六、朱蝶(?)VSおひい様
「おひい様、逃げて!!」
俺は叫んだ! 身体は勝手に動いてるけど、今回は口とか意識は大丈夫。
だから俺は警告を発する。
だって、この身体のスペックはマジで半端ない。
いくらおひい様が超人じみてるからって、蛟が操るこの身体に太刀打ちできるとは思えない。
しかも、この身体は今はほとんど竜だ。
その上、半分バケモンになってたからとはいえ、蛟は一度は俺たちパーティを壊滅させかけたぐらい強い。
そんな蛟が神獣のそれに近い身体を操ってる。
おひい様のその超人的な≪竜眼≫が効かない可能性すらある!
やばい、やばい、やばい、ヤバい!!!
――その時、おひい様の≪竜眼≫が輝いた。
その輝きに呼応するように、俺の左手の甲の≪紋≫が紅く燐光を放ち、そこから「線」みたいのが何本も身体中を奔り抜ける。
『――がっっっ!!』
俺の体内に蛟の獣じみた悲鳴がこだまして、右半身を覆っていた鱗の鎧が、駆け巡った「線」に引き裂かれる。
鱗に入った亀裂から血が噴き出して、俺の身体は毛皮の床の上を転がった。
ナンダソレ!!
「……あ、あぶないではないか!!」
おひい様が俺を驚きの眼差しで睨む。
「いや、だから、逃げてって……」
床からおひい様を見上げた俺の頭を、おひい様が思いっきりサッカーボールを蹴る時みたいに蹴った――
――ナンダ、ソレ!!!
「文句が、あるなら、口で、言え、口で!」
おひい様はそのまま足の裏で、俺をこれまた思いっきり踏んづける。何回も。言葉を区切るたびに。
痛くは無い。おひい様のひ弱な脚力と、軽い体重で踏まれたところで、この丈夫な身体にダメージは無い。
むしろ、さっき身体を駆け巡った「線」に引き裂かれた皮膚だか、鱗だかのほうが肉体的にはよっぽど痛い。
――でも、心が折れる。
こんなことをされたら、心が折れてしまう。
酷い。虐待です。動物愛護団体に訴えたい。
ペットたちの声を代弁したい。
自由にならない身体で、なんとか警告までしたのに、この仕打ちはヒド過ぎる!
……おひい様の足が、俺の身体に届かなくなったぞ。
見上げれば、龍がおひい様を羽交い絞めにして、宙に浮かしてる。
「離せ、龍! この愚昧な僕に主に逆らえばどうなるか躾けを施しているのじゃ!」
「朱蝶どのではございません! 身体の内の何ものかです!」
「はあ?」
「朱蝶どのは、己と話していた時に急に心ここに在らずという顔をされておられました。おそらく、身体の内に何者かおるのでしょう」
龍よ、龍。できれば、おひい様が俺の頭を蹴る前に言ってはくれなかったのかい?
俺の心は過剰な虐待にすっかり、ひしゃげてしまったよ。
ねえ、おひい様? 「思いやり」ってなんですか?
そんなおひい様は俺の心の状態など、意にも介さずに≪竜眼≫の眼光で探るように俺の身体を射る。
「……なんじゃあ? そなたの身体は?」
「……身体ん中になんか、≪ムー≫の人たちの悪鬼とか、あの竜の子供――蛟とかがいるんですよ……」
「先に言わぬか!!」
えーー……。
無いわあ。いくらなんでもそれは無い。
あ、スッゲえ腹立ってきた。これはかつて経験したことの無い怒りだ。
腹に据えかねるってーのはたぶん、こういう感じなんだろう。
精神年齢二十歳を超えてる俺が、十三、四歳のガキのおひい様にキレるのはどうかと思う。
大人としてどーなんだ? とは思う。
だけど、そのいっちょ前(?)の大人を捕まえて、このガキャあ、好き放題に暴行を加えやがって!
「おひい様!!」
俺は這いつくばった体勢から、ゆっくり血塗れの身を起こし、正座しておひい様に声をかけた。
「な、なんじゃ?」
珍しく怯んでいるおひい様を、俺は睨む。
「今宵限りで、お暇を頂きたい!」
おひい様を真っ直ぐ睨んで、俺は言った。
おひい様は眼を丸くしてる。
そう、俺はたった今、「脱・ペット宣言」をしたのだ!!
「な、なにを言うておる?」
驚くおひい様を抱えながら、龍が顔を顰めて首を横に振ってる。「朱蝶どの、堪えてください」って感じ。
いんや、龍。俺も堪忍袋の緒が切れた!
こんな精神的に過酷な労働条件で働く人間なんているわきゃ無い! 俺は人間じゃないけど、ペットだって脱走するレベルのはずだ!
ハゲる! このままではストレスでハゲてしまう!!
