二十六、おひい様、≪神≫に願う
――森を割る轟音。続いてベキベキって木が倒れる音がしてる。
それがどんどん近づいてくる。
……いや、てゆーか早くないっすか?
さっきまで、かなり遠くに聞こえてたはずなのに、なんかもう、すぐ近くに――
丘と森の境目、祭壇を挟んでシャンばあさんや俺たちが立つ場所と向かい合った、その森が内側から爆発した――
折れた何本もの樹木――しかも丸太みたいな生木がそのままの形で宙を飛ぶ。咄嗟に龍を庇った玲華ちゃんの前に、俺は飛び出した。
祭壇のすぐ傍にいたシャンばあさんの襟を引っ掴んで、後ろに投げる。
――生木の一本、直径50センチはあろうかって太い木が、祭壇を飛び越えてこっちに向かって飛んで来た。
俺は≪異気≫を僅かに拡げて、エネルギー充填。
ちょっと違和感。俺の≪異気≫が大気に溢れるエネルギーを吸収しようとすると、周りのヌメッっとしたの――たぶん≪神気≫が、邪魔してくる。
エネルギーを綱に見立てた、綱引きってトコだな、こりゃ!
「よいしょお!」
なんて掛け声と一緒に俺は≪異気≫で≪神気≫から、強引にエネルギーをむしり取った! そのまま、改めてエネルギーを全身に充填する。
飛んで来た樹木をバレーボールのレシーブのごとく腕で受ける。
俺の下手くそなレシーブじゃあ、勢いを殺し切れなかったらしく、俺の腕が当たった場所で、一抱えはありそうな木は「く」の字型に折れ曲がった。
丘のところどころで、樹木が落下しながら転がる衝撃音が鳴ってる。
――でも、俺としてはそれどころじゃ無い。
敵だ。俺の僅か目と鼻の先5メートルってところに、ソイツはいる。
――まず、俺の眼に飛び込んだのは「黒」だ。
長い黒髪。頭部を覆い隠してあまりあるほどの頭髪。
その頭頂、少し前頭部寄りから二本の角が伸びてる。立派な牡鹿が生やしてるのよりも、さらに節くれ立った角。それが後頭部に向かって枝分かれしながら伸びてる。
伸びすぎた黒髪が少し掛かった身体は、燃えるように赤い鱗で蔽われてる。焔をそのまま固めたみたいな、そんな色だ。
森から抜け出し切れてない身体は、その上太い。たぶん、蛟の母ちゃんぐらいの太さはあるだろ。
そして、二本ある前肢の爪は四本。鋭い爪を地面に突き刺して、ソイツはブレーキをかけたみたいだ。地面が抉れてる――
――さっきの森が内側から弾け飛んだのは、爆発したってよりは、たぶん、コイツが勢いよく飛び出して来たから、その衝撃で内側から弾けたんだろう。
長い黒髪――一本一本が4、5メートルくらいあんじゃないの、ってそれの隙間から、鱗と同じように赤く輝く瞳が浮いていた。
そして振り乱した髪の奥に、よく見えないけど人と似たような造りの顔面があった。というか頭もデカい。
俺が前に見た、あの≪生首≫ぐらいあんじゃねーの?
“≪二天≫に繋がりし≪神怪≫か”
抑揚の無い、聞き覚えのある声だ。
赤い瞳が、顔をすっぽり覆う髪のカーテンを透かして輝いた――
――やべえ、人間の眼とも動物の眼とも違う。なんにも読めねえ。……何してくるかわかんねえ!!
俺は≪異気≫を展開して身構える。
相手が仕掛けてくるタイミングがまったくわかんねーから、腰の剣を抜いてる暇もねー!
「――祭は類祭より創め、六宗に禋祭し、初めて山岳に望祭す――帝域は九州に別たれ、南東は揚州、皐山は美玉多くして聳え、皐水清らかにして澄み――」
おひい様の声だ。
俺は、このぶっちゃけバケモンよりもバケモンじみた≪神≫とやらと対峙してるから、振り向けねえけど、おひい様が後ろのほうでなんか呪文みたいのを唱えてるらしい。
お、なんかこの≪神≫が視線を俺の後方に向けたぞ? なんだ、おひい様を見てるのか?
“――祝詞を知るか”
赤く輝く瞳が、祭壇を捉えた。
“祠の獣を知るか”
≪神≫の巨体が俺の眼の前から消えた――
――後方で衝撃音。なんかが落ちたみたいな音がした。
振り返れば、竜みてえな全身を晒した≪神≫がいる。
おいおい、瞬間移動っすか? 勘弁して下さいよ! もうちょっと物理法則とかもろもろに準拠して下さいよ! 心臓に悪いから。
にしてもなんだ? なんでそっち行ったの?
