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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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二十九、死闘(二)――南沼の≪怪≫――


 尚の身体は、倒れた木にぶち当たりながら、何回も傾斜を撥ね上がって、ちょうどおひい様の足許に転がった。


「え?」


「――尚っ!!」


 おひい様の悲鳴が聞こえても、俺は未だ把握できないでいた。


「朱蝶どの!」


 長双さんが、俺に向かって飛んで来た何かを、力ずくで弾き返す衝撃音がした。

 何か――水の固まりだ。



――そうだ!


 俺は血塗れの手で、剣を握り直して、湖を――水の固まりが発射された南沼を見る。

 そうだ、見なけりゃならない。ぼけっとしてる暇なんて一瞬も無いんだ!

 さっき俺は、知ったばっかりじゃねえかよ!

 俺がモタモタしてたら、誰かが命を落とすかもしれねえ!


 俺は見る。新たな敵を把握する為に。

 度重なる≪蛟≫による気候干渉で裂かれた森は今や、南沼を眺めるには絶好のポイントだった。



――ソイツは姿を現した。俺が眺める湖の中心部に水しぶきが上がっていた。


 ソイツの口から吐き出される、丸い水の固まりはさっきの個体よりは小さい。

 でも、間違い無い。


――二匹目だ。


 今度は、長双さんを見習って自力で、飛んで来た重い水の固まりをどうにか弾いた。

 打ち返す感覚としては西瓜を発射するピッチングマシーンってとこか。速度は距離もあるし、それほどには思えないけど、やたら重い。

 それでも、さっきの個体が吐いてたのは西瓜どころか、この身体がすっぽり入るぐらいの大きさはあったから、それに比べりゃかなり小さい。


 そうして、俺は今この瞳に映ってる個体を良く観察する。


「長双さん!」


「ええ、朱蝶どの。さきほどよりは小さいですな。つがいの雌か、子供というところでしょうか?」


 今度のヤツの全長は15メートルぐらい。

 攻撃もさっきの個体のほうが強かった。でも、水の固まりをさっきのヤツより早く連射してくる。


 たぶん、尚はまともにこの水の固まりを食らったんだろうけど、このぐらいの威力なら生きてるはずだ。

……尚のことも心配だけど、もうひとつ心配なことがある。


「おひい様、大丈夫ですか?」


 俺は敵を見つめたまま、後ろに居るおひい様に声をかける。

 おひい様は尚に対する依存度が高い。尚がヤラれて、闘志を保てるんだろうか?

 おひい様が折れちまったら、俺たちパーティの勝利確率はグンと落ちる。

 これで、万が一にも尚に何かあった場合は――


「大丈夫じゃ! 尚も生きておる!」


 おひい様の気丈な声が俺の背中を打った。


 よし! これなら、もう一回、同じ手を使えば……。


 だけど、そこで俺は疑問に囚われる。


 そうだ、おひい様は「≪怪≫がいる」と言ってたはずだ。

 どうやら、≪怪≫と竜っていうのはこっちの世界では別物らしい。まあ、この世界じゃ竜が神獣って呼ばれるぐらいだから、当然なのかもしれないけど。


――だったら、なんで≪怪≫じゃなくて、竜がもう一体いるんだ?

 今、姿を見せてるヤツ以外にもまだ、もう一匹モンスターがいる、なんてーのは勘弁してほしい。



『――朱蝶どの、あの竜は何やらおかしい。鱗に何か――』



 龍に言われて初めて気がついた。

 あの個体はさっきの個体と同じ種類の竜――≪蛟≫みたいだ。角が無く、ヒゲやタテガミや牙や舌なんかも同じようだし。

 だけど、鱗の色が違う。さっきのは青翠色だったけど、この個体は暗色の青って感じだ。

 しかも、鱗の一枚一枚にまだら模様が……。


『朱蝶どの!』


――俺も気づいたよ、龍。

 まだら模様なんかじゃない。顔だ・・


 水の固まりを長双さんとふたりで弾きながら、俺はさらに良く観察しようと、目を凝らす。


 どの鱗にも同じように暗い眼窩、どことなく形の違う鼻梁、ぐにゃぐにゃと開いたり閉じたりしてる仄暗い口がある。

――ぜんぶ、人の顔だ・・・・



「おそらく、鬼を喰らい、≪異気≫を≪喰らった≫。あるいは、≪異気≫に≪喰らわれた≫、のやもしれぬ」


 その声を聴いて、瞬時におひい様のほうを確認する。

 後ろでおひい様が息を切らせながら、自分より一回り以上大きな尚の身体を小さな身体で運んでる。

 俺は長双さんと、目を見交わしてゆっくりとおひい様のところまで後退した。


 一方、湖の真ん中に陣取っていた、その良くわからない生き物は水の固まりを飛ばしながら、ゆっくりと、確実にこちらへと向かって泳ぎ出す。

 ソイツとの距離はだいたい、100メートルってとこだろう。岸まで30メートルほど、岸からここまでが残り70メートルぐらいだ。


「≪巫姫≫様、神獣たる竜が、≪怪≫になど侵されるものなのですか?」


 長双さんが、合流したおひい様に早速、疑問をぶつけた。


「≪怪≫というよりは、おそらく≪異気≫そのものに侵されたのじゃろう。しかし、妾もあのようなものは初めて見るし、聴いたことも無い」


 振り返って見れば、おひい様が尚に手を当ててる。

 その手を中心に淡い光が尚の傷を包んでる。治療中ってことか?


