、馴染めなかった。
「あらやだ、キノ子姫よ」
「薄汚い不義理の子が。神聖な士官学校を汚さないで欲しいわね」
「魔物を食っているらしいぞ。ひどい悪食の姫様だな」
絢爛な校舎を満たしているのは、キノに対する罵倒だ。
キリヱスタ・ノルニル。トレンチコートの裏側でキノコを干しているこの姫は、侮蔑の意を込めて『キノ子』と呼ばれるようになっていた。『子』とはアズマ皇国における子女を表す言葉。
侮蔑とともに始まった学生生活。だがキノに対する蔑みは、あっという間に畏れに変わった。
「それでは、各自あの的に【火球】を当ててみてください」
「【火球・ヱ―テル五単位――ダバルラァー~~ッ!】」
「【火球・ヱ―テル十単位――ライライラァー~~ッ!】」
アズマ皇国からの鹵獲品にもかかわらず、その利便性からノルニルで研究が重ねられ、小型化された【アマテラス丙式】。腕輪を嵌めた少女たちが、マッチ程度の小さな【火球】を的に当てていくその中で。
日常的に魔物の肉を食っているため、常人離れしたヱ―テル総量を持つキノは、
「【火球・ヱ―テル一万単位――ラァー~~ッ!】」
すべての的を訓練場ごと吹き飛ばした。
『ヱ―テル総量』とは、その者が体調万全の状態で体内に留めておける最大ヱ―テル量のことである。
魔術の才能を全く持たない者で、一未満。
火起こし程度の魔術が使える者で、数十。
正規の魔術兵として好待遇を受けられる者で数百。
女神召喚】が可能な者で、ヱ―テル総量数千。この時点で数千人に一人の英雄である。
以上を踏まえて、【火球】一つに一万ものヱ―テルを込めることができるキノ。減ったエーテルは、郊外の森で魔物を獲って食えば回復する。
キノは、己のヱ―テル総量を知らない。枯渇したことがないからだ。
キノは生徒たちと教師を卒倒させた。それでキノが英雄になれたのかというと、なれなかった。なぜならキノには一つ、致命的な欠点があったからだ。
その日は、学校中が色めき立っていた。ノルニル王国国王の第ニ王妃であるボルケシア・ノルニル――通称『ボノ妃』が視察に来ていたからだ。ボノ妃はえこひいきの激しい人間で有名だ。
女神候補生の誰もが憧れる花形は、『女神小隊』を指揮する小隊長の地位だ。女神小隊とは、攻撃特化型女神【ヴェルダンディ】を主力に、防御特化型女神【ウルド】で防御を硬め、索敵特化型女神【スクルド】で索敵・観測を行う、女神十体前後からなるチームのことだ。
小隊を指揮できる最低限の階級が中尉なのだが、競争率が異常に高い。
時は、とある春の昼下がり。所は、女神を運動させるための巨大な屋外練習場。
ボノ妃は今、練習場の片隅にわざわざ豪奢なソファを用意させ、そのソファにふんぞり返っている。意地悪そうな吊り上がった目は碧色、これでもかとロールさせた長髪は金色。ふくよかな頬は戦争経済中にもかかわらず分厚い化粧で彩られており、がっしりとした体格はきらびやかなドレスに包まれている。典型的なノルニル顔で鼻が非常に高く、キノの顔を見ては、『平坦で醜いアズマ顔』と嫌味を言ってくるのだった。
そんなボノ妃を、多数の生徒が取り囲んでいる。
「ボノ妃様、ご機嫌麗しゅう。わたくし※※※伯爵家の長男・※※※と申します。これより極上の女神武闘をお見せいたします」
「こちら話題のスイーツでございます。中に大事なお手紙がございますので、どうか」
ボノ妃の長女シノ姫は成績優秀な女神候補生で、『帯剣待遇少尉候補生』は当然。任官即中尉も十ニ分にあり得ると言われている。
王族が戦場に出るときは、必ず近衛の女神が付く。シノが中尉――小隊長になったとして、そのシノが危機に陥ったときに、代わりにシノ小隊を率いる者が必要になるのだ。
近衛は秘書も兼任する。シノ姫が十代前半の女子であることを思えば、同年代――シノ姫と学生時代をともにした学友が適任だろう。つまり今日、ボノ妃の一声で新人中尉が生まれる可能性があるのだ。
自分にすり寄ってくる生徒たち。ボノ妃がそんな浅ましい者たちを前に気分を害しているのかというと、そうではない。
「ふふん。みな、利発そうな子ばかりね」むしろ、自分がちやほやされる現状に満足している様子だった。「シノの『学友』に相応しい者はいるかしら?」
ふと、ボノ妃と目が合った。どんな嫌みが飛び出すのか、とキノが身構えていると、
「傾注!」教官の声。「これより、【女神召喚】の実習訓練を行う。各自、男女でデュヱットを組みなさい」
【女神召喚】の訓練も五回目ともなると、自然とペアが出来上がっている。キノは誰からも声を掛けられず、また、掛けることもできず、広大な練習場で独りぽつんと取り残されてしまった。
「キノ・ノルニル学生、貴官はまたペアがいないのか」教官が練習場に散らばる数十名の男子たちを見回す。「誰か兼任してやれる者はいないか」
だが、挙手する男子はいない。
「クスクスクス。可哀想なキノ子お姉様。いえ、もう王族からは戸籍を抹消されているんでしたっけ。薄汚い、平民のキノ子さん」
シヱスタ・ノルニルことシノ姫。キノより半年ばかり年下の十二歳。ボノ妃譲りの金髪碧眼。父と母から良いところを全部受け継いだ、優れた容姿と抜群のスタイル。意地悪そうな目元だけは、生来の気質をよく現している。
「さぁ、落ちこぼれは放っておいて、わたくしたちは【女神化】しましょう」
シノの号令で、シノのデュヱットである上級貴族出身の男子学生が衝立を持ち出す。【女神化】は、女性歌唱師自身の肉体に女神を下ろす最強の秘術。女性は一時的にヱーテルで肉付けされた鋼鉄の巨体に変身することになる。
「【女神召喚・参式ヴァルキリー・ヱ―テル五百単位】」衝立の中で全裸になったシノが、【参式ヴァルキリー】の魔石を掲げて高らかに歌唱する。「【ダバラルラァー~~ッ!】」
途端、衝立の中――シノの体が光り輝く。衝立を打ち破りながら現れたのは、全長五メートルの鋼鉄の女神だ。
ノルニル王国・改良型練習女神【参式ヴァルキリー】諸元
最低要求ヱ―テル:五〇〇単位
全長:五メートル
外観:オーソドックスな二脚人型。甲冑装甲は厚く、何者の刃も通さない
主兵装:刃を引いた(殺傷能力を殺した)五メートルの槍
特殊能力:無し
機動力:最高時速五〇キロ。A/Bを持たないため瞬発力に欠ける
他:練習機としての無類の燃費の良さが特長
「お乗りあそばせ」
シノ機のハッチが開く。【参式ヴァルキリー】のスピーカーから発せられるのはシノの声だ。
促され、男子学生がシノ機に乗り込んでいく。練習場の至る所で、同様の機体が生じはじめる。やがて、生身のまま立っている女子はキノだけになった。
「情けない」キノが啖呵を切る。チノ妃が言ったといわれる伝説の口上だ。「王国のヱリートどもが、揃いも揃って腰抜けか。こんな小さな女一人乗りこなすことができないのか、この種無しどもが」
自分のパートナーに搭乗しようとしていた男子たちが、ピタリと動きを止めた。果たして、
「誰が種無しだって?」男子学生の中で最も体格の良い、身の丈ニメートルの男子がキノの前にやって来た。嗜虐心に溢れた笑みを浮かべ、「俺がてめぇを乗り潰してやる。徹底的に調教してやるよ。謝るなら今のうちだぜ」
「誰が謝るもンか」キノは編み上げブーツを脱ぎ、トレンチコートをばさりと脱ぎ捨てた。コートの下は、全裸。瞠目する男子学生を無視して、高らかに歌う。「【女神召喚・参式ヴァルキリー・ヱ―テル五千単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
