序曲
目覚めると、眼下に満天の星空があった。
――ビュゥウウウウッ!
切り裂くような風の音とともに、キノは――ノルニル王国『棄却済王女』キリヱスタ・ノルニルは覚醒した。
(ここは――)
自問するまでもない。空。上空。致死量の自由落下の真っ最中である。鋼鉄の肌を貫くような冷風。高度は? 高度計は狂ってしまっていて使い物にならない。
(このままでは、死ぬ。死んでしまう!)
だがキノは、恐怖を体の外に追い出す。恐怖するだけでは状況は改善しないからだ。
「【ヱ―テル波照射・ヱ―テル五十単位――ラァー~~ッ!】」歌唱する。地上から帰ってきた反応は、「距離千五百。あと三十秒で墜落死か。起きろ、イズール!」
キノは己の体内――女神【アマテラス乙式】の中で気を失っている相棒――傭兵イズール・サンに告げる。が、応答はない。
「チッ。【女神送還・ヱ―テル一単位――ラッ!】」
キノは短く歌唱。とたん、キノを形作っていた鋼鉄の女神【アマテラス乙式】の装甲が光の粒子となって宙に溶け、中から身長百四十センチばかりの全裸の少女が現れた。月下に映える長い黒髪と、黒い瞳。この危機的状況に至ってなお涼しげな半眼と、あどけなさを強く残した齢十三の可憐な容姿。キノの、人間としての姿である。
同時に、光の中から大柄な男性――雄々しい角牛の頭蓋骨を被ったイズール・サンが出てきた。質素な柄のアズマ服――着物を、山賊のようにだらしなく気崩している。
「起きろイズール!」キノはイズールの腕を引き寄せ、力任せに顎を殴る。「起きろ!」
「はっ⁉」イズールが目を開いた――ようだ。仮面の所為で、キノからは彼の目が見えないが。彼はキノを抱きしめだして、「キノ、綺麗だ。顔も、体も、心も、何もかも」
寝ぼけているのか。このままでは、あと二十五秒で死ぬというのに。
「傾注!」イズールの脇腹を容赦なく殴りながら、キノは叫ぶ。「本機は現在、落下中。両名とも頭部が下。落下まで二十秒。再召喚する」
『本機』という言葉を聴いた瞬間、イズールに、明確に覚醒した様子があった。ただの寝ぼけた十七歳が、歴戦のパイロットに変化したのだ。
「了!」
「【女神召喚・アマテラス乙式・ヱ―テル千単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
ヱ―テル光がキノの臍の下から放出され、キノを包み込み、鋼鉄の肉、燃えるような赤き甲冑、全長七メートルの巨体、美しき女神【アマテラス乙式】へと変化する。
キノ――鋼鉄の女神でありながら、同時にキノ自身でもある【アマテラス乙式】の髪を、イズールがつかむ。キノは多少不快だが、仕方ない。イズールが、その恐るべき身体能力でもって自身をキノの背中へ手繰り寄せ、キノのハッチを開く。
「んッ」体内に潜り込まれる。この異物感は、実際に女神化した者にしか分かるまい。
「A/B、ゼロコンマ一秒」イズールからの、矢継ぎ早な指示。「三秒後に全力一秒」
「了。【足部A/B燃焼・ヱ―テル十単位――ラッ!】」
ボッ、とキノの両足の裏から鋭く短いアフターバーナーが噴出された。そのころにはもう、イズールが空恐ろしいほどの操縦技術でキノの両膝を絶妙な角度に曲げさせていた。強烈な噴進力が、キノの――【アマテラス乙式】の巨体を百八十度回転させる。
「【足部A/B全力燃焼・ヱ―テル百単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
続いて、約一秒間の足の裏の燃焼。大地を、敵女神の肌を焼いた両足が、音もなく着地した。上空数千メートルからの自由落下を、目覚めて数十秒でいなしたのである。
「ふぅ……」キノは内心、額の汗を拭う。実際の、鋼鉄の体は汗など搔かないが。「いやはや、素晴らしい操縦だったぞイズール――…ひゃぁっ⁉」
キノは上官面するのも忘れ、年相応の悲鳴を上げる。イズールが、キノへの意見具申もなしに勝手にキノ機を動かし始めたからだ。月明かりの下、六メートルの人型自動人形が、まるで子供がステップを踏むがごとき容易さで真横に飛ぶ。と同時、ついさきほどまでキノ機が立っていたその場所に吶喊する影があった。
「グギャァアアァァアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「魔物か⁉」
「是」イズールからの、短く鋭い回答。「多い。暗視・索敵求む」
「了。【暗視・ヱ―テル十単位――ラララッ!】」
ヱ―テルの載った短い歌唱。キノ機の両目がヱ―テル光を纏うと同時、キノの視界、そしてキノに搭乗しているイズールのモニタに、月明かりが強化された映像が浮かび上がる。目の前に、三匹のイノシシ型の魔物。大きい。体高五メートルはあるだろう。続いて、
「【全周囲ヱ―テル波照射・ヱ―テル五十単位――ラァー~~ッ!】」
キノの脳裏とイズールのモニタに、キノ機を中心とした同心円状のセンサーが映し出される。今、キノ機の周りには計十匹のイノシシ型魔物がいる。一斉に襲いかかってきた!
「バカにしているのか?」イズールが、キノの中で笑っている。イズールが抜刀した。と同時、目の前の三匹がアズマ皇国発祥の『金太郎アメ』のように輪切りになった。「東方不敗。剣豪イズールにお前たちのような雑魚が触れられるとでも?」
一方的な殺戮が始まった。
(最強だ)神速のイズールに体を操られながら、キノは自分たちの強さに酔いしれる。(イズールと私は、最強のデュヱットだ!)
