三十、邂逅
「どこまで行かれるのですか? それもこのような夜更けに」
まだちょっとグズってる玲華ちゃんを背中であやしながら、龍が訊く。燭を手に前を進む≪鄧梧≫は振り返りもせずに言う。
「今少しご辛抱を……殿下――第二公子様がおわす東宮まではそう歩きはしませぬ」
「俺に会いたいって人は、第二公子殿下――つまり、おひい様のお兄さんなんですか?」
「然様。……しかし、騒ぎを聞きつけて参じた廟殿にて、噂の≪神怪≫、≪朱蝶≫様があらせられるとは……」
低く感激したような口調で、応じる≪鄧梧≫はそれでも振り返らない。
「かの北部≪威名≫将どのが、公師帥を拝命された事は存じ上げておりましたが……しかし、よろしいのですか? 大夫たる御身が己らを、しかもこのような深更に殿下の元へと導かれるなど……」
――元・北部将、≪鄧梧≫。
龍の話によると、彼は元々北鄙近辺で活躍してた武将らしい。北鄙近辺には帝域東部の異民族≪夷≫っていう人々がいらっしゃるそうで。
≪鄧梧≫は、彼らを撃退して名を上げたそうだ。
ふたつ名は≪威名≫。≪夷≫と≪威≫の発音が近いから、掛かってるらしい。長双さんが南でムーとの大戦で名を上げ始めた頃には、一軍の将として活躍してたそうで。
公国の民からは「国に≪二名≫あり。北を圧せし≪威名≫、南に轟し≪雷名≫」なんて言われてたらしい。
今はこの都の公師帥――つまり、近衛軍の指揮官のひとりというわけで。
「第二公子殿下は、英雄を好まれ、また鬼神のたぐいを好まれます。かの≪朱蝶≫様とあらば、御床を払ってでもお会いになられるでしょう。……それに、この時分ならば、あちらにおわすはずゆえ……」
そう呟きながら、広くて暗い宮殿の中を迷わずに進んで行く≪鄧梧≫。
どんどん進む≪鄧梧≫の持つ灯りに浮び上がる宮殿内はちょっと不気味。俺たちが居た廟殿っていう建物から、たぶん本殿――朝廷とか謁見の間がある建物を抜け、さらに廟殿があるほうとは本殿を挟んで対極に位置する建物へと入っていく。
どうやら、ここが東宮ってのらしい。それでも≪鄧梧≫の脚は止まらない。
東宮っていうらしい建物も抜けると、割と近くに壁が見える。宮城の壁だ。屋外に出ちゃったけど?
壁との間に広がる庭園の隅、何も無い開けた広場へと向かう≪鄧梧≫。
――やがて、彼は足を止めた。
何も無い広場だと思った地面には、重そうな二枚の大理石みたいな岩の板が並んで地面に寝るように置かれてる。
いや、板じゃないね。金属製の取っ手が付いてるし、良く見りゃ、両端には蝶番もあるみたい……すべすべした岩製の扉だ。
≪鄧梧≫は灯火を地面に置くと、その扉を開け放つ。
――地下へと降りる、石造りの広い階段。そして、同じく石造りの通路が地の底へと伸びていた――
―――
妭はそろりと宮中を歩いていた。
廟殿から西宮の自室へと戻るところ。
「……やはり、尚を連れてくるべきだったか……」
龍に朱蝶が四日ぶりに目醒めたと聴いたのは、今日の夕刻だった。
その龍が言うには、朱蝶の様子がおかしい。
そもそも、長双がいなくなってから呆けたようだったのに、何がおかしいと言うのか。そう、問うと、
――今宵にも、消えてしまうような気が致します――
……そこで、とりあえず朱蝶の部屋の入口で龍と待ってみる事にした。
眠る気配が無い。そう思っていたら、扉が開く。旅装の朱蝶が阿呆面を下げて出て来た。そう思ったら、引っ込む。
……話を聴いてみれば、度し難い阿呆だという事が知れた。
腹が立ったので、仕置きをした帰りなのだが……。
「……不気味だ……」
なにやら宮中がいつになく淀んでいる気がする。
まるで自身が産まれ育った場では無いような気さえしてくる。見た目にはそれほど変わっていないように見えるのだが……。
――灯り。
次の曲がり角の奥から、この手に持つものとは別の燭が進んで来る。
尚か? しかし、尚には何も伝えていない。……悪神どもは尚の部屋へと押し込めているし、このような夜更けに動く事はあるまい。
「――何ものか?」
誰何に、灯りの主は応えない。ただ、ゆっくりと宮の廊下を進んで来る――
≪竜眼≫を開放し、待ち構えた。
西宮にて仕える女官かもしれない。――いや、ならば慄いて逃げる、あるいは跪いて赦しを乞う事はあっても、近づいて来る事はあるまい。
宮中も、宮城外も、夜歩きは禁止されている。
過ちの元だからだ。では、いったい何者が? それも宮中、公女と巫祝しかいないはずの西宮を誰が歩いているのか?
灯り。その元が、角を曲がって姿を現した――
「兄、上?」
知った顔。同腹の兄にして第二公子、≪皐琴≫――
なぜ、東宮に居るはずの兄が、夜更けに西宮に?
