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意天  作者: 安藤 兎六羽
二章 神
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三十一(二章終話)、神産み

――しかし、激怒ギャンギレのおひい様を前にしても、俺には最後の手段が残されてる――


 そう、俺の弟分にして、おひい様の従兄である龍だ!

 きっと、龍は俺が助けを求めれば庇って……。



「それについては、己も何も聴かされておりませぬが?」


――助けを求める俺の視線を、怒気を纏って睨み返してくる我が友。

 そんな顔は初めて見た……。


 俺は最後の切り札をいつのまにか失っていたらしい。

――即座に行動する。


 跳び上がる俺――両掌で三角形を作り、空中で脚を畳む。背を丸めて着地の瞬間、額を地面に叩きつけた――


「もうしわけ、ございませんっっ!!」



――絶対零度の声。それが俺の思考を抉る。


「……妾の問いに答えておらぬが?」



……ああ、どうしよう。どうしよう? どうすれば正解ですか? 何を言えば、俺はこの窮地を脱出できますか?


「あう、あのお、そのお、こう……しかたが、無く、てですね……」



 あ、なんか、死ぬ予感がしてきた。社会的に死ぬ、っていうか。世間的に死ぬ、っていうか?

 それどころじゃなくて、どう答えてもドツボに嵌る気がしてる。

 これは、久々に詰んだってヤツなんじゃないでしょうか?



「……おひい様、ひとつよろしいでしょうか?」


 地中10センチを覗き込んでる俺の耳に、尚の声が聴こえる。


「朱蝶どのに、≪意≫が無いと、それはまことなのでしょうか?」


 どうも、尚には信じられませぬ。そう、尚はぽつりと言った。


「ふん、こやつに≪意≫が無ければ、どうしてこのような格好が出来るものか!」


「――では、朱蝶どのは≪●≫に囚われてなど――」


「いや。朱蝶は確かに、≪●≫に捉えられておる」


 おひい様が断言した。


……そうか、おひい様は気づいてたのか。そんで、俺にはやっぱり≪魂≫なんか、もう無かったって話で……。

 そうすると、俺が「正直なバカ」になろうとしてたのも、俺の意志では無かったのかもしれない。

 まあ、クズの俺がそう簡単に回心するわけも無えし、当たり前っちゃ当たり前で……。

 でも、やっぱ、こう、なんてーのか。……かなり残念な……。


「細ーく、な」


「細く?」


 尚の疑問の声。俺も思わず、顔を上げた。

 細ーくって、何? おひい様?


 おひい様は、相変わらず俺を怒りの眼差しで睨み据えながら続ける。


「そなたを僕にして、暫らくしてから気づいた事じゃが……朱蝶、そなたには複数のめい、あるいはめいが及んでおる」


「……命令とか、誓いってことっすか?」


「繁雑に絡んだそれらが、どうも引いたり弾いたりしながら、そなたの≪意≫を支えておるようじゃ。じゃから、妾との盟約も成った。そなたが≪●≫の擒となっていたならば、いかに妾といえども従える事は適わなかったじゃろうて」


「…………あのぅ、それって喜んでイイんでしょうか?」


「微妙、じゃな。……≪●≫の理法と引き合うほどのものが、そなたを捉えておる。ゆえに、そなたが鬼であった時ですら、妾はそなたを満足に従える事が適わなかった」


 妙な吊り合いがとれておる、おひい様は顔を不機嫌に歪ませながら、そう締め括った。


……しかし、ということはだな。

 俺はつまるところ。


「姫様。ならば、朱蝶どのには≪意≫がある、との仰せにございますか?」


 長双さんが微笑みながら、訊く。


「そうなる」



「…………良かったあ」


 そう、良かった。

 どうも俺の≪魂≫は死んで無かったらしい。

 俺の感覚器官は正常に機能していて、俺は決して人形ロボットなんかじゃ無かった!

 まったく、蛟のヤツめ、驚かしやがって!


 みんなもどうやら安心してるみたいだ。

 そらあ、そうだろ。ペットや仲間だと思って一緒に生活してたヤツが実は、高性能のロボットだとか、人間らしい振る舞いが巧いゾンビだったなんて、気持ち悪い。

 それどころか、そのうちプログラムを書き換えられたら、みんなを襲うかもしれないなんて、ホラーにもほどがある。


 そう、俺はやっぱり≪皐 朱蝶≫だったんだ!!!



