第一章 灰の契約 7
焚き火が静かに爆ぜる。
夜風は冷たかった。
だがレインの身体には、妙な熱が残っている。
灰の力を使った後、いつもこうなる。
血が熱い。
鼓動が重い。
そして時々。
“自分ではない何か”が、身体の奥で目を覚ましそうになる。
「……おい」
リアの声。
気づけば、全員がこちらを見ていた。
「顔色悪いぞ」
「別に……」
立ち上がろうとして、レインの足元がふらつく。
視界が揺れた。
その瞬間。
頭の奥へ、知らない映像が流れ込む。
灰色の空。
燃え続ける大地。
巨大な竜。
無数の死体。
そして。
誰かの泣き声。
『……お願い……』
知らない声だった。
女の子。
幼い。
泣いている。
『もう、誰も死なせないで……』
映像が途切れる。
レインは膝をついた。
「レイン!?」
セレナが駆け寄る。
息が苦しい。
頭が割れそうに痛い。
その時だった。
『――見るな。』
灰の竜が低く唸る。
『――まだ思い出すな。』
「……何を」
レインは頭を押さえながら呟く。
「お前は……何を隠してる」
沈黙。
竜は答えない。
だが。
初めてだった。
この存在が、明確に“何かを恐れている”と感じたのは。
するとミシェルが近づいてくる。
「症状が悪化しているな」
「症状って言うなよ……」
リアが嫌そうに顔をしかめる。
ミシェルはしゃがみ込み、レインの瞳を観察した。
「……灰色化が進んでいる」
「灰色化?」
セレナが不安そうに問い返す。
「契約侵食の兆候だ」
ミシェルは淡々と説明する。
「高位存在との契約は、肉体・精神・魂を変質させる」
「魂……」
「普通の契約なら、ここまで酷くない」
その灰青色の瞳がレインを見据える。
「お前の契約相手は異常だ」
頭の奥で、灰の竜が笑った。
『――当然だ。』
低く。
古く。
世界の底から響くような声。
『――我は“灰冠”。』
『――滅びを喰らう者。』
その瞬間。
焚き火が揺らいだ。
空気が重く沈む。
リアが咄嗟に剣へ手をかける。
「今の声……」
ミシェルの目が細められる。
「直接干渉か」
セレナだけが怯えた顔をしていた。
「レイン……」
レインは唇を噛む。
自分の中にいる。
こんな化け物が。
その事実が怖かった。
すると。
『――恐れるか?』
竜が囁く。
『――ならば契約を断つか?』
レインの呼吸が止まる。
断つ。
それはつまり。
力を失うということ。
守れなくなるということ。
廃坑での光景が脳裏をよぎる。
泣き叫ぶ人々。
助けを求める声。
崩れていく命。
あの時。
力がなければ全員死んでいた。
レインはゆっくり目を閉じる。
「……断らない」
セレナの肩が震える。
リアは苦い顔をした。
ミシェルだけが静かにレインを見ている。
竜は小さく笑った。
『――ならば進め。』
『――お前はいずれ理解する。』
「何をだ」
返答はなかった。
代わりに。
山の奥から、
低い振動音が響いた。
<ゴゴ……。>
地面が僅かに揺れる。
全員の顔色が変わった。
リアが即座に立ち上がる。
「……またか」
騎士団の方も騒がしくなっていた。
誰かが叫ぶ。
「深淵反応だ!!」
空気が一変する。
レインたちは同時に立ち上がった。
山の奥。
暗闇の中で。
赤黒い光が脈動していた。
まるで巨大な心臓のように。
ミシェルが険しい顔で呟く。
「あり得ない……」
「何がだ」
「深淵門反応が急激に増大している」
その瞬間。
空が裂けた。
黒い亀裂。
夜空を横断する巨大な裂け目。
そこから。
“何か”がこちらを覗いていた。
巨大な瞳。
赤黒い単眼。
それだけで理解してしまう。
見てはいけないものだと。
セレナが震える声を漏らす。
「……うそ……」
次の瞬間。
裂け目の向こうから、無数の“手”が伸びてきた。
人間の腕。
黒く変色し、異様に長く歪んだ腕。
それらが空から降り注ぐ。
地獄だった。
悲鳴。
絶叫。
騎士団が迎撃へ動く。
リアが剣を抜く。
ミシェルの周囲へ魔法陣が展開する。
その時。
頭の奥で、
灰の竜が静かに告げた。
『――始まるぞ。』
レインは嫌な予感を覚えた。
本能が警鐘を鳴らしている。
これは。
廃坑とは比べ物にならない。
本当の“災厄”の始まりだと。




