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意天  作者: 安藤 兎六羽
転章
33/159

≪竜眼≫の≪巫姫≫


――朱蝶――いや、龍の身体が蛟――≪怪≫の爪に貫かれる。


 そして、≪怪≫の動きが止まる。そうしてゆっくりと、龍の身体を貫いて持ち上げていた前肢を僅かに下げた。

 その動きが停止した。ずるり、と地面に落ちる龍の身体――その腹に空いた穴からは血が溢れだす。


「くそがぁ! 龍の阿呆め!」


――なぜ、答えてしまったのだろうか? あの夜、龍の問いかけに。

 ごまかしてしまえば良かったものを!


 悔恨は深く、心を抉っていた。

 だが、龍の断じた通りだったのだ。みなで死ぬか、龍が死ぬか。


 そうして、龍は己を捧げる事を択んだ――


「生かされて、妾が喜ぶと思うてか?」


 血で視界が霞む≪竜眼≫で、大穴を開けられた龍の身体を睨んだ。



――待てよ。≪龍の身体≫じゃと?



……駆け出す。倒木をよじ登り、跨いでは転び、躓いては転び、それでも駆ける。



 龍は、朱蝶が失神していたあの夜、確かに言った。



――朱蝶どのを捉えた己の掌には、蝶の屍骸はその欠片もございませんでした――と。



 ならば、なぜ、今、龍の身体は消えていない?


 蝶とひとが違うから?


 それとも、朱蝶が龍の身体を完全に己の物としていなかったから?


――どちらも考え得る。ただ、それだけの事かもしれぬ。じゃが――



「――阿呆は、妾じゃ!!」


 もうひとつの可能性。それに駆け寄り、腰に付けていた皮嚢の水を棄て、新たな液体で満たす。

――朱蝶が溢れさせた≪蛟≫の血で。

 そうして、また戦いの痕跡の残る坂道を駆け下る。



 そう、朱蝶は先刻、龍の身体・・・・で、≪蛟≫――竜を討ち取った。

 竜を弑する者には、そののちに連なる系に及ぶほどの呪詛――祝詛がある。


 竜を弑したのは朱蝶だ。

 しかし、それは龍の身体・・・・で行われた。

 この場合はどうなる? 祝詛や呪詛は朱蝶のものか?


――いや、後系の肉体を変ずるのであれば、竜の祝詛は肉にこそ宿るはず。



 龍には今、おそらく竜の呪詛が、祝詛が与えられているはず。


――ならば、竜を弑した者にはいかなる祝詛が及ぶじゃろう?



 祖先の場合は、この≪竜眼≫だった。

 いや、祖――≪禺氏ぐし≫に与えられた物は、もしかすると異なっていたのではないか?

 可能性は十分にある。何せ、数百歳も前の事だ。正確に伝わっているとは思えない。



 ふと、沼のほとりの≪怪≫の身体が徐々に崩れ始めた。


――朱蝶め、やりおったか!