「妭、か?」
最初に思ったのは、女官への夜這い。
――だが、清廉にして生真面目なこの兄は、そのような事はしない。
太子の≪皐甘≫ならばまだしも、琴兄がそのような事をなそうはずが無い。
巫術の才に恵まれずとも、兄は強く静謐な≪意≫を持っている。
同じ腹から出たこの兄を悪く言ってしまうのは、能があるのに隠そうとするから。
太子の手前、そして妹の妭にさえ、いつでも一歩を譲っているから。
宮からさっさと離れてしまえば良いものを、無能と偽る為に兄が宮に留まっている事を知っている。
だから、才も乏しい巫術に躍起になったふりをし、不器用に阿呆を気取る兄が正直、疎ましい。
それでも、才智は隠せないから、ひとを集めて太子の不興を買う。
どこか締まらない。隠しきれぬならば、おおやけにしてしまえば良いものを。
どうも許せない兄。
その強い≪意≫をひとたび発露させれば鳳のごとく羽ばたけるものを、無理に縮こまろうとする兄――
――その兄の手に白刃が握られている――
「なあ、妭? わたしは公たる器か?」
兄は、こちらとあちら、ふたつの燭の灯りを白刃に煌めかせながら、問うてくる。
「……西宮にて、何をしておられる?」
「母の系は、そなたにこそ色濃く出た。……ならば、わたしには父たる公の系が濃く及んでいるはず。……そう、思わぬか?」
「……兄上、このような夜更けに西宮にて、何をしておられるのじゃ?」
「……あの≪首≫が言うのだ。そなたが煩わしい、と。わたしが公になる為に、そなたが障る、と……」
――ばかな……。
兄が公位を望んでおられる? そのようなばかな話があってたまるかっ!!
「琴兄上は、……皐琴殿下には、そのような大逆の≪意≫は無いっ!! ……兄を騙る痴れ者めっ!!」
≪竜眼≫に力を込める。力を込めて、眼前の男を縛り付ける。だが――
「聡いそなたならば、気づいていよう?」
――その男の歩みは止まらない。
少し鈍っただけで、じりじりと近づいてくる。
この男は≪神格≫では無い。≪竜眼≫を使えばその程度の事はわかる。にも関わらず、≪竜眼≫に縛られながら動けるのだ。
――それは証だ。≪禺≫の系が、竜の呪詛がその身に及んでいる証。
龍の身体を借りた朱蝶が≪竜眼≫で縛られながらも喋る事が出来たのは、龍の身体に≪禺≫の系が及んでいたから。
無論、龍当人とは比べものにならないほど効く。身体の操り方をより知っているのは、その身体の主だ。
だが、≪禺≫の系が及んだ者の身体には、無形の毒のようなものが廻っている。
それが、≪竜気≫すらも弾く。
――その系が及ぶ者は、妾のほかにはふたりしか知らぬ。
龍と、もうひとり。
「……兄、上。……皐琴殿下……」
――灯りに浮ぶ兄の相貌がゆがんで見える。
兄の≪意≫を捉え損なっていたのか? それとも兄がゆがんでしまっただけなのか?
「――なぜ……?」
「わたしは、気づいてしまったのだ。本当のわたしの≪意≫に。……ただ、それだけだ。……そして、今宵、とうとうかの≪神怪≫が眼醒め、ここを離れようとしておる。……時は無い」
兄が剣を持ち上げる。ゆっくりと、近づきながら。こちらに向けて剣を翳している――
「……朱蝶か? 朱蝶の何が兄上にそのような狂気を持たせたというのじゃ? ……なぜ、公位なのじゃ? なぜ、妾に刃を向けようとなさる? ――なぜ――っ?!」
このような兄など、望んではいない。
このように大逆を語る兄など見たくは無い。
――兄には、幾度か言った事がある。望むように生きれば良いのではないか、と。だが――
「そなたが望む兄とは、まさに今のわたしであろう?」
「――そのような――っ」
…………望んだ事など無かった。
琴兄が公位を継げば良い……それを幽かに想った事はある。しかし、それは夢想とも言えぬようなものだった。
何より、琴兄が本当にそれを望めば、幾らでも穏当な方策はあるだろう。――なぜ、この身を害おうとするのか?
≪首≫――兄は、≪首≫が語ると言った……。
「……≪首≫――っ! もしや、それは――」
「……もう、語るな、≪巫姫≫よ。そなたの兄は、このような男だったと言うだけだ――」
兄の端整な微笑み。
――白刃の煌めきが、妾の上に降りかかる――
―――
「降りなされ。この階の下に殿下がおわすはず」
重い岩製の扉をそうっと寝かせて、≪鄧梧≫がそう言った。
「己らが先に立ってよろしいのですか?」
「下のほうに灯りが見えよう? やはり、殿下はこちらにおわす」
そう言って龍の問いかけをスルーしながら、≪鄧梧≫は拾った燭台を俺に手渡す。
俺が先に行けって事なんだろうか?
……まあ、おひい様の兄貴なら、会うぐらいやぶさかじゃねーけどさ。
「……わかりました」
俺は龍に目配せしながらそう言った。
龍も頷き返してくる。
――俺の鍛えられた第六感が言ってる。
なーんか、ヤバい、って。
心――器から≪異気≫を引きずり出す。まずは身体を強化。続いてゆっくりと拡げ、圧縮していく。
≪鄧梧≫に気づかれないように慎重に。
龍や玲華ちゃんを守れる程度の大きさ――俺を中心に3メートルぐらい。それを維持できる程度の≪異気≫を引きずり出し、圧縮しながら、石の階段を降りて行く。
じめっとした空気。それを透かして、壁に突き刺さった松明が輝いてる。
広がった階段の先、思ったより広い、奥行5メートルぐらいはありそうな空間。天井までの高さは3メートルぐらいか?
一段一段が高い階段は、途中から広がったその空間の床まで続いてる。
なんか奥のほうに木材の台の脚みたいのが見える。その上のほうが、徐々に明らかになる。俺が一段降りるたびに。
――その視線の先に、俺は信じられないものを見た。
それと眼が合っていた。
俺は停止する。
「朱蝶どの?」
「――漸く、会えたな。我が継子よ――」
その≪生首≫は、そう言って眼を細めた――




