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意天  作者: 安藤 兎六羽
転章
101/159

≪巫姫≫、動く



――朱蝶と龍と玲華が消えて、五日が経っていた。

 無論、兄――≪皐琴≫の行方も知れない。


「まさか、第二公子様が謀反むほんとは……」


 宮を修繕するつちおとが響く廟殿の一室で、向かいに座した長双が呟いた。


「いや、これは太子の≪甘≫兄の讒訴ざんそに近かろう。……妾も尚も、まして悪神どもも、琴兄が凶刃を振るった事など漏らしてはおらぬ」


「では、今、裁かれている者たちは?」


「さあ? 無辜と言えるか、それともやましい事があるものか。……どちらにしても、琴兄上と繋がりのあった者すべてを罰する事など出来ぬ相談じゃ。国が立ち行かぬわ」



――そう。公都の宮は荒れていた。

 ひとつには悪神――≪女神のはらわた≫の四女が、宮殿を壊して進んだ為。

 ひとつには、皐琴と≪威名≫が消えたを良い事に、太子が父公に讒訴し、粛清の風が吹いている為。


……しかし、大逆の証など出ては来ない。

 そして、皐琴が消えると伴に、多くの者が宮や都から去っている。中には官職を得ていた者もいるから、問題だ。

 さすがに大物が職を離れる事は無いが、下大夫かたいふの中には「病を得た」と言って蟄居ちっきょする者まで出る始末。


 疑いをかけられている当人――皐琴と梧帥がおらぬ以上、二、三のどうでも良い首を落とすか国外へと流して、終いとなるだろう。

 まことに大逆の嫌疑が持ち上がれば、その程度で済むはずも無いが、父公とて太子の讒訴に過ぎない事を承知しておられる。

 鼻息を荒くしているは、独り太子・甘のみだ。


「なんとも……一武官の私には、計り知れぬ事ですね」


 苦笑を浮かべる長双を睨む。


「卿が最も厄介な御方を招き入れたのではないか……」


 長双の苦笑いがさらに引き攣る。


「このような仕儀に到るとは、なんともはや……」




 ―――




――五日前の夜開け前、宮中は混乱に陥っていた。

 ≪二天≫なる鬼怪の出現。空を駆けていたという白い大虎と赤い竜。そして、都の空には≪仙≫の軍。


 急を推して開かれたちょう。上卿たちが出揃う前に、紛糾する朝廷。それもそのはず、誰もが事態を把捉できてはいないのだから。

 朝に参じた≪巫姫≫に誰彼問わず、尋ねてくる。



――≪極南山≫にございますか、姫様? なぜ、≪神仙≫が我が都に? ――



――それよりも、消えた≪二天≫とは? 消えた公子様はいったい何処へ? ――



 とりあえず、煩いやからから順に罵倒して行った。

 ≪竜眼≫を使う余力があれば、即座に縛ってやったものを。

 尚に抱きかかえられて、口を塞がれていると、混乱を極める朝廷に下官の声が響いた――



――夏官長輔・長双様、御復命にございます――



 ≪雷名≫長双。皐公国最強の武人。

 斃れたはずの英雄の帰還。それも、このような混乱の最中だ。

 ≪仙≫の軍や、鬼怪や、大虎や、竜がいようとも、長双卿の武があらば……。どの官の顔にも安堵が浮かんでいた。



――そう言えば、長双卿の事を忘れておった――



 他方、≪巫姫≫はそう思っていた。


 沸き、喜ぶ百官は次の瞬間、朝廷に姿を現した≪雷名≫を見て首を傾げる――


……皐公国最強の武官が、縛に付いている……。

 後ろ手に、そして両脚を縛られた≪雷名≫が、器用にも両脚で跳びながら、進んで来た。



――公。そして、百官が皆様方。長双ただいま復命してございます。……申し訳ございませんが、少しかくまって頂くわけには……――



 その長双を追うように、朝廷の扉の向こうから下官の絶叫。

 振り返り、≪意≫を決した顔を晒した長双はなぜか、一目散にぴょんぴょん跳ぶと、≪巫姫≫と尚の背に隠れた。


――朝廷の扉が開かれる。

 いや、開かれたというよりは、巨大な鼻面で、こじ開けられたと言ったほうが正しい。


