二十七、長双と龍VS皐山の≪神≫と玲華
†††
――姫様は昏倒。尚どの、朱蝶どのが離脱。
三人とも戦闘続行は不可か?
いや、姫様の創はそれほど深く無いはず。ただ、私が受け損ねた為に、爪の先端が肌を裂き、≪意≫を喪われたようだ。この私が殺される前に起き上がれるか?
尚どのは常時≪気≫を纏っている。飛ばされはしたが、戻れば参戦可能。
問題は朱蝶どのだが、≪異気≫とやらを纏った気配がした。命までには届いているまい――
――つまり、全員が援軍として期待できる。それでも戦力低下は否めない。それに私が斃れる前に間に合うか……。
長双の脳漿が蠢動する。
視界の端で玲華を捉える。生木を脇に抱えてこちらへと迫ってくる。
――玲華どの。おそらく操られている。
再び振り下ろされた≪神≫の前肢を受け止めた。
横から、玲華が生木を横殴りに振り回してくる。
長双は、瞬時に一度は受け止めた前肢を、生木へと受け流した。
生木と爪が衝突するのを確認する前に、≪巫姫≫を抱え上げ間合いを取る。
爪が生木を破砕する音を聴いた。
――龍どの、ロウどのは健在。シヴ・シャン様は昏倒。
ロウどのはこの≪格≫の中での戦闘は不可。
龍どの――龍どのが纏っているものは……≪気≫というよりは、あれは南沼で見た蛟と同じ……。
「龍どの! これを!」
背中に負った短弓と矢筒を落とした。
そのまま、走る。丘を右回りに走る。丘の広さは十分。新たな生木を拾った玲華と、≪神≫は愚直なまでに長双を追ってくる。いや、おそらく狙いは≪巫姫≫だろう。
彼我の戦力を考えるに、≪巫姫≫こそがこちらの「実」となる。
≪神≫は≪巫姫≫が目覚めぬ裡に殺さねばならない。――ならば、釣れる。
龍が短弓を拾って矢をつがえる。
――まだです。
長双は矢をつがえた龍に向かって首を振った。
まだ、警戒されている。龍の握る弓矢にもこの≪神≫の注意は向けられている。
長双は引き離す。巨体を引きずる鈍重な≪神≫と、巨木を抱えた玲華の動きは鈍い。両者をさらに龍から引き離す。
その≪神≫の姿が消えた――
「長双さ――」
龍の叫び声。さきほど見せた≪縮地の術≫。だが、おそらく――
長双は踵を返して、丘を右回りに逃げていた軌道から逸れる。
落下音。長双から二歩ほど離れた場所に≪神≫が現れた。
≪神≫は前肢を振るうが、既に長双はそこにはいない。
――やはり、こちらの動きにまだ対応しきれていない。それに、消えて現れるまで少々時に差がある。何より、消えてる間の私の動きを捉えられていない。
それに、縮地の術を使う時、≪神気≫とやらに揺らぎのようなものができるようだ。
私が揺らぎの法理を掴むのが先か、≪神≫がこちらの動きを読むのが先か――
我慢比べ。だが、長双には自信がある。伊達に二旬以上も地下に籠っていたわけではない。
それに首と手が動かなくとも鍛えようはある。長双の身体は鈍っていない。
そして、膨大な戦場の記憶。強敵・難敵の数々。長双は全てを憶えている。ゆえに、このような場合に重要な事も知悉している。
――相手に、こちらを追い詰めていると思わせる事――
そう、≪怪≫や≪神≫の類とて変わらない。それを長双は南沼での戦闘で学んだ。そう、手段と間合いが異なるだけで、この手合いも「ひと」とそう変わらない。つまり、注意を拡げ、周囲の大気――そこを這う≪神気≫の動きすら肌にて感じればよい。
それを怠ったが為に、南沼では倒れてしまった。……そして、不用意に追い詰めれば、どのような手を打たれるかわからない。あの≪怪≫のように一撃にて、こちらが倒れる事もあるだろう。
――ゆえに、私は誘う。
徐々に、爪が掠めるように。玲華の動きに誘われているように。
相手の動きを単純化していく。その動きを続けていれば、勝てる、そう思い込ませるように。