「……で、そなたは妾にどう釈明するつもりじゃ?」


「…………」


――俺は俺だった。だから、俺は自分の責任で、おひい様と龍に弁明しなければならない……。

 今に限っては、俺は≪朱蝶≫を辞めたい……。


 ポリスの法に殉じて毒杯を呷った、かのギリシアの人の偉大さが漸く俺にもわかった。

 俺に逃亡を勧めてくれる弟子がいたら、一も二も無く俺はこの場から逃げ出した事だろう。


 俺には残念ながら、頼りになる仲間はいても、師匠思いの弟子はいない。

 しかし、状況は俺が思ってる以上に予断を許さないものだったらしい――



「≪巫姫≫よ! ≪ダオ≫が暴れてる!」


――丘の北側からシャンばあさんの声が聴こえた。



「――来たか」


 おひい様の表情が変わる。怒りから、歓喜へ――


「尚! 用意は良いか?」


 おひい様の声に、尚が大斧を握ってすっくと立ち上がる。


「はい!」


 興味深そうに、ふたりを眺める長双さんを尻目に、おひい様と尚は頷き合って駆け出す。

 その後ろ姿に、龍が玲華ちゃんを背負いながら、驚愕の叫びを上げる。


「姫様! まさか……」


 おひい様は満面の笑みで取り残された、男子メンバーを振り返ると、


「そうじゃ! ≪禺≫の神産みじゃ! 百歳を経て、この≪巫姫≫の手によって≪神≫が産まれるのじゃ!!」


 高笑い。気持ちよさそうな笑い声を残しておひい様は蛟の母ちゃんの遺体へと向かう。



「神、産み? 何、それ?」


 俺は呆然と立ち尽くす龍に尋ねる。

 長双さんも興味津々って感じで、龍の顔を覗き込む。


「……幼い頃、母に聴いた覚えがあります。……器となる神獣を弑し、その頭部を斬りおとすことで、新たな≪神≫の器を産み出す、……呪われた禁忌の術だ、と」


「ふむ、禁忌ですか」


 長双さんはまだ微笑んでるけど、禁忌って……呪われたって……。


「……姫様は、己らが弑し蛟の遺骸を以て、≪神≫の器となさるおつもり……」


 龍の顔が蒼褪めて行く。


「……大丈夫なの? そんなことして?」



 俺の問いに龍は首を振った。


「≪禺≫の系はそれを繰り返し、甚大な呪詛を受けた、と聴き及びます。……早う、御止めせねば!」


 我に返って駆け出そうとした龍の肩を、長双さんが掴んだ。

 龍は振り返って、「なんで?」って顔をする。

 見られた長双さんは、辺りをゆっくりと見回す。


「≪神気≫が不安定なようです。おそらく、≪神≫を弑し奉った為でしょう。……このような≪気≫の乱れは初めて目にします。災禍が一帯を襲うかもしれません」


「しかし――っ!」


 長双さんは微笑みながら、龍の肩を叩いた。


「姫様――≪巫姫≫様は、思慮深い。深く配慮された結果なのでしょう。龍どの、まあ落ち着いて事の成り行きを眺めようではありませんか? 姫様を信頼する事です」


 龍は迷いを顔に滲ませながら、長双さんの言葉にゆっくりと頷き返した。



――いや。俺は違うと思いますよ、長双さん。

 おひい様はガキだ。知識とか能力とかは、手放しで称えられるけど、精神年齢は小学生低学年並みだ。

 あのおひい様に限って、深い考えなんてものは無い!


 断言しよう! ガキである、と!

……子供はイベントが大好きだ。特に自分にしかできないイベントなんて大好物なんだ。

 だから、おひい様がはしゃいで駆けて行ったのは、深い思慮の賜物なんかじゃなく、それが百年ぶりのイベントだからです!

 止めたほうがイイ!


……なんてこと、俺は言わない。

 せっかく、おひい様が上機嫌になったんだ。俺が余計な口を挟めば、また矢面に立つはめになる。

 俺だって手足をもがれたくなんか無いんです!


 そうっとしておこう……。


『お前……』


 蛟の不満そうな声が聴こえた。

 そう言うなら、お前がおひい様を止めてくれ! お前の母ちゃんの遺体の首が斬られるっぽいんだぞ?