 竜だった。鼻息も荒く、一頭の竜の頭部が、朝廷の中へと差し込まれていた――

 息を飲む一同。――戦慄。恐慌を来たす間も無い。



――巨きい。南沼で見た蛟の親よりも二回りは巨きい頭部ではないか? ――



 大人ふたりを並べても一口で飲めそうなほど……。

 警戒した。長双が身を縮めている理由はこれか。



――長双様、こちらにおわしますか? ――



 仙女――ひとりの甲姿よろいすがたの女子が竜の頭から降りた。



『ひとども! ≪炎帝≫が末子、≪火聖真女≫様であらせられるぞ! 跪くが良い!!』



 それが、竜の声だと誰もが悟ったのであろう。

 既に登朝していた上卿のふたり冢宰ちょうさいと地官長、呆然とする太子・甘、そして父と≪巫姫≫を除く官がみな額を床へと打ちつけた。


――≪火聖真女≫。

 ≪炎帝≫亡き後の、≪極南山≫の女主と聴く。

 それが、何ゆえ長双を追っているのか?



――≪極南山≫が仙女。≪火聖真女≫様が我が鄙官・長双にどのような御用かな? ――



 泰然とした父の問い。

 竜が口の端をゆがめた。



『≪皐陶こうよう≫公の匂いがする。……なるほど、姫君。この者――いや、この御方こそが当代の宗主という事でございましょう。いかがなされる?』



――≪せき≫どの。わたくしが御話を致しましょう。……ひとへと転化を御願い致しますわ――



『御≪意≫のままに』



 ≪赤≫と呼ばれた竜の身体がするすると萎んでいく。朝の群官から驚嘆の声が漏れる。

 赤い竜鱗はそのまま甲へ。四肢は縮み、鱗を生やした手足へ。

 揺らめく焔のような頭髪に、角が二本生え、皮膚を鱗で蔽われた竜人がそこに顕れる――



――長双卿が主どのと御見受け致しますわ。わたくし、≪極南山≫にて一洞を構えます、≪女娃じょあい≫と申します――



――かの≪火聖真女≫様に御目にかかれるとは光栄と存じます。……今上帝より揚州ようしゅう方伯ほうはく、公爵を拝命しております≪皐霜こうそう≫と申します。……して、此度はどのような御用向きにて、≪仙界≫の軍勢を率いて、我が鄙都へとお降り遊ばされましたかな? ――



 父の問いにはたと、止まる仙女。

 困ったように、転化した≪赤≫を見る。



――少々、待たれよ……『≪霊恝れいけい≫! 来よ!』――



 ふっ、と一陣の風が吹き込んだかと思えば、そこにひとりの男が立っていた。

 壮年の男。緋紅ひぐれないの着物の袖をふわりと翻し、男は父公の前に降り立った。

 白銀の冠と伴に少し頭を下げる。ふたたびどよめく百官。



――……≪赤≫どのも、≪仙≫遣いが荒い。……≪極南山≫筆頭、ここにまかり越し申した――



――噂に名高き、五仙、≪霊恝真人れいけいしんじん≫様と御見受けする。……さて、≪仙界≫の御方は人界には直に干渉されぬと伺っておりますが、此度のご用向きはいかがな事でしょうか? ――



 父の問いに、かの五仙は一度、こちら――いや、後ろの長双を見て、また困り顔の仙女を見る。

 そして、ひとつ息を吐くと、語り始める。



――公都を御騒がしした事、まったくもって弁解のしようも無い。……しかしながら、南方神≪祝融しゅくゆう≫様の御依頼を受け、我らは御国へと南の果てから参りました――



 どよめき。南方神≪祝融≫――

 帝域の空に君臨する、≪四方神≫がひと柱。南を管轄するという≪戦神せんじん≫。

――朱蝶か。朱蝶を追って来たと言うか……。


 朱蝶を含めた≪巫姫≫の一行は、皐山の≪神≫を弑した。

 ならば、南方神が出て来ても不思議は無い。

……しかし、かの五仙は意外な言葉を吐いた――



――人界は皐公国におかれましては、≪二天≫なる悪神を≪人帝≫が領野に呼び入れてしまわれた御様子。……我らはそれを追って参った次第――



 瞬時、仙女が安堵の顔を浮かべた事を見逃さなかった。

 朱蝶を追って来たのでは無いのか? あるいは、長双に類が及ぶを恐れて、≪二天≫の為としたのか……。

 こやつらは明らかに長双に執心している。なぜなのだろうか?



