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意天  作者: 安藤 兎六羽
三章 悪神
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十五、朱蝶、準備する



「以前にも説明したと思いますが、ひとは誰でも多かれ少なかれ≪気≫というものに助けられていながら、それを自覚する確かな術を持たないのです」


 俺は長双さんの言葉に頷いた。

 そう、それは聴いたね。俺の肩が外れた時だったっけ。

 この世界には≪気≫なんて不思議存在がありながら、それを認識して量る尺度と手段がほぼ無いに等しい。


「姫様が≪竜眼≫で、また私の眼や肌が≪気≫の乱れを捉えるという事は非常に稀有な事なのです。≪神≫や≪仙≫ならばそのような技を得てもいるのかもしれませんが。……しかし」


「……俺には何となくわかりますね?」


 長双さんが頷いた。

 俺には、≪異気≫の大きさや、力の量というか、嵩がなんとなくわかる。


(この身が、朱蝶のものとなってから知れた事だが、≪異気≫というものはどうやら≪気≫とは僅かに異なる。≪気≫――≪ダオ≫には際限が無いゆえ、己の限界などというものがわかり難い。片や≪異気≫には終わりがある。区切りが付いているのだ)


 まさに≪異なる気≫というわけだ。ツァンは興味深そうにそう言った。

 これまでスルーして来たけど、確かに俺には俺の拡げる≪異気≫の大きさがなんとなくわかって、それにはなんつーか感触・・的なものまである。

 だから下手糞なりにも調整とかができて来たわけだ。≪大荒≫に行った時も、≪神≫との戦闘でも、前回の四姐との闘いでも、その感触は地味に役立った。


「ひとの身体は≪異気≫を従えるようには出来ていないのでしょう。戦場などではそのような≪気≫の乱れを頻繁に目にしましたが、そのような場では体調を崩す士卒が多かったように思います」


 なるほど。

 俺は≪神怪≫だから影響が無いってわけか。

 いや? 影響が無いから≪神怪≫になったってわけなのか?


(……恐るべきは朱蝶の眼前の≪雷名≫よ。生前、剣を交えた時には気づかなんだが、≪雷名≫が従え得る≪気≫はひととしては多かろうが決して≪ダオ≫に好かれた者としては多いほうでは無い。その点では己のほうに幾らか分があったはずだ。しかし……)


 ツァン師匠の言葉を受けて、俺は改めて長双さんの体内にある力の量を量る。

 千人ぶんぐらいはありそう。


(朱蝶に従い≪大荒≫とやらに行った為か、己にも力量を把捉し得るな……。≪雷名≫の力量は、九百人前といったところか。万夫不当とはよくも言ったものよ。己が、己が身体を持っておった頃と同じ程の力量と見える)


 どうやら、あの≪大荒≫で死にかけたことは徒労じゃ無かったらしい。

 俺が、力の有無を感知できるのは、力がまるで大気に含まれて無いあの≪大荒≫に行ったから、というわけか。


……それにしても。……なるほど。長双さんはアバウトに九百人ぶんの力を発揮することができる、と。

 で、たぶん四姐は数万人ぶんぐらいだから、長双さんの数十倍の力を発揮できるわけか。


(ざる勘定にも程がある。かの悪神の力量は五十万人前を下るまい)


「……ごじゅ……」


「朱蝶どの?」


 長双さんが、南鄙の城壁の前で崩れ落ちた俺の様子に怪訝な面持ちを返して来る。

 フ○ーザ様かよ? 「わたしの戦闘力は53万です」ってか?