キノが掲げる魔石が光り輝き、キノの体を包み込む。光はやがて質量を帯び、甲冑型の装甲となる。【参式ヴァルキリー】の降臨だ。
キノがその身に下ろした【参式ヴァルキリー】は、全身から陽炎を立ち上らせている。キノの体内に眠る強大すぎるヱーテルが、溢れ出しているのだ。
キノはこれでも、手加減している。必死に抑え込んだ結果の五千単位だ。最も燃費が良いとされる【参式ヴァルキリー】の最低要求量である五〇〇単位を満たすだけでも碧色と粋な他生徒たちからすれば、羨ましい限りだろう。だが、問題もある。
「は、はは……」キノの威容に引きつり笑いの男子学生が、キノのハッチを開けようとして触れる。「熱っ」余りの高濃度ヱーテルに肌を焼かれて、学生は手を引っ込めた。
「さっさと乗れ」キノが背部のハッチを開く。
恐る恐るといった様子で、男子学生が入ってくる。
「うわ……」「本当に乗った」「また、いつもみたいに暴走するんじゃ?」
男子たちが遠巻きに見つめる中、
「う、う、う、ウガァァアアアァアアアアアアッ!」
キノが変じた女神が、苦しげに胸を掻きむしったかと思うと、狂ったように走り出した。【参式ヴァルキリー】の器が、キノの強大すぎるヱーテル総量に耐えきれなかったのだ。
「馬鹿が、暴走させてんじゃねぇ! 【オー~~!】」
コックピットに座る男子学生が、ヱーテルを沈静化させるための低音歌唱をはじめる。が、長くは続かなかった。
「う、う、うごげ※※※※※※」学生が気絶する。
「キィィィイイアアアアアアッ!」
地面に頭を激しく打ち付けていたキノ機が、頭を抱えながら天に向かって咆哮した。
【参式ヴァルキリー】の背中から肉のようなナニカが盛り上がり、それが天使の翼のような形状になったかと思うと、次の瞬間、ドロドロのヱーテル塊になって『どちゃり』と地面に落ちた。中から出てきたのは、吐瀉物にまみれ、全身に手酷い打撲傷を負った男子学生だ。
キノ機の方も、ずるずる、ぐずぐずと崩れはじめる。全身をヘドロのようなヱーテル塊で汚しながら、キノが這い出してきた。
「……最悪だ、軟弱野郎」
練習場の片隅――コートを投げ捨てた場所に向かって、キノが歩き出す。恐れをなした女神たちが、キノに道を譲っていく。
「学生一体格が良くて、声も低いアイツでも駄目だった」
「あれじゃ宝の持ち腐れだ」
「宝なもんか。パイロットを全員病院送りにしてしまうんじゃ、味方殺しと一緒だぜ」
(分かっているさ。暴走させてしまう私が悪い)キノは悲しみに沈んでいく。
【火球】のような単純な攻撃魔術と違い、【女神召喚】はひどく繊細なコントロールを必要とする。ヱーテルお化けで制御が大雑把なキノは、ヱーテル制御がひどく苦手だった。
キノが下ろす西側の女神は、軒並み暴走した。ノルニル王国が誇る三女神――【スクルド】、【ヴェルダンディ】、【ウルド】も、食糧生産女神【イズン】も、洗脳魔術が得意な【フレイヤ】も、巨人【スカジ】も、そのすべてが、だ。
キノのヱーテル操作力がお粗末なことも原因だが、より大きな原因は、キノの体内を巡るヱーテル総量が多すぎることだ。
キノがヱーテル過多に陥っている理由は、魔物食だ。ヱーテルによって野生動物が変貌した存在『魔物』は、その血肉の中に大量のヱーテルを持っている。魔物食を止めれば、この症状は収まるはずなのだ。とはいっても、腹が減るのはどうしようもない。現にキノは、給金の九割を食費に使っている。
ヱーテルが多すぎて困っている……生まれつきヱーテル総量が少なくて練習女神すら召喚できず、士官への道を諦めざるを得ない大多数の若者たちからすれば、贅沢極まりない悩みだろう。だが、キノにとっては大問題なのだ。
(というか、学校や軍でも【アマテラス】を使わせてくれればよいのに)
イズールからもらった【アマテラス丙式】と同【乙式】だけは、キノは暴走させずに扱うことができる。だが、【アマテラス】はあくまで敵国アズマの女神である。鹵獲品が出回っており、製造業や日常生活でも広く浸透しているとはいえ、それを軍が扱うのははばかられるのだろう。
(どうして【アマテラス】は言うことを聞いてくれるのに、他の女神は駄目なんだろう?)
もう何百回も、そのことは考えた。が、答えは出なかった。
(こんな時、イズールとフレディがいてくれたなら)それもまた、もう何百回、何千回も考えたことだ。(特に、イズール。アイツは昔から体が大きかったから、今ごろはきっと、男らしい身体つきと声になっているに違いない)
そこまで考えてしまって、キノは思わず泣きたくなった。ぐっと涙をこらえる。こんなところで泣いてしまったら、シノに指を指されて嘲笑されてしまう。
(イズール、フレディ……どうして、いなくなってしまったンだ。どうして)女神たちが乱取りを始める中、キノはたった独り、とぼとぼと歩いていく。(私は誰のために歌えばいいンだろう? 母も、イズールも、フレディも、みんなどこかへ行ってしまった)
そうして、真綿で首を絞められるようにして約一年。生きる意味を見失いかけていたキノに、転機が訪れた――それも、最悪の形で。
三女神の一角が、膝を折ったのである。
ノルニル王国の首都が載っている『盆』を支えている三女神【ノルニル・オリジン】。その一角が、アズマ皇国の猛攻を受けて膝を折った。当然、盆は傾き、文字どおり天地が引っくり返るほどの衝撃が首都を襲った。……たくさんの人命と財産が失われた。
魔術式懸架装置を導入している王城・軍設備・兵器工廠・医療施設は難を逃れた。キノが住む寄宿舎も、戸棚が倒れてくる程度の被害で済んだ。
「仇敵アズマを、絶対に許してはならない!」
救助活動に駆り出されたキノは、【アマテラス乙式】の怪力で瓦礫を撤去しながら、父王の魔導ラヂオ放送を聴いた。
「救助活動を完遂し次第、速やかにアズマを滅ぼさなければならない! アズマの滅亡なくして我らノルニルの平穏はないのだ!」
「そうだそうだ!」と腕を振り上げる国民たち。
熱狂渦巻く街の片隅で、キノは怒り狂っていた。アズマに対してではなく、父王に対して、だ。
(父は、母が死ぬまでただの一度も現れなかった。死に目すら見に来てくれなかった。葬式にさえも。――なのに)
キノの中で、新たな『生きる意味』――『生きる目的』が芽生えようとしていた。
(その父が今、あれほど強く感情を露わにしている。あるンじゃないか、人の心が! だったら!)
『生きる目的』……それは、眩暈を覚えるほど強烈な『怒り』だった。
母を見捨てて、死ぬまで見捨て続けた父。死んでもなお、見捨て続けた父。会ったこともないその父のことを、キノは『心ない人』だと思っていた。そう思い込むことで、かろうじて自分を維持してきたのだ。なのに。なのに、なのに、なのに!
父に一矢報いたい。復讐、とまでは行かなくとも、母のことについて問いただしたい。だがそのためには、父王に謁見しなければならない。王家の家系図から抹消され、一平民に過ぎない自分には、王城に入る権利がないのだ。
その夜、キノたち女神候補生たちに極秘の軍令が下った。極秘任務を遂行するための、王国で最も優れた少数精鋭部隊を選定せよ。女神召喚師とパイロット――一対の『デュヱット』が好ましい、と。その任務内容は、王から直接申し伝えられる、とも。
三日後に、現役軍属女神召喚師と女神候補生の成績優秀者を集めたトーナメントが開かれることとなった。
(これだ!)キノは歓喜に震えた。(この好機を、つかむ!)
