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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
31/159

三十、龍(二)――献心――



――身体のすぐ横で弾けた光と衝撃に、俺は弾き飛ばされる。



 横? 間近で聞いた爆音で巧く利かない耳が、何かの音を拾ってる。


 音のほうを見ると、そこには雲のとばりおおわれたこの場所を――俺を照らす光明が差していた。


――緋金の眼光だ。



 直感した。

 おひい様が≪竜眼≫で雷を曲げた・・・んだ、って。


 急に、≪気≫が体内にエネルギーを取り込み始める。


 これならイケる。イケるはずだ。

 おひい様がこのどうしようも無い、攻撃を逸らすことが出来るなら、まだ――


「……弑せ! 朱蝶! あの怪を滅せよ!」


 やっと、機能を取り戻し始めた耳がおひい様の激励を拾った!

 ヤレる、この身体はまだ…………。



――いや、違う。


 なんで、俺が雷に撃たれようとした瞬間、≪気≫が引いたんだ?

 なんで、俺がたった今、決意を新たにする前に≪気≫が戻ったんだ?


――答えはひとつだ。そして、その答えを持っていた人の、その暗い闇色の眼が、今、血を流してる。

 緋金の瞳の光に隠されていた、限界の兆候。

――おひい様の≪竜眼≫から、血が溢れていた。



 俺は戦慄した。


 そうだ、おひい様はこの戦闘が始まった時から、いや始まる前から、どれだけ≪竜眼≫を使ってただろう?

 蛮の村の廃墟での遠見。南沼に到着してからの索敵。敵の分析に、この身体への≪竜気≫の供与。


――そして、俺を守る為に、雷を曲げて、今もまた、俺に力を与えてる。


 今までおひい様がこんなに長時間≪竜眼≫を使っていた事があっただろうか?

 そもそも、あの姫様は公国の宮城内で育った。≪竜眼≫を使う機会が多かったとは思えない。

 たぶん、本人も≪竜眼≫の使用限界を知らなかったんだ。



――巫術は身体の力を使うのじゃ――



 おひい様の昨夜の言葉を思い出す。


 ≪身体の力≫って……体力っていうよりは、身体の、身体組織の耐久力なんじゃないか?



「――行け! 妾ならば心配ない! さっさと行ってこい!!」


 おひい様は≪竜眼≫から迸る血に、眼を細めながら、喚く。


 俺は立ち上がり、走って――みんなの下に戻った――



「なぜ、戻った?!」


 血の涙を流すおひい様に、俺は首を振った。


「≪竜気≫の供与を止めてください」


 俺は土下座する。まだ、雷鳴が頭上で鳴ってる。


「ふざけるな! ここで引き下がれるか! みな死んでしまうわ!」


「――その前に、こんなムチャしてたら、おひい様がどうなるかわかんねえ!!」


 俺が頭を上げた瞬間、背後の地面を光が貫いた。でも、今度はこの身体の≪気≫は引かない。

 同時に、おひい様の≪竜眼≫から血の滴が飛ぶ。

 おひい様は、俺が言ってるそばからムチャをしてる。


「みんなは俺が運びます。最大限≪気≫を纏えば、まだイケる。いや、やります。だから、≪竜眼≫を使わんでください」


「妾を気遣うなど、百年早い!! この程度――」


 俺は両手でおひい様のほっぺたを挟んだ。


「俺はアンタらの誰一人、この世界に差し出すつもりはねえ!!」



――この残酷で気まぐれな世界には、感謝してるさ! コイツらに会わせてくれたからな!

 でも、だからって世界がコイツらの誰か一人でも寄越せって言っても、俺はだぁーれも渡すつもりはねえ。

 ワラワを気遣うな、だあ? オレの屍を越えて行け、ってか?!


 知ったこっちゃねえ!! 俺にとっちゃ本末転倒なんだよ!!!



――言い争ってる時間も、惜しい。

 俺は≪気≫を、あらん限りの≪気≫を纏って、慎重に長双さんを肩に担ぎ、尚も逆側の肩に担ぎ、抵抗するおひい様を小脇に――



 身体が動かない。なんでだ? 時間が惜しいのに。


 身体が動き出す。俺の意志に反して。

 勝手に動く身体は、優しく、でも素早く、長双さんと尚を肩から下す。


「≪巫姫≫様は雷を逸らす事だけに専心してくだされ。あとは己が致します」


 口が勝手に、そう喋っていた。


「待て、龍!」


 おひい様が絶叫する。


『え? 龍なのか?』



 呟いたと思った言葉は声にならなかった――




---




(朱蝶どの、暫し御辛抱を)


