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意天  作者: 安藤 兎六羽
転章
65/159

不条理との遭遇

――それは、≪神≫が墜ち、産まれた時より十月ほども遡る――



 そこは、暗く狭く湿った場所だった。

 先を行く配下が持ったじりじり燃える松明の灯りを頼りに、男は地下へと伸びる石造りの階段を一段一段、慎重に下りる。


「殿下、本当にあのようなものが役に立つのですか?」


 男の後ろから、松明から落ちる炭を払う音と伴に、そんな問いが発せられた。


「……さあな。しかし、鬼怪のたぐいにしても、あれの≪格≫は相当に高い。……地中に埋もれさせておくは不安だろう? ……それに」



――ひゅうっー……ひゅうっー――



 密閉された地下の石室いしむろに響く風切り音。

 それを聴いた、男を主とす五名は立ち止まった。


「……この通りだ」


 男は不快を露わにする。

 松明の灯りに嘗められた四名の従者たちの顔は、どれも土気色だった。


「進め……」


 石壁に挟まれた階段の中ほど、足を止めた配下に男は命じた。

 前を行く壮年の男は黙したまま、また、ひとつ石段を降りた。


――こやつらの動揺もわかる。


 巫祝どもと言えども、このような代物を目にする機は無い。

 男とて、初めて見た時には、おぞましさに背筋が強張った。


――だが、放っておくわけにも行くまい。


 このようなものを土に埋もれさせておいて、どのような障りがあるか知れたものでは無い。

 証に、これを掘り起こしてしまった農夫は畜たる牛と共に二日と経たずに死したという。

 それだけでは無く、これが掘り起こされた邑の者どもは、ことごとく床に伏していると聴く。

 既に、そのうちの幾たりかは鬼籍に入ったとも。


 三十ほどしか無いはずの石段が、倍ほどもあるように感じられる。

 男もまた、懼れているのだろう。だから、歩みが鈍くなる。


――おそらくは、邑民たちは力を吸われたのだ。


 これが掘り起こされてから旬。さらに、この石室に封じてから七日が経とうとしているが、これを運んだ夏官らが斃れたという報せは無い。

 邑の者と夏官らの違いは、これが掘り起こされた時に、近くにいたか否か。


――これ・・は、おそらく、貪ったのだ。


 それ・・の前に立って、男はそう考える。


 幾百、それとも千歳以上も埋もれていたのかもしれない。

 地中から解き放たれた、これ・・は≪異気≫を使って、邑を貪ったのだ――


 常ならば、考えられぬ事だ。

 身体も無いのに≪異気≫を操るなど、出来るわけが無い。

 しかし、おそらくは僅かに残された頸部。そこからこれ・・にとってはごく小さな≪異気≫を繰ったに違いない。

 その≪異気≫ですら、あの邑を蔽うに十分だったというわけだ……。


「ふざけた事だ……」


 今、男の眼前、石室の奥にそれ・・は在る。

 そこには、急ごしらえの桃木材の四つ柱の上に支えられた、巨大な≪首≫があった。


 木の柱は上下ともに、同じく桃の木から切り出した四角い木枠によって固められている。

 その上部の木枠に、僅かに残した頸部を差し入れて、その巨大な≪首≫は支えられていた。

 ≪首≫の高さは一丈を超える。松明の揺らめく輝きが照らしだす暗室の中、五尺ほどの高さの柱の上に載っている≪首≫は、男からは一丈五尺よりも遥かに巨きく、見上げるほどに見えた。



――ひゅうっ、ひゅうっ――



 ≪首≫の口から生臭い呼気が漏れる。

 その巨大さも相まって呼気は、封じられたこの四歩ほどの広さしかない室に溢れ、この場を満たしている。

 それを、男と従者たちも吸っている――


 そう思っただけで、男は胸が悪くなった。

 最も前を歩いていた壮年の男が、壁に松明を差し込み、腰に佩いた剣の柄を握った。


 男はそれを認めてから、他の者らに命じる。


「支度をせよ……」


 それを合図に、他の三名がおそるおそる、≪首≫へと近寄った。

 最後尾の従者、その手には大きな皮嚢が握られ、引きずられていた。

 夏官が仕留めた、大豕の一枚皮にて縫われた嚢だ。


 それに空気を入れ、膨らませ、従者たちは三人がかりで、嚢の口を≪首≫の頸部のその下へと括り付ける。

 

 