キノは士官学校の男子たちに声をかけて回った。だが、彼女に乗った男たち全員を病院送りにしてきたキノの悪名はすっかり知れ渡っており、誰もキノの勧誘に応じなかった。
(このままでは……挑むことすらできない)
三日目には兵舎に張りついて、現役パイロットに声をかけたりもした。が、応じてくれる兵士はいなかったし、キノは早々に追い返されてしまった。
「浮気するわけにはいかない」「戦場での第二の伴侶を裏切るわけにはいかない」
と、現役パイロットたちは言った。デュヱットにはそういう、疑似夫婦のようなところがある。デュヱットとなり、そのまま結婚するケースも少なくない。
(どうすれば……)
うなだれながらも、一縷の望みを託してキノが向かった先は――
焼ける鉄と煮え滾る油の臭い。空気は熱く、重く、油を含んでいる。汗まみれになって働く職人たちを癒すのは、魔術式の空気冷却装置と扇風機。だが、前者はともかく、後者は不人気だ。顔に当たる風が、多量の油を含んでいるからである。
ノルニル製鉄所。戦争に必要不可欠な鉄を製造している場所である。
「この風を一ヵ月も吸っていると」と、ベテラン職人たちは口々に言う。「肉が食えなくなる。胃がもたれちまうのさ」
なるほど、過酷な労働環境なのかもしれない。
(本当に?)だが、キノは首を傾げる。(いい環境じゃないか。寒くないし、黴臭くもない。まぁ、キノコの栽培には不向きだが)
銑鉄は、【アマテラス丙式】によって直接生み出すことができる。だが、これを製鋼――脱炭させて鋼鉄として精製するには炎が要る。その炎もまた、【アマテラス丙式】によって生み出される。
油風の中、製鉄業に励むのはアズマ皇国出身の女神召喚師や魔術師――捕虜たちだ。『捕虜を虐待・強制労働させてはならない』という埃を被った国際法など、とうの昔に忘れ去られている。
もっとも、当の女たちの表情は明るい。ここで大人しく働いている間は、衣食住を保証されるからである。また、出会いの機会もある。ノルニル王国の男性と結婚すれば、名誉国民権を得ることができる。ヱ―テルに汚染され、歩くこともままならない大地に放り出されるより、よほど幸福な人生を送ることができるだろう。
そう、製鉄所には男がいる。煮えたぎる窯を輸送するための機関車の運転手、線路を整備し延伸させて製鉄所を拡大させる建築士、輸送先で鉄を武器へと加工する鍛冶師、そして――
万が一、女たちが反乱を起こしたときに女たちを殺す、『鎮魂歌唱師』。低音域の歌唱師である。歌唱を纏わせた剣で高音域歌唱による攻撃を打ち消し、プラス歌唱師を無力化させる戦士たちがいるのだ。
サイレンサーが女たちから特段畏れられているのかと言うと、実はそうでもない。むしろ人気があった。はなから反乱するつもりのない女たちにとっては、逞しい交際相手候補だ。
サイレンサーをやっているのは、主に傭兵。戦時となれば戦場に赴く彼らだが、平時はこうして、サイレンサー業で日銭を稼いでいるわけである。
(結局、見つからなかった。私は、どうすれば……)
半日、製鉄所中を歩き回ってへとへとになったキノは、カンカンカンとうるさい信号機の前に佇み、呆然としている。目の前を、もうもうと煙を立てる、煮えたぎる鉄を納めた窯が横切る。正確には、窯を背負った機関車が。その熱を直視できず、目をつぶる。
汽車が、行った。
踏み切りが上がる。
「渡らないのかい、姫さん?」
姫さん。
その言葉を耳にしたキノは、はっと顔を上げた。
「あぁ……」涙が浮かび上がる。「あぁ、あぁぁああああ……!」
「待たせたな、姫さん」
二メートルはあろうかという筋骨隆々の巨体。だらしなく気崩したアズマ服。角牛の頭蓋骨を被った大男。
「イズール! イズール・サン!」転がるように走り出し、キノは線路の向こう側にいた人物の胸へと飛び込んだ。「生きっ、生きてた! 生きてたぁ! イズール!」
「ははっ、泣くなよ。俺が泣かせたみてぇじゃねぇか」イズールが、仮面の中の頬を掻く。「泣くほど嬉しかったってのか? このさびしんぼうめ」
「だっ、誰が!」慌てて飛び退こうとするキノだが、
「線路の中は危ないぜ」身長二メートルはあろうかという大男・イズールにひょいっと抱き上げられる。「三年、いや四年振りか。お前はちっとも変ってねぇな」
逞しい腕、包み込むような低い声。
「お前は大きくなりすぎだ、イズール。クマかと思ったぞ」
「そこは角牛って言えよ」被り物を弄ぶイズール。
「声も変わった」
「四年も経てば、声変わりだってするさ。で、どうだ、俺の声は?」
「低い。すごく低くて、その……」
「ん?」
(…………腹に、響く)
ゾクゾクするほど魅力的な声だ。低いクセに澄んでいて、ストレートに腹に響く。キノは下腹部が熱い。ヱ―テルを貯め込む器官、臍の下の丹田が興奮しているのだ。
「お前さんが探しているモノは、分かっている」イズールがキノを下ろす。「デュヱットの相手だろう? 俺がなってやるよ」
キノはイズールを見上げる。十三歳にもなって、キノは未だ百四十センチしかない。首が痛くなるほど見上げなければ、イズールの顔――といっても仮面だが――が見られない。
キノは、顔が熱い。心臓が痛いほどに高鳴っている。この熱は、油を帯びた風の所為ばかりではないだろう。少年が、四年の時を経て、『男』になって帰ってきてくれたのだ!
「また、俺のために歌ってくれよ、キノ」
「構わない」即答してから、キノは少し不安になった。「け、けど……入るかな? イズール、お前少し大きくなりすぎだ」
「いや入るだろ、さすがに。試合に使う練習女神【参式ヴァルキリー】は全長五メートルだぜ?」
「うーん」
その日の夜。
「相変わらずの悪食だな。給金は出てるンだろう?」
「足りるものか」シカ型魔物のモツ肉をモリモリ食いながら、キノは毒づく。
「お前は昔っから大メシ食らいだったからなぁ。って」
明日の試合に備え、郊外の森でイズールと一緒に調整を行っていたのだ。今はその調整も終わり、遅めの夕食時である。【アマテラス丙式】の灯りで照らされた森の中、シカ型魔物がキノの解体ナイフでバラバラにされ、【アマテラス丙式】の炎で炙られていく。
「いやいやいや、ここに来る前に奢ってやった串肉、一キロはあったよな?」
「あんなの食前酒代わりにもならないぞ」
「だから肉だって」
「肉は飲み物だ。知らなかったのか?」
「ぷっ、くくく……ひぃひぃ、そうかよ、肉は飲み物か。お前の体重、何キロなんだ?」
「レディの体重を聞こうだなんて、失礼だぞ。お前も食うか、イズール?」
「魔物の肉はヱ―テル酔いがなぁ。ちょっくら狩ってくる」
そう言って、身の丈二メートルの彼と同等以上の長さを持つ長巻とともに森の中へと消えていくイズール。数十分後、彼が戻ってきたころには、魔物は骨と皮になっていた。
「はぁ~~~~っ⁉ 全部食ったのか⁉」
「ふふん。育ち盛りだからな――きゃっ⁉」いきなり胸に触れられ、年頃の少女らしい悲鳴を上げてしまうキノ。
「育ってる? どこが?」
「きっ、貴様っ……ふふふ、ウサギか。よぉし、私が捌いてやる。不届き者も一緒にな」
「悪かった!」キノがトレンチコートの中から多機能ナイフを取り出すのを見て、イズールが慌てる。「俺が悪かったよ。勘弁してくれ」
「ふぅん?」キノは、楽しい。思えば初めての、異性との会話なのだ。あの頃のイズールとフレドリクは声が高く、異性という感じがしなかった。だが、今のイズールの声からは男を感じる。「何か話をしてくれ、イズール。いつか聞かせてくれた、戦場の物語を」
「分かったよ。よっこいしょ」イズールがキノを持ち上げ、キノが尻で温めていた切り株に座り、膝の上にキノを乗せる。
「ん、何の真似だ?」
「いや、適当な椅子がコイツしかなかったからよ」
「ふぅん」キノは軍帽を脱ぎ、イズールの分厚い胸板に後頭部を預ける。トクントクン……彼の鼓動に、耳を傾ける。「何だか、心地が良い」
「そ、そうか? まぁ、人肌に触れると安心するって言うしな。ってか姫さん、膝に乗せた俺が言うのもなンだが、もちっと警戒心ってもンをだな」
「警戒? 周囲に魔物の反応はないが」
