三十一(一章終話)、≪白帝≫の庭、そして、受肉
――錐揉み状に≪何か≫に引っ張られた俺は、気づけば椅子に座ってた。
この異世界では見たこと無い、四つ足の座面の高い椅子。
空を仰げば、夜なのになぜかヒドく明るい。
――星々が周ってる。ゆっくりと、でも高速で。
数限りない星が、光の尾を夜空に引きずりながら、俺の頭上を周っていた。
すべての星の、孤を描く光の跡が、俺の姿を残酷なほどに照らし出していた。
龍の身体じゃない、――半透明の人型の何か――そんな俺の姿を。
――夢じゃなかったのか。
俺はやっぱり喪ったのか。
滲む視界に、光が屈折して、様々な交点を創り出し、輝いていた。
光の粒が散りばめられた涙の海が、今度こそ俺を溺死させてくれればイイのに。
「――そうか、喪ったのか」
低いけど良く透き通る声が、俺に掛けられる。
涙を零しながら、前を見ると、全身真っ白なおじいさんがいた。
纏め上げられた髪も白く、長い髭も白く、白絹の着物に、黒い瞳の真ん中に純白の瞳孔が輝いていた。
「それで、何を喪った? 国かな、故郷かな? 祖父母か、父母か、それとも連れ合いか、子かな?」
「…………違います」
俺は首を横に振った。遠心力で、涙が頬を伝っていく。
こんな量じゃ、俺は溺死させて貰えやしない。
「――無二の友人です。――俺の宿主で、ゆりかごで、先生で、鏡で、分身――俺よりも、ずっと……ずうっと、凄いヤツ」
「――なるほど。ゆえにこのような空の果てまで、≪●≫を伝って飛んで来たか――耐え切れずに逃げ出して来たか」
おじいさんの言葉に、俺はぼやけた掌で涙を拭って辺りを見回す。
俺とこのおじいさんが対面して座る二脚の椅子。その下には白くて四角い石の台。
石床の終わり、おじいさんの背後には夜露に輝く芝生と花々が広がり、その先には果物畑みたく、整然と木々が立ち並んでる。
木立の間に、白く薄闇に浮かぶ建造物が見えた。
振り返れば、俺が座る椅子――それが置かれた白石のステージの終わりは、断崖だった。
その下には雲が――雲の海がどこまでも広がって、太陽の最後の一欠けらを呑み込もうとしてる。
「ここは、雲海の西の果て。この世と大荒の狭間だ。お前は、ここまで≪●≫に乗って翔んできたのだよ」
「何に、乗って?」
「――そうか。お前は≪●≫を知る前に、絡み取られたのか。――なるほど、≪●≫は自らを呼ぶ名を持たぬ」
「え?」
「しかし、重ね重ね稀有な事よ。≪●≫に囚われておるはずなのにそれほど≪●≫を保ち得るとは。いかな≪神≫でも生半には見破れぬ」
おじいさんの言ってることが全然、わからない。
――でも、ひとつだけわかったことがある。
俺はまた、逃げ出したんだ――
「戻らなきゃ――」
「なぜ?」
「アイツが俺には『出来る』って言ったから」
それ以上の理由が要るか?
間に合うかもわかんねえ。
でも、長双さんも尚もおひい様も待ってる。
何より、アイツの――龍の言葉を、嘘になんかできるわきゃーない。
おじいさんが、笑み溢した。
「時は不可逆ではあるが、≪●≫は刹那を繋ぎ、ここ――≪崑崙≫の時は断たれておる。≪●≫を伝って東南の果てへと飛ばしてあげようか」
すっくと立ち上がるおじいさん。そして、俺へと手を伸ばす。
「名は?」
「朱蝶です。――あなたは?」
そういえば誰?
「≪白帝≫と。ひとにはそう呼ばれている。朱蝶、事を成したらいつか私の前に来なさい。そして、お前の成事を語っておくれ」
微笑む≪白帝≫のおじいさんは指で、トン、と軽く俺のこめかみを押した。
それだけで、俺はまた高速でどこかに運ばれてく。
†††
――今のは、なんだったんだろう? 夢かな?
