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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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十八、出立当日





「…………」


『…………』



 眼が覚めた俺は、まだうまく開かない眼で、窓から差す薄明りに視界を確認する。

 いつもとは違うベッド。いつもとは違う天井。いつもとは違う壁。

 そうだ、俺と龍は旅の荷物を纏めて、昨夜、宮城の一室に泊りに来たんだった。


 旅の間の食糧は龍の給料――現物支給の米を潰して天日干しした薄くて固い餅みたいなのに、数日前夏官が獲って来たっていう猪の干し肉。

 水を入れるための獣の皮をなめして作ったっていう、膨らめば1リットルは容量がありそうな袋がふたつ。

 それと金属製の刃渡り20センチくらいのナイフを地官長のおっさんから貰った。龍がものすごい喜んでたっけ。

 土製の釜と、三本足のかなえっていう金属製の調理器具だか、器だか――これも地官長のおっさんから渡された。


 見慣れない環境のせいで低血圧に拍車がかかる。いや、この部屋のせいだけじゃないな。この状態のせいだ。


 やっぱり、ダメだったか。

 寝巻のまま旅支度を確認しながら、俺は脳内の龍に話しかける。


『駄目、でしたな』


 龍のどこかあっけらかんとした声を脳内で聴いて、俺は溜息を溢した。……どーして、こーなるのっ。




 ―――




 時は遡り、五日前。


 地官長のおっさんとの打ち合わせも終わって、俺はおひい様へと向き直った。


「ところで、おひい様。そろそろ龍に身体を戻して貰えませんか?」


 そう、何も俺は好きこのんでずっとこの身体の主人格でいたわけじゃない。≪スイッチ≫が切れなかったんだ。

 それでも俺が例の如く慌てなかったのは≪竜眼≫の持ち主で、巫女さんのトップのおひい様が居たから……今は尚に抱き付きながら、鼻をスンスン鳴らして泣いてるけど。



「はあ? 己で戻れば良かろう?」


 おひい様は鼻をスン、とひとつ鳴らしてから事も無げにそう言い放つ。


「いえいえ、おひい様。御冗談を」


 キョトンとした顔してるぞ。あれ?

 なんなんだ、この状況。


「――その≪竜眼≫でこの身体を見りゃあ、さっき俺を引きずり出したみたいに龍の精神も引きずり出せるんじゃないんすか?」


「そなた≪竜眼≫をなんと心得ておる。ちょっとやる気になれば造作も無い」


「じゃあ――」


「やる気は無い」


……このガキャあ。とか思ってると、おひい様は俺の姿をジロリと見ながら、突然ニンマリ笑う。


「……なんじゃあ。そなた、ひょっとして戻れぬのかあ?」


……なんか、イヤな予感がする。

 おひい様は自分が胴へと腕を回してる尚の顔を見上げて問う。


「鬼に憑かれた身体が鬼の≪意≫のままである場合、それを鬼とみなすな?」


「……おひい様、それは確かにその通りではございますが、しかし……」


「では、その身体は朱蝶のもの――今、我らの前におるは朱蝶じゃ。違うか、地官長どの?」


「なるほど、そうなりますか」


 いやいや、なるほどじゃねえし!

 龍、おーい龍。頑張って身体の表層に浮上してくることはできないか?


『己にはどうすれば良いのかがまったく見当もつきませぬ、朱蝶どの』


 いや、そりゃそうか。ふつうの人間は自分の身体が自分の身体だって前提の元で生きてる。

 それを浮上するだとか、≪スイッチ≫を入れるだとか言っても、わかるはずもない。

 俺だって、龍の身体に入った時の経験が無けりゃ、わからなかったはずだ。


「すなわち、こやつは≪南の虞衡の龍≫では無い。妾が僕≪皐 朱蝶≫じゃ!」



 マジかよ!!




 ―――




 そして、現在。

 初めのうちは何回か寝たら、元に戻るんじゃないの?

 なーんて考えてたけど、結局、出発予定日をこのまま迎えてしまっていた。


 で、旅装のズボンと浅手の着物に着替えた俺は、最後に一番大事な物をふところから取り出して確認しているというわけで。

 竹簡って言うんだろうか。竹のきれっぱしに文字が書かれてて、ご丁寧にも≪皐 朱蝶≫という文字がのたくってる。≪せつ≫って言う通行手形――パスポートらしいね。



――そう、俺が龍の身体を乗っ取ってしまったって事以外に、スルーできない事実がもうひとつある。

 俺はこの世界の文字を読めるようになった。それに気づいたのは、五日前、宿舎に帰ってからおひい様に引きずり出された時に、左手に浮んで来た紅い文様をまじまじ見てた時だ。