「いや、そうじゃなくてだな。……あれ? これって俺が悪いのか?」
「何をごちゃごちゃと。だが確かにこれは、何と言うか安心するな」キノは胸の奥に、じわりとした心地良さを感じる。「もっとくっつけば、もっと心地良くなるのかな」
「わわわっ」胸板をまさぐるキノに、イズールが慌てる。「これ以上は拙いって」
「ふふふ」楽しくなってしまい、キノはイズールの膝の上で体勢を入れ替えた。イズールと至近距離で見つめ合う形になる。そういえば、校舎裏で、デュエットが唇と唇を触れ合わせているのを見たことがある。あれも、気持ち良いのだろうか。「イズール」
「悪いな」我知らずイズールの仮面に触れていた手を、掴まれた。「俺の部族のしきたりでな。結婚相手以外には顔を見せられねぇンだ」
「そう、か」キノは少し、残念になる。今さら顔を見せてもらえないくらいでイズールに対する気持ちが変わったりはしないが。「って、結婚⁉」キノは真っ赤になる。不安でいっぱいになりながら、我知らず上目遣いでイズールを見つめて、「イズール、お前には結婚したい相手が、いたり、とか、したり、するのか……?」
「あー、ええと。……いるぞ」
「⁉ ⁉ ⁉」呼吸もままならないほど、動揺するキノ。だが同時に、なぜ自分がここまで戸惑っているのかが理解できず、余計に困惑する。「そ、それは誰だ?」
「あー……今は言えねぇ。言える時になったら、な」
「なんてこと……」
キノが『美女』と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、シノ姫――シヱスタ・ノルニルだ。アレは事あるごとにキノに陰湿なイジメを仕掛けてくる性根の腐った女だが、いかんせん顔と髪とスタイルだけは抜群である。長い金髪に美しい容姿、引き締まっていながらも出るところは出ている肢体。男はきっとああいう女が好みなのだろう。実際、シノの男子生徒どもからの人気は非常に高い。
対してキノはこのとおり、背も低く胸も平坦、父にも母にも似なかった地味な黒髪に黒い瞳、そして彫りの浅いアズマ顔である。キノは自分の容姿に自信がない。
(そうか。イズールも、きっとシノみたいな女が好きなンだ……)
この、陰鬱な気持ちは何なのだろうか。三年前、イズールとフレドリクをいっぺんに失くしてしまった時のような、果てしない喪失感は。イズールは目の前にいるのに。
(い、いや、落ち着け私。今は、そう、明日の試合に集中するンだ。イズールのことはひとまず置いておくべきだ)
翌朝。
「これより、予選を始める」王城の隣にあるノルニル軍訓練場に、魔術で拡声された陸軍司令官の声が響き渡る。「三百六十度、全員が敵だ」
広大な訓練場に集められた数百組の男女が、ざわめく。
「残った八組でトーナメント戦を行う。各自騎乗せよ」
司令官の言葉を受けて、一斉に歌唱する女性――女神召喚師たち。男性の陰で裸になる者、変身と同時に【収納空間】の魔術で器用に衣類を収納する者、気にせず変身して服を内側から破り捨ててしまう者など、さまざまだ。
当のキノはと言えば、
「持っていろ、イズール」
恥じらうでもなく、トレンチコートをイズールに預ける。トレンチコートの下は、全裸だ。キノのいつものスタイルである。火が必要なら【女神化】。棚の上に手が届かなければ【女神化】。空に食いでのありそうな鳥が飛んでいたら【女神化】。息を吸うように【女神化】するキノにとって、服は邪魔なのだ。刺すような冬の風も、キノは鼻歌で温風に変えてしまうことができる。
「をいをいお前さん、ちったぁ恥じらいってモンを――」
「【女神召喚・参式ヴァルキリー・ヱ―テル五百単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
五百、という詠唱とは裏腹に、数千ものヱ―テルがキノの臍の下から湧き出す。キノが握りしめている練習機【参式ヴァルキリー】の魔石が彼女のヱ―テルと混ざり合い、大きく膨らんで、キノを包み込む。
甲冑姿の戦乙女が現出した。ヱ―テルを燃料にして動く、機械仕掛けの女神である。その女神が、もがき苦しむように胸を掻きむしる。うずくまった女神の、その背中から翼のような、キノには制御不能なナニカが放出され――
「大丈夫だ」
詠唱ですらない、一言。キノの中に乗り込んできた、イズールの声である。太くズシンとした声。低音域歌唱の効果を持つその声が、キノの体を鎮める。翼のような蠢くナニカが霧散し、ヴァルキリーは安定した動作で直立することができた。いつもヴァルキリーを暴走させていたキノを、イズールの声が静めたのである。
キノは得物を構える。ヴァルキリーの主兵装。穂先をつぶされた、練習用の槍である。
頭部カメラで周囲を見渡してみれば、キノと同じ数百体のヴァルキリーがいる。
「始め!」
ヴァルキリーたちが、一斉に動き始めた。大地が鳴動する。
「【ダバダバダバラルラァー~~ッ!】」背後から、マイナス歌唱を纏わせた槍で刺突してくるヴァルキリーが一体。
「ははっ」
キノの中で、イズールが笑う。彼はキノの体を己の手足のように巧みに動かし、振り向くと同時にこちらの槍で相手の槍を弾いた。さらに、
「はぁッ!」
相手の脚部への薙ぎ払い。歌唱ですらない、単なる雄たけびだ。なのに、膨大な量のヱ―テルがイズールの槍から立ち現れ、相手の脚を手折る。豆腐でも切るような容易さで。さらに恐るべきことに、
「きゃっ」「うわっ⁉」
全裸の女性――女神召喚師と、相方の男性パイロットが姿を現した。彼らを包み込んでいたヴァルキリーが光の粒子となって宙に溶ける。イズールのマイナス歌唱が相手の【女神召喚】を強制解除してしまったのだ。
「危ねェから」別のヴァルキリーの突進から召喚師を守ってやりながら、イズールが言う。「さっさと避難しな。男なら、パートナーを抱きかかえて走るくらいの甲斐性は見せてやるってなもンだ」
パイロット――士官学校の学生が、青い顔でコクコクと頷く。
「行くぜ、姫さん」イズールが槍を振り上げる。「喰い散らかしてやる」
「お、おう!」キノの心は、震えている。己の体が暴走することもなく、思うさま操られている快感に。自分がこの場において最強の女神であるという確信に。
イズールが一歩を踏み出すたび、大地にひびが入る。イズールが槍を振るうたび、ヴァルキリーたちが手足を斬り飛ばされ、同時に女神化を解かれていく。
硬い甲冑装甲に守られたヴァルキリーの手足を斬り裂くだけでも前代未聞。それを練習用の槍で成せるなど、前人未到。ましてや相手に穂先で触れただけで女神化を強制解除させるなど、怪物の所業と言う外ないだろう。
しかもイズールは、『はぁ!』だの『とぁ!』だの掛け声を上げているだけ。これだけの奇跡を成し遂げておいて、未だまともな歌唱すら披露していないのである。
キノ・イズール機が前進するたびに、全裸女性とパイロットが量産されていく。男性パイロットはいずれも無傷だ。イズールが、パイロットが搭乗している胴体部に槍が当たらないよう手加減しているからである。
「はっはァッ! 弱い、弱すぎるぜ」
「あっ、や、うぅん! もうちょっとゆっくり動け!」キノは、戸惑う。イズールの動きに、自身がついてこられないからだ。いつも、パイロットを振り回すだけ振り回して病院送りにしてきた自分が、逆に振り回されているのだ。(この私が、組み敷かれている!)
圧倒的『被』支配感。本来不快であるはずのそれは、長い間パートナーを見つけられずにいたキノにとっては、まぎれもなく快感だった。
「【オォーダバラルララルラァ~――ッ!】」
その時、キノ・イズールの前に一機のヴァルキリーが立ちはだかった。まばゆいヱ―テル光を纏った槍を構えている。
「どけぇっ、ザコが!」イズールが、大上段から槍を振り下ろした。「なっ⁉」
だが槍は、相手の左腕によって防がれた。
「落ちこぼれの分際で、でしゃばるなよキノ子⁉」敵機から、甲高い声。
「その声――シノか!」
シヱスタ・ノルニル。第二妃・ボノ妃が生んだ腹違いの妹だ。キノより一つ年下ながら、幼くして士官学校を掌握し、全力でキノをイジメ倒してきた張本人でもある。
