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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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十六、おひい様、死にかける




「おひい様! 南の虞衡をなんだとおぼしめすのですか?!」


「姫様、この身にもわかるようにお話ください」


『≪巫姫≫様の仰せはまことですか?! 朱蝶どの!!』


 いや、だからこの人、ちょっと悪い意味で思考がイっちゃってるだけ……



「――じゃかあしいわい!!」


 あ、それ鄙語。とか言ってる場合ではなく、なんかおひい様が大音声とともに俺を睨みつけてくる。

 なんだよー。ちょっと心の中でディスっただけじゃんかよー。こっちはもういっぱい、いっぱいなんだよー。そんなコエー眼で睨むなよー。

……とは、とてもじゃないが言えない。


 気分としてはヤンキーに睨まれたガリ勉状態。

 跳びましょうか? 小銭の音がするまで、この場で飛び跳ねましょうか?


「……朱蝶よ。いかに妾の心根が貴く、器が大きく、そして慈悲深いとは言え、譲歩はこれまでじゃ」


 その言葉にこの部屋にいる全員が首を傾げる。

 おひい様の体内のどこを探しても「慈悲」の鉱脈なんか眠ってないでしょ。

 そもそも慈悲っていう言葉の意味を知ってるんでしょうか。


 本当に慈悲深い人は、出遭いがしら――っていうか誰かの上に降って来たり、謝罪もそこそこに戦闘モードに移行したり、「しもべにする」って言って他人の手を切り刻んだりはしない。

 だいたい、俺がおひい様から何か遠慮されたおぼえなんてあるわきゃー無い。譲歩って何?


「本来ならばそなたは妾がこの尚のとりことなった時に、足下に馳せ参じて妾を救わねばならなかったにも関わらず……主人を見捨てて逃げるわ、あまつさえこの旬と八日の間まったく姿を見せぬわぁ……ククッ」


 おひい様は顔を掌で覆って笑い出す。

 てか、何? その謎理論。勝手に「しもべ宣言」しといて、助けに来いとか顔見せろってなんなの。その関白宣言は平成生まれの俺には一周回って前衛的過ぎる。


 おひい様は一頻り静かーに笑い声を溢すと、一転。


「……嘗めてくれたもんじゃのぅ、ワレぇ」


 やっべー……。声にドス利いてる。ぶるっとくる。あ、なんかこめかみに青筋をのたくらせてらっしゃる。


「言え。……今じゃ、今言え! 妾の足の裏を嘗めながら、誓え! 『主をないがしろにして申し訳ございません、これからは心を入れ替えて精進致します』と誓えぃ!!」


 えぇーー!!

 って思ってたら、例の女武者さん――名前は尚だっけ――がツカツカ歩いて来ておひい様の後頭部を「スパンッ!」って叩いた。おひい様の顎が前方に沈む。

 それにも「えぇーー?!」って感じです。あれ、この人一応お姫様じゃなかったっけ?


「ひい様、いい加減になさい!」


「尚! でもこやつが……むぐ」


 尚が、言い募ろうとするおひい様のほっぺたを「ムニっ」って掴んだ。片手でこう、大人が駄々をこねる子供とか、犬猫にするみたいに親指と残りの指でおひい様の顔を挟み込む。

 え、大丈夫なんすか、そんなことして?