≪神≫が≪縮地の術≫を繰り返す。そのたびに、長双は自らの身体を爪へと晒していく。段々と、深く、危うく。
ムーから借りた皮甲が裂ける。皮膚が創つき、肉を削がれる。血が流れる。
「長双さん!」
――龍どのの悲鳴。しかし、まだ。もう少し、おそらくは……。
≪神気≫に僅かな揺らぎを感じ取った。十度目の≪縮地≫の兆候――
「龍どの、矢をつがえ、弓を絞りなさい!」
龍が言われた通りに動き出す。
≪神≫は十分に引き離した。おそらく≪縮地の術≫を使う。消えた瞬間が機となる。
「私の声と共に、剣の切っ先を狙い、放つのです!」
≪神≫が消えた――
長双は剣を握った右腕を精いっぱい伸ばし、切っ先で指し示す。
「今!」
龍が弓弦を弾く音がした。
――ひょうっ――
矢の風切り音。おそらく申し分無い。そして、長双自身も跳び上がる。
跳びながら剣を振り上げ、≪気≫を纏う。≪神気≫が揺らいでいる。単純化された敵の戦術。単調な攻撃。
長双によって誘われた、≪縮地の術≫。
――だから、ここなのですよ。
長双は眼前に現れた≪神≫に微笑みかける。赤く輝く瞳が長双の姿を映していた。
刹那、長双の剣は神速を以て振り下ろされる。ほぼ同時に、脇を飛矢が通り抜ける――
――間合い、というものがあるのです、≪神≫よ。
貴方の爪はこの一歩の距離では役に立たない。そして、この拍子において私の剣速は貴方の左の瞳を斬り得るのです――
長双の剣が≪神≫の左眼を切り裂き、龍の矢が右眼を貫いた――
≪神≫が動きを止めた。
「龍どの、玲華どのを頼みます!」
ここだ――ここからが勝負!!
ふつうの獣ならば眼を潰せば勝ち、ふつうの軍ならば斥侯を叩き潰せば優位に立てる。
しかし、相手は≪神気≫を操る≪神≫だ。では、どうするか?
乱れ。乱れを突く。「虚」を貫き、「実」を奪う――
……長双の眼や肌はいつからか≪気≫を捉えるようになっていた。決して産まれ持ったものではない。
おそらくは、幾百の戦場を駆けて来たから。はたまた幾千の命を奪って来たから。
長双は考える。考えた結果、それを琢く。研磨し、切磋し、砥ぎ澄ます。
長双はいつでもそうして来た。≪気≫を操る事も、軍略や戦術も、そうして深く沈思した結果として身につけた。
――そして、それを振るう時には、私は「私を棄てる」のですよ、皐山の偉大なる≪神≫よっ!!
大きく揺らいだ≪神気≫の「虚」を斬る。刺し、突き、貫く。身体が反射するままに。
理を求め、≪気≫の流れに遵う。
長双は舞う。敵の血を浴びながら舞う。
右の前肢に備わった四本の爪、そのうち三本を切り落とした。左は前肢ごと切り落とした。
相手に与えた刺創は二十三、裂創は三十五。
長双は考える。身体の動きとは別離した思考。そして結論を得る。
しかし、足りない、と。幾ら肉を傷つけようとも≪神≫の生には到底届かない、と――
――足りない。やはり、私のみの力では届かない――
そう、いかに長双といえども、≪神≫との戦闘経験は無い。
ゆえに長双が参照したのは、南沼の≪怪≫との戦闘。
……今の長双ならば、かの≪怪≫の眼耳鼻を奪い、逃げおおせる事も出来ただろう。
だが、≪神≫は違う。≪神気≫は間違いなく、長双を捉えている。
五官を潰そうとも、逃げられない。……ゆえに、長双は足を止めてこの場に踏み留まるが……。攻勢を緩めれば、この≪神≫からの攻撃を受けねばならず、間合いを取られれば、長双とて受け切れぬ一手が打たれるだろう。
敗北――その二文字が、長双の脳裏を過った時、轟音と伴に飛来した生木が、縦に≪神≫の顔面に食らい込んだ――
†††
尚が傷んだ身体を引きずって、丘へと戻ってみれば、長双卿がぐったりしたおひい様を小脇に抱えながら、≪神≫様に挑んでおられます。
血が沸騰致しました――
おひい様から、尚の膂力と大斧ならば、≪神≫の首とて落とせよう、とお言葉を頂戴しておりましたのに、なんという体たらく!!