「シノ姫と呼べ、平民! どうして貴様のような面汚しが、イズール様に乗っていただけているの⁉」
「様ぁ?」キノは吹き出す。昨晩のことが脳裏をよぎり、不安になったが、だからこそ必死に明るく振る舞う「おいイズール、お前、有名人だったのか?」
「知らなかったのか? 『東方不敗』と言えば、傭兵界隈じゃ生きる伝説と言われてンだぜ? 俺に乗られたがる女は星の数ほどいるンだ」
それも納得の強さだった。精強揃いの士官学校生を、その精強を鍛えに鍛えた正規兵たちを、一刃のもとに丸裸にしてしまうイズール・サン。だが、
「はン」キノは、なぜだか気に食わない。「きっと、戦場の空は高濃度ヱ―テルで曇っていたンだろう」
「俺が姫さん以外にも乗ってきたのが悔しいのかい?」
「っ。それで? 私の乗り心地は如何かな、伝説の傭兵サマ?」
「極上」
だがシノ機は、そんなイズールの槍を受け切ったのだ。並みのヱ―テル濃度ではない。
「おい、シ・ノ・ひ・め。お前、その機体にいくら使った?」
機械仕掛けの敵ヴァルキリーが笑ったかに見えた。「十万よ」
最低要求ヱ―テル五〇〇単位の練習用女神に、十万。数千のヱ―テルを込めたキノ・イズール機が打ち負けるのも納得の濃度であった。
「【オォーダバラルララルラァ~――ッ!】」
シノ機のパイロットがマイナス歌唱した。歌唱の載った槍の穂先が突き出される。イズールは、神速の槍でもってそれを払う。
「「――お?」」
キノとイズールが同時に驚く。キノ・イズール機の槍の穂先が、光の粒子となって溶けたからだ。キノが召喚した槍が、敵機の歌唱に撃ち負けたのである。
「あはァッ」キノの笑い声に嗜虐が載る。「イズール、召喚し直すぞ。百万だ」
「終了ーッ!」
司令官の声と、ラッパの音。周囲を見渡せば、立っていたのは自分たちを含めて八機だけだった。
予選が終了したのだ。勝ち残ったのである。
生き残ったのは、何とも奇妙な連中だった。
老婆を負ぶった少年。
最初から女神化した状態で入場してきた名乗らぬ旧式【ヴェルダンディ】。
近衛師団長とその伴侶。
歴戦の正規兵ペア。
歴戦の上級将校ペア。
飛び抜けて小柄なキノと、飛び抜けて大柄なイズール。
そして、シノ姫と――
「お前、声変わりもまだなのに⁉」
キノは、驚く。シノに乗っていたのが、九歳のノブレス・ノルニル王子だったからだ。
「キノ姉様には負けない!」睨みつけてくるノノと、
「こら、ノノ。こんな穢れた女を姉と呼んではいけませんよ」ノノを嗜めるシノ。
「はい、シノ姉様」
(ノノは可愛いなぁ)罵倒されることに慣れきっているキノは、どこ吹く風だ。
「初戦は」軍服を着込んだ偉丈夫、ウノ司令官――王弟ウルズガル・ノルニルが言う。「シノ・ノノ機対キノ・イズール機だ」
「王族の面汚しめ」シノが獰猛に微笑む。「その罪、死をもって贖わせてやる」
「あはァッ」普段は無表情なキノが、珍しく獰猛に微笑む。「やってみろよ、半人前」
そうして両者、訓練場で向かい合う。
「【女神召喚・伍式スクルド】!」シノが高らかに歌い上げる。「【ヱ―テル十万単位――ライラライラライラァー~~ッ!】」
シノの臍の下、丹田が光り輝き、同時に彼女が全裸となる。【女神召喚】と同時に、無詠唱で行使した【アイテムボックス】の中に服を収納したのだろう。
(器用なヤツだな)キノは内心、舌を巻く。ヱ―テルバカで大雑把なキノにはできない芸当だ。
シノの体が、鋭利な設計の飛行機に変じる。
ノルニル王国・主力偵察女神【伍式スクルド】諸元
最低要求ヱ―テル:三〇〇〇単位
全長:十五メートル
外観:鋭利かつ流麗な外観の垂直離着陸型戦闘爆撃機
主兵装:回転式機関砲(ヱ―テル弾および実弾)、四発の単距離空対空ミサイル、二発の無誘導爆弾
特殊能力:数十秒先までの未来を視る【予知】と、それを友軍に伝える【テレパシー】
機動力:A/B使用時に音速を超える。最高速度は、現代のノルニル王国の科学力では計測不可能
他:圧倒的火力を誇るが、スクルドを召喚可能な召喚師が余りにも少ないため、もっぱら威力偵察用として運用されている
ノノがキャノピからシノに乗り込んでいく。あの中はヱ―テルによってある程度守られているらしいが、それでもノノのような子供には過酷な環境だろう。キノは少し心配になる。が、手加減してやるつもりは毛頭ない。
「いくぞ、イズール。【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル二十万単位】」シノに触発され、千もあれば十分であるはずの召喚に、二十万を注ぎ込むキノ。「【ララルラルラァー~~ッ!】」
アズマ皇国から鹵獲した女神。キノが唯一、暴走させずに扱える力。鋼鉄の肉、燃えるような赤き甲冑、彼女の身の丈と同じ長さの長巻、長く美しい黒髪。女神アマテラスが顕現する。
アズマ皇国・準主力戦闘女神【アマテラス乙式】諸元
最低要求ヱ―テル:一〇〇〇単位
全長:七メートル
外観:逆関節の二脚人型。美麗な甲冑装甲に身を包む
主兵装:刀(イズールは大振りの得物を好むため、キノが特別に、八メートルの長巻を召喚している)
特殊能力:炎と鉄の生成
機動力:A/B無しで最高時速二〇〇キロ。A/B使用時は音速超過。ジャンプ力に優れる
他: 先の大戦で多数鹵獲され、研究されている敵国の量産型女神。乙式は甲式の出力を意図的に低下させたアズマの準主力兵器。甲式は扱いが難しく、一部のヱリートデュヱットにしか貸与されていないものと推察されている。甲式の鹵獲品は、未だ確認されていない
――ドゥッ!
という重苦しい音とともに、シノ機の後部ノズルが火を噴く。下に向いたノズルから発せられる推進力は地面を焼き、シノ機が爆発的な勢いで上昇していく。上空に達したシノ機が、キノ機の真上でホバリングをしたり、かと思えば突然飛行し始めて回転や宙返りを披露し始める。キノを誘っているのだ。
「あはァッ! 【火球・ヱ―テル五百単位――ラァー~~ッ!】」
キノが飛ばした直径数十メートルの火球は、シノ機のインメルマンターンによって避けられる。キノが偏差射撃で火球を飛ばしたにもかかわらず、だ。まるであらかじめ、そこに火球が飛んでくるのを予知していたかのように。
(いや、事実【予知】していたンだろう。それが【スクルド】の能力だ)女神となったキノは、丹田に力を込める。「【火球・ヱ―テル一万単位――ララルラァー~~ッ!】」
数百個の巨大な火球がキノの周囲に現出し、シノ機に向かって次々と射出される。それでも、シノ機には当たらない。
ループ、シャンデル、スプリットS、ハイ・ヨー・ヨー。まるでマニューバの見本市のような有り様だ。観戦している将兵・学生たちから歓声の声が上がる。
「キノ、動くぞ」
イズールの言葉とともに、キノ機がサイドステップを踏む。シノ機が、振り下ろすような機銃掃射をしてきたからである。致死量のヱ―テルが込められた弾丸が地面を穿ち、膨大な土埃を立たせる。
「シノのヤツ、本気で私を殺す気だな?」キノが笑う。「遊んでやれ、イズール。【各部A/B充填・ヱ―テル五万単位・ララルラルラァー~~ッ!】」
「あいよ――っとぉ!」背中とふくらはぎのA/Bにたっぷりと充填されたヱ―テルを燃やし上げ、イズールが滑走を始める。足の裏に装備した車輪を使い、まるでローラースケートのように走る。数秒で時速二〇〇キロに達し、「跳ぶぜ」
「了解だ」
キノ機が逆関節の両膝をぐっと曲げると同時に、背部A/Bが全力で火を噴く。キノ機が、跳んだ。あっという間に数百メートル上空に達する。シノ機がいる高度だ。ちょうど、シノ機が目の前に突っ込んでくるところだった。
「【オォオオオオーー~~~~ッ!】」歌唱しながら、イズールが抜刀。シノ機を真っ二つに叩き斬ろうとする。
が、敵はその動きを【予知】していたらしい。すでにインメルマンターンの機動に入っていたシノ機が九〇度機首上げの急上昇。イズールの間合い四メートルのやや手前で腹を見せる形となる。その腹が、開いた。兵器倉に格納されていた無誘導爆弾が慣性の法則で真横に落下してくる。つまり、今まさに長巻を振り下ろしつつあるキノ機の目の前に!