「よ・ろ・し・い・ですか? この身体の持ち主の龍どのは、公――おひい様の御尊父の臣下なのです。公の臣民の身体を鬼に奪わせようなど、それでも公国が姫ですか?」


「ひかひ、ほう……うぎ」


 なんか言い返そうとしたおひい様のほっぺにかけられる圧が上がったらしい。おひい様の顔の下半分が縦に変形する。アッチョ○プリケ状態。


「しかしも、でもも、ございません! それも、龍どのの上官たる地官長様の御前で鬼を唆すなど! 恥を知りなさい!」


「尚どの、そのぐらいにして下され。……それよりも、龍には鬼が憑いておるのか?」


 地官長のおっさんも漸く状況を把握してきたみたい。驚きつつも尚に訊いてる。

 尚は相変わらずおひい様の頬を片手で絞り上げながら、コクリと頷いた。


「おひい様によれば、そのようにございます。それも、今、龍どのの身体を操っているのはその≪朱蝶≫なる鬼だとか……」


 常識人ふたりの視線が俺を捉える。


 なるほど。やっと俺にもわかってきたぞ。

 たぶん地位的には、おひい様>地官長のおっさん>尚・龍、ランク外・俺、って感じなんだけど、実質的には違うみたい。

 尚>おひい様>地官長のおっさん>龍・俺、って感じになるんだ。……俺の立場っていったい……。

 いや、これはひょっとしてチャンスなのかもしれないぞ。


「お初にお目にかかります。地官長様、尚どの。龍どのの身体を借りております鬼、朱蝶と申します」


 そのままドゲザポーズを敢行。


「……ほう。なるほど、≪意≫を持っておるのか。して、なにゆえその龍の身体に憑いておるのか?」


 地官長のおっさんが驚きの声と伴に俺に訊いてくる。

 受け容れるの早えーな。いや、今はそんなことよりも丁寧に答えて印象を良くしなきゃ。


「はい。俺、いえ、私は元は人間だったのです。それが、どうしてか気づいてみれば蝶の姿。その蟲の身体で彷徨っていたところを龍どのに潰され、どうしたことか今度は龍どのの身体に這入ってしまった、という次第でございます」


「……なるほど。では、姫様とはどこで?」


 ですよねー。そうなりますよねー。でも嘘はダメだ。

 今、龍がこの身体の底のほうで事の成り行きを見守ってる。嘘を吐けば、たぶん龍にもわかるだろう。

 俺は龍みたいに≪閉神の術≫とやらが使えるわけじゃない。たぶん今俺が考えてることも龍には丸聞こえだ。

 おひい様がいくら化け物だからって、ここまで築いてきた龍との信頼関係を一撃で破壊されちゃあ堪ったもんじゃない。


「二旬近く前の夜、私が龍どのの身体を無断で借りて、城内を散策中に遭遇――いえ、お目にかかりました」


『……な』


 龍の絶句が頭の中で響いた。悪い、龍。マジでごめん。


「無断、だと? いや、それよりも姫様が夜中の城内におられるわけがなかろう」


 地官長のおっさんの厳めしい顔がさらに厳めしくなる。

 正直に言い過ぎたかなあ。眼がもう「何言ってやがる」って感じだもん。まずったかなあ。


「……いえ、地官長様。その鬼ののたまうことは、まことにございます。この尚の不手際にて、おひい様は旬と八日前の夜、宮城を出奔なされて……」


 尚が申し訳なさそうに項垂れる。その手の先では、おひい様がなんだか苦しそうに眉根を寄せてほっぺを掴んでる腕をめったやたらに叩いてる。

 ねえ、大丈夫? おひい様の顎とか砕けない?


「……なるほど。尚どのも、気苦労が絶えぬな。……さて、朱蝶と申したな。そなた先程『無断で龍の身体を借りた』と申しておったろう。龍の身体を己が≪意≫のままにして、何をなそうと言うのだ?」