視覚の奥に星々の残照を確かに感じながら、俺は≪眼≫を開いた。
――そこには、兇悪な前肢の爪に、腹部を貫かれて宙に浮いている、龍の身体――
『降ろせ!!』
俺は、俺の≪身体≫の内側から絶叫する。
俺の身体――バケモンの身体は、ゆっくりとその爪を――龍の身体を下していく。
『赦さぬ』
俺とは別の声が身体ん中に轟いて、前肢が停止した。
たぶん、コイツだ――今の声の主が、龍を殺しやがったヤツだ。
『赦さぬ、赦さぬ、赦さぬ――母を殺したひと供を、喰ろうてくれる』
母? ――そうか。
『お前の――母ちゃんを殺したのは、俺だ』
『……?』
『お前の爪が貫いてるヤツじゃない。アイツ――龍の身体を借りて、俺がお前の母ちゃんを殺した』
俺は長双さんの推測を思い出す。
子――つまり、コイツは初めに出現した≪蛟≫の子供で、母親の敵討ちのつもりで、俺たちに襲いかかってきたわけだ。
――でも、何かがおかしい。ノイズが聞こえる。
『鬼如きが――苦しい――我が母を――苦しい――殺めようなど――苦しい!』
苦しんでるのか?
俺は体内のノイズに耳を澄ませる。
……ノイズじゃない。声だ。
――なぜ、このような事に。
――死してのち、囚われるなど。
――妻に逢いたい。
――ああーー。
――殺してやる、己を殺した者を殺してやる!
――ひととしての死をくれ。
声。様々な声が、折り重なりながら、ノイズを形成していた。
曖昧な声に、明確な声。デカい声。小さな声。
怒号に、呪いの言葉。悲嘆に、哀しみの絶叫。悔悟に、惜愛――俺も呑み込まれそうになるほどの絶望の渦。
『赦さぬ! ――いっそ、殺してくれ!』
そして、そんな声が産み出す、感情の渦に、コイツ――竜の子供は苦しんでた。
半分、≪怪≫になりながら。身体は変質して、崩れ、周囲を巻き込むように穢していく。
そうか。ここには――この身体には、幾千とか、幾万とかの人の幽霊が押し込まれてるんだ。
全員、意識も混濁しながら、もしくは≪異気≫とやらに呑み込まれながら。
今にも弾け飛びそうなこの身体を辛うじて支えているのは、この竜の子供の復讐心か。
コイツをねじ伏せれば、みんな助かるかな?
『――助けてくれ!』
声の渦に溺れそうになる、竜の子供の悲鳴が聞こえた――
『全員っ、聴けえっ!!』
怒号を放った。
俺の声はこの身体の中の誰よりも大きい。俺の意識はこの身体の中の誰よりもしっかりしてる。
きっと、さっきまで龍に――その身体に、守ってもらっていたからだ。
身体中に響いてたほとんどの声が、静かになった。
『――俺が、救ってやる!』
俺は龍と出会って決めたんだ。――正直になってバカをみる――って。
だから、言う。正直に。
『――どうやってかは、わかんねー。何人、何千人いるのかも知らねー。でも、出来る限りヤる!』
そう、今、俺はいわばキレている。逆ギレだ。
勝手に他人の身体に乗り込んで、好き勝手のたまってんだから、逆ギレだ。
でも、龍と初めて対話した時にも俺はそうしたじゃねえか。
『――どうにかして、俺がお前ら全員助けるから――だから、この身体を俺にクレ!!!』
しかも、今回は他人様ん家の母屋まで乗っ取ろうってんだから、盗人根性ここに極まれりって感じだね。
――……妻に逢わせてくれるか?
『誓う!』
――……ここから出してくれるのか?
『なんとかする!』
――仇を討ってくれるか?
『ヤだけど、努力しよう!』
――ひととして死なせてくれるか?
『しつこい! ――みーんな纏めて、俺がどうにかするさ! お前らが納得するまで付き合ってやる!! ≪異気≫だかなんだか知んねーけど、俺が逆に呑み込んでやる!!!』
だって、俺は正直者のバカだもの! 百円拾ったって、交番に届けるさ!!