「おい、イズール! サボってないで捌くのを手伝え」
女神化を解除したキノは、長い黒髪をテキパキを結い上げていく。丁寧に切り揃えられた前髪と、若さゆえの艶やかな長髪は、キノの自慢だ。引きずるくらいまで長いのにも、ちゃんと『理由』がある。黒髪、黒目、平坦ながら可憐なアズマ顔から、キノはアズマ皇国の『イチマツ人形』のような風貌をしている。だが、裸身の上から羽織っているのはノルニル将兵に支給された大振りのトレンチコートである。
身なりを整えたキノは、イノシシの解体に忙しい。何しろ相手は体高五メートルの魔獣。さぞ食いでがあるだろう。お気に入りの多機能ナイフで、イノシシ型魔物の腹をザクザクと捌いていく。
魔物の体表はヱ―テルの加護により、恐ろしく硬い。それこそマスケットの銃弾を弾くほどに。だから上位魔導具や、最上位魔導具の権化である女神の、より強力なヱ―テル攻撃で魔物の加護を突破するか、もしくは『男性歌唱師 』の低音域歌唱によって敵の加護を打ち消すしかない。
無論、剣豪イズールが振るう【アマテラス乙式】の刀にも低音域歌唱が載っている。だからこそ、硬い魔物が、まるで豆腐――アズマ皇国産の加工食品――のようにするりと斬られているのである。
(それにしても……)十一等分にされたイノシシのモツを引きずり出しながら、キノは戦慄する。(ただ一度剣を振るっただけで、十一等分? 魔術でもあるまいし)
先ほどの戦闘中。キノの目には、イズールがただ一度だけ刀を振るったようにしか見えなかった。が、事実としてイノシシたちは十回分の斬撃を受け、綺麗さっぱり切り分けられている。生きる伝説、東方不敗の傭兵、剣豪イズール・サンの神速剣だ。
「をいをいをい、サボってるのはてめーの方だぞ脳ミソヱ―テルのバカ姫様」茂みの中から、イズールが出てきた。「索敵が先だろうが。【スクルド】は――」
「ををををををッ⁉」キノは大興奮である。イズールの足元、杉の木の根元に生えているのは、「マツタケだ! アズマでしか採れないという、あの伝説の! ――ぎゃっ⁉」
「索敵が先だ、馬鹿」
「暴力反対だ!」叩かれた頭を撫ぜながら、「暴力は何も生まない」
「暴力の権化たる最強兵器・女神の召喚師が何を言ってンだか。ほら、早く」
「【女神召喚・伍式スクルド・ヱ―テル二千単位――ララルラルラァー~~ッ!】」
トレンチコートを脱ぎ捨てたキノの裸身、臍の下が輝き始める。溢れ出てきた光の粒子はキノの体を包み込み、やがて鋭利な設計の飛行機――全長十五メートルの巨体に変じる。
未だ原始的な飛行船しか存在しないこの世界にあって、異質も異質の存在。遠い宇宙の果てのとある星の住人であれば、『戦闘機』、『垂直離着陸機』と称したであろうフォルム。異世界より召喚された神々が、この星に持ち込んできたオーバーテクノロジーの一つ。
イズールが乗り込んできた。
――ドゥッ!
という重苦しい音とともに地面を焼いた飛行機が、満点の星空へと舞い上がる。
「【遮光・遮音・ヱ―テル百単位――ララルラルラァー~~~~ッ!】」
姿と音を隠しながら、カメラと化した瞳で眼下の森を眺めるキノ。哨戒機型女神【スクルド】は不慣れだが、暴走しそうになったらイズールが声で静めてくれるので心配ない。
「しし肉入りのキノコスープだぞ! 干しキノコの出汁としし肉の旨味が奏でるハーモニーを、とくと味わうがよい」
キリヱスタ・ノルニル。キノコ好きが長じて『キノ子』と揶揄されるこの姫が、敵地のど真ん中でイズールに手料理を振舞う。【女神召喚】をする度に全裸になる必要があるため、キノは全裸の上にトレンチコートのみ、といういつものスタイルである。
「常人なら、一日に一回【女神召喚】しただけで息切れするってのに……料理のためだけに【女神召喚】するようなヱ―テルバカは、世界中探したってお前一人だろうぜ」
「バカとは何だ」【アマテラス丙式】で炎を召喚したキノが、指先で鍋を熱しながら言う。トレンチコートの内側から新たなキノコを取り出しながら、「薪でやるより、繊細な温度管理が可能なンだ。キノコの旨味を壊すことなく引き出せる。大事なことだぞ」
「へいへいそうですか」イズールが角牛の仮面を少しずらしながら器に口を付け、「うおっ、美味⁉ こんな濃厚な旨味、生まれて初めてかもしれん」
「んっふっふっふっ。これがアズマ皇国産のシイタケの実力だ。もっとも、私はすでに自家栽培に成功しているがな。さきほど見つけたマツタケの栽培も期待大だ」
「マツタケは自家栽培が不可能って聞いたことがあるが」イズールが夜空を見上げる。「はぁ~。敵地のど真ん中で、肉たっぷりの温かなスープとは。どうしてこんなことになっちまったンだか」
「そうだな」キノは過去へと思いを馳せる。「どこまでさかのぼれば良いンだろうな? この潜入任務が決まった一週間前? 従軍した一年前? それとも――」