 頭を下げながら、すみませんって謝る尚を慰めて、地官長のおっさんはいよいよ痛いトコロを突いてくる。


 だよねー。そうだよねー。鬼が自分の部下の身体を乗っ取って、夜の街を徘徊してたんだから、その訝しげな眼差しは当然だよねー。

 でも、しゃあない。正直に言うって決めたんだから、言うしかない。誤魔化すこともできるかもしれない。

 確かに俺は正真正銘のクズだ。それは蝶になっても、鬼になっても変わらなかった。……でも、人間の頃から蝶になって鬼になっても、不変のクズな俺にも若干の後悔はある。


「……私があの夜、龍どのの身体を借りていたのは、心のどこかで龍どのの身体を自分の物にしようと考えていたからなのかもしれません」


『…………』


 龍の沈黙が聞こえた気がした。沈黙なんか聞こえるわけがない。たぶん、龍の感情だ。ショック受けてんのがわかる。

 でも、龍。俺は学べる。自分の身体の無い俺でも、幸せなことに学ぶことは許されてる。

 お前の身体に入って二十日弱、俺は少ーしずつ学んで来た。

 この世界に来たのは偶々かもしれないし、蝶になったのも原因不明だけど、俺はこの状況を受け容れる事を、受け容れなけりゃならないって事を学んだ。

 理不尽で暴力的な存在――例えばおひい様なんかが、この世界にもいるしね。


「でも、今は少なくともそんな大それた考えは持っていません」


 お先は真っ暗で、五里霧中だけど、それでも俺は生きなけりゃならない。

 そうさ、俺は寄生してる。人間の頃も、今もそれは変わらない。前は親の金銭に寄生して、今なんて龍の身体に百パーセントの勢いで文字通り寄生してる。

 そんな寄生してる俺でも、生きなけりゃならない。人間はもしかすると、仙人みたいになって自給自足生活を満喫、なんてこともできるかもしれん。

 でも、少なくとも俺にはできない。それは、今も昔も変わりゃあしない。俺は誰かの助けが無けりゃ生きられない。


「私は、龍どのの身体の内から狭い範囲ですけれど、この公国の景色――そしてこの世の人を眺めて来ました」


 敵がいたり、いなかったり。恨んだり、恨まれたり。望まないうちに人を殺したり、殺されたり。地球もこの異世界もそーゆうトコはあんまり変わんないらしい。

 やっぱり世界は残酷だったってこと。そんで俺はクズだってこと。それは変わらないかもしれない。

 でも、俺はほんのちょっとだけ世界に感謝してる。


「私は、今、龍の身体の中に入ったことに、私が入ったこの身体が、龍のモンだったことに感謝してるんです」


 いや、俺が龍の眼から見たこの世界の人はみんなイイ人だったよ? ……おひい様を除いて。

 虐殺されちまった蛮って人たちじゃなくて良かったとか、人を殺すことに慣れちまった長双さんじゃなくてよかったとか、そういうこともあるけど、それだけじゃない。


「……俺は、バカみたいな話ですけど、たぶん、こんな存在になってから初めて――人間だった頃からも含めて初めて、≪自分≫と向き合ってる」


 龍は俺の鏡だ。俺が今までどんだけナマケてたか、俺に見せつけてくれる鏡みたいなもんだ。

 四六時中一緒なんだ、俺はコイツがどんだけ必死なのか見せつけられる。

 俺だけが知ってる。龍が悩みながら、必死で生きてる姿ってのを知ってるんだ。


「たぶん、他人――龍みたいな他人と向き合えたのも、龍の中に入ったからじゃないかなあ、って思うわけで」


 龍は手を抜かない。授業も、憎んでるはずの長双さんから受ける鍛錬にだって手を抜かなかった。

 雪にも悪いことしたらすぐに謝ってたし、俺の「将棋盤作って」なんてくだらないお願いにも応えてくれる。

 昨日、長双さんにキレたのも真っ直ぐだったからなんだろうさ。


「だから、俺は龍に生きてて貰わなけりゃ困るんですよね」


 コレは打算だ。当初から変わらない打算。だって俺はクズなんだから。

 でも、すこーしだけ、ほんっのちょびっとだけ変わったことがある。

……正直者がバカを見るってーのは、平成日本じゃ言うまでもないお約束だけど、俺は自分に正直にナマケてたクズで、バカでは無かったと思う。

 でも、今の俺は龍みたいなバカとなら――龍みたいな愚直なバカと一緒なら、俺も一生懸命なバカになれるんじゃない?