……巨体の影で見えないけども、どうも呪文をぶつぶつ言ってるおひい様に興味があるらしい。
いや、興味があるってーのはなんか違う。だって、≪神≫の行動にも、声にも全然感情っぽいものが感じられねーんだもの。
なんか、やっぱ機械っぽい。バケモンみたいな姿なのに、マシーンっぽいってのはどうも妙だね。
「――蒙は山険なり、険に留まるべからず。志応ずれば、蒙を破って『意』徹る。啓くべきかな、啓くべきかな……」
“祝詛か――巫咸よ、何を望む”
おお、おひい様の呪文が効いてるらしい。
なんか≪神≫が話しかけてるぞ!
「……皐山の≪神≫よ! 妾は≪禺氏≫が裔にして、≪皐陶≫公が末裔! そこな≪神怪≫は妾の僕じゃ!」
“神産みの≪禺≫と≪皐陶≫が系が混じったか。皐の裔よ――何を望む”
「僕の助命を願う!」
“その望みは叶えられぬ”
……え? 終わり? 俺の命は助からないの?
マジっすか? ……早くないっすか?
「……無理か?」
意外そうなおひい様の声。
“ほかの望みを陳べよ”
「どうしてもか?」
“ほかののぞ――”
……あれ? ≪神≫の言葉が止まったぞ?
俺はおそるおそる≪神≫とおひい様が対峙しているところへと歩み寄る。
ゆっくりと≪神≫の巨大な身体を回り込んで、おひい様と≪神≫が顔を向かい合わせてるのを横手から見学する。
――緋金の光が、≪神≫を縛っていた。
「おう、朱蝶。しくじったわ」
いかにも簡単に、しかし兇悪な笑みを浮かべながらおひい様はそう言う。
「いや、まさか贄に宝玉、祝詞まで上げて、断られるとは思わんかったのう」
いやあ、残念じゃ、とか言ってるけど、全然残念そうには見えないおひい様。
むしろ明るい。おひい様の声がやけに明るい。
とてもお願いを断られた直後には思えない。
「えーと? おひい様、何をしてらっしゃるんで?」
「ん? この≪神≫を≪竜眼≫で縛っとるのじゃが」
おひい様はこっちを見ながら、親指を立てて「くいっ」て感じで≪神≫を指し示す。
「え? ≪竜眼≫って見て無くても大丈夫なんすか?」
だって前回の、蛟と蛟の母ちゃんとの戦闘ではあんなに苦労したのに……。
なんなの、その片手間感覚?
「≪竜気≫が通わぬ相手ならば、それほど難しい事では無い。いつもほかの者の動きを止めてしまうのは、妾の≪意≫ではなく、≪竜眼≫から漏れる力の為じゃしのう」
へー……。
「いやあ、≪神≫の姿を拝見できる日が来ようとは!」
停止する≪神≫様を拝む長双さん。
「おひい様! 早う片を付けましょう!」
斧を握って、眼を血走らせてる尚。
……待て待て、尚は何をするつもりだ?
なんか、≪神≫の身体の側面に回って、深呼吸してるけど。
「そうじゃな、尚。首を斬るか!」
聴いてない!
「――待った!」
おひい様の言葉を合図に、斧を振りかぶった尚の前に、俺は飛び出した――
尚の斧が勢いよく俺に向かって振り下ろされる!
止めろよ!!
――俺の額まで5センチってとこで斧の刃が止まった。
「しゅ、朱蝶どの! 危ないではないですか! おひい様が≪竜眼≫にて御止め下さらねば――」
――え? ≪竜眼≫を使った?
瞬間――俺のすぐ後ろで衝突音が鳴り響いた。
金属同士が触れ合うような金臭い音――
振り返った俺の眼に、≪神≫の前肢の爪を剣で受け止めてる長双さんの姿が映った。
その後ろで、おひい様が倒れてる――
――嘘だ――
おひい様の頭から血が流れてる。俺を庇ったせいで?
≪竜眼≫を咄嗟に尚に使ったせいで、≪神≫に対する縛りが解けて、やられた?
「おひい様! ――」
おひい様に駆け寄ろうとした尚が、長双さんが支えるのとは逆の≪神≫の前肢に弾かれた。
俺の顔にぴちゃぴちゃって血が飛んで来た。
――え? 尚の血?
思わず俺は尚の行方を目で追った。丘の端、森との境目まで飛んで行く尚。
木を何本も折り倒して、森の深みに、なんか投げ捨てられた人形みたいに飛んで消える尚――
――俺のせい――
「朱蝶どの!」
龍の呼び声――
――そうだ! こんなトコで思考停止してる場合じゃ――
「危ない!!」
――龍の警告とほぼ、同時。
俺の身体を横殴りになんだか堅くて太いものが浚って行く。
俺は体内に俺の骨が折れる音を聴く。
まず、右腕。次いで、たぶん肋骨が何本か。
≪異気≫――拡げる――固める――筋肉――守る――内臓――
俺の身体が浮く、浮いてそのまま飛ばされる。
俺が霞む視界の端っこで確認したもの――俺に一撃をくれたのは、丸太。
その先には丸太を抱えて振り抜いた玲華ちゃんの姿があった――




