八、≪格≫
「……龍どの。朱蝶どの」
入口から、エラく久しぶりに聴いた気さえする、申し訳なさそうな声が聞こえた。
実際には昨夜聴いた声なんだけど、声を掛けられたのはたぶん、五日ぶりだ。
「お、尚どの? いつからそこにいたんすか?」
その尚は心なし顔を赤らめて、入口から俺と龍を覗き込んでる。
なんで入ってこないんだ?
「……お二方の御邪魔をするつもりは無いのです。……無いの、ですよ?」
なんの予防線なんだ? その言葉は。
涙を拭った龍が、尚へと向き直り、少し赤くなった眼で微笑む。
「どうぞお入りくだされ」
「……はい」
だからなんでモジモジしてるのでしょうか?
―――
「……朱蝶どの、お身体のほうは大丈夫なのですか? 体内に悪鬼や竜がいるなどと、おひい様は仰せでしたが?」
「ええ。それについては、さっき龍にも訊かれたんで話したんすけど」
そう、俺の相談が始まる前にそのことについては簡単に龍にも説明した。
俺が南沼の≪怪≫――蛟の中に入った時に、たくさんの鬼とどんな誓いを立てたのか、ということも含めて。
ちなみに、俺が蛟と約束したことについては、とりあえず触れなかった。
そんなことを龍が聴けば、また「自分が命賭ける」とか言いそうで心臓に悪いからだ。
……ということで、俺は尚にも龍に話したのと同じ話をする。
蛟については多少ぼかしながら、でもその存在が俺の中に在ることは伝える。
「……なるほど。それで、そやつらは今どのように?」
さて、俺の体内の状況なのだが、それもさっき龍に説明した。
実は、蛟が身体の主導権を握って、おひい様に返り討ちにされて以来、俺の身体ん中はかなり平穏だ。
あの怨念の固まりみたいだった≪ムー≫の幽霊さんたちも、蛟が返り討ちにされたのを俺の眼を通して見せつけられたらしい。
さらには、俺とおひい様の会話をなんとなく身体ん中で聴いてたわけで。
結果として、ノイズみたいな小さい声が、俺の頭ん中でずっとぼそぼそ聞こえてる。
(≪鼻削ぎ≫は我らの仇だ!)
(しかし、同胞の生がかかっておる)
(≪ムー≫の先か……)
そう、考えてみればこの人たちは全員過去に縛られてるわけだ。
一度、復讐のために理性がぶっ飛んだけども、蛟が立てた誓いのおかげで理性が復活して、今はみんなで相談中っぽい。
どうやら俺は図らずも、彼らに≪ムー≫の未来なんてものを提示する結果になったようで。
おひい様にはああ言ったけども、この世界はやっぱり簡単じゃなさそうだ。
鬼――幽霊の存在が広く認められてる。
つまり、俺が長双さんに何かした場合、おひい様は俺の中の幽霊さんたちの責任にできる可能性は非常に高い。
復讐以外のことにも思考が廻るようになった幽霊さんたちは、その可能性を無視できないらしい。
彼らは、今、揺れている。
復讐か、民族の未来か――まるで、いつか俺の頭の中をよぎったハムレットみたいに。
ついでに言えば、どうも≪ムー≫の社会ってのは合議制なんだろう。
彼らが真剣に話し合ってるトコロを聴くと、そんなような気がする。
もしくは、チンギス・ハーンが登場する前のモンゴル族に似てるのかもしれない。
俺の中には≪ムー≫とは言ってもいろんな部族がいることだろう。
つまり、俺の中で絶賛開催中の相談はクリルタイに近いのかもしれない。
まだまだ時間がかかりそうだから、暫らくは安心だろう。
「――っていうわけっすね」
俺の説明を聴いた尚は、ほっと溜息をひとつ。
そしてまた、口を開く。
「では、その竜の子供は?」
「それが――」
あれだけデカかった蛟の声が昨夜の一件以来、ぱったり聞こえない。
まさか消えちまったのか? なーんて思ったけど、俺の身体ん中にいるらしいことはなんとなくわかる。
何を考えてんだか今一つわかんねーけども、≪ムー≫たちの方針が決まるまでは動きそうにないね。
だってヤツは雇用された側なんだから、指令を出すはずの≪ムー≫が割れてたら、何にもしようが無い。
「……なるほど……。では、もうひとつお尋ね申し上げたいのですが?」
「なんなりと」
「――朱蝶どのは、おひい様の僕を続けるつもりは無いのですか?」
尚は困ったような顔で、俺に訊いてくる。
そんなこと訊かれても俺のほうが困っちまう。
「え? でも、俺とおひい様の主従契約は切れないんでしょ? じゃあ、俺の気持ちがどうであれ、実情は俺はおひい様の下僕じゃないっすか」
「朱蝶どの――いえ、朱蝶様。貴方様はご自分のお立場をご理解されていないのです。貴方様は今や≪神怪≫にあられます」
何? なんで急に「様」なんて付けたの? あと、その禍々しそうなワードはなんだ?
