十一、≪鼻削ぎ卿≫の長双さん
≪雷名≫――≪鼻削ぎ卿≫――長双って人の邸宅は宮城の西側の壁の向こう側にあった。
どうも宮城の西側の壁の中ってーのは、高級官吏の邸宅が立ち並んでるらしい。
なんか平屋だけどやたらデッカい家とか、宮殿とか学校の宿舎みたいに二階建ての家まである始末。
高級住宅街なわけですねー。
テレビで建ものを探訪しまくってる○辺さんだったら、喜びそーだなあ。
そんなこたあ、この際どーでもよろしい。
……龍の頭の中で≪雷名≫の解説を聴きながら、俺はちょっとした疑問を持っていた。
『首級? ってのが二百人ぶんで高級官吏って。なんか甘くない?』
蛮っていう民族の国の人口がどのくらいかは知らないけど、地球の歴史を知ってる俺としてはどうも少なく感じる。
いや、二百人も殺したら十分、ホロコーストレベルなんだけども。
(……父の職掌の為、己は南鄙のさらに南の南邑に育ちましたゆえ、当時のことはよく憶えております。長双様は己が物心つく頃から、蛮を相手に功を上げておられます)
『へー、そうなんだ』
そう言えば、龍の親父さんは「南の虞衡」とやらで、今は龍がそれなんだっけ?
待てよ。龍の勤務地がこの国の南側だってんなら、≪おひい様≫と遭う確率はかなり低くないか?
だって、宮城から逃げ出して追われてたぐらいだし。
……≪おひい様≫との一件は龍に言わなくてもイイかなあ。
(長双様がかの五歳前の戦までに上げられた蛮の首級は、五千を下りますまい……)
『ご、せ……』
おいおい、小さい街なら壊滅するんじゃーないの?
しかも、戦闘員だけで五千ってこと? ひょっとして、非戦闘員を入れたら万人単位で……。
(蛮は≪国≫を持ちませぬ。各地に小さな邑を築き、その周りに田畑を作り、数歳にて移動を繰り返しては森を焼くのです。五歳以前は、各地にて小規模な蛮の攻勢がかなりの数ありました)
国を持たない、か。
蛮ってのは遊牧民族って感じなのかな? いや、畑を作ってるってことは一応、農耕民族なわけだ。
森を焼くっていうのは焼畑農業ってことになるのかな?
どっちにしても、あちこちウロウロしてるヤツらがぱらぱら攻めてくるのは、守る側としては大変なわけだ。
ゲリラ戦法を使われてるみたいな感じになるんでしょうか?
(五歳前の大戦により、蛮は公国南方より姿を消しました。……長双様が首級の代わりに鼻を持ち帰ったは事実でしょうが、決してそれだけの為に卿に上られたのではありません。≪鼻削ぎ卿≫などという名は庶民の好奇を満たす為であり、蛮を脅かす為でもありましょう)
そんな、ちょっと哀しそうな感じを醸し出しながら、龍は説明を締めくくった。
なんで哀しいのかはよくわかんないけど。
『へー……』
まあ、とにかくなるほどねって感じ。つまり、蛮っていう敵からの終わらない攻撃に終止符を打ったのが、このお兄さんなんですかあ。
そう、俺――っていうか龍の前には例の男が座ってる。
――≪鼻削ぎ卿≫――
その名前のインパクトたるや、かの有名なお馬さん≪ディープ・インパクト≫もビックリなんじゃないでしょうか。
俺的には≪ハルウララ≫のほうが好きなんだけどね。名前的に。
殺伐とした話を聞いた後だからかもしれないけど、なんかほのぼのするよね、≪ハルウララ≫
ちょっとだけアホっぽくてさ。可愛らしいってーの? ≪ハルウララ≫
……そんなことも、どおぉーでもいい。
現実逃避してる場合ではないわけで。
ちなみに噂の≪鼻削ぎ卿≫はそんな物騒な名前とは裏腹に、マイルドな微笑みを称えた三十絡みの優しそうなお兄さんである。
でも、俺は知ってる。こういう人間ほど怒らせると怖いのだ。
じゃなきゃ、「生きてる人間は生き埋めで、死体の鼻は削ぐ」なんて発想が出てくるわけがない。
今もこの広い家のどこかに死体のひとつやふたつ隠し持ってんじゃないの? っていう凄みがある……気がする。
「しかし、都合の良いこともあるものですな」
聴き慣れた大声が龍の右耳から侵入してくる。
そして、龍が右側をちらりと確認すれば見慣れたゴリラ顔がニッコニコしながら座ってる。
――なぜ、お前がそこにいるんだぁ?!
某バスケット漫画の名シーン並みにそう、叫びたい。「君が好きだと」ではなくて、もはや嫌いだと叫びたい。
(……なぜ、こやつはここにおるのでしょうか?)
『珍しく気が合ったな』
龍も、そう頭の中で考えるぐらいにはイラッとしてるらしい。
そう、龍の隣には雪が座ってる。満面の笑みで座ってる。
……許されるならもう一度、殴り倒したい。龍の鉄拳で。
いや、考えてみりゃ雪は悪くないんだ。
出遅れた俺たちが悪い。だけど、まさか昨日の今日で報告に来るかね?
どんだけ張り切ってるんでしょうか、このゴリラ。
だが、しかーし! まだ雪が何も言ってない可能性は十分にある。もしも雪がその話題を出そうとしたら、お茶を濁しまくってとっと帰ればいい。
大丈夫だ、まだ間に合うはずだ。諦めたらそこで試合は終わってしまうんだから。
「いや、ちょうど長双様に貴様の技を語っていたところでな」
ゴリラめ! このゴリラめが!
