第一章 灰の契約 20
夜明けが近づいていた。
崩壊した山。
焼け焦げた森。
深淵との戦いの痕跡が、世界へ深く刻まれている。
騎士団は負傷者の救護に追われていた。
誰もが疲弊している。
だが。
最も重い空気が漂っていたのは、レインたちの周囲だった。
セレナは泣き疲れ、小さく肩を震わせている。
リアは黙ったまま空を睨んでいた。
ミシェルだけが、静かにレインを観察している。
そして。
レイン本人だけが、その空気の理由を理解できていなかった。
胸の奥が空っぽだ。
何か大切なものを失った。
それだけは分かる。
でも。
思い出せない。
その時。
学園長が静かに口を開いた。
「移動します」
彼女の周囲へ、銀色の魔法陣が広がる。
<高度転移術式>
王国でも扱える者は数人しかいない。
リアが眉を上げた。
「派手な魔法使うな……」
学園長は答えない。
ただ、レインを見ていた。
その視線に。奇妙な既視感がある。
レインは眉をひそめる。
「……どこかで会った?」
学園長の指先が、僅かに震えた。
だが。
彼女は穏やかに微笑む。
「いいえ」
嘘だ。
なぜか、レインはそう思った。
でも。
追及する気力がない。
その時。
セレナが立ち上がった。
涙で濡れた顔のまま。
「……私も行く」
リアが目を見開く。
「お前」
「行く」
震えていた。
でも。
その目だけは強かった。
「忘れられてもいい」
レインの瞳が揺れる。
セレナは泣きながら笑った。
「また友達になるから」
胸が痛む。
ズキリと。
激しく。
レインは思わず胸元を押さえた。
何か。
何か大事なことを思い出しかけている。
でも。
届かない。
霧がかかったみたいに。
その時。
灰の竜が、かすかに呟いた。
『――覚えている。』
レインの目が見開かれる。
「……え」
『――お前の魂は、まだ完全には失っていない。』
竜の声は弱っていた。
今までになく。
『――だから痛む。』
その言葉に、レインは息を呑む。
痛み。
それは。
失った証ではなく。
“残っている証”。
レインはゆっくりセレナを見る。
泣きながら笑う少女。
知らない。
思い出せない。
なのに。
どうしようもなく、
失いたくないと思った。
その感情だけは本物だった。
学園長が静かに魔法陣を起動する。
銀光が広がる。
「王立魔導学園へ転移します」
風が巻き起こる。
景色が歪む。
その瞬間。
レインは遠くを見る。
崩壊した深淵門。
閉じた裂け目。
だが。
その奥から。
“視線”を感じた。
巨大で。
冷たく。
果てしなく暗い視線。
深淵は消えていない。
終わっていない。
むしろ。
始まったのだと。
レインは本能で理解した。
そして。
裂け目が完全に閉じる寸前。
闇の奥で。
何かが笑った。