「よろしいでしょうか? 鬼怪の類の≪格≫は下は≪鬼≫から始まり、≪異気≫が凝り固まった≪魑魅≫や≪魍魎≫を経て、それが獣を≪喰らう≫とただ一種一匹の≪怪≫となる。そう聞き及びます」
えーっと、つまり「鬼<魑魅・魍魎<怪」って感じになるのかな?
だいぶ大ざっぱなランキングの気もするけど?
「その≪怪≫が弱い≪神≫を≪喰らう≫、もしくは神獣たる≪竜≫を≪喰らう≫と、≪神怪≫に至ると申します。……つまり、竜を≪喰ろう≫た貴方様は間違いなく≪神怪≫にございます」
「……えーと、俺は自分が思ってるよりもエラくて強いってことっすか? ≪神格≫っぽい尚どのや、長双さんよりも?」
尚は首を横に振って応える。
ちょっと安心。俺みたいのが「死ねば≪神格≫」の長双さんや尚よりもエラくなっても、ロクなことにはならなそうだし。
俺より強い人が傍にいれば、俺がクズの思考で阿呆やったって心配無いもんね?
でも、尚は予想外の返答。
「≪神格≫などと比べるべくも無い。……今や、朱蝶どのは≪神≫すら弑し奉り、その御坐を奪う事が適うでしょう」
「――はあ? だって≪神格≫ってーのは、その神様になれる≪格≫ってことなんでしょ? どうして≪神怪≫のほうが上なんすか?」
初めて会った夜に、おひい様がそんなようなことを言ってたはずだ。
≪神格≫ってのは、いわゆる英霊で「≪神≫足り得る≪格≫」だとか何とか。
だったら、≪神怪≫ってのは≪神格≫と同じくらいなんじゃねーの? って気がする。
尚も今、わざわざ「弱い≪神≫」って言ってたわけだし。
「≪神格≫は仰せの如く万に一人、ひとより出ずる≪神≫足り得る≪格≫、ではございます。しかし≪神≫と≪神格≫の開きはあまりに大きいのです。さきほども申し上げましたが≪神≫は御坐を持たれるのです」
「御坐ねえ……なんなんすか、それ?」
「≪神≫は各々、岳をお持ちです。岳の頂上にあると言われる御坐は、すなわち≪神≫の力の受け皿にして≪神気≫の根本。≪神気≫は山麓にまで張り巡らされ、力を集めます」
尚の話によれば、神様ってのが実在することになるらしい。
しかも、ソイツらは「ヘブライの神」的な神様ってよりは、「八百万」のほうに近いっぽい。
かと言って万物に神様がいるわけでもなくて、お山の頂上にしかいないって言うんだから、なんかどっち付かずだ。
しかも、ソイツら≪神≫とやらは≪神気≫なんてもので力を収集するらしい、と来たもんだ。
「つまり≪神格≫ってーのは神様にはなれるかもしれないけど、その御坐とやらを山のテッペンに持ってないから本物の神様に比べたら力が弱いってことっすか?」
「その通りでございます。確かに≪神格≫たる者は下手な鬼怪よりは、強く、多く、≪気≫を従える事が適うでしょう。しかし神々の≪神気≫は桁が違いまする。何せ山を丸々蔽うほどの≪気≫にございますれば」
すべて、おひい様から伺った事ではありますが、と尚。
「なる、ほど……」
俺は龍の身体を借りてた時のことを思いだした。
たとえば、虎を殺してしまった夜。
俺があの時、身体に纏ってた≪気≫はせいぜい身体をすっぽり包んで余裕がある程度だったはず。
その程度でも、俺が≪気≫を使って集めた力で放った渾身のアッパーカットは虎の頭を吹き飛ばした。
……たとえば、富士山麓をすっぽり包み込むほどの大きな≪気≫が集めた力だったら、どれだけのことができてしまうだろうか?