「何、技などと大それたものではございませぬゆえ……雪どのは大げさですな」
龍、お前はなんて出来た男なんだ。この場面でそんなセリフがすらすら出てくるなんて、本当に15歳なのか?
「龍よ、謙遜なぞするな。長双様は当然、武への造詣も深くていらっしゃる。一手、ご指導願ってはどうだ?」
やめろー、やめろよー。何、こえーことサラッと言ってんだよー。
この筋肉ゴリラに、龍の心の中を見せてやりたい。
びっくびくなんだぞ!
歳のわりには肝の据わってる龍が。大概のことを優しく流してくれる龍が。あんまり眼前の男が恐いからって、今、お前にキレかけてんだぞ!
良く見てみろ、ちょっと涙目になってるだろーが。
お、とうとう御大が口を開くぞ。
「まあ、実は私も暇な身ですからね。龍どのさえ、よろしければその技を見せて頂きたいところですな。……何せ、雪どのの語りは下手ですから」
おー……微笑みながら毒吐いてる。
やっぱ、なんか危ない人なんじゃない?
「さて」
そう言って、長双さんは立ち上がると出口に向かってスタスタ歩き出す。
で、座ってる龍に微笑みかけながら、
「中庭でよろしいかな?」
……ヤル気満々ですね。
「(……)光栄にございます」
龍の声にならない悲鳴を俺だけが聴いていた。
†††
(……どう、いたしましょうか?)
『まずは相手の出方を見るっきゃないな』
にこにこゴリラくん立合いの元、龍は微笑む長双さんと向かい合ってる。
「いやあ、無手での試合などいつ以来か……」
なぜか、ちょっと嬉しそうに長双さん。
「胸をお借りします」
内心ガクブルの龍くん。
『無理には踏み込むなよ? 半身に構えて左拳を前に、軽く握って高速で突き戻しを繰り返して、距離を測れ』
脳内セコンドは俺、朱蝶でお送りします。
長双さん宅の中庭はそこそこ広い。
一辺が10メートルくらいはありそうなほぼ正方形だ。地球の近代ボクシングのリングよりは大きめなはず。
逃げ回る余地は十分ある。
(しかし、このような場合はこちら側からかからねば)
なるほど。武道のかかり稽古みたいなもんか。
『じゃあ、まずは連撃だ。威力はなくていい。左右の連打で相手を怯ませるんだ。昨日みたいに想像してみろ……もっと早く! そう! よし、行け』
俺の言葉を合図に龍が突っかけた。ワン、ツー。はい、もう一回。
しかし、龍はすっげえな。素人の俺がちょっとした時間に適当にレクチャーしたボクシングが、なんか様になってる。
「ほう、変わった動きだが、悪くないですな。中策というところか、だが」
長双さんは余裕の微笑みで呟きながら、龍の拳をことごとく叩き落として反撃の左回し蹴り。
龍が下がる。まずい。
「それは下策です」
蹴りを強引に一歩に変えた長双さんの右拳――空手でいうところの追い突き――が龍の腹部にめり込んだ。
痛ってえ――てか苦しい。呼吸困難になる。でも流石は龍の身体だ。跳び退って体勢を立て直す。
「よいですかな、己が前がかりになっていた以上、相手の追い足のほうが速い。真っ直ぐ下がるのは下策です」
解説まで有難う長双さん。
『いいか、避ける時は相手を中心に右回りだ。蹴りが来たら間合いを潰せ。威力を殺せる』
俺の指示を受けて、龍が軽く頷くとそのまま突っ込む。
また、連撃連撃! オラオラ! っと俺は心の中でそうっと囁いた。
幽○紋のほうじゃなくて、使い手が攻撃するという形、いかがでしょうか?
長双さん、今度は被弾しながら左拳を突き出してくる。龍がその裏側へと逃れる。
「上策。しかし」
長双さん、身体を捻ってバックハンドブロー。長双さんの右裏拳が龍の逃れた方向から襲いかかる。
あ、やっべー。完全に想定外だわ。
と思ったら、龍くん裏拳の射程内に突入。間合いを潰して威力を殺す。
「お」
長双さんの驚く声。長双さん、右脇がお留守だぜ。
『左、鉤突き』
要は左フックね。龍にはちゃんと伝わったらしい。密着した間合いの中で巧く腕を折りたたんでから、体重移動で威力をアップ!
いやー、アッパーカットの経験を応用してますねー。龍くんは。素晴らしい!
――ドグッ、って鈍い音がした。
間違いなく龍の拳は威力十分で相手の脇腹を抉ってる。
……にも関わらず、痛いのはこっちの手首だ。なんで?
っていうか、滅茶苦茶痛いんすけど! ≪おひい様≫の時といい、神様は龍の左手になんか含むモンでもあんの?
「っつぅ……」
珍しく、龍が痛みに悶える。一方、長双さんは平気な顔。鉄なの? アバラにチタンでも入ってるの?
「……悪くない、というより、好いですね。それももの凄く好い。……明日から、南沼への道中でも私が手ずから鍛えれば……」
『ん?』
(え?)
俺と龍共有の頭の中に『?』が咲き乱れる。え? 本人が付いてくるの? 部下とかじゃなくて? エラいんじゃないの、この人?
龍が思わず雪を見る。
さっきまで「おー」とか「わー」とか、言って観戦してた雪も目を見開いてる。驚いてるらしい。
だが、長双さんは止まらない。
「いや、いっそのこと……龍どの、どうでしょう? 私の養子になりませんか?」
はあぁ?