朱蝶どのにそのような血生臭い事をお伝えしなかったのも、おひい様の御心遣いでありましたのに、無にするどころか、あまつさえおひい様にお怪我を負わせてしまうとは!
……この尚めが早うあんな≪神≫ごとき仕留めて仕舞えば良かったのです!!!
尚は大斧を持っていない左手の指を、転がっていた倒木に力任せに食い込ませると、肩に担ぐように持ち上げて、
「えいや!」
と気合を入れて抛りました!
そして、その木を追って駆け出します。
此度は、ずっと緊張していた為でしょうか? 傷もあまり深くは無いようです。十分に戦えます。
途中、龍どのと玲華どのが早くも夫婦喧嘩をしておられました。その周りをシヴ・シャン様を背負うたロウどのがうろうろしております。
――このような時に、まったく!!
尚めはおふた方を見損ないましたぞ!
しかし、狗をも食わぬものを、この尚ごときがなんとか出来るとは思えません……。
丸太を振り回す玲華どのを、宥めようと懸命な龍どのを横眼に、尚は≪神≫めへと殺到致しました!
†††
俺が気がつくと、なんか景色が高速で流れて行く。
左右の木立が割れてく、みたいだ――ネコ○スかな?
『起きたか、朱蝶』
お、蛟か。うん? 俺はそういえば――
「…………おひい様がっ!! 尚がっ!!」
やばい、やばい、やばい、ヤバい!!!
『かなり飛ばされたゆえ、今、向かっておる』
今向かってるって?
おお、俺の身体が勝手に動いてる! 蛟か、蛟がやってるのか?
『そうだ』
なるほど、いつかみたいに俺の身体に鱗が生えてる感じがするぞ!!
よし、あとは俺に任せろ!
『……断る』
「なんでっ?」
『貴様は甘すぎる!』
…………言い訳のしようも無い。弁解の余地も無い。
――ああ、どうしよう!! 俺のせいでふたりがっ!!!
『うるさい!!』
「ああ……すんません」
……でも、玲華ちゃんもなんかおかしかったし……。
――ああ、どうしよう! どうしよう!! おひい様の頭から血がいっぱい流れてたし、尚もかなり飛ばされちゃったし!!
『両名の事ならば、案ずるな! 生きておるわ! 特に≪巫姫≫などは、長双とか言ったな、あの≪仙≫が巧く受け止めておった! 掠り創だ! だから静かにしておれ!!』
マジかあ。本当に大丈夫なのね?
でも、あの場に残ってて戦力になりそうなの長双さんと龍だけだけど……。
ねえ? 本当に大丈夫? 大丈夫かな?!
『貴様……、よいかこの蛟が貴様の招いた失策を取り返してやろうというのだ……有り難く思うて黙っておれ!!』
「……はい」
なんだろう? この居た堪れない気持ち。自分のせいでピンチ招いといて、蛟に尻拭いされる感じ……。
――だけど、そんな事よりやっぱり長双さんと龍だけじゃ……。
『もうすぐあの丘だ! すぐにわかる!』
頼む! みんな生きててくれ!!
次の瞬間、俺の視界が開けた。森が割れて広場が姿を現した!
――俺を出迎えた光景は……。