(【鉄】ぅッ!)大慌てのキノが、短く脳内詠唱。続いてキノ機のマイクで、「【ラァァアアァアアアアーー~~~~ッ!】」
全力歌唱で、キノ機と爆弾の間に鉄の壁が生成されはじめる。が、間に合わない。
「きゃっ⁉」
爆風に目を焼かれたキノは一瞬、視界を手放してしまう。が、
「大丈夫だ、姫さん」
気がつけば、キノ機は地面に降り立っていた。
「ダメコン――」
「無傷だ。姫さんが作ってくれた鉄を蹴って、爆風から逃れたからな」
「……は、ははっ、サルかお前は」
「だが」サイドステップでシノ機の機銃掃射を避け、ジグザグ機動で走り出すイズール。「これじゃ攻めきれねぇ。足場がねぇと踏み込み力に欠ける」
「足場。足場か。それなら、【鉄鼠の檻・ヱ―テル――】」ぐっと丹田に力を込めて、「【百万単位・ララルララルララーラララーー~~~~ッ!】」
鉄骨の檻が地面から突き出して、大空を覆い始める。シノ機がさらに上空へと逃れようとする。が、鉄の生成の方がなお速い。シノ機が格子状の屋根に上昇を阻まれた。さらに鉄骨が檻の中で格子状に生成されていき、
(イメージは、ジャングルジム)
平民居住区の公園で見かけた、遊具。数十メートルごとに配置された鉄骨。足場を得たイズールが、アマテラスの体を自由自在に動かして、サルのように飛び上がっていく。一方、四方八方障害物だらけになってしまったシノ機は、真っ直ぐ飛ぶだけで精いっぱいだ。こうなってくると、高速で飛ぶ体が、逆に仇となる。
あとはもう、一方的な戦いだった。
あっという間にシノ機の背後に到達したキノ機が、身の丈以上の長巻でもってシノ機の両翼を両断。【女神召喚】を強制解除され、成すすべなく落下していくシノとノノを空中で捕まえた。
「こっ、こんなのデタラメよ!」
「ふふん」涙ぐむシノを、キノが挑発する。「ま、無尽蔵のヱ―テルを持つ私だからこそできた芸当だ。誇るといいぞ。私に百万ものヱ―テルを使わせたのは、お前が初めてだ」
「勝者、キノ・イズール機!」ウノ司令官の声が響き渡った。
第二回戦の相手は、老婆だった。
「ふぇっふぇっふぇっ、可愛らしいお嬢さんじゃのぅ」
白髪頭に黒い瞳、平坦な顔立ち。アズマ人だろうか。
「もうコイツを使う日など来ないと思っておったが、まさかお許しが下りるとは」
老婆が取り出したのは、深紅の勾玉。
「【アマテラス乙式】か?」
「ざぁんねん。甲式じゃ」
「なぁっ⁉」
表向き、ノルニル王国には存在しないことになっている甲式の召喚魔石を前にして、目を剥くキノ。甲式は、キノが欲しくて欲しくて堪らない一品なのだ。
(甲式は、アズマ正規兵の中でも特に優れた召喚師にしか貸与されないと聞いた。死にかけの老婆だと思っていたが、存外やるようだな)
キノは一回戦で忙しかったので、老婆がどのようにして歴戦の正規兵を下したのか知らない。
「【女神召喚・アマテラス・ヱ―テル七千単位】」
(七千。三女神の中でも最も燃費の悪い【ウルド】を、なお上回るか)
「【ヴェーゥィアーー~~~~ヤァラハァーー~~~~ィヤーーー~~~~】」
それは、不思議な響きだった。巫女が神に捧げるような、厳かな調べ。効率・高音重視のノルニル式歌唱とは、ずいぶんと違う歌唱。
「アズマ式歌唱法だな」
「知っているのか、イズール?」
「傭兵家業を長くやってると、アズマの血が流れているヤツや、アズマ人とも仲良くなるものなのさ」
「アズマ人捕虜か?」
「いいや」
「え? 捕虜ではないアズマ人? どういうことだ?」
「すべてのアズマ人が親アズマってわけじゃァないってコトさ。話は後にしよう」
「そのようだな」
キノは見上げる。乙式の四倍以上の大きさを誇る、【アマテラス甲式】、もとい【アマテラス】を。乙式・丙式・丙式などと銘打つ必要のない、これこそが真の【アマテラス】なのだ。炎の如き深紅の鎧が、陽炎を纏っている。
【アマテラス】が跪き、少年を拾い上げる。女神というのは、この程度の簡易な動作だけなら女性単体でもできる。が、女神は歩行や飛行といった基礎動作や攻撃動作に多数の魔術を使う。女性は魔術に専念する必要があるため、操縦をパイロットに委ねるのだ。
少年が【アマテラス】の背部にあるハッチを開き、コックピットへと乗り込んでいく。女神の操縦席には、外部を映すモニタと、操縦桿、そして細やかな動作を実現するための多数のスイッチやペダルが全周囲に配置されている。ノルニル人であれば、『魔動車の運転席を非常に複雑にしたもの』と認識する。遠い宇宙の果てにある別の星の人々が見れば、『戦闘機か、ロボットアニメのコックピットのようだ』と表現することだろう。
「どぅしたい?」その、身の丈十五メートルの巨人が立ち上がった。「あまりのでかさに、震えあがっちまったのかい、お嬢さん?」
「あはァッ!」キノが、笑った。
キノは生来、感情を露わにするのが苦手なタチである。が、このように分かりやすい挑発・挑戦を受けたときに限って、ひどく獰猛に微笑むようなところがある。女神候補生としての、戦士としての血が騒ぐのか。
「全力で歌うぞ、イズール。制御は任せた。【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル総量】――」大きく息を吸って、「【一千万単位・ララァーィアー~~ララルラルララァーー~~~~ッ!】」
全力歌唱。キノの丹田が神々しいほどに輝き、キノの体がみるみるうちに十数メートルの巨人へと変化し始める。乙式を使っていながら、ヱ―テル量の暴力で無理やり甲式を再現しようとしているのだ。恐らく世界でただ一人、キノにだけ可能な芸当だろう。
イズールが、その超人的な身体能力でもって一気にキノ機の腰辺りにまで飛び上がる。キノ機の黒髪をつかんで、するすると登っていく。
「ウ……ァ……ウガァアァアアァアアアアアアアアアアアアッ!」
ヱ―テル過多で【アマテラス乙式】が暴走しそうになる。が、
「大丈夫だ」コックピットに飛び込んだイズールが、歌い始める。「ヴィーヤァー~~」
その歌声に鎮められ、キノは我に返る。
「これは……アズマ式の歌唱か?」
「あの婆様を真似してみたンだ。どうやら【アマテラス】には、アズマ式の方が相性が良いらしい」
「この力……制御が最も難しい【女神召喚】に一千万単位も投入して、暴走しないなんて! イズール、やっぱりお前は最高だ。二度と離さない」
敵機が動き出した。一歩、二歩と歩を進めるたびに、地面がジュッと音を立てる。
そうして、戦いが始まった。いや、それは戦いなどとはとても呼べない、見世物、興行、サーカスのような代物だった。
老婆が巨大な【火球】を出せば、キノが膨大なヱ―テル消費によって、それに倍する大きさの【火球】を出した。
老婆が刀を抜けば、イズールが自慢の長巻でもって叩き折った。
老婆が【槍の雨】を降らせば、その数十倍の槍を空に向かって打ち上げて相殺した。
無論、老婆も強い。とんでもなく強い。直径数十メートルの【火球】を放ち、数百本の【槍の雨】を降らせ、それでもなお息切れしないような女神と遭遇したら、ノルニル軍は女神数十機でもって防御に徹しなければならなくなる。一機でもって数十機を足止めし得る。文句なしの名機&ヱースパイロットだ。
そんなヱース・オブ・ヱースが、キノ・イズール機に遊ばれている……そんな光景を、ノルニル正規兵たちが、士官学校生たちが、呆然と見つめている。
老婆は、強い。だが、キノの方がもっと強い。理由は単純で、キノが自身の体内に眠る無尽蔵のヱ―テルを、好きな時に好きなだけ使えるからだ。
今までのキノであれば、大きすぎるヱ―テルを暴走させ、【アマテラス乙式】は獣のように駆け回り、自ら頭を地面に打ちつけ、首を折っていたことだろう。だが今は、イズールがいる。イズールが鎮めてくれるからこそ、キノは百万単位だの一千万単位だのというデタラメな量のヱ―テルを一気に扱うことができる。
イズールに手綱を握らせたキノは、最強だ。
斯くして試合は長期戦となったものの、最後には老婆の息切れによって決着した。
「ふぇっふぇっふぇっ、降参ですわい」
老婆が女神化を解いた。少年が飛び降りてきて、自身が着ていたトレンチコートを老婆の肩に掛ける。老婆が、そんな少年の手の甲を撫でて、
「良い思い出になりました。十数年振りに女神になれて、孫に良いところを見せることもできました」
(なるほど、あの少年は孫だったか)
「麗しくも猛々しき姫君よ」老婆が【アマテラス甲式】の勾玉を差し出す。「貴女様に、これを託したい」
「い、いいのか⁉」
「いつかこの手で夫の仇をとる時のために……そう思って隠し持っておりましたが、ワシはこのとおりトシですので」
「そ、そうか。ありがとう。大切にする。絶対に!」
キノの手の中で、【アマテラス甲式】が熱を帯びている。
そうして、最終決戦の時がきた。
キノが老婆と遊んでいる間に歴戦の将校を倒したのは、先ほどから一度も女神化を解いていない【ヴェルダンディ】。これほどの長時間、女神化を維持し続けるとは、並みの召喚師ではできない芸当だ。
だが、今のキノは負ける気がしない。なぜなら、
「【女神召喚・アマテラス・ヱ―テル総量一千万単位・ララァーィアー~~ララルラルララァーー~~~~ッ!】」
イズールから【アマテラス丙式】をもらってから八年。八年もの間、ずっとずっと憧れ続けてきた【アマテラス甲式】が、手の中にあるからだ。
キノは再び、暴走しそうになる。が、すぐさまイズールが乗り込んできて、マイナス歌唱で鎮めてくれた。今やキノは、身の丈三十メートルの巨人として静かに屹立している。
対するは、体高七メートルの【ヴェルダンディ】だ。キノの目には王国主力戦闘車両【伍式ヴェルダンディ】のように見えるが、よく見ると頭部電探が型落ち品で、甲冑装甲の意匠も古めかしい。
(肆式か参式、いや弐式の可能性も? だが、なぜわざわざ古い機体を? ――いや)
侮るべきではない。この【ヴェルダンディ】は、旧型でありながらここまで勝ち上がってきたのだから。
「それでは、最終戦――キノ・イズール機対【ヴェルダンディ】の試合を始める!」ウノ司令官が、対戦相手の名を伏せた。「始め!」
耳をつんざく轟音と白い雲が、【ヴェルダンディ】を包み込んだ。
(音速超過機動ッ!)キノは頭部カメラにヱ―テルを流し込み、必死に敵の姿を探す。(いた)
敵機は、その四本足でもって、キノの右脛を駆け上がりつつあるところだった。
ノルニル王国・主力戦闘女神【伍式ヴェルダンディ】諸元
最低要求ヱ―テル:一五〇〇単位
全長:七メートル
外観:優美な甲冑装甲を身に纏ったケンタウロス
主兵装:長剣
特殊能力:思考速度を数十倍~数百倍化、身体速度を数倍~数十倍化させる【加速】。優れた女神召喚師は音速を超える
機動力:【加速】及びA/B使用時に音速を超える
他:運命の三女神の二番目にして主力。思考と体を加速させ、銃弾よりなお早く突撃してくる戦乙女の集団は、先の大戦でアズマ皇国軍を震撼させた
(速すぎるッ!)