 ならば、今度はその主たるはつがやらねばなるまい。



 南沼の際、打ち寄せる小波に濡れる、龍の身体に駆け寄った。

 眼前では、≪怪≫の身体がどんどん崩れ落ちていく。


 霞む≪竜眼≫が、空を蓋い、地を這うように拡がっていた巨大な≪異気≫が急激に引いていくのを捉える。


「流石は、妾の僕!!」


 言いながら、横たわる龍の身体に手を添える。

 心の臓は動いていない。だが、腹に開いた穴から流れた血が、なぜか穴へとじわじわ還っていっている。


「やはり!」


 拳を握りしめた。


――竜の呪詛――いや、この場合は祝詛と呼ぶに相応しい――それは、間違いなく、龍に及んでいた。


「おそらくは肉を維持しようとする、祝詛」


 だから、龍の身体は消えなかった。

 だが、それでも腹の穴は塞がらない。貫かれた腑は戻らない。


 さきほどの嚢の中身――蛟の血を龍の身体に空いた穴へと注ぐ。

 そして、その身体に手を添える。


「――竜を弑しし、我が系において奉る。老陰が元に少陰を滅し、老陽が元に少陽を滅す。陰陽和合し、乾元は万物を創むる。利貞に因りて、創癒をなさん――」


 創癒の祝詛だ。

 だが、これでは足りない。破壊された腑の能は戻らない。


 ここからは賭けだ。



――思えば、あの≪怪≫は、面白い事をやってのけていた。――≪竜気≫と≪異気≫の併用――



 霞む≪竜眼≫をグッと見開いた。

 本来、≪竜気≫と≪気≫は相容れない。

 だが、怪がやっていた≪竜気≫と≪異気≫の同時使用――それを、≪竜眼≫でつぶさに捉えていた。


 だからこそ、あの震雷を咄嗟に曲げる事が出来た。

 仕組みはそれほど変わらない。弾き合うふたつの≪気≫と≪竜気≫を、重ならぬように、別々に用いれば良い。


 眼光で、形作られつつある腑を射る。

 ≪気≫で血と肉片を繋ぎ合わせ腑を造り、≪竜気≫を以て腑を動かす。


 巧く動けば後は竜の祝詛が勝手に能を示すはず。

 既に、腑は形成され、肉に空いていた穴も、皮膚を裂いていた創も塞がっている。

 あとは腑を動かすだけだ。


「来い、来い、来い!」


 刺すような≪竜眼≫の痛みに耐えながら、呟く。

 動け、動け、と。



――創が塞がった皮膚の内側で、はらわた蠕動ぜんどうしたのを、≪竜眼≫で捉えた――


 次は、心の臓だ。

 ≪竜眼≫の光が皮膚を透過して、龍の心臓を突っついた。


 ≪竜気≫を僕たる朱蝶以外の者に通わせる事はできない。

 だが、≪竜気≫とは、弾くもの。捉えて縛るもの――他の者の肉を、縛り、放す事が出来る。


 先程、腸にした事と同じように、≪竜気≫にて優しく心の臓を捉え、縛り、解放する。

 腸の時のような繊細さはそれほど必要なかろう。


 だが、≪竜眼≫の限界が近い。血が噴き出して、見ているはずの龍の心の臓が赤黒く、こちらの血の色に染まって見える。



「――ええかげんに、還ってこんかい!」


 苛立ちと伴に、握り締めた拳を龍の胸に叩きつけた。


「ごふっ」



――……息を吹き返しおった……。



 ≪竜眼≫で心の臓の動きを確認してから、目蓋を閉じた――


 眼球を射る痛みが少しだけ、和らいだ気がする。


「暫らくは使えぬじゃろうな」


 だが、やった!

 やったのだ!!



 喜びに顔を上げ、振り返った。


――朱蝶は?



 南沼を見ると、巨怪の姿はどこにも無い。


 血の気が引いた。

 まさか、巨怪もろとも、朱蝶も崩れてしまったのだろうか?



「阿呆ばかりじゃ!!」


 焦って再び痛む≪竜眼≫を開こうとした時、見た。



――何か、浮いておる。……ひとか?



 先刻まで≪怪≫が棲んでいた沼に浮かんでいる阿呆など、ひとりしかおるまい。

 心当りは、僕ただひとり!



「朱蝶か?!」


 返事は無い。


 俯せに背中と後頭部を水面に見せて浮かんでいるから、返事も出来まい。

――息も、出来ないのではないか?


「朱蝶!!」



 沼に入って、そのひとの身体をいた。

 己が握ったその左手の甲には間違いなく≪皐≫の≪紋≫がある――朱蝶だ!



「阿呆め、≪怪≫を滅したというに溺れて死にかけるなど、どういう了見じゃ!!」


 ほとりに引き摺り上げてから、改めて気づく――こやつ、裸だ。

 違う! 心の臓が動いているか確かめねば!


……だが、裸だ。仰向けにするのは、なんとなくイヤだ……。


 しようが無いので、背中に耳を押し付けた。

 水面を漂っていたので、耳が少しひんやりする体温。その奥で微かな鼓動を聴いた。


 息は? ……しかし、裸だ。……呼吸を確かめるには、仰向けにせねば。だが……。

 苦肉の策で、顔を横向きに動かした。その顔はなんとなく、龍に似ている。


 唇に耳を寄せ、手を翳すも、呼気が無い。


――わけのわからぬ忿怒に駆られて、猛然と立ち上がる。



「この、阿呆が、僕の分際で、主の手を、焼かせ、おって」


 言葉を区切るごとに、背中を全体重を乗せて踏みつけた!!



「ぐへっ」


 という妙な声と伴に、息を吹き返す。


 だが、苛立ちは収まらない。なぜ、僕の朱蝶に主の自分が気を遣わねばならんのだ!!


「……フフ、ふへへへ」


 朱蝶の身体を痛ぶりながら、妙な笑いがこぼれた。

 踏みつけ、蹴り、乗っかり――尽きぬ暴行を加えてから、ふと、気づくと、何かの気配がする。



 振り返れば、さきほど駆け下った坂の上に、小さな焔が揺れていた。


「ひとか? ……マズい! 尚と長双どのが――」



 その松明と思しき灯りが、坂の上に増えていく――


 いったい何者が、この森の深みに――焦燥と不安に、跳ね上がる鼓動を聴いていた――






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