 どれほどの歳月、この≪首≫が地下に眠っていたのかは知らない。

 しかし、おそらくは≪意≫を保っている。

 口を開いたり、閉じたりしているのは呼気の為ではあるまい。

 ≪首≫のみで、呼気も吸気もあったものではなかろう。


 ならば、何か――



「……あ……お……」


 ≪首≫の口から漏れていた風切り音が、嚢の口を縛り上げると伴に、嗄れた声へと変わる――


「……な、るほど……今の世、にも、智慧者は、いる、と見える」


 ≪首≫はたどたどしくもそう言って、男を見据えて口の端を歪めた。

 その声を聴いた従者たちは、一斉に後ずさる。



「やはり、か……。やはり、それはなんぞ語ろうとしておったか」


 男は一歩ほど前へと踏み出した。

 異形の≪首≫は、なおも笑う。


「……ふ、む。肺腑の代わりに、獣の皮を使うとは、よう考えたものよ。……尋ね、たい事がある」


 揺らめく灯りに≪首≫の面持ちが変わった――

 石室に冷気が満ちる。凍える。

 暖かいかわごろもを纏っている男も、身体の芯から震える心地がした。


――鬼怪? 生温い――


 これは、この≪首≫は墜ちたる≪神≫か、少なくとも≪神怪≫だ。

 男は後悔していた。

 悪神とも≪神怪≫とも知れぬものに、言葉・・を与えてしまった事を。


 しかし、この≪首≫は既に一邑を≪喰らって≫いる。

 蓄えた力を何に使うつもりか知れないが、近づく者を残らず平らげる事もできよう。

……ならば、男には択べるものなど無いのだ。


「……太古の、墜ちたる≪神≫と見受けるが、何を問われる?」


 この≪首≫の願いを聞き届け、調伏する。

 悪神、≪神怪≫を封じる事は荷が重いが、いかに悪神といえども≪首≫のみならば、男にも勝機はある。

 説き伏せ、≪意≫を折る。


――だが、男の力みは空を切る。

 ≪首≫が途方も無い事を言い出したのだ。



「……≪黄帝≫、は、未だこの世におるか?」



――≪黄帝≫……千歳前の帝。帝域を開き、治めた帝。この≪首≫は何を……?


「……≪黄帝≫様が在らせられるわけも無い。登仮され、帝域を残すのみ、ですが……?」


 童でも知っている御伽話だ。

 なんなのだろう、この≪首≫は? ……まさか、本当に千歳も前の≪神≫だとでも?

 しかし、そのようなものが、田の底から現れるわけが……。



「……そうか。……帝域というか。……つまり、≪風帝≫が見つけ、≪風女帝≫が補いし、四柱・四維しいは健在か……しかし」


 堪えきれない。そういうように≪首≫が笑い出した。

 ≪首≫の下、桃材の方形の空洞の中で、大きな皮嚢がはち切れんばかりに膨らみ、萎んでいく。


「≪黄帝≫め、摂り込まれよったか。……≪意≫も持たぬ、条理に溶けてしもうたかっ……」


――ひとの鬼をこそぐような哄笑。


 それが狭い石室に反響し、男たちを包み込む。

 脚が震えだす。心がおののき、≪意≫が挫ける。

 これを調伏する――?


 ばかげた夢想だ! この≪首≫は違う――何もかもが違い過ぎる!!



「……さて、智慧者よ」


 ≪首≫が男を見据えていた。

 笑い声を収め、今度は口元の皮肉に嘲るような笑みを浮かべる。

 ≪異気≫が男の身を圧迫する――


からだを、手足を用立てて貰おうか……」



――≪首≫が言い終わるか、終えないかといううちに、松明の焔を映し、闇を切り裂く閃光が奔った――


「――≪≫!!」


 壮年の男――≪神格≫足り得る≪梧≫が奔らせた刃が、≪首≫に届く前に消えていた――

 神速ゆえに消えて見えたのでは無い。

 文字通り、刃の根本から消えた・・・のだ。


――だが、≪梧≫は動じない。振り抜いた剣が消えたと同時に、左拳を突き出していた。

 男の眼にはそれらは正確には捉えられなかった。特に≪梧≫が左拳を突いたというのは、男の推測でしか無い。

 では、なぜ左拳だったと知れたのか?


――≪梧≫の左腕も、消えた・・・からだ――



「――ばかなっ!」


 ≪梧≫が狼狽した声を発した。

 どのような時にも、澄んだ≪意≫を以て事に向かう、この男があられもなく、狼狽している。


――当然だ。いかな≪神≫、≪神怪≫といえども、≪神格≫たるものの≪気≫に覆われた身体を、そのように容易く傷つけ、ましてや消す事など出来ようはずが……



「悪く無い」


 ≪首≫の言葉。――瞬時、≪梧≫の身体が震えたと思った。

 そして、≪梧≫の≪意≫が消えた――



「……≪異気≫を収めし體を、我が為に持って来よ、智慧者よ。でなければ、お前の全てがこのように成るぞ――」



――哄笑。

 二度目の哄笑は、嗜虐しぎゃくに満ちていた――



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