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意天  作者: 安藤 兎六羽
二章 神
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十五、声

――跳んでいた。


 跳んで、飛んで、翔んで。まるで蝶にでも戻ったように。

 五里霧中の霧の中、細かい霧の粒子を全身に浴びながら、俺は龍を担いで飛んでいた。


 ふと、何かに突っ込んだ気がした。


 ブヨブヨのゼリーみたいな何か。

 でも、眼には灰色の霧しか映らない。なんだろう? なんかどこかで感じた覚えがあるような感触だ。


「≪気≫です、か? ……」


――ああ、そうか。≪気≫だ。


 龍の言葉に納得した。モヤッとした≪気≫を、なんか、圧縮したみたいな感触。

 実際に、圧縮された≪気≫の固まりなのかな?


 長いようにも、短いようにも感じられた、その≪気≫の固まりの層を突き抜けたらしい。

 俺の身体は解放感、っていうか懐かしい感覚に襲われる。


……どっちかって言うと無力感――



「朱蝶どの!」


 龍の警告が耳元で聞こえた。ああ、龍、わかってる。――マズい!!


 俺の総身からエネルギーが勢い良く抜けていく! いくら染み出す≪異気≫で捕まえようとしても、どうしようも無い!!


――着地――地面、見えない――龍を、無事に! ――


 俺は「ままよ」って感じで≪異気≫を拡げた!

 コントロールできるか? そんなこと考えてる暇なんて無い!


 俺が背中に向けて大きく拡げた≪異気≫は、なんとか俺が飛び立った谷の向こうから幾らかのエネルギーを拾って来る。

 量が少ないのは、さっきの分厚い≪気≫の層のせいか?


 俺は筋肉や関節に瞬時にそれを充填する。

 衝撃を殺さないと、龍にダメージが行く!



 急に足が何かに触れてつんのめった――


――ヤバい、体勢が崩れる。


 俺は右肩に担いでた龍の身体を慎重に、両手で上に向けて放った。

 そのまま俺の身体は、さっき足先が触れた堅い地面を転がる。

 摩擦係数は高くない、硬質で滑らかな石みたいな地面の感触を俺は全身で味わう。


 数メートルぐらいは転がっただろう。俺は即座に起き上がる。

 身体に違和感。


「なん……」


 両手で全身を擦ろうとした俺は、すぐにその違和感の正体に気がついた。


――指が、無くなっていく。


 厚く立ち込める霧に乱反射してる淡い光に掌を透かしてみれば、指の先端が痛みも無いのに崩れ始めてた。

 咄嗟に≪異気≫で崩れる指をつなぎ止めようとする。――なんでだ? 効果が無い?

 つまり、手の施しようが無い? なんで?


 俺は気がついた――周囲に≪気≫が無い。それどころか人の魂の成れの果てのエネルギーさえ無いみたい。

 いや、ココがそんな場所だとしても、俺は現に膨大な≪異気≫を収納してて、今身体をつなごうとしてるじゃないか。

 ≪気≫や≪異気≫ってのは≪つなぐ≫モノなんだろ? なんでソレが働かないんだよ!!



――異界――≪大荒≫――ココでは≪気≫や≪異気≫の機能が、失われる……?


 同時に、俺の思考は「この一瞬の中」に停止した。

 別に、あの『ファウスト』が「止まれ!」っていう言葉を捧げた、長い旅路の果てに見たような「素晴らしい一瞬」だったわけじゃ無い。

 俺には道案内をしてくれるような『否定するゴースト』もいないし、むしろ俺のほうがつい最近まで、そのゴーストみたいなモンだったわけだし。



――喪う? この身体を? どうして?


