二十二、泣きっ面に蜂
「……しゅ、朱蝶どの?」
固まってた龍が、喘ぐように俺の名前を呼ぶ。
「……夢、見てたみたいだね……」
「?」
そうさ、俺は夢を見てただけだ。
俺がおひい様からコクられるっていうイイ夢と、≪白帝≫様に会って恐怖の宣告をされるっていう悪夢の、ふたつの夢を……。
「龍。尚どの。俺はもうだいじょう――」
『そうか、≪白帝≫と会っていたか……』
すべてを夢落ちで片付けようとした俺を、悪夢へと引きずり込む声が体内に響いた。
俺の悪夢だけを肯定する霊に名は無い。
ただ、俺はソイツを蛟と呼んでいる。
「朱蝶どの?」
龍と同じく固まっていた尚が動き出した。だけど、俺はそれどころじゃない。
蛟が恐ろしいことを言い出したからだ……。
『刹那、貴様がこの身体の内から消えたが、まさか≪崑崙≫まで行っていたとは……』
消えてた? 俺が?
え、じゃあさっきのは夢じゃないってこと? ――≪白帝≫のあの宣告っていうか、予言っていうかも、夢じゃない?
「……うそーん」
「朱蝶どの? いかがされたのです?」
龍が心配そうに、俺の顔を窺って来る。
尚も同じく、眉根を寄せながら俺に膝を擦らせて近づいてきた。
『≪白帝≫に何を言われたのだ?』
蛟もなんだか良く無い気配を感じてるらしい。
「……実は――」
世の中には、『タイミング』という言葉がある。
言葉というよりは『間』ってヤツだろう。
俺が半信半疑で事情を仲間たち、プラス蛟に説明しようとした時、最悪の『タイミング』で俺にとっては最凶の提案が、龍の最愛の人からもたらされた――
「龍様、いらっしゃいますか? 婚儀――皐山へと詣でる日取りはいかが致しますか?」
跳ねるような声音と伴にこの家の玄関に、玲華ちゃんが現れたんだ――
揺れる巨乳に目を奪われた俺の向かいから、龍の呟き。
「玲華どの。そうでしたな……」
「……何? キミら、山に登るの?」
巨乳よりも、今はそっちのほうが問題だ。
俺は鋼の精神力で、玲華ちゃんの胸元から龍の顔へと、視線を引き剥がした。
「ええ、ムーではそのように致しますから。……長双さんのほうも片が付きそうですので」
龍の説明によると、ムーでは新郎新婦、親族みんなでお山の麓まで行って、≪精霊≫様にご報告をするらしい。
本当はもうちょっと早い季節に行うムーの結婚イベントなのだそうで。みんな大方そのイベントで結婚するらしい。
この世界ではみんな早婚だ。互いの両親が健在のうちに結婚する場合が多いらしい。公国では家を継ぐとか家に入るって場合が多いらしいけど、ムーでは違う。
新婚のふたりは新しい家を持つ必要がある。どの畑を若いふたりに分けるかとか、村のどこらへんに家を建てさせるかとか、ちょっとした公共事業になる。
だから、その結婚イベントの時期までに村人総出で新しく畑を開墾したり、家を建てたりして準備をするのだそうで。
でも、今回は玲華ちゃんが嫁に行く相手が公国に所属する龍だし、そうキッチリしなくても良かろう、ってな話になったそうで……。
「しかし……山、かあっ……」
「朱蝶どの?」
龍が不安そうな顔してる。
でも俺にしてみりゃ、山は死に場所、って≪白帝≫から予言されてるわけで。
というか、山に近づかなけりゃ「少しは生きながらえる」程度なんだから、もうしょうがないのかもしれない。
『待て、朱蝶! 貴様、それはどういう事だ?』
俺は、改めて蛟を無視することに決めた。
だって、コイツは≪白帝≫の件に関して俺のこと一度嘘吐き呼ばわりしたわけだし。
『貴様!』
「……玲華どの、ひとつよろしいだろうか?」
龍がなんだか神妙な声で玲華ちゃんに呼びかける。何事?
その様子に、玲華ちゃんも何かを察したのか、すすっと龍の傍ら、尚の隣に膝を折った。
龍は玲華ちゃんに向き直り、居住まいを正す。
「婚儀を、……一歳遅らせる事は叶わぬでしょうか?」
え、なんで? 急にどうしたの龍?
「なぜでしょうか?」
玲華ちゃんの真剣な眼差しを受けて、龍は一瞬俺へと目を泳がせてから、結婚式の延期理由を説明し始めた。
やれ、まだムーと長双さんの領有予定地との約束が詳しく決まってないから、だとか。
やれ、長居し過ぎてしまって公爵様へのご報告が遅れているから、だとか。
あとは、正式な時期に改めて結婚式を挙げたほうが気持ちがいいでしょ? などなど……。
哀しいかな、俺にはわかってしまった。
――龍は気を遣ってるんだ、俺に! 情けない兄貴のこの俺に!
龍は、独り相撲から目覚めたばかりの傷心の俺の前で、結婚式なんて挙げられないと思ってる!