『――母の仇に身体を譲れ、と?』
竜の子供の声だ。そうか、そうなるな。
コイツとしちゃ納得できまい。
『じゃあ、お前は一番最後だ』
『……何を言うておる?』
『母ちゃんの仇討つんだろ? でも、先に俺が消えちまったら、みんなの希望が叶えらんねえ。だから、お前が最後に俺を殺せ。それで――俺だけで勘弁してくれ』
ほかのみんなまで、殺されちゃかなわねえからな。
『……本気、なのか?』
『ああ、本気さ。わかんだろ?』
俺には相変わらず、龍みたく≪閉神の術≫なんて使えない。
だから、コイツにも伝わってるはずだ。俺の本気が。
死ぬのはヤダし、もっと生きていたい。
でも、ココでまた腰が引けちまうのはもっとイヤだ。
俺が引いちまって、尚が、長双さんが、おひい様が死んじまうのはずうっとイヤだ!!
俺の最高の友達の、敬愛する師匠の、俺の片割れ――良心の言葉を嘘にするなんて、まっぴらゴメンだ!!!
ひょっとすると、勢いに任せてるだけなのかもしれない――
この覚悟を、嘘にしたくなる日がいつか来るかもしれない――
この想いを、無にしてしまう時が来るかもしれない――
コイツには龍を殺された恨みだってある――
それでも、俺は、龍と一緒に過ごした日々を、
龍と語り合った日々を、
龍に教えてもらった時間を、
龍がくれた勇気を、
――全部、嘘になんて出来るわけが無いから。
龍が命を、人生を、可能性を――全てを賭けたチャンスを、どうして無駄に出来るっていうんだよ?!
どうして、信じてくれた龍に応えない理由があるって言うんだよ?!
――俺は、鬼だ。人間じゃなくてイイ。それでも、これだけは譲れない――
俺は、龍だけには『友だち』だって、龍だけには、胸を張れる結果を遺したい――
……だって、幽霊がいるんだもん。あの世だってあるでしょ?
あの世に行った時に、友達ヅラできる俺じゃなくてどぉーーすんだ、って話でしょーーよっ!!!
『…………良いだろう。その言葉――誓いを違えるなよ……貴様、名は?』
『朱蝶。お前は?』
『無い。ただ≪蛟≫と呼ぶがいい。……この身体を≪朱蝶≫に譲る』
――その瞬間、辛うじて緊張を保っていた、≪身体≫が崩れ出す。
マズい、なんかヤバそうだ。
『みんな、俺んとこに来い!!』
俺は身体ん中の全員を呼び集める。
この身体は俺の身体感覚にはデカすぎる! 維持できないんだ!
出来る限り拾う感じで、イメージしろ!
お、なんかデッカい≪気≫と似た感じの「モヤッとしたモン」がこの身体を中心に拡がってる感じがするぞ。
≪気≫が全身を覆う肌理の細かい膜って感じなら、こっちはデッカい網だ。荒い編目に膜が張ってる感じがする。こいつが≪異気≫ってヤツか。
そもそも、コレが諸悪の根源だ。どうにかしたほうがイイ。
どうしよう? ……うーん? …………えいっ!
俺は強引にその≪異気≫っていう網みたいなモンを引っ張った。実際に引っ張ったわけじゃない。
こう、なんつーか、心を使って身体ん中に収納する感じ、だろうか?
『――っ!!』
竜の子供――≪蛟≫がなんか驚いてる感じがするけど、構ってらんねえ!
身体が崩壊してるんだ!
出来る限り拾う、なんて言ってらんねー!
イメージしろ、慣れた人間の身体のイメージだ!
――俺の意識、頑張ってくれ!! 俺の乏しい想像力、働け!!
†††
――気づいてみれば、俺は水の中に立ってた。いつまにか振り出した雨の滴がぽつぽつ落ちて、水面に小さな波紋を起こしてる。
ああ、龍。出来たらしい。龍の言う通りだったよ。
俺は波紋に揺れる、水面に映った少し龍に似た顔に、そう報告する。
――居なくなっても、お前は俺を助けてくれるんだ……だろ?
知ってるさ。阿呆の俺にだってわかってる。
水面に映り込んだこの顔は龍の顔じゃない――今の≪俺の顔≫だ。
でも、わかるだろう? お前が身体を貸してくれたから、巧くいったんだ――
――なあ、龍。俺は、お前に誇れる『俺』でありたいよ。ずっと、さ…………。
――――俺の視界はゆっくりと、暗転した。