 ―――




「あっれー……。なんかスッゲえ汚ねえ字だけど、コレ≪皐≫って書いてねーか?」


『……然様ですな』




 ―――




 なんでか知らんが龍にも読めたらしい。

 その辺は俺が精神体だった時に、龍の知識を参照してたのと同じ理屈なんだろうけど、なんで急に読めるようになったのかは謎だ。

 少なくとも五日前までは、龍の身分証を見たって何も頭には浮かんで来なかったのに、今じゃ≪南虞衡≫と読める・・・

……また、おひい様が俺になんかしたんだろうか。でも、本人に会っても怖くて聞けない。嬉々としてさらなる改造を施してきそうだから。


 今やおひい様と俺の関係は「主従」というよりは、「悪の秘密結社」と「正義の味方」に近いような気がしてる。


『朱蝶どのは相変わらず面白い事をお考えですな』


……なんで、龍くんはそんなに暢気なんでしょうか?


『鬼として生きるというのは、なかなかに興味深いものです』


……長双さんに面と向かって会わなくてよくなったからだろ?


『…………』



 そう、長双さんも昨夜のうちにこちらに合流して、おひい様や尚と微妙な緊張感を漂わせながらなんか話してたっけ。知り合いだったのかな?

 俺はというと地官長から、改めて≪皐 朱蝶≫として長双さんに紹介された。……長双さんの引き攣った微笑みが印象的だったな。


 てか、長双さん「龍どのは無事なのでしょうか?」って心配してたじゃん。イイの?


『…………』


……まあ、イイか。なんか龍が引き篭もり状態みたいになってるけど、人間の頃さんざん六畳半に引き篭もってた俺にとやかく言える話でもない。

 とりあえず俺は眼の前の事で手一杯なんだ。俺は旅なんかほとんどしたことないしねー。学校の修学旅行ぐらい。

 だから、龍の助けを借りなきゃままならん。よろしく頼むよ、龍!


『……本来ならば、己の役目ですから……』


 ま、やるだけやるべ。

 俺は、荷物をふろしきにぐるりと巻いて背負って胸の前でふろしきの端を結んだ。そして、一夜限りの宮殿生活を後にする。飯うまかったなぁ、とか思いながら。





 外に出ると宮城の門の前に小山がある。

 こんな山は昨日まではなかったはず。……動いた!


「遅いぞ、朱蝶。何をしておった?」


 小山の影からおひい様が出てきた。今日はちゃんと≪竜眼≫を布で覆ってる。こうして見れば、ただのちょっと可愛い厨二病患者なんだけどね。

 しかし、よく見りゃ小山じゃねえな。直径2メートル以上はありそうな布の固まりだ。ロープでぐるぐる巻きにされてる。

 地面からちょっとだけ浮いてるように見えるぞ。おひい様の不思議系なお力でしょうか?


「おひい様、コレなんですか?」


「尚じゃ」


 小山、もとい布の固まりがゆっくりと回る。尚が現れた。

 尚はロープを何重にも束ねた布の固まりに繋がるふたつの肩紐に腕を通してる。デッカい球体をリュックサックみたく背負ってるわけだ。

……物理は物理だけど人体の限界を果てしなく無視してる気がする。


「お早うございます。朱蝶どの」


 軽く腰を折る尚と伴に、ロープを軋ませながら巨大な球体がさらに持ち上がった。


「……それで、行くんすか?」


「……おひい様にご不便をかけるわけにはいきませぬゆえ」


 尚の横でおひい様が、当然じゃって言って胸を張ってる。


「これでも尚に言われて減らしたのじゃぞ」


 先が思いやられる。


「いやあ、大荷物ですね」


 後ろから長双さんの声がした。

 振り返ると、長双さんは長双さんで弓と矢筒と、腰に剣を差しているだけ。

 辛うじて剣が提げられてるのとは逆側に水袋がブラ下がってるだけの超軽装だ。


「長双さんは旅慣れてるんですね?」


「いえ、軍を率いる以外では初めてです。心が踊りますね」


 つまり、長双さんは兵站部隊を引き連れた旅――行軍以外は経験したことが無い、と。

……こちらはこちらで先が思いやられる。

 かく言う俺も、こんな歩き旅の経験なんてあるわけが無い。


 頼りは龍だけだ。俺の装備は龍の脳内指示に従ったわけだから万全のはずだけども。

 頼むぞ、龍くん。


『…………』


 返事がない。


 あ、なんか尚の背負ってる球体の上におひい様がよじ登ってるぞ。

 おひい様、頂上にどっかと座って号令一下。


「ゆくぞ、皆の者!」


 おひい様、歩かないの?

 五日前に、南鄙までは馬車で、って勧めてくれた地官長のおっさんの意見を却下したのは、泣きじゃくるおひい様だったと思ったけど?

 俺の勘違いだったのかしら。



 とにもかくにも俺たち一行の旅路はこうして始まった。……不安に彩られながら。






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