不幸中の幸いって具合に、俺のそのショックは今、霞んでる。
そう、生命の危機という最恐・最悪のイベントを前にしてるからだ。
「――龍。俺なら大丈夫だ」
「朱蝶どの……」
「朱蝶どの? どういう事なのですか?」
「玲華ちゃ……どの。龍は俺に気を遣ってるんですよ。俺の妄想が破れてしまったから、俺がキズついてるんじゃないか、なんて思って」
「……よくわからないのですが……そうなのですか? 龍様?」
「…………」
龍は気まずそうな顔をして、玲華ちゃんからも俺からも目を逸らす。
「龍、大丈夫だから! 結婚してこい!」
「朱蝶どの? 朱蝶どのはご出席にならないのですか?」
玲華ちゃんの問いかけに、俺は硬直する。
死地です――その山は間違いなく、俺が死するべき地なのですよ……。
説明するべきなのか? 俺はこの幸せそうなふたりに対して、そんなことを言ってもイイのか?
躊躇する俺に、玲華ちゃんからさらなる追撃。
「朱蝶どのは、なぜ、わたしの顔をご覧になられぬのです?」
「……それは……」
巨乳を凝視してしまうから。……なんてことは口が裂けても言えない。
「……やはり、まだ心の傷が……」
龍、余計なことを!
ほら、玲華ちゃんが「まあ」って驚きの声を上げてるじゃないか?
「――行くよ! もちろん、出席するさ! だから、ふたりは話を進めなさい! ……お兄さんは、ちょっと尚どのに用事があるから!!」
そう言って、俺は立ち上がって、蚊帳の外だった尚の腕を掴んで引っ張る。
今、相談できるヤツはとりあえずコイツだ!
「しゅ、朱蝶どの、なんですか! ……お、おやめ下さい!」
急に腕を掴んでしまったせいだ――
たぶん、俺が嫌われてるワケじゃないはず。そう思いたい。
でも、尚の拳は今までで一番容赦が無くて――
――俺の腹部を何か、砲丸でも貫いたんじゃないか、って衝撃!
この丈夫な身体をもってしても、耐えがたい衝撃に襲われて悶絶しながら、俺は再び屋根を突き破って宙を飛んだ――
「しまっ――」
「しゅちょっ――」
「まあ!」
高速で離れる三人の悲鳴が微かに聞こえる。
前回より短い滞空時間の末、俺は地面に激突した。
少しだけ染み出した≪異気≫で若干身体を強化できたからだろう、腹部以外に大きなダメージは無いみたい。
でも、心のダメージは思いのほか大きい。俺が取り乱してしまったからとは言え、尚におもっくそドツかれた。
あの尚に。過失で人を傷つけることはあっても、誰かに故意の暴力を振るったトコを見たこと無い尚が……。
敵意をムキ出しにして、俺のハラにパンチを……。
「……大丈夫、かね?」
ムーの言葉で話かけられた。どうやら、また村のどっかに落ちてしまったらしい。
倒れた俺の周りには、小さな人だかりができてるみたい。
こんな仲間から、思いっきり殴られるような俺にも、ムーの人たちはなんて優しいんだ……。
「だ、大丈夫で……」
俺が顔を上げた瞬間、人だかりから俺に伸ばされようとした手が止まった。
声をかけてきてくれたムーの人、ふくよかなおばさんの浅黒い顔が瞬時に蒼褪めた。
「――人妖!!」
「え?」
俺を囲う人だかりが、恐慌に包まれる。
「人妖が空から降ってきた!」
「また、なんぞするかもしれん!」
「誰か、≪巫姫≫様をお呼びしろ!!」
「無分別な化け物め!」
――蹴られる。殴られる。なんか手に持ってた農作業用具的な堅い感触――
え? だって、俺がさっき散歩してた時だって、いつも通り遠巻きに眺めてるだけで……。
「お前のせいで、うちの子が死にかけたんだ!」
ああ――いつも通りじゃ無かったんだ。
浮かれてた俺には、この人たちの顔が見えて無かったんだ――
「息子はまだ起きれないのに、今度は何をするつもりだ!」
「早く姫様を! 我らをお守りくださった≪巫姫≫様を!」
――なるほど。そうなるのか!
俺は言わば『悪の魔王』的なヤツで、そいつ止めて支配下に置いてるおひい様は『大魔王』になるワケじゃねーのか!
そう、俺という化け物からムーを守った英雄――おひい様!! ってワケだ。
これが本音だ。ムーの人たちの本音。
俺みたいなバケモンじゃなくて、立派な人間のおひい様のほうが親しみ易いんだ。
何より、おひい様はこの村唯一の≪神格≫クラスの玲華ちゃんの夫になる予定の龍の、従妹様……。
この世界ではどうも、おひい様の推オジサンに対する態度しかり、血縁が一番信頼できる身分証明らしい。
……現在、俺が逆立ちしたって手に入れることが叶わないモンだ。
――泣ける! 泣けるゾ、この状況!!
おひい様にコクられたと思って、龍に諭されて勝手にショック受けて、逃げ込んだ≪崑崙≫で死刑宣告受けて、帰って来たら尚に殴られて、地面に落ちたと思ったら私刑――
――もう、泣いてもイイでしょうか?
「――じゃかあしい!!」
ああ、ご主人様――いやさ、英雄様が来なさった。
人だかりが割れる。
ゆっくりと近づいてくる小さな影。
ちっちゃい手が俺の埃まみれの頭をわしゃわしゃやって、
「お前は、ほんに阿呆じゃのう」
呆れ声でそう、俺のご主人は言ったとさ。




