第一章 灰の契約 17
深淵の指が軋む。
灰炎が押し返していた。
あり得ない光景だった。
人間一人が、世界災害そのものを止めている。
だが。
レインの顔色は急速に白くなっていた。
侵食。
記憶喪失。
魂の摩耗。
限界が近い。
それでも。
レインは拳を押し込み続ける。
「――ッ、ぁああああ!!」
灰炎が爆ぜる。
その瞬間。
深淵の指へ、無数の“亀裂”が走った。
裂け目の奥で、巨大な瞳が揺れる。
深淵が驚いていた。
自分が押されている。
その事実に。
灰の竜が低く告げる。
『――今だ。』
レインは息を呑む。
『――門核を砕け。』
視線の先。
裂け目の中心。
黒い心臓が脈打っている。
あれを壊せば。
終わる。
だが。
届かない。
距離が遠すぎる。
その時だった。
「レイン!!」
リアの声。
振り向く。
赤髪の少女が、大剣を地面へ突き立てていた。
膨大な魔力が渦巻く。
「ぶっ飛ばしてやる!!」
レインの目が見開かれる。
次の瞬間。
リアが大剣を振り上げた。
「《紅蓮衝界》ォォォ!!」
爆炎
巨大な紅い衝撃波が、レインの背中を押し上げる。
凄まじい加速。
空間が歪む。
さらに。
「《雷導加速術式》」
ミシェルの紫電が、レインの身体へ絡みつく。
速度が跳ね上がる。
音を超える。
景色が流れる。
二人の声が重なる。
「行けぇぇぇぇッ!!」
レインは歯を食いしばる。
背中を押されている。
一人じゃない。
その感覚が。
消えかけた心を、強く揺さぶった。
レインは門核へ拳を構える。
灰炎が収束する。
限界まで。
魂が軋む。
灰の竜が静かに言う。
『――この一撃で、お前はさらに失う。』
レインの瞳が揺れる。
何を?
その問いへ、竜は答えない。
答えなくても分かってしまった。
また。
大切な何かが消える。
怖い。
怖かった。
でも。
レインは笑った。
「……あとで思い出させてもらう」
灰の竜が沈黙する。
その言葉は。
どこか昔、誰かが言った言葉に似ていた。
次の瞬間。
レインは門核へ到達した。
黒い心臓。
世界の癌。
深淵の核。
それが。
初めて恐怖した。
レインは拳を叩き込む。
「終われぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
灰炎が炸裂した。
世界が白く染まる。
轟音
いや。
音すら超えた破壊。
黒い心臓へ、巨大な亀裂が走る。
裂け目全体が震えた。
深淵の絶叫。
世界そのものが悲鳴を上げる。
レインはさらに押し込む。
拳が砕ける。
骨が軋む。
それでも止まらない。
灰の竜が咆哮する。
世界を震わせる咆哮。
そして。
門核が、
完全に砕け散った。
瞬間
空が崩壊した。
裂け目が閉じ始める。
深淵の指が崩れていく。
黒い肉が灰となり、世界の外側へ引きずり戻される。
深淵が怒号を上げる。
憎悪。
殺意。
執念。
全てを込めた絶叫。
その巨大な瞳が、最後にレインを見た。
まるで。
“覚えた”
と言わんばかりに。
そして。
裂け目が閉じた。
静寂。
空には、星が戻っていた。
誰も動けなかった。
終わった。
本当に。
あの災厄を退けた。
だが。
空中で。
レインの身体が、ゆっくり落ち始める。
灰炎が消えていく。
翼が崩れる。
セレナの顔色が変わった。
「レイン!!」
彼女は走る。
必死に。
泣きながら。
レインの意識は薄れていた。
寒い。
眠い。
頭の中が白い。
何か大切なものを、また失った気がする。
でも。
何を失ったのか、分からない。
その時。
灰の竜が静かに呟いた。
『――……すまない。』
初めてだった。
この竜が。
心から謝ったのは。
全6章構成で、1章6万字程度・・・GW中には完結する(予定) 私が竜にならなければ・・・