「長双様ー! 朱蝶どのー!」


 尚の声だ。

 見れば、背中に十三女を背負ってる。

 駆け寄ってきた尚は、長双さんと俺の前で立ち止まり、十三女を背中から降ろしながら四つん這い状態の俺を見る。


「朱蝶どの? いかがされました?」


「…………いや、ちょっと絶望してただけです」


「絶望?」


「尚どの、朱蝶どの。只今は朱蝶どのがご自身の態を把捉されたという事で、次に参りましょう」


 長双さんはとても冷静に議事進行に勤める。


「次は四女どのの事を、十三女どのに伺いましょう」


 そう言って、尚の手を握る十三女へと長双さんは水を向けた――




 ―――




 さらに一日が経過。

 十三女の話によれば、例の≪脩神≫の呪詛とやらが治まるには五日ぐらいはかかるらしい。

……ということはそろそろのはず。


 四姐と闘ってから今日で五日目なんだ。


「……朱蝶どの、集中してください」


(朱蝶は、勝つつもりが無いのか?)


「……すみません」


 そわそわしてたら、両師匠から注意された。

 その様子を尚と十三女が横から見てる。


 俺たちは今、南鄙から西へ六十里――25キロほど離れた、湖沼地帯にいる。

 湖沼地帯とは言っても、暫らく雨が降って無いせいで乾燥してひび割れた地面の上にところどころ灌木が転がっているだけの殺風景な景色だ。

 四姐が襲来するまで、ここで野営することになってる。


 少し行けば森があるし、その中には泉もあるから水の心配も無い。乾燥させた餅も推オジサンに尚が大量に貰って来たから、炭水化物も十分。

 ついでに昨日の夜、長双さんが狩って来た獲物もあるので、タンパク質も十二分。


 そして、四姐に対する餌の十三女もいるから、俺はココで四姐を迎え撃つことになる予定。

 で、その俺は何をしてるかというと、ひと気の無い森を彷徨い、湖沼地帯を練り歩き、ひたすら≪異気≫を中途半端に拡げて力を収集してる。


「こんなんで、四姐に勝てるのかなー?」


 十三女の言葉には俺も同意。

 本当にこれで大丈夫なのか、不安になる。




 ―――




「……朱蝶どのは≪大荒≫から帰還した折、生者の鬼を剥がさんばかりに力を貪っていました……」


 十三女の話を聞いた後で、ぽつりと長双さんが溢した言葉。


 実にイヤな思い出だ。できれば消してしまいたい。

 あれのせいで、俺はムーの人たちから私刑リンチされたし、ムーの村を出発する時にも『ひと≪喰い≫の人妖め!』なんて言葉を投げかけられたりしたんだ。


(……その為に、朱蝶は≪異気≫を存分に操れぬのではないか?)


「……ああ、イップスってヤツかな?」


 アレだ。職業運動選手プロ・アスリートなんかがなるヤツ。

 一度、失敗してしまったシチュエーションで、同じような失敗を重ねてしまうこと。


 それを不思議そうな顔をしてる一同にかいつまんで説明。


「なるほど。朱蝶どのにとっては、≪異気≫はすぐさま生者にも影響を及ぼしてしまう、言わば凶器というわけですか……」


 長双さんが言った言葉に、俺は納得してしまう。

 自慢じゃないが、俺はヘタれだ。

 ≪異気≫なんか使いたくないし、できれば戦闘なんてものもしたくは無い。

 というか、確かに≪異気≫を使おうとすると、身体の力が抜ける気がする。


……ちょっとコワいのは、なんだかんだで身体にダメージを負うことに慣れてきてしまってること。

 俺は、キズつけるよりもキズつけられるほうが楽だと思ってるのかもしれない。



(チッ!)


 ツァンに舌打ちされた。なんか機嫌が悪い。

 相変わらず俺の中にいる精神体の人たちはどうやって、物理効果を演出してるんだろうか?


「……ならば、周囲にひとがおらぬ場なれば、朱蝶どのにも勝機はある、……という事になりませぬか?」


 尚の提案に、長双さんが我が≪意≫を得たりと微笑んだ――




 ―――




 で、この乾いた湖沼地帯、ということになった。


 場所は推オジサンが朗召おじいちゃんに聴いて選定したらしい。

……こないだ倒れたばっかりだってのに、おじいちゃん本当に大変。


(これで、漸く万人ぶんというところか……)


 ツァン師匠の呟き。

 俺は≪異気≫を五十里――20キロ強ぐらいの大きさに拡げてる。

 近場に人がいないせいか、俺はあんまり抵抗無く≪異気≫を拡げてる。


 ただ、≪異気≫の大きさとか働き加減とかは傍から見てる長双さんと、身体ん中のツァン任せだ。

 百戦錬磨の長双さんは見て感じるだけで≪異気≫の働き具合がわかるらしい。ムー最強の戦士だったツァンには割と詳細なエネルギー量と≪異気≫の大きさがわかるっぽい。

 歴戦の強者のなせる技ってことなんだろう。


(朱蝶も覚えよ! 己や≪雷名≫がいつまでもいると思うなよ!)