 そう、たったそれだけ。それだけのことだ。

 でも充分だ。それだけで俺には充分だった。


 俺はこの世界に来てから、幾度と無く「死ぬ」って実感を覚えて来た。

 でも、そんな実感はいつでも突然やって来て、「あっ」という間に俺のぜんぶを攫って行った。


……そんな事を考えてる間にも、霧の中で俺の身体は感覚と伴に喪われていく。

 指だけじゃない。地面に衝突して傷んでいたはずのつま先も、膝も、擦り剥いたはずの肘も、なす術も無く崩れ始めてた。



 喪失感――


 ああ、そうか。これが身体を喪うってことか。

 こうやって徐々に、衰えていくように、身体を喪っていく――これも、たぶん死ぬってことなんだ。


 中世を生きた歴史上最も有名な言葉の「カミソリ」を振るった人は、「観念とは、ただ名前だけがあるに過ぎない」みたいなことを言ったらしいけど。


 この喪失感を抱えながら、喪われる肉体を眺めてる俺を、≪魂≫と言わずになんて言えばいい? ≪魂≫が在るって言わずになんて言えばイイ?


……身体を何か他の物のように見つめてる「俺」のことを、≪魂≫と呼ぶ≪俺≫をなんて言えばイイ?

……さらに、その≪俺≫のことをなんて言い表すか、考えてるこの【俺】が居て、その【俺】を眺めてる〔俺〕が……。

 そうやって延々と、「この一瞬の中」に連なっていく俺。


 きっと、引き延ばされた時間感覚の中で、俺の脳みそが高速回転してるだけ。まるで何でも「この一瞬」のうちに考えられるような気がする全能感。

 でも、俺は囚われてる。喪失感に囚われ続けてる。

 精神と肉体のアンバランス――



――ああ、そうだ。これが間違いなく「死ぬ」ってことなんだ。


 三つ子の魂、百まで。だから、「死」ってモンは受け容れ難いんだ。

 力を喪ってく肉体に、膨れ上がる≪自分≫――

 どこかその≪自分≫の重みに崩されていくような気さえするカラダとココロ。



――イヤだ……死にたくない……――


……俺は本当に阿呆だった。

 わかった気になってただけだったんだ。

 奪われる、ってことの本質が何ひとつわかって無かった。


 俺は二度と会えなくなる。

 龍と、長双さんと、尚と、――おひい様にも。

 俺を≪朱蝶≫にしてくれた、ぜんぶが今、身体と一緒に崩れて…………。



――その時、〔俺〕の――【俺】の――≪俺≫の――「俺」の――紛れも無い俺の、ヒビ割れて血の滲んだ腕が掴まれた――



「――朱蝶どの!」



――そうだ、俺の傍には、コイツがいた。

 いつだって、俺を励まして、奮い立たせるコイツが、今もこうして俺の腕を力強く掴んでくれ……。



……力が弱くないか? 龍の手の力が、弱くないだろうか?



「……朱蝶どの、戻りましょう……」


「龍?」


 俺は思わず、俺の腕に伸ばされてる龍の腕に、崩れかけた掌で触れた。


「朱蝶どの! その手は!!」


 霧のせいで、すぐ傍に立ってる龍の姿も良くわかんねーけど、その腕がなんかぶにっとしてる。いつもより龍の腕が太くて柔い気がする。その上、なんかダランてして力入って無い感じ。

 こいつ、腕ヤっちゃってんじゃない――!!


「朱蝶どの、お怪我を!!!」



……バカなんじゃないの? このコ?