「ですから、主従契約を破棄してください!」
「……出来るわけがなかろう!」
うん。想定内。想定内の解答だ。
だけど、俺は知ってる。
おひい様が俺を無理やり従える為には≪竜眼≫を使う必要がある。そして、その≪竜眼≫には使用限界がある。
おひい様が成長したのか、強くなったのかは知らねーけど、無制限に使えるわけは無い。
「では、俺は勝手にします! だから、どうぞそのお目目なり、お得意の巫術なりで、俺を従えさせればイイ!」
「な……!! そなたの内の悪鬼や、蛟が暴れたらどうするつもりじゃ?!」
うん。確かにその通りだ。俺独りの手には負えない。
でも、それもちょっと考えれば対処して貰えるような気がする。
「おひい様。俺がおひい様の手を離れるということは、俺は皐公国に所属しないってことですよ?」
おひい様も、龍までもが驚いた表情をしてる。
「ちなみに、俺の中の≪ムー≫の人たちの悪鬼は長双さんを殺すつもりみたいです。さらには蛟も、そいつらに長双さんを殺すことを誓ってしまった」
龍の顔が蒼褪め、おひい様の顔は苦悶にゆがんでる。
龍と長双さんに対しては心苦しいけど、ここは俺の平穏な生活が懸かってる場面だ! 引くつもりは無い!
「……長双さんがこの≪ムー≫の村で、閉じ込められてるのは、きっと今後のことがあるからでしょう?」
そう、≪ムー≫にしてみれば仇の長双さんなんて、すぐに私刑にかけたいはず。
でも現在、四日間も地下牢に閉じ込めてるってのは、今後の公国との関係がチラつくからにほかならないはず。
いくら龍を婿に迎えたからって、公国の英雄を殺したなんてことになれば、公国との敵対関係はより鮮明になってしまう。
じゃあ、龍を含めて全員を殺して口封じするのかってーのも、リアリティに欠ける。
だって南沼の≪怪≫はいなくなってしまったんだ。公国側だって俺たちが戻らなくても、いずれその事実に気づく。
そうなりゃ、この辺りに公国が進出してきて、この村が見つかる可能性は大。
見つかれば、また戦争になってしまう可能性も大。
――でも、だ。
「≪ムー≫の人たちからすれば、俺が長双さんを倒した場合、それが一番イイのかもしれないですよね?」
俺は、たった今、無所属宣言をした。
それでも、おひい様との主従関係が切れないのなら、俺が万が一、長双さんをアヤメタ場合、責任はおひい様に降りかかるんじゃない?
「しゅ、朱蝶!!」
「もし、おひい様のしもべの俺が長双さんを害えば、おひい様はどうなりますか?」
いくらおひい様がこの国の公爵様の娘だってタダでは済まないだろう。
その前に、おひい様がお姫様である限り、この俺の暴挙――国の英雄を殺すなんて場面、座して見ているわけにはいくまい。
「……そなた、妾を脅すのか?」
「いえ、可能性を提示しているだけです。おひい様は姫様なんだから、俺が長双さんに何かしそうになったら止めてくれる――そうでしょう?」
呆れ顔の龍に抱えられたおひい様の顔が真っ赤になる。
お、爆発するのかな? するならすればイイ。そしたら、俺は森に逃げてやる!
全力で森に逃げ込んで、蛟か悪鬼にでも身体を乗っ取られたらそれまでだ。
幸い、俺の身体の中のコイツらは長双さん以外を標的にしてる様子は無い。その長双さんはおひい様が守る。
最低限の被害――俺が生死不明に陥るぐらいで済むだろう。
おひい様の、俺に対する防御力は最強だということが先ほど証明されたんだから。
「…………しゅ、しゅ、朱蝶のぉ――阿呆おーー!!」
おひい様は突然涙ぐむと、そう言って龍の腕を逃れて、屋外へと駆け出した。
「尚うぅーー!!!」
おひい様の尚呼ばう声が夜の≪ムー≫の村にこだましている。
「……やり過ぎです、朱蝶どの」
取り残された龍が溜息混じりに言う。
「……やり過ぎ、かなあ? ……」
「――姫様が、朱蝶どのにのみ、じゃれつくのは甘えの裏返しです」
「ジャレつくって……そんな可愛げのあるもんじゃねーぞ」
「よろしいですか、朱蝶どの。姫様――皐公国の≪巫姫≫様のお立場は重い。帝国――帝域を見渡して、姫様のような≪竜眼≫を持つ巫祝がどれほど在ると思召す?」
「そういや、前にもそんなこと言ってたけど……どうせ、少ないんだろ? 百人いないとか?」
「己の聴く限りではふたりです。それも姫様を入れてふたり。……よろしいですか? 皐公国の≪巫姫≫とはそれゆえに重く、責め負うお立場なのです。己のような下官の身とは比ぶるべくもない」
「――だからって、甘やかしてイイことにはなんないでしょ?」
「……よろしいですか? ≪巫姫≫様には甘えられる場が少なすぎる。何せ、国の威信を背負っておられるのですから。多少は大目に見てあげてくだされ」
十五の癖に、やっぱり龍はとてつもなく大人だ。
俺なんかよりも大人っぽい。
でも、いくら龍だって、助けようとした相手にあれだけ蹴られりゃキレてもおかしくない……はず……あれ?
なんか、くらくらするぞ?
「それよりも、朱蝶どの。かなり血を流されているようですが、大丈夫なのですか?」
「……なるほど。血が足りない、のか?」
「朱蝶どの? ……朱蝶どの!」
おお、なんか視界が霞むぅ。
――こうして、俺の意識は飛んだ。
「脱・ペット宣言」の前におひい様にケガ治して貰えばよかった、なーんて思いながら。