『無理というものだ。……それに母の≪意≫は既に無い。≪破格≫に無駄に手向かう事はあるまい』


 なんかドライだけれども、……じゃあ、黙って見てるべ。



――ぐちゃり。


 尚が振り上げた大斧が振り下ろされて、鈍く、生々しい音が丘の上を這いずりまわった。



――次の瞬間、暮れかけた空が割れた・・・――




 〓〓〓




――一つの星が長い尾を引いて、宙を駆けた――


 東南に変事、か……。

 呟きと伴に≪崑崙≫の御坐にて宙を仰いだ≪白帝≫は微笑んだ。


「万里の彼方、皐山の≪神≫が墜ちた……」


 その上、これは……。


「……≪神≫を産むか」


 あの、朱蝶という≪神怪≫は、≪禺≫にも通じていたか。

 おもしろい。……ならば、朱蝶を死なせてしまうは、なお惜しい。

 しかし、ここは万里の果てだ。≪神≫のひと柱やふた柱を、斃せるとは言っても、おそらく朱蝶はここまでもつまい。

……ならば、いかがするか。



「何を笑んでおられるのですか?」


 野太い声の源を見やれば、白い毛皮に黒い縞を浮かべた獣がいる。


「≪はく≫か……見よ、百歳ぶりに≪神≫が産まれるぞ」


 宙を指し示しながら言った言葉に、≪白≫は鼻を鳴らす。


「星の運びを変えるほどの者が出たというに、何をお喜び遊ばされる!」


「……杓子しゃくしにも、ほどというものがある。お前は、ほんにつまらぬな」


 ≪白≫は蒼い瞳を怒らせて、


「結構! 主どのが、そのように下賤の身をお忘れになられぬならば、この≪白≫めは≪獣神≫たる性を全う致しまする!」


 思わず溜息を吐いた。

 ≪獣神≫というものは、一度頭の上に立ってしまえば扱い易いが、どうも生真面目過ぎる。

 その点、あの朱蝶という名の≪神怪≫は面白かった。


「お前は、知らされておらぬ事を知るという喜びを知らぬ。だからこそ、王母どのにも遠ざけられるのだ」


「≪白帝≫たる御身の星読みが外されて喜ばれるなど、≪格≫を疑いまするぞ!」


「ふふ、お前にはわからぬよ」


 ≪白≫は蒼い瞳を、前足で覆って首を振る。

 その仕種は、≪白≫が軽んじる≪ひと≫のようではないか。


……ふと、妙案が浮んだ。


「≪白≫よ、≪白≫。お前が行け」


「……何を仰せられる?」


「ひとの姿に変じて、朱蝶を見ておいで。お前ならば容易かろう?」


「…………」


 絶句する≪白≫。

 しかし、≪白≫ならば、朱蝶が死する前に間に合うだろう。万里を旬ほどで駆ける、この≪獣神≫ならば。


「お前はひとというものを知らぬ。見て、学ぶが良い」


「……それは命にございますか?」


「うん」


 ≪白≫は、のそのそと身体を後ろに向けると、鈍い動きで≪崑崙≫の崖から飛び降りた。

 その奔る尾に向けて、声をかける。


「ひとに転化するを忘るるなよ」


 ≪白≫は応えるように尾を振りながら、宙を、雲海を駆けていく。



……さて、≪白≫が間に合えば、朱蝶の身の保全は約されただろう。あとは……。


「五岳の≪神≫と、≪四方神しほうしん≫に、≪三凶さんきょう≫あたり、それと≪計蒙けいもう≫が煩そうではあるが……」


 呟いて、≪白帝≫は星が散りばめられた夜空を見上げた――




 〓〓〓




「これは……」


 星を読んでいたはずの、≪とう≫が悲鳴を上げた。

 冷静沈着なこの巫祝が、そのように平常を損なうとは、珍しい事もある。


「――殿下! 早う帝に奏上申し上げねば――っ!!」


「落ち着け、≪棠≫……ほう、空が裂けておるな」


 男の見上げる、暮れなずむ空が、今、光の氾濫を産み出していた。

 雲が割れたのではない。紫色に染まった空が、七色の光によって楕円形の穴を開けていた。


「悠長な! これは、ひと柱の≪神≫が墜ち、産まれようとしている兆しですぞ!」


「ほう。面白いではないか」


 男は笑う。


「――っ!! とにかく、わたくしめは、帝にお目通り願います!」


 ≪棠≫はそう言って、ここ、星読みの為の虚星台きょせいだいから階下へと駆け下りて行った。


「あちらは≪揚州≫か……」


