第一章 灰の契約 6
坑道を出た頃には、夜の帳が山々を覆っていた。
西部廃坑周辺には臨時野営地が作られ、騎士団が慌ただしく負傷者の手当てを行っている。
だが。
空気は重かった。
誰もが見てしまったのだ。
あの怪物を。
人間が溶け合い、助けを求めながら増殖していく、深淵の成れの果てを。
焚き火の前に座るレインは、自分の手を見つめていた。
灰色の魔力は消えている。
けれど。
まだ身体の奥に、熱が残っていた。
異物感。
まるで、自分の中へ別の生き物が住み着いているような感覚。
「……本当に生きてる?」
不意に声が飛んだ。
振り向くと、セレナが心配そうに覗き込んでいる。
「その確認やめろ」
「だって顔色が死人なんだもん……」
彼女はレインの隣へ座り込み、小さく息を吐いた。
「無茶しすぎ」
「……そうか?」
「そうだよ!」
珍しく強い口調だった。
セレナは膝を抱えながら俯く。
「レイン、最近どんどん危ないことする」
「守るためだ」
「分かってる!」
その声には、怒りより不安が混じっていた。
レインは言葉を失う。
するとセレナは、小さな声で続けた。
「でも……いなくなるのは嫌」
胸が痛んだ。
レインは無意識に目を逸らす。
言えなかった。
既に、少しずつ彼女の記憶が欠け始めていることを。
その時だった。
「お前ら、暗い」
突然、横から声が飛ぶ。
リアだった。
赤髪の少女は焼いた肉串を片手に立っている。
「ほら、食え」
半ば強引に肉串を押し付けてくる。
レインは困惑した。
「……なんで」
「なんでってなんだ」
「いや、お前がこういうことするイメージなかった」
リアは露骨に嫌そうな顔をした。
「失礼だな」
「実際そうだろ」
「……まあ否定はしない」
セレナが思わず吹き出す。
少しだけ空気が軽くなった。
リアは焚き火の向こうへ腰を下ろす。
炎の赤が、彼女の髪を揺らしていた。
「だが」
彼女は静かに言う。
「今日のお前は、ちゃんと戦士だった」
レインが顔を上げる。
リアは真っ直ぐこちらを見ていた。
「怖くても前へ出た。逃げなかった」
その瞳には、確かな敬意があった。
「……褒めてるのか?」
「一応な」
「一応なんだ」
リアは鼻を鳴らす。
「ただし、次はもっと周りを見ろ」
「?」
「自分だけで突っ走るな。死ぬぞ」
レインは苦笑した。
図星だった。
すると。
「それに」
リアが少しだけ目を細める。
「お前、自分が壊れてることに気づいてるだろ」
空気が止まった。
セレナの肩が揺れる。
レインは答えられない。
リアは続けた。
「戦ってる時のお前、感情が消える」
焚き火が静かに爆ぜる。
「まるで、人間じゃなくなるみたいだった」
その言葉に、レインの背筋が冷えた。
自分でも分かっている。
灰の力を使うたび、心が遠くなる。
怒りも。
恐怖も。
痛みすら。
全部、薄くなっていく。
まるで、
“何か別の存在”へ変わっていくように。
その時。
「正確には侵食だな」
ミシェルが現れた。
いつの間に来たのか分からなかった。
黒髪の青年は、無表情のまま焚き火の近くへ座る。
「侵食?」
セレナが眉をひそめる。
ミシェルは頷いた。
「高位契約存在は、契約者へ影響を及ぼす」
「……つまり?」
「お前は少しずつ“竜”になっている」
沈黙。
誰もすぐには言葉を発せなかった。
レインはゆっくり拳を握る。
「……治るのか」
ミシェルは即答しなかった。
その沈黙だけで、十分すぎた。
セレナの顔色が青ざめる。
リアが低く舌打ちした。
「クソみたいな力だな」
「だが強い」
ミシェルは淡々と返す。
「だからこそ危険だ」
その時。
頭の奥で、灰の竜が低く笑った。
『――ようやく理解し始めたか。』
レインは顔をしかめる。
“竜になる”。
その言葉が胸に重く沈んでいた。
もし本当に人間でなくなるなら。
その時、自分は。
まだ、“自分”でいられるのだろうか。