――その≪二天≫とやらは、消えたと聴くが? なぜ、御身らは長双を追っておられる? ――



 父公が圧を上げた。

 このような時、父公は老獪な≪仙≫にも遅れを取らぬ。

 壮年に見えても、≪仙≫は齢を重ねない。眼の前の五仙もどれほどの時を経ているか……。



――……さて、そうは仰せられますが、公よ。神々が千歳を賭けて追う≪二天≫を、≪人帝≫の領野に隠ししは、御国の責とは存じませぬかな? ――



 ≪仙≫はゆらりと気配を変えた。

 慇懃、しかし、五仙の一角はこちらを譴責けんせきする構えを見せる。



――なるほど。我が国に償いをせよ、そう仰せられるか? ……しかし、その≪二天≫とやらを主に退けたも、我が国に属しし者とこの耳には聞こえておりますが? そも、神々、そして≪仙界≫の御方々が御眼を晦ましし悪神を、ひとの身が取り逃ししを御責めになられるか? ――



 父の言葉に≪赤≫が舌打ちを溢した。

 他方、≪仙≫は笑みを浮かべる。



――さすがは≪竜帝≫に仕えし≪裁神さいしん≫≪皐陶≫公がすえ。……しかし、考え違い召されるな。≪祝融≫様の御叱責を賜るとしても、我らにも≪意≫がある。無為に退いたとあっては≪極南山≫の名が泣く――



 父公はその言葉に眼を細めた。



――……何を御望みか? ――



――……例えば、御国随一の将が、我が姫君、≪火聖真女≫様の婿となる。……さすれば、婿殿の出でし御国を責むるを、心優しき我が姫がお認めにならなかった故、我らは退いたとの釈明が立つとは思われませぬかな? ……姫は≪炎帝≫の御子であられる。≪祝融神≫とは言え……――



 父公の眼が、激しく首を横に振っている長双を捉えていた――




 ―――




「人界に入っておれば、≪仙≫といえども生半に手出しは出来ぬ。今上帝――ひいては≪竜帝≫を無視した事になるゆえ。……卿が仙女の手を自ら取った・・・・・のが、間違いの元じゃ」


 苦言にさらに顔を引き攣らせる長双。


「ご無体な。……しかし、猶予は頂きましたゆえ」



――長双には、未だ人界にて為すべき事がある。……二十歳の猶予を頂きたい――



 父公の言葉が脳裏に蘇る。

――かくして、≪極南山≫の≪仙≫たちは引き上げた。一頭とひとりを残して……。


「……長双様? いずこにおわしまするか?」


 扉の外からそんな声が聞こえてくる。


「……卿もこれにて、身を固められるか」


 皮肉を込めた言葉に、長双はあからさまな苦笑を浮かべた。

 そして、真顔になる。


「……かの≪獣神≫、≪白王神≫とやらは北へと翔けたように見えました。追われるのでしょう?」


 頷く。


「今歳は朝覲ちょうきんの歳ゆえ、父公が名代として妾が帝都へと参る。……そのついでじゃ」


――朝覲。

 今上帝の四歳に一度の御巡幸以外の歳、諸侯が帝都に詣でる事を言う。

 只今の公国は混乱している。父は勿論、上卿たちも公都を離れるわけにはいかない。


「――卿も付いて参れ」



――長双はその言葉に即座に首肯を返すと、≪火聖真女≫の呼ぶ声に応えるように座を立った。



――さて、出立はいつになるか。

 悪神どもも付いて来るとのたまうだろう。特に四女は朱蝶が消えて以来五月蝿くてかなわん。

 最近、落ち込んでいる尚もこれで元気を取り戻すやもしれん。


……さても、朱蝶めが。ようも煩わせてくれるものだ。

 独り残された部屋で、そう考える≪巫姫≫の耳に慌てふためく下官の声が届く。



「――≪豫州≫より、四つ柱の女神様が御来訪なされました――っ!!」


……なぜに、こうも次から次へと……。


――≪巫姫≫もまた座を立った。

 


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