二十、狩猟
とにもかくにも、尚の恐るべき体力と、おひい様の宣言によって初期計画を根本的に見直す必要に迫られる俺と龍。というか主に龍。
だって俺、この世界の常識とかぜんぜんわかんないんだもん。
『そのようなことはこの際、関係ありませぬ』
はい。ぴしゃりって感じで言われた。頭の内側を「ぴしゃり」って叩かれた感じ。
『よろしいですか? 全道行を前倒し致します――つまり、南鄙から南邑までのおよそ二百里――これに二日。南邑から蛮邑の跡地までのさらに二百里――これには三日。そこから南沼までの百里――これは三日をかけることと致します。……森が今やどのようになっておるか己にもわかりませぬゆえ、蛮邑跡から先は三日です』
なるほど。つまり、最後の百里以外は当初の予定の半分で行くってことか。
南鄙までの旅程も含めても全部で十三日、か。強行軍だな。
『一応、様子を見つつ場合によっては南鄙と南邑にて、それぞれ一日の休息を取りましょう。また、南沼までの道のりでは退路の確認を怠らぬように』
それって逃げるってことか? おひい様がヘソ曲げるぞ。
『万が一、ということもございますゆえ。≪巫姫≫様の命に添いつつ、いざという時には脱兎の如く逃げましょう。……森は甘くはありませぬ』
含蓄あるなあ。
「それは龍どのと喋っておられるのですか?」
目の前に座る長双さんが、ぼけっとした顔で龍と脳内で会話してた俺に不思議そうに訊いてくる。
まあ、傍から見たらおかしな人だわな。
ちなみに、ここは公館の一室。男子の部屋ですね。俺たちは余裕で夕方にはふたつ目の公館に到着していた。
夏場は公館を利用する人間――御用旅をする官吏も多いらしいけど、蛮の人たちが南からいなくなってからは激減してるそうだ。戦争が終わって流通に緊急性がなくなってるみたい。
同じく庶民も夏には、村から村へと物々交換に出かけたりするらしいけど、公館は利用できない。国より小さい各地の共同体が運営してる公的宿屋――≪宿≫を利用するんだって。
≪宿≫は村レベルの顔役が一行にひとりでもいれば、泊れるっていうんだからわりと緩い。「ああ、あっこの村の某サンじゃねえか? 全員泊れよ」みたいな感じっぽい。
というわけで、公館はスカスカで部屋を選びたい放題っていうわけです。ココは公館で二番目におっきい部屋なんだと。一番はもちろん女子ふたりが使ってる。
「それで龍どのはなんと?」
「ああ、予定を前倒し――具体的にはおおよそ半分にするらしいです」
「ふむ。ではこちらも急がねばなりませんね……朱蝶どの、私について来て下さい」
え、なんかあんの? 俺何も聴いてないけど?
長双さんは立ち上がって、そのまま部屋の外に出て行く。俺は仕方なくその後を追った。……この人、無茶するからヤなんですけど。
結論から言おう。やっぱり無茶だった。
それも長双さんが無茶をするんじゃなくて、俺が「しろ」って言われた。
長双さんは公館を出て、そのままズンズン夜の森の中を進んでいく。
夜の森は怖い。なんかよくわかんない動物だか鳥だかの鳴き声がするし、月は出てても梢や雲に遮られてるせいで足元がおぼつかない。
長双さんが前方の枝や蔦なんかを剣で切り落としてるからマシっちゃあ、マシなんだろう。でも水っぽい泥土とか、柔い腐植土や木の根っこなんかに足と体力をとられる。
ちょっと人里離れただけなのに、なんなのこの密林感は?
「これから、朱蝶どのには狩りをして貰います」
「え? こんなとこでですか?」
「こんなところだから好いのです」
先を進む長双さんが、振り返りもせずに言うことには、龍はともかく俺には命のやり取りの経験が無さすぎる、とのこと。
「怪とは、主に瘴気に囚われた獣の成れの果てだと聴いたことがあります。野の獣は意外と賢い。怪を相手取る前にいくらか狩っておくほうが好いでしょう」
長双さんの親心には涙が出るよ。……この涙は決して森ん中がコワいからとかじゃない。
『朱蝶どの、理に適った提案と思いますが?』
うるせ。わかってますぅー。そんぐらい俺にだってわかりますぅー。でもコワいもんはコワいんですぅー。
これはきっと人間の遺伝子に刻み込まれた根源的恐怖なんだと思う。なんかの鳴き声が聞こえるたびに身体が固まるもの。
『己が森に入る時には、そのようにはなりませんが? それよりも、やはり怖がっておられたのですね?』
龍の意地が悪くなってる気がする。
うん? 急に龍が集中しだしたのがわかる。どうしたんだ?