――俺の身体はそんな想像に、ブルッとくる。
≪気≫と≪異気≫は違う。たぶん、≪神気≫とやらと≪異気≫も違うんだろう。
けど、俺の身体だか心だかには、現在進行形でデッカい≪異気≫が収納されてる。
最初にお空まで跳び上がってしまって以来、俺はなんだか怖くてソレをまともに拡げてなかったけども、俺の勘もバカにゃできん。
だって俺の中にある≪異気≫は、バケモンだった時の蛟の身体から拡がって、40キロ近くも離れた≪異気≫を吸い寄せたってんだ。
まともに拡げたらどんな悪さするか知れたモンじゃねえ。
俺は改めて、あの時の、
――…………えいっ! ――
っていう自分自身の力技が、この巨大な≪異気≫に効いてくれたことに感謝する。
おかげで巧ーく閉じ込めてられるけど、コイツをコントロール下に置けるかははなはだ疑問だ。
フザケタ話だけど、あの時、俺が何をどうしたのかなんて自分自身憶えちゃいない。
それと、もうひとつ幸いなことは蛟は俺の中の≪異気≫を使えないらしいことだ。
昨日の夜、ヤツはなんか別の≪気≫を使ってた。たぶん≪竜気≫だ。
ヤツにこんなデカい≪異気≫なんて凶器を持たれたら、何がどうなるかわからん。
……そういえば、蛟のことで思い出した。
「そういや、なんでおひい様は蛟が操る俺の身体を止めることができたんすかね?」
「……さあ……? 尚にはとんとわかりません」
首を捻る尚。
何かを考え込むように、黙って聴いてた龍にも疑問の視線を投げるけど、力なく首を振った。
『…………≪破格≫だからだ』
お、だんまり決め込んでた蛟の声だね。
っていうか≪破格≫って何?
『そこの娘が≪格≫について言うておったろう? ≪格≫を上せるのでは無く、破る。それが≪破格≫だ……』
うーん、今ひとつ良くわかんねーんだけど、それっておひい様が特別ってこと?
『……あの≪巫姫≫とやら、おそらくは新たな術理を創ったのだ』
創った?
『本来、如何に≪竜眼≫といえど≪竜気≫を纏いしこの身を害う事は能わぬ……それを易々とやりおった……』
……なんか、アンタ、声震えてない?
『……なんなのだ! 貴様らは? 二百歳を生きたこの身が、このように辱められるなど……』
蛟の声が萎んでく。
そこに神獣様のプライドなんて一欠けらも残って無いみたい。
プライドはズタズタで、獣的な勘なのか知らんけど、おひい様にブルッてるらしい……。
「……あのぅ、朱蝶様? よろしいですか?」
「ああ、すんません! はい、なんでしょうか?」
「……つまり、朱蝶様は≪神怪≫であられます以上、ひとの身のおひい様に無理に従うことは無いのです。……その気になられれば、おひい様と結ばれた盟いも破る事が……」
そこで、尚は考え込むみたいに口を噤む。
次の瞬間、いつかの兇悪なジャンピング土下座を披露して、額を毛皮の絨毯ごと深く床にめり込ませる。
「――ちょっ!」
「――どうか、どうか! おひい様の僕としてお仕えください!!」
困る。そんなことされても困る。っていうかそんな話、初めて聴いたし。
どうしよう?
そう、思って俺の外部独立式良心にして、頼れる弟分を見ると、やっぱりなんか考え込んでる。
うーん、参った。