 頭の中で、そう告げて、龍は南沼の≪怪≫に向かって駆け出した。


 ≪巫姫≫様は己の嘆願を聴いて下さっているらしい。この身には今や己の乏しい≪気≫しか流れてはいない。

――いや、もしかしたら≪巫姫≫様の僕ではない己に≪竜気≫を通わせる事などできないのかもしれない。


 操気の才に恵まれない己でも、朱蝶どのがこの身を操っていた時の感覚はわかる。

 おかげで以前には考えられなかったほどの力が、身体に漲っている。


『龍、何してんだよ?!』


(どうやら、≪閉神の術≫が鍵だったようです。鬼のままに≪閉神≫することで、身体の表層に浮上するを防げたようで)


『訊いてねえ!! 何するつもりなんだよ? 逃げるの一択だろ、ここは?』


 震雷がひとつ、横に落ちた。それでも駆ける。


(いいえ、逃げませぬ。ここで逃げれば、多くの者が死ぬる事となるでしょう)


 あの怪まではおよそ――五十歩。

 身体が悲鳴を上げているのがわかる。しかし、五十歩の距離さえ保てばいい。


『――じゃあ、どうしろってんだよ?! みんなで死ねっていうのかのよ?』


 頭蓋内に響く朱蝶どのの声は、嘆きに満ちていた。思わず苦笑してしまいそうになる。


(――朱蝶どのは、ほんっっとおうに、詰めが甘い。己らにはひとつ、手立てがあるではありませんか。……己らの出会いをお忘れか?)


『手立て? へ? 俺が龍に怒鳴った時?』



――ああ、そんなこともあった。


 あの時は本当に度胆を抜かれた。今では、あの夜が懐かしく思える。

 ほんの一月と旬ほどしか過去のことではないのに。

 だけど。



(違います。その前、その朝です)


『――俺が蝶のまま、街ん中を飛んでた時か』



 そうだ、己が手を伸ばした時から、この狂騒は始まった――

 楽しくも、名残惜しい、日々が。



 これほど、誰かと始終共にいた事などあっただろうか?


 これほど、誰かと日夜語り合った事があっただろうか?


――これほど、誰かとすべてを分かち合った事など――決して、無かった。



「――朱蝶どの。約束を違えるようですが、貴方には、この身体から出て行って頂きます」


 絞り出すように声に出した。

 息は苦しい、でも声に出さねばならないような気がした。


『ハァ??』


「蝶だった、貴方を、この手に捉えた時、その時に、貴方は己の内へと入られた、だから」


『――待て。待て待て待て待て』


「また、『待て』と、仰せになる」


 この「ひと」の口癖のひとつだ。あとは『いや』というのも、文句のたぐいも多かった。

 まったく、ひねくれた事だ。

 この「ひと」は『いや』『待て』と言いつつ、誰かを拒絶したことなど、ついぞ無かった。


 この「ひと」が己の問いに、願いに応えぬ事など決して無かった。


――だから、己はこの旅で、「尚どの」と肩を並べ、「長双さん」を知る事が出来、「≪巫姫≫様」と語る事が出来た。

 すべて、この「ひと」のおかげなのだ。


「≪巫姫≫様に、お尋ねしたところ、おそらくは、この≪龍≫を、己の身体の一部を以て、殺した者の内へと、貴方は――」


『だから、待てよ!!! ……待って、くれよ……っ!!』


 朱蝶どのの声は、まるで哭いているように聞える。


 有り難い事だ。このような己の露命を、惜しんでくださっている。



――あと十歩ほど。別れを惜しむには短い距離だ。


 まだまだ、言い足りぬ事が幾らでもあった気がする。

 朱蝶どのの言葉も、声も聴き足りない。うるさいぐらいだったのに、不思議な事だ。



『無理だよ!! 龍! 俺には無理だ――』



「大丈夫、大丈夫です!!」


 力強く、言葉をかける。

 この「ひと」がいつでも優しく、労わるように語りかけてくれたのだから。

 己は、この「ひと」を励ます。

 ずうっと前から決めていたような――ずうぅっと前から決まっていたような気さえする。


『……イヤだよ、ヤなんだ……たのむから…………』



 まったく、最後まで情けない事を言う。

 苦笑が零れてしまったではないですか?


 貴方がそのような事だから、この身体もまた、涙を流してしまうのですよ?



「大丈夫、です。貴方には――朱蝶どのには、出来――」



 腹の肉の辺りに何かが入り込んで来た。言葉が詰まってしまったな。


 ああ、なるほど。

 こういう事か。


 力が抜けて行く。

……思ったよりも呆気なかったけれども、別れというものは突然、訪れるものですから。


 だから、朱蝶どの。

 そう、嘆かんでください。

 また、泣いてしまいそうになりますから……。



……しかし、ほんとうに、名残り惜しく、楽しい日々……でした……ね? …………朱蝶どの?




 ---



……ああ、本当にそうだな…………でも、ひでえよ……勝手だよっ!!――――龍――っ!!!



――こうして、俺は≪龍≫を喪った。





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