 なーんて、欠片ほど、ほんっの小さな砂粒ぐらいの欠片ぐらいだけど、思い始めてるわけだ。


 だから、龍には生きてて貰わなけりゃならない。身体を乗っ取るなんて論外だ。俺は龍に学ばなけりゃならない。龍にこそ助けて貰わなけりゃならない。

 俺とは『違う』他者で、俺に俺がどんだけクズなのかを思い知らせてくれる教師で。

 何より俺がコイツの前だけででも正直者の一生懸命なバカになる為の見本で、そのお相手が龍なんだ。……ま、ぜーんぶ龍がそれを許してくれるか次第なんですけどねー。


「ということで許して貰えるのなら、俺はこのまま龍の身体に憑りついてるけど何もしない、無害な鬼のままでいたい、のですけど」


……それとは別に、龍には存在してて貰わなきゃいけない重大な理由が俺にはあるわけだが。



「……ふうむ。尚どのはこの鬼の言うことをどう考える?」


 俺のポツポツって感じの独白を、眉根を寄せたり離したりして聞いてくれてた地官長のおっさんが尚に話を振る。


「そう、ですね。偽りのようには思えませぬが……」


 何しろ鬼ののたまう事ゆえ、って尚は難色を示す。

……ねぇ、それよりも大丈夫? おひい様の腕がダランってなって、ビクッビクッて痙攣してるけど、大丈夫なの?


「……あのぅ、つかぬことを伺いますけど、今日はなんでそこのおひい様がココにおられるのですか?」


 俺はおそるおそる、ふたりの視線をおひい様へと誘導する。


「……あ」


「しょ、尚どの!」


 尚の手から解放されたおひい様が崩れ落ちて膝を突く。地官長のおっさんも尚も、すっかりおひい様の存在を忘れてたみたいで今さら蒼い顔してる。

 ほっぺたに五つの赤い指の跡をつけたおひい様は、両手で患部をゆっくり揉みながら、痛ってー、って独り言。

……ちっ、惜しい。生きてたか。


『……朱蝶どの、己は少なからず感動していたのですが、さすがにそれは惨いのではないでしょうか?』


 いやいや、そう言うけれども、このおひい様が何を言ったか龍は忘れてないか? 俺に「龍の身体をぶん捕れ」って言ったんですよ。

 ヤベーだろ、コイツ。いっそ尚の手の中で果ててくれてたほうが、世の為、人の為、龍の為、俺の為ってもんでしょーが。


『朱蝶どのは公国――いえ、帝域ていいきにおける≪巫姫≫様の重さをわかっておられないのです』


 おひい様の重要度? 何かあんの、そーゆうの? え、てか帝域ってなんだっけ?


『もちろんです。≪巫姫≫様は――』


「――褒めてつかわすぞ、朱蝶。少々、遅くはあったがそなたが妾を気に掛けておらずば、おそらく死んでおったろう。……亡き母上に会ってしもうた」


 そのまま還って来なければイイものを、おひい様は無事に生還してしまったようだ。

 龍との脳内会話を打ち切る言葉を俺にかけながら、まだほっぺを擦ってる。そして恨みがましい眼で尚を睨む。


「申し訳ございません! おひい様!!」


 尚がもの凄い勢いでジャンピング・ドゲザを決めた。ガッツーんって、床に打ちつけた額からすんごい音したけど大丈夫?

――ちょっと待て! 何、それ! 岩でできた床にヒビ入っとるがな! 石頭ってレベルじゃねーぞ、この女!!

……あ、それ見ておひい様が珍しく引いてる。


「……もう、良い。貴様に殺されかけるなぞ、幼い頃からの些事じゃし」


 ふてくされたみたいなおひい様の言葉に、尚がまた額を打ちつける。ドゴッて音がして、もう一度額を打ちつけられた石床が砕けた。

 なんなのさ! この人間凶器は?!


「まこと、申し訳ございませぬ!!」


 ねえ、なんなの? おひい様も尚もどっちもおかしいんだけど。

 それと、なんで地官長のおっさんはそれをちょっと微笑ましげな感じで眺めてられんの? ひとりたりとも、俺が知ってる常識人の範疇にいないんですけど!!


「姫様がご無事で何よりであった。……さて、姫様。この朱蝶、そして龍をどのように致すべきか、話し合わねばならぬようですが?」


 だから、地官長のおっさんはなんでそんなに冷静に議事進行できるんすか?!

 おひい様がその言葉に「ふうっ、やれやれ」って感じで頷いた。


……ほっぺたに指の跡があるからサマになってねーけども?!







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