 さて、何があった事だろうか? まさか≪神≫が自死したというわけではあるまい。


「さてさて、この帝都におわす今上帝は、何を仰せになるかな?」


 東南の≪揚州≫ならば、男の故国がある東は≪徐州≫に近い。

 どのような影響が、故国≪子国≫にも及ぶものか……。


「まずは、兄王へとご報告に戻るか……」


 しかし、方伯ほうはくたる皐公国は何をやっているのか……。

 そう、ひとりごちて男――≪ひょう≫も台のきざはしを降りる。




 〓〓〓




「凶事、……いや、慶事かもな」


「お師様、これが慶事にございますか?」


 この身に仕える≪道士≫、≪けん≫が空を仰いで疑義の声を上げる。


「おそらくは、かの条理たるものが、過ちを犯したのだ。≪水帝≫はお喜びになるだろう」


「――っ!! ≪水帝≫様が……」


「≪古竜帝≫の理は固く、≪炎帝≫の威風は強く、帝域を開きし≪黄帝≫、その継子ままこたる≪白帝≫は西の果てに未だ在る。……そして、何より≪竜帝≫の系は未だ衰えを見せぬ」


「……お師様――≪澄清真人ちょうせいしんじん≫様は、帝域の崩壊を望まれておられるのですか?」


 震えながら問う、弟子に拳骨を見舞った。


「――っ! たぃ……」


「たわけ! ≪五帝≫たる≪水帝≫の御坐を取り戻すだけよ。……そのような事≪水帝≫は望まれぬだろうがなあ……それに」


「それに?」


「……いや」


 そう口を濁して、霧と闇夜に包まれた峻嶮な山の岩場を降る。

 ただ無為に老いを重ねた身ならば、即刻転げようという足場も、≪仙≫たる身には何ほども無い。

 翔ぶように跳ねるこの身のあとを、≪権≫は難なく随って来る。


 ≪権≫には才はあるが、間が抜けている。そう思ったそばから足を踏み外した。

 しかし、≪仙気≫を操り指の腹のみにて、湿気で滑る岩と己が身を巧く繋ぎ止めている。

 抜けた間を、才で補えてしまうから、間が抜け落ちたままなのだ。


 思うままに伸びぬ弟子に嘆息した。



……それにしても、口にはしなかったが……。

 このような事になれば、かの≪女神のはらわた≫どもが黙っておるまい。


 あの悪神どもが動けば、≪相柳神しょうりゅうしん≫も黙っておるまい。また帝域が乱れよう。

――≪神≫争い。ゆえに、これは凶事の兆しともなり得る。


「……さても、さても、どうしたものか……」


「どうされましたか? お師様?」


 早速、追いついて来た≪権≫に問われて、また大きく嘆息した。

 この唯一の弟子にしても、悪神にしても、


「……とかく、この世はままならぬ……」


 呟いて、またひとつ岩場を蹴った。


――この北方、≪鬼魅きみの地≫を離れる時が来たのやもしれぬ――




 〓〓〓




――この世の極南――


 その深い地の底に穿たれた、巨大な空洞――


 そこを埋めるように長大な身体を収めた獣がいた――


 黄金に輝く鱗。それよりも淡い輝きを放ちながら、どこからか吹き込む風にそよぐ、たてがみひげ

 地の底に在る獣は、おそらく竜と呼ばれる獣の中でも一際大きく、一際輝きを放つものなのだろう。


 細い穿孔が幾条も合流する、開けたうろ。俄に広がった大きな洞の底を埋めるように、獣はとぐろを巻いて長い身を横たえていた。

 角は頭部に比しても非常に大きく節くれ立って幾筋にも別れ、捲いた身に載せられた長い鼻面、その先端左右から流れる髭は(しな)やかな体に沿ってその端を洞窟の底に落とす。


 そして、巨大な眼球を収めた目蓋が今、薄く開かれた――


 赤黒い眼。眼球を染めるはずの白は、濁っている。



『――≪禺≫め。まだ亡んでいなかったか……しかし』


 おもしろい。獣は幾百歳ぶりの笑いを溢す。

――痛快、そう言っていい。


『≪意天≫め、おもしろい事を考える』



――だが、獣を穢す血は、まだ拭われてはいない。

 飛翔するほどの力はまだ、蓄えられてはいない。


『≪意天≫の思惑が、我が身を解き放つ一助となれば良いが……』



 諸竜の≪帝≫、≪応竜≫は呟き、また、眼を閉じた――



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