「ふへ、へへ……」


 自分もケガしてんのに、こっちの心配なんかしてる龍のせいで、なんか笑っちまう。

 後生大事に「この一瞬」なんかに囚われてた自分の阿呆さ加減がイヤになっちまう。



「……朱蝶どの? 大事無いのですか?」


「――ああ、心配ねえ。戻るぞ」


 俺は龍の腕を引き寄せると、その身体を肩に担ぎ上げた。


「…………」


 龍が痛みに身体を強張らせたのがわかった。

 触った感じだと、けっこう腕は腫れてるみたいだけど、ほかは大丈夫そうだし、すぐに命に関わるほどじゃねえだろ。

 でも、なんで腕なんか? ……あー、俺が放った後、落っこちたのか。

 つまり、俺のせいか……。


「……悪いな、龍」


「? 何がでしょうか?」


 まあ、イイや。

 あとで、また土下座しよう。


 問題はココからどうやって戻るかだ。

 盛大に転げ廻ったせいで、視界数十センチって霧の中、完全に方向を見失っちまった。


「……やべーな」


 そうこうしてるうちにも、俺の身体は末端から順調に崩れていってる。

 迷ってる時間なんかねえ。≪異気≫を全方位に向かって展開する。ほんの数十メートル先には、あっちの岸があるはずなんだ。

 あっち側に≪異気≫が届けば、さっきみたいにエネルギーを拾って来れるはず。


「――朱蝶どの!! 身体が――」


「安心しろ、まだもつ」


 龍の悲鳴に応える。


「しかし!!」


「だいじょーぶ」


 こんなワケわかんねーとこで死んでたまるかってんだ! ……≪異気≫が向こう側に届いた。エネルギーが俺の身体に巡って来る。

 でも、マズい。さっきの高密度の≪気≫の壁のせいか、送られてくるエネルギーが少ねえ。このまま跳んでも、たぶん、落ちる。

 俺は≪異気≫で触れた、向こう側――崖の方向へと歩き出す。


「しゅ、朱蝶どのお!」


 お、おおう……。歩いてるせいで脚の崩壊が早まってる。早くしねえと!

 なんでか痛く無いのが、不幸中の幸いだね。痛覚が働いてたら、まともに歩ける気がしねーよ。

 探り探り崖の際を動物の皮をなめして縫製した皮靴の裏、何重かに皮が余計に張られた靴底で確かめる。


「ここだな。でも……」


 谷の位置はわかった。でも、エネルギーが足りる気がしない。そうでなくったって、俺の脚はボロボロなのに。

 やっばい。このままじゃ、龍を担いだまま立ち往生しちまうよ。俺は弁慶じゃあないのに。




――その時、光が差した――

 いつだってピンチの時には俺を照らしてきた光。

 たまに、俺をピンチに陥らせる光でもあるけど……。


…………ああ、あの人だ。間違いねえ。


 俺の左手の甲がにわかに熱を発して、そこからたくさんのエネルギーが流れ込んでくる。

 ケンカしてたのに。っていうか時間的に無理じゃないのか。でも、今はとにかく……。


「――おひい様、バンザーーイ!!」


 そう叫んで、俺は来た時と同じように脚にエネルギーを込めれるだけ込めて跳躍した――

 俺の両脚はその瞬間、崩壊。


「龍、≪気≫の壁越えたら、出来るだけ≪気≫纏え」


「――朱蝶どのおぉ!」


 龍の返事を聴いたか、聴かないかぐらいのトコで、俺たちはまた例のブヨッとした≪気≫の壁に突入した。



――≪声≫が聞こえた。


 聞こえた? なんかそんなんじゃない。かと言って、俺がこの世界に来てから慣れ親しんだ、脳内会話みたいなモンでも無い。

 どっちかって言うと、≪気≫の壁の中に、そんな声が溢れていたって言うほうが正しいような……。



≪見つけた≫



【見つけた】



〔見つけた〕




――“見つけた”――




 ぞっとした。


 別に「見つけた」なんて言葉は聴き慣れた言葉のひとつだ。怖気を震う必要なんか欠片も無いありふれた言葉だ。

 でも、幾重にも重なって聞こえたその声には、喜びも、憎しみも、怒りも、哀しみさえも無くて、感情が一片たりとも感じられなかった。

 俺は機械音声よりも無機質な声を出す≪何か≫、「不気味の谷現象」の向こう側にいる≪何か≫に見つかってしまったらしい――


 この世界にはまだ、そんな何とも知れないヤツがいる。

 そして、たぶん、俺はソイツに眼をつけられちまった――





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