 叱られた。

 ぐぅの音も出ません。

……だけど、あんまり不吉なことは言わないで欲しい。

 俺は長双さんを死なせるつもりなんか無い。ツァン師匠には心残りを遂げて成仏して貰いたいと思ってるけど。



『……ひとというものは恐ろしいな……』


 大人しかった蛟が呟いた。


『あれほど隔絶した存在に、挑もうとする。……さらには、その術を編み出そうと努め、結ぼうとする……母が討たれ、この身がお前のものになったわけだ』


 でも、たぶんそれは買い被りってモンだ。

 俺は厳密に言えば、人間未満だし、ここにいる面子も随分人間離れしてる。

 十三女に至っては悪神だ。


 その十三女は、こそこそ尚の武器に向かってなんかしてる。……もの凄くイヤな予感がする。

 あと、気になるのはおひい様の動向だ。

 おひい様は、推オジサンの提案を俺がノリで飲んだ後、こっちにまるで顔を見せない。

……こっちはこっちでなんかイヤな予感がする。



「それでは、予定通りに一度、試みてみましょうか?」


 長双さんの声。


(頼む)


 ツァンの声が俺の体内へと落ち込む。


(……では、朱蝶様。剣を構え、わたくしどもに続いて、祝詛を述べて下され。よろしいでしょうか?)


 俺の体内にいる三人の巫祝――おひい様の元・部下たちがそう言った。

 そう、彼らは巫祝なんだ――


「……『太極は陽。陽は少陰。日月は宙空に麗し、五穀草木は地上に麗し。重黎は日月歳を計り、火正、祝融を戴く』……」


 いつか聴いた祝詛。

 周囲の≪異気≫が変化してるのが、俺にもわかる。

 俺が変化させてるって言うよりは、俺の頭ん中の巫祝が俺の≪異気≫に対してなんか働きかけてるみたいだ。


「『――明、熾れ。明を以って、四方を照らす。――≪神怪≫、≪朱蝶≫の名において命ずる。金器に刻まれし我が主が血に宿れ、≪離≫――≪豪焔ごうえん≫』」


 変化した≪異気≫が剣に纏わり付いて、火花を散らす。

 三人が斉唱する呪文を、俺が追うことで、それは形になり、やがて大きな一塊の炎に――

――剣が炎に包まれた――



(……やはり、≪巫姫≫様ほどの祝詛は……)


 俺の中の巫祝のひとりが情けなさそうに言う。


……この人が言うことによれば、呪文をただ唱えても意味が無いってことらしい。

 呪文の≪意≫を知り、深く追求し、操る≪気≫や≪異気≫を≪陰気≫と≪陽気≫に別けて、さらに細かく寸断し、やがて見出すことができるその底にある≪意≫。

 その理解の深さ――≪意≫の本性を見極めることによって、呪文の効力は異なるらしい。


 今回の場合は、その発動条件を三人が俺に代わってやってくれたわけだ。

 だけど、それでもおひい様の巫術には遠く及ばない。

 あの時は、剣の柄を握ってる俺の手が灼かれる勢いだった。今回の炎は見た目こそ派手だけど、明らかにそこまで熱く無い。

……これで、大丈夫なんだろうか?


(いや、おそらく通用する。……もっとも、あの十三女とかいう悪神ののたまう事がまことならば、だが……)


 ツァン師匠の言葉に、その十三女を見れば大欠伸をしてる。




…………不安だ……。もの凄く不安。



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