まるで反応できずにいたキノだったが、イズールは違ったようだ。彼はキノ機の右脚をわずかに引いて、足場を失った【ヴェルダンディ】に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。さらに音もなく長巻を抜き放ち、ハエを叩き落とすかのような、大上段からの苛烈な一撃!
(をいをい、殺していないだろうな?)内心ひやりとしたキノは、次の瞬間、驚愕した。砂ぼこりの中から、無傷の【ヴェルダンディ】が飛び出してきたからだ。「【各部A/B充填・ヱ―テル五万単位・ララルラルラァー~~ッ!】」
脚部・足部・背部・腰部のA/Bに、キノのヱ―テルがたっぷりと注がれる。これで、イズールが機動しやすくなっただろう。さらには、
「【火球・ヱ―テル千単位・ラーッ!】」火の玉を一発、お見舞いする。が、【ヴェルダンディ】の動きがあまりにも速すぎて、玉はまるで見当違いの地面を焦がした。(……ダメだ。まるでついていけない)
轟音と雲を纏って音速超過機動する【ヴェルダンディ】と、脳も体も一倍速のクセに不思議と【ヴェルダンディ】の動きについていくイズール。これが、これこそが、剣豪を乗せることによる強みだ。
キノには無尽蔵のヱ―テルがある。が、武術の心得はない。無論、士官学校生として最低限の格闘術は仕込まれている。が、普通の武術では、音速を相手にすることなど、とてもできない。
【ヴェルダンディ】はキノ機の周りを走り回り、文字どおり目にも留まらぬ動きでヒット&アウェイを仕掛けてくる。イズールはキノの体を見事に操り、【ヴェルダンディ】に対処する。近づかれたら蹴り上げ、跳んできたら長巻で叩き落とし、組みつかれたら最低限の動きで引き剥がす。
休むことのない運動。まるでダンスでも踊っているかのようだ。
「キノ」コックピットの中から、イズールが語りかけてきた。外部には漏れない、二人きりの会話である。「超特大の【火球】を準備しておいてくれ。俺が『今』と言ったら、背後、腰のあたりから後方へ放つンだ」
「了解だ」キノもまた、内部マイクでイズールにのみ語りかける。「【火球・ヱ―テル一万単位・ララルラルラァー~~……】」
カメラの視界では、地上の【ヴェルダンディ】に対し、イズールが長巻による必殺の振り下ろしを入れるところであった。キノの目にも、【ヴェルダンディ】がその剣撃を避けるところまでは視えた。
「今!」
「――【ラァッ!】」
巨大な火の玉が背後に生じ、何もない空間を焼きつつすっ飛んでいく。【ヴェルダンディ】が背後に回り込み、飛びかかってきているのだろうと予想していたキノは、肩透かしを食らった。
「イズール?」
「バカな」だが、イズールの声は真剣そのもの。「今まで八回連続で、ヤツはこの位置から斬りかかってきたンだ。俺の大上段を避けたら、股の下をくぐって、背後から襲いかかる。それがヤツの定石のはず。まさか……試してみるか。キノ、次は前方十メートルを扇状に【槍の雨】。合図を待て」
「了解」
そうして幾度かの剣激の後、イズールが敵機を誘うような動きを一つ。「今」
「――【ラァッ!】」
キノは、事前詠唱後に待機させておいた魔術を解放。視界前方が無数の槍によってハリネズミのようになった。が、その空間に【ヴェルダンディ】はいない。またも不発だ。
「【鉄鼠の檻】、右脇二十メートル。待て」
「了」
音速に対処する中で、イズールとキノのやり取りが端的になっていく。より早く意思疎通するために、無駄な言葉がそぎ落とされていく。
「今!」
「――【ラァッ!】」
鋼鉄の檻が生成される。だが、イズールが『来る』と確信していたらしきポイントに、【ヴェルダンディ】は現れない。
「やはり。ヤツは【予知】を使っている」
「そんなはずは」驚きのあまり、キノの言葉が余剰を帯びる。「四つ足の戦女神。アレは【ヴェルダンディ】だ」
「よく見ろ。あの頭部電探……アレは型落ち【スクルド】のものだ。それに、腰のあたりについている小さなアレは、翼だ。アイツ、やけに高く飛ぶ【ヴェルダンディ】だと思っていたが、アレは跳躍と飛行の合わせ技だな」
「【ヴェルダンディ】と【スクルド】の両方の力を持つ女神⁉」
「恐らくそれだけじゃァない。聞いたことがある。ノルニル王国の秘密兵器【ノルニル】だ」
「運命の三女神、だと⁉」
「俺はすでに、アイツを百回は殺しているはずなンだ。なのに、無傷」
「過去改変――――……」
ノルニル王国・小型要塞女神【伍式ウルド】諸元
最低要求ヱ―テル:五〇〇〇単位
全長:五十メートル
外観: キャタピラ脚部を持つ、屹立する円柱
主兵装:全身を覆い隠す大盾
特殊能力:数秒以内の過去を【改変】することができる。戦場においてそれは、あらゆるダメージを無効化せしめる
機動力:鈍重。A/Bも装備されておらず、そもそも機動することを想定されていない
他:運命の三女神の末の妹にして王国の盾。未来を司る【スクルド】、現在を司る【ヴェルダンディ】と並び、過去を司り改変する力を持つ、規格外の可能性を秘めた女神。その分、最低要求ヱ―テルが重く、召喚できる召喚師も少ない
「本気を出す。悪いが全権をくれ」
「了。【ユー・ハブ・コントロール】」
「【アイ・ハブ・コントロール】」
そこから先はもう、キノは意識が曖昧だ。
目まぐるしく状況が変わる戦場。
目にも留まらぬ剣の応酬。
燃え上がるヱ―テル。
削られる自身。
流れる血。
痛み。
気がつけばキノは、無数の剣撃によって、まるで木こりが大木を倒すがごとく四肢を斬り落とされていた。膝立ちになっている自身の、前髪をつかんだ敵機が、その剣先をキノの眼球に向けている。
「……悪い、キノ。降参する」
「分かった」キノは、声を外部マイクに載せる。「降参だ」
父王に直接物申す機会を失ったキノは、悲しい。だが、同時に納得してもいた。これほどの強者に下されるのなら、さすがに仕方がない。
(上には上がいるものだ。まず、目で追えない。それを追えているイズールもバケモノだが、そのイズールですら、攻撃が当てられない。【予知】してくるからだ)
その強敵が、キノの髪から手を離した。音もなく着地する。
(さらに、手を尽くして攻撃を当てても、【過去改変】によってダメージがなかったことにされてしまう)
不思議なのは、これほどの強者の存在を、自分が知らなかったことだ。これほどのヱ―ス・オブ・ヱ―ス機ならば、英雄として有名になっていてもおかしくない。
「勝者――」ウノ司令官が、勝者の名を呼ぶ。「ピノ・ボノ機!」
「……………………は?」
キノは、唯一動く頭部を動かし、対戦相手を見下ろす。
最強の秘密兵器【ノルニル】が、ヱ―テル粒子になって消えていく。光の中から現れたのは、ピヱール・ノルニル王。キノが文句を言ってやりたいと思っていた、当人である。さらに、マントを纏いながら現れたのは、ボルカナ・ノルニル第二妃。キノの天敵だ。
「わたくしは!」その天敵が、ヒステリックにわめきはじめた。「認めません! こんな穢れた娘に国宝を渡すなど!」
「決めたであろう。勝者がシノであろうがキノであろうが、勝った方にこの魔石を託すのだ、と」父王が、四肢を手折られたキノを見上げる。「キノ。十三年振りだな。顔を見せてはくれぬか」
(どの口が)キノは、沸騰した。「【火球・ヱ―テル】――」
空が、灼熱する。
「【百億単位】」
歌唱。キノの、十余年分の恨みを込めた、深い深い絶望に彩られた歌唱。空が、炎で埋め尽くされた。無数の【火球】は、赤くない。瞬く間に黄色くなり、白くなり、そして青くなった。骨も塵芥も残さない、ただただ純粋な、熱。
訓練場は騒然となった。
ボノ妃が大慌てで【ノルニル】を召喚しようとしている。
ただ一人、父王だけが違った。寂しげに微笑んでいる。「キノ。せめて、顔を」
「ッ――――……」
キノは、すべての炎を消した。
「【女神送還・ヱ―テル一単位――ラッ】」
女神化を解除したキノが、落下する。そんなキノをイズールが空中で抱き留め、トレンチコートを着せて抱え込む。イズールが着地と同時に受け身を取った。二人とも無傷だ。
イズールが、ピノ王の前で跪いた。一方のキノは跪かず、父王を射殺さんばかりに睨みつけている。そんなキノを、ボノ妃が無礼だ何だとわめいている。
「陛下! この者はたった今、陛下を殺そうとしたのですよ⁉ 即刻処刑すべきです! ――ひっ⁉」