「尚どのは?」


 俺の問いかけにおひい様は難しそうな顔をする。


「創は大方塞げるが、肺腑を少々やっておるようじゃ。無理に癒せば腑の力が喪われる。尚は戦えぬ」


 まだ意識の戻らない尚の髪を、おひい様が空いてるほうの手で梳いた。

 なんかエロい。


「朱蝶どの!」


「はい!」


 俺は長双さんの声に元気よく返事をして、また飛んで来てた水の固まりを弾いた。

 そうだよね、そんな場合じゃなかったね!

 敵はもう上陸間近だ。その上、尚はここで脱落。

 さて、俺と長双さんとおひい様であのよくわかんねえ怪物を倒せるもんなのか?


「≪竜眼≫は効かぬのですか?」


 長双さんの問いに、おひい様がなんだか動揺してる感じが俺の背中に伝わった。


「――すまぬ。忘れておった。今、試す」


 背後のおひい様から発せられる圧が上がった気がする。そして、俺の身体から≪気≫がいくらか抜けたみたい。

 同時に、湖の岸に首を載せようとしてた蛟の動きがピタッと止まる。


 お、効いたって思った次の瞬間には、例のごとく水の固まりが飛んで来た。


「だめじゃな。さきほどよりは効くが、やはり純粋な怪よりは遥かに効きが悪い。朱蝶へ流す≪竜気≫も滞ってしもうた」


「……じゃあ、俺ひとりでヤッて来ます! 長双さんはここで尚どのと、おひい様を守っててください」


 俺が水の固まりを弾いて言うと、長双さんが静かに俺を見て頷いた。


「こちらは、任せてください」


「それ以外なかろうな……良いか、朱蝶! そなたは既に、一体の竜を弑した。あれは≪怪≫と竜の中間ほどの≪もの≫じゃろうが、弱所は変わらぬと見える」


「≪逆鱗≫ですね?」


「あとは四肢の付け根や、ひげじゃ。頭鱗は身体の鱗よりもなお堅い。――心せよ!」


「――はい!」


 俺は言いざま、敵へと向かって駆け出した。

 既に陽光は細い一筋を、厚く垂れ込め始めた雲に残すのみ。

 辺りは暗くなりつつある。時間が無い。夜は獣の時間だ。

 あのバケモンを、月も無い闇夜の中で相手にしたくはねえ。


 そのバケモンは、なんか宙へと首を真っ直ぐ伸ばしてる。なんでか水の固まりを飛ばしてくる気配も無い。

 なら、一気呵成ってヤツだね! 俺はさらに速度を上げる。


『まずは髯を狙いましょう! それから――』



――龍の言葉を掻き散らして、上空で雷鳴が轟いた。



――次の瞬間、光が俺の背後で溢れる――


 一瞬遅れて届いた、耳をろうして、表皮や衣服を震わせるほどの轟音――衝撃に、俺は振り返る。



 長双さんの剣を握る右腕から肩にかけて、白い煙が立ち上ってる。――長双さんの膝が、ゆっくりと、折れる。



「――落、雷?」


 確か、一億ボルト以上――雷電のエネルギー。

 その雷が? 偶然にも? よりによって≪雷名≫って呼ばれる長双さんを撃った?

 んなわきゃねー。あのバケモンめ、奥の手を隠してやがった!――



――即死?


 ふつうの人間なら、雷に撃たれて生きてるわけがない。でも、長双さんには希望がある。

 『気』っていう不思議存在と、金属製の剣。特に剣の刀身に電流が流れていたなら、長双さんの体表を流れただけの可能性が大きい。

 だけど、長双さんは倒れる。膝から崩れ落ちる。



――やばい、やばい、やばい、ヤバい!


 長双さんはこのパーティの要だ。盾役も、攻撃も、無傷でこなすオールマイティな前衛。

 俺は、おひい様が折れたとしても、長双さんがいれば撤退は可能だと思ってた。

 長双さんが守ってくれれば、俺が尚とおひい様を担いで逃げる、なんて選択肢もあったはず。



――もう、独りで、やるしか無い。


 幸い、この身体の≪気≫が減少している様子は無い。つまり、おひい様の俺に対する≪竜気≫供与は健在。

 退路は断たれた。そして、次にいつ落雷が俺を襲うかもわからない。

 なら、俺がアイツを殺すだけだ! 皆が死んじまう前――



――髪がふわって感じで持ち上がる。皮膚の表面に痺れが走る。俺は天を仰いだ――


 光の渦が、視界いっぱいに広がっていく――ちくしょうめ!


 全身から力が抜けていく。

 纏っていた≪気≫さえも霧散していく。



 遅かったんだ。

 俺の判断が遅かった。俺がもっと速く決めてれば――いや、もっと早い段階で撤退を主張してれば――


 そして、俺は、空から降ってきた光の渦に呑まれた。



……はずだった・・・・・




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