『――何かいますな』
マジで? どこどこ?
とか思ってると前を行く長双さんも足を止めた。俺に向かって掌を向けて停止の合図。
「そこそこ大きな獣がいるようです」
『……朱蝶どの。心を落ち着けて、耳を澄ましてくだされ。あとは耳が勝手に拾うべき音を拾ってくれます』
あいよ。深呼吸。で、呼吸を次第に小さく――
この世界の肉体派の人たちの凄さは、怪力とか頑丈さよりも実はこういうところにあるのかもしれない。
身体に「言うことを聴かせる」のが巧いんだ。イメージ通りに身体を操るセンス。それが圧倒的。――聞こえた。ちょっと右手の奥、息遣いがしてる。
『荒いですな。既にこちらに気づいています。……かなり、大きい豕でしょうか?』
豕? 猪か。呼吸を聴いただけでそこまでわかんの?
『幾度も聴いておりますゆえ。……豕のほうをご覧ください。ちょうど雲間から月明りが差します』
お、ほんとにいた。ここからだと50メートルくらい先かな? ……にしてはなんか、デカくない?
長双さんも猪を目視したらしく無言で抜き身の剣を押し付けてくる。ちょっと、危ないでしょ。しょうがないから慎重に受け取った。
「体高およそ一丈。悪くないですね」
「一丈ってことは、十尺? 一尺が親指から中指を拡げた時の長さだから、だいたい20センチで……2メートルかよ?!」
体高2メートルってどんな猪? もの○け姫かよ。とか思ってると猪さん興奮の御様子。
「ふむ、怒ってますね。朱蝶どのの大声が止めでしたな」
長双さん、冷静なのはイイんですけど猪めっちゃ向かって来てますよ。細い枝とか木とか牙で叩き折ってますけど……。
うん? なんで長双さんは後ろに下がっていくのかな? あ、背中押しやがった。つんのめっちゃったじゃない。
『朱蝶どの、前!』
もう、10メートル無いじゃない!
『引きつけて、右へ。――今です!』
おお! 巧く避けれた。横腹見えてる――えいっ!
てな具合で剣を突き出した。軽く毛の薄い尻の辺りを裂いただけで弾かれる。相対速度の問題考えてなかった!
『二撃目です。来ます!』
たたらを踏んだ俺の横を通り過ぎた猪が、方向転換してまたこっちに向かってくる!
今度は首をぐるんぐるん振ってるからどっちに避けたらイイかわからんぞ!
『跳ぶのです。今!』
よっしゃ! 脚を思いっきり踏ん張って跳躍――たっけ! 鳥人並みだね! 思わず目の前に飛び出てた太い枝にしがみついて、ブラ下がる。
『……跳び過ぎですが、良かったかもしれません。豕は朱蝶どのを見失っています。このまま落下して、首のあたりを剣で刺し貫きましょう。柄をしっかり握ってください』
枝の上によじ登って、剣の切っ先を下に向ける。お、猪がちょうど下あたりに来たぞ。
『よく狙いを定めて、そう。はい、落ちます』
自由落下だ。腕から先、剣のグリップだけはしっかり固定して、足の力を抜いて落ちた――
「わかりましたか?」
猪の上に落下して剣で頸椎を刺し貫き、息絶えた猪が倒れるのと一緒に投げ出された俺を、長双さんが微笑みとともに見下している。
剣はたぶん、猪に刺さったままだろう。俺は大の字に寝そべりながら、長双さんの憎たらしい微笑みを見上げた。
「何がですか?」
長双さんのヤバさなら先刻ご承知です。猪突猛進の猪に向かって人を押し出すとか、アリエナイ。
「存外手強いでしょう? ……野の獣は賢しくも、虚実を織り交ぜているのです。その虚――弱い部分を見破り、実――強い部分を逸らすこと。それが重要なのです」
なんか、孫子とかにも同じような事書いて無かったかな?