王の一瞥で、ボノ妃が黙り込む。
「キノ。キリヱスタ・ノルニル学生。そなたに二つのものを下賜する。一つは」父王が、ボノ妃がしぶしぶ差し出した魔石を、キノに手渡す。「【零式ノルニル】。余が三女神から直接下賜されたものだ。【スクルド】、【ヴェルダンディ】、【ウルド】すべての魔術が使える。姿は三女神のうち、好きなものを選べる」
キノの小さな手にすっぽりと収まる魔石は、ひどくみすぼらしいものだった。
(これはもしや、ニセモノでも掴まされたか?)見れば、ボノ妃が気まずそうに目を泳がせている。(予備の型落ち【ヴェルダンディ】でも隠し持っていて、それとすり替えたのかも。本物の【零式ノルニル】は、実の娘に渡したいンだろう)
「今一つは、極秘任務。だが」父王が苦笑する。「その内容までは、さすがにここでは伝えられぬな」
「いや、おかしいだろう」王城内の一室、落ち着いた色調の応接室に通されたキノは、イズールに向かって言う。「私たちは負けたのに」
「なんだキノ、人見知りか?」机を挟んで向かいに座るピノ王へ視線をやりながら、イズールが笑う。「くっくっくっ。初対面の父親が怖いってか。お前にも人間らしいところがあったンだな。ほら、直接聞けよ。こうやって話、したかったンだろう?」
「うっ……」イズールに背中を押されたキノは、気まずい。
この部屋には今、キノとイズールの他にはピノ王しかいない。父王が、護衛の一人も付けずにここにいるのだ。
「謝罪はせぬ」王冠もマントも身に着けていない、ラフな格好の父王が言う。「国としての決定を、誤りだと認めるわけにはいかぬからな」
「お前は」キノは、できるだけ力いっぱい父王を睨みつける。「母上のことをどう思っていたンだ」
「愛していた」
「だったら!」
「だが、あれは国としての決定だ。だから、葬儀にも出なかった」
「くっ……」
キノは、泣きそうになる。だが、先ほど父王を暗殺しようとしたばかりの自分と、こうして護衛なしで会ってくれている。それが父の、精いっぱいの答えなのだろう。
「残念ながら、余にはそなたと語り合えるだけの思い出話がない。だから、今後のことについて話をしよう。まず、そなたらが負けたのにもかかわらず、余がそなたらに極秘命令を与える理由。これは簡単だ。余、自らが敵国に潜入するわけにはいかないだろう? 次に、そなたに国宝たる【零式ノルニル】を託した理由。それは、今回の任務が、長く続いた戦争を終わらせるための、最も重要な作戦の一環だからだ。最高のデュヱットに、最高の女神召喚器。潜入任務に最適な、個にして一騎当千の戦力」
「何をさせようって言うンだ」不貞腐れたように、キノは言う。『ように』だ。
「アズマ皇国への潜入と、敵女神【アマテラス・オリジン】の心臓の破壊」
「「――なっ⁉」」驚くキノとイズール。
「先の大戦で、私と妻チノは【アマテラス・オリジン】に宝剣『時編み』を打ち込み、かの女神を倒した。汚染された大地で生きていけなかったアズマの残党は、女神の遺骸の中に逃げ込んだ。それは知っているな?」
「ああ」イズールから何度も聞いた昔話だ。
父王は『残党』という言葉を使ったが、長大なノルニル王国領土を食い破るようにして進軍してきたアズマ軍には多数の輜重部隊や、軍隊を相手に商売をしたり軍隊の生活を支えていた人々が付いていた。さらには、現地で政治的判断を下すための帝と政府機関も。つまり実質、【アマテラス・オリジン】の体内こそが第二のアズマ皇国と言えるのだ。
「だが最近、その【アマテラス・オリジン】が復活しつつあるようなのだ。『時編み』は十年以上保った。が、永久に女神を殺し続けるほどの力はなかったのだろう。先日、三女神の一柱が膝を折っただろう?」
キノとイズールは頷く。
「密偵によれば、あれは、突如として動き出した【アマテラス・オリジン】が、女神の足首をつかんだことで発生したようなのだ。さらに、女神が定期的に『寝返り』を打っているとの報告もある。そなたらにはアズマ皇国に潜入し、女神の心臓を破壊してもらいたい。同時にウノが、全軍をもってアズマを撃滅する。これにより、ノルニルは今度こそ、完全に勝利するのだ」
「それで」キノは、不貞腐れた『ように』を継続しながら、父王に話しかける。「任務成功の見返りに、お前は何をくれるンだ?」
「すべてだ」
「は?」
「すべてやろう。謝れと言うなら謝るし、死ねというなら死んでやろう。次の王になってもらってもいい。過去と現在と未来のすべてを操る力をものにしたそなたに、もはや誰も逆らえない。ましてや国を救った英雄ならば、その行いには正当性が生じる」
「あはァッ! いいだろう。必ずや敵女神の心臓を破壊し、お前に母上の墓前で謝罪させてやる。王は面倒臭いからやりたくないが」
「ふっ……」感慨深そうに微笑んだ父王が、「さて、そなたは何がいい、東方不敗よ」
「俺はぁ――」イズールが仮面の中の頬を掻いて、「まずは、訳あって素顔を晒せない非礼を謝罪する、します。俺、いや、わたくしが望むのは、娘さんです」
「ほぅ。余には娘が二人いるが。どちらがいいのだ?」
キノは、心が暗くなる。(……やっぱりイズールは、シノのことが好きだったのか)
「あン? 姫さんよ、どうしてそこでうつむく?」イズールが首を傾げている。「あ、もしかして俺のこと好みじゃなかった? げっ、俺、今、フラれた⁉」
「…………へ?」
「をいをい、何を泣いているンだ?」イズールの太い指が、キノの頬に触れた。「俺はお前と一緒になりたいンだ。姫さん。キノ。キリヱスタ・ノルニル」
「えぇええええええええええええええええええええええええええッ⁉ 私⁉」
「何驚いてンだよ。これでも十年来、ずーーっと口説き続けてきたつもりなンだが。本当は昨日の夜に告げたかったんだが、一応ほら、親御さんに許しをもらってからの方がいいと思ってだな」
「あーっはっはっはっ!」父王が腹を抱える。「いいだろう。こんな娘で良いなら、いくらでもくれてやる。だが、一つだけ教えてくれ。娘のどこに一番、惚れた?」
「乗り心地」
「あっはっはっ! 恐れを知らぬ若造が。気に入った。だが、コイツはあくまで成功報酬だからな。挙式は、生きて戻ってきてからだ」
「~~~~っ!」父王とイズールが勝手に話を進める中で、キノは依然として自分の心を制御できずにいた。涙がボロボロとこぼれ、嗚咽が止まらない。(なんなんだ、この胸の高鳴りは。締め付けられるような快感は。美味しいものを食べている時とはまた別の、心地良さ。これが、『嬉しい』なのか?)
頭の中はぐちゃぐちゃで、気持ちはいっこうに整理が付きそうにないが、父王への復讐とはまた別の、『願いが叶った』という強い快感が胸の中にある。
ふと、壁に掛かった鏡に自分の顔が映り、キノはひどく戸惑った。(この顔は、見たことがある)
校舎裏でデュエットの口付けを目撃した時。抱きしめ合い、何度も何度も口付けし合っている少年少女のうち、少女の方がちょうどこんな顔をしていた。女子学生たちは、そういう顔や行為のことを、確か『恋愛』とか『恋』と呼んでいた。
(そうか、これが、『恋』か)キノの中で、いろいろなことが腑に落ちた。数年来、イズールとフレディに抱き続けてきた感覚に名前が付いた。(アズマ皇国への潜入任務と、敵女神【アマテラス・オリジン】の心臓破壊作戦。たった二人で敵陣のど真ん中に飛び込むンだ。きっと、非常な困難を伴うだろう。だが、この作戦を成功させることができれば)
イズールの『報酬』になることができれば。
(私のこの気持ちが――この、胸の奥がぐっと苦しくなって、切なくて、どうしようもなくワクワクするこの気持ちが、『恋』が、成就する。私は幸せになれる!)
(生きたい)寮への帰り道、キノはふわふわとした気持ちの中にいた。(生きて、イズールと一緒に幸せになりたい)
思えば、『生きたい』と明確に思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
この戦争に勝ち、イズールと一緒に温かな未来を育むこと。それが、キノの次なる『生きる目的』となった。父への復讐などより、よほど健全で人間らしい目標だ。
(だが、目標達成のためには、戦わなければならない)
戦うのだ、イズールと生きる未来のために。
作戦決行は、一週間後。