――独りでそういう境地まで行ったっていうんなら、この人はやっぱり天才なんだろうね。人格はともかくとして。
「猪などは突進してくるので、牙などの前面に目が行きがちですが、駆動部――側面から見える脚や腹などは弱い。しかし、前面の突進力を産み出すのもその弱い部分なのですよ」
しかし、この人は今でこそエラそうに講釈を垂れてるけども、どんなアドバイスもくれなかった。
むしろ俺の背中を物理的に押しただけだ。龍がいろいろと言ってくれなきゃ死んだかもしれん。
「また、動けば体勢が変わります。だから弱い部分が時に強く、強い部分が時に弱くもなるのです。よろしいですか、まずはその身体で出来ることを把握なさい。そして、次に相手によって出来ることがなんなのか考える事です」
だから、それを考える前にアンタが俺を押したんだろうが。……まあ、いいや。龍、ありがと。
『いえ』
「これで合格ですよね? もうイイですか?」
俺はそう言って身体を起こした。長双さんは満足そうにひとつ頷く。
「今宵はこれで好いでしょう」
そのまま剣を片手で引き抜く。血がとろとろ流れ出した。さらに長双さんは獲物の腹の下に腕を潜り込ませると、いきなり全長3メートルはありそうな巨大な猪を一息で肩に担ぎ上げる。長双さんの足が柔い地面に沈み込んだ。
もう、猪ってよりサイのデカさだね。でもサイって体重1トン以上なかったっけ? 長双さんもめちゃくちゃだな!
でも、蝶の時に見た牛はこんなにデカくなかったと思うけどなんで猪が……
……あれ、今なんか大事な――
「明日以降もこのように参りましょうか」
「え? 今日で終わりじゃないんですか?」
「まさか。実戦を経験するごとに培われていくものがあります――勘です。朱蝶どのはそれが鈍い。だから、これからも夜には獣を狩って頂きます」
さあ、行きましょう、と剣に血ぶりをくれてから、片手で鞘に納めて杖代わりにする長双さん。
俺はどうも腑に落ちないものを抱えながら、その後ろに付き従う。
「……虎でも出ませんかねぇ……」
なんて長双さんの鬼畜発言を聴いて、俺のモヤモヤはブッ飛んだ。この鬼!! ……いや、鬼は俺か。
その夜、俺たちは巨大猪を公館の人に預ける。捌いて貰うためだ。
龍も長双さんも獲物を捌くことはできるらしいけど、さすがにこの大猪を捌くのは骨が折れるからってイヤがってる。
猪を見て驚く公館の人によれば、この猪はここらの主だということ。
……殺しちゃったけど、大丈夫? 呪われたりしないのかな?
そんな不安と、初めて哺乳動物の命を奪ってしまった興奮をよそに追いやって俺は寝た。明日も朝は早いんだ。
翌日も翌々日も、俺の生活は変わらなかった。
昼はひたすら歩き、夜は狩猟。
狩猟の獲物は、最初こそあんなサイズの猪だったけど、あとは一回りデカいだけの鹿や猪ばかり。みんな少し毛が薄いのは、ここらの気候が暑いせいなのかもしれない。
「……もっと、こう豹とか虎とか……」
不満気にそう呟く長双さんに、俺は心の中で呪詛を吐く。ウンコでも踏めばイイ。
長双さんの言うことは置いておいて、俺の勘は狩猟の回数を重ねることで、そこそこ利くようになってきた。
次に獲物がどんな行動をしようとしてるのか、ちょっとわかるようになる。予測だね。四日目には龍の指示を聴く前に動けるレベル。
やっぱり蝶生活の間に、危機回避能力が鍛えられたのかしら。
そうこうしてるうちに、旅も五日目。順調に旅程を消化し、夕方には俺の眼――いや、本来の持ち主であるところの龍の眼には土壁の城が映っていた。
いよいよ、南鄙に俺たちは辿り着いた。




