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意天  作者: 安藤 兎六羽
転章
100/159

拾遺二、第二公位継承者・皐琴

今回は、本編よりも少し前のお話です。

――物心がついた時、わたしは己が凡庸である事を知った――

 同腹の妹。彼女が≪竜眼≫を持って産まれたから。


 巫祝の系を受ける生母は、むしろ妹を遠ざけ、息子である彼をことさら可愛がろうとした。

 ≪禺≫の系に顕れる≪竜眼≫。竜の呪詛と言われるそれが、妹に対する生母の憐憫と畏怖を呼んだのだろう。

 複雑な感情を抱いた末、母は子供らしい子供だった彼を可愛がった。


 彼はなんとなく気づいていた。

 母が、妹に対して過ぎたる情を覚えてしまうが為に、遠ざけている事に。そして、言わばその反動として息子である彼を近づけている事に。

 本来、女親とはそのような生き物なのかもしれない。男の子を可愛がり、女の子を妬む。


 もし、母が本当にそれだけの女だったならば、彼の生き方ももう少し変わっていたかもしれない。

 彼は出来るだけあどけなく振る舞った。

 母の興味を引く為だけに。……父は正妃の子で長子の、≪かん≫にしか興味を示さなかったから。


 だが、妹が産まれて半歳にして、言葉を喋り、一歳にして、初めて祝詛を使った時、とうとう母の愛情の向きは変わった――



――この娘は、史に名を刻むとなる――



 母は五つになっても、ひとつの祝詛も扱えぬ彼よりも、妹を愛するようになった。

 母もやはり、巫祝の系に産まれた女だった。いつのまにか母の妹に対する憐憫と畏怖は、期待と崇敬へと変じていた。

 彼が巫術に固執するようになったのは、思えばそれからだったのかもしれない。


 彼は励んだ。

 祝詛の扱いには苦労したが、巫術を描き出す≪紋術≫には慣れるようになった。六つの時に初めて、祝詛を上げる事にも成功した。

 多くの巫祝どもは、彼には才があると持て囃す。だが、彼よりも四つも齢下の妹のほうが、より多くの巫術を――祝詛を唱えるのだ。

 彼を褒めそやす巫祝どもの顔が苦笑いに変じるのを幾度見た事か。


 母が彼の為に裂く時は減って行った。

 ≪禺≫の系の者の多くは身体が弱い。

 床に伏せるようになった母はそれでも、妹を教導する事に心血を注いでいた。


 いつの頃からか、≪巫姫≫と呼ばれるようになる妹。

 決定的だったのは、妹が齢四つにして、創癒の祝詛を使った事だ。



――なんとっ!! この身が至らぬ境地に僅か四つにして……玲姉上でもそのような事は御出来にはならなかった……やはり、あの子は……――



 当時、病床にあった母は、狂喜の笑みを浮かべながら没した。

 ≪禺≫の系を継ぐ者はみな短命だと言われるが、それでも三十前に亡くなった母はずいぶん早く逝ってしまわれたものだ。

……病床にあって、母は一度も彼の名を呼ばなかった。妹の名ばかりを口にしていたという。


 母は最期まで妹の才を愛していた。

 彼の伯母の玲に心酔していた母を、彼はついに振り向かせる事が適わなかった。


――そして、妹は巫祝としての地位を確固たるものとしていく。

 比べて彼は、ただ妹に及ばぬ巫祝としての才覚に恋々とし、いたずらに時を費消していくだけだった。



――きんよ。そなたには強き≪意≫がある――



 十の時かけられたその言葉は、初めて彼自身を評価する言葉だった。才などは無く、彼自身を。

 その言葉を放ったのは、≪二公子≫と称えられる≪皐砕こうさい≫叔父だった。



――わしよりも、弟の推のほうが才覚が上だ。だが、あやつめとわしは同格と扱われる。……なぜかわかるか? ――



 初めて聴く言葉だった。

 誰それは、己よりも力や才に恵まれております――そんな、秀でた者を寿ぐ言葉は幾らでも耳にした。

 誰それは、才も乏しい癖に過大な評価を受けております――そんな、恨み言はなお多く耳にした。

 だが、才が及ばぬを知り、なおも砕叔父は負けていない。降参などしない、そう言うのだ。



――推には才があるが、わしのほうがここが良い――



 そう言って、砕叔父はこめかみを指で突く。

 微笑み。この己にも他者にも厳しい叔父の笑みなど見た事は無かった。



――推は頭は良いが阿呆だ。ほかの者の思いというものが今ひとつわかっておらぬ。……ゆえに、粗い。あの秀でた弟が、民の暮らしぶりさえも顧慮せんのだ。驚くだろう? ――



 聴いた事があった。蛮との戦時にも関わらず、南鄙のは二割だと言う。

 通常は一割。戦糧捻出の為に、他地域では二割を取ると聴くが、ふつう、当該地域の賦は五分。徴収しても、補填が約される。



――推の、あやつの一番の才覚は……『恨まれぬ』、というものだ。……あやつは何をしようと許される。民からも将からも、兄公からもだ。ならば、わしが遅れを取らぬ為にどうしたと思う?――



 砕叔父は微笑んだ。

 実に朗らかな笑顔だった。



――との戦時、わしは前線に立った。街を歩き、畑を耕し、樹を伐り倒し、盾を構えて夷を迎え打った――



 わしに出来る事など少ない、だが多いのだ。そう砕叔父は続けた。



――なるほど、才覚で及ばぬわしに推のような事は出来ぬ。だが、考えてもみよ。ここぞという時、己が為に身体を張る臣がどれほどおるか? 推の才を以てしても百から二百程度だろう――



 妹が彼を解さないように、才覚に秀でた者は民の心が解らない。

 そう、砕叔父は続けた。



――北鄙の民、そのうち半数が、わしを逃がす為に生を賭す。……なぜなら、わしが死すれば、さらなる恐慌が待っておると知っておるからだ。……だから、琴。そなたも下を解するに努めよ。妹なぞに構っている暇は無い! 巫術など、出来る者に任せて仕舞え。そなたは、国を背負う者だ――



 砕叔父の言葉は酷く厳しく聞こえた。

 そして、同時に温かく聞こえたのだ。

 数歳の後、砕叔父は、北部将筆頭≪威名≫≪鄧梧とうご≫を帝都に寄越した。彼はその将を重宝する。


 砕叔父の言葉に従い、市井を歩く彼の下にはいつのまにかひとが集まっていた――

 そして、彼は思うようになる。



――これほど、豊かな人材があったものか。と。



 彼の下に集まった者らは卿の家で不遇をかこつ者、あるいは庶民でも悪事に手を染めた事のある者ばかり。

 その者たちの語る言葉を彼は聴いた。耳を傾けた。

 どうしようもない阿呆も居た。だが、性根は悪く無い。


 ある者は刃傷沙汰を起こして、生家を追われた者。だが、聴けばその者にも理があった。

 ある者は兄との諍いの末、飛び出した者。だが、聴けばその兄にも非があった。

 ひとの理を踏み外そうという者も居た。そのような者とは多く語り合った。


 中には袂を別った者もいる。だが、気づけば彼は多くの者に囲まれていた――

 そんな時、十四になった彼は父公に呼ばれる。



――そなたの素行が悪いと、忠言をする者がおった。身を慎むが良い――



 眉根を寄せた父。壁際に座した兄――太子≪甘≫が彼を笑っていた――



――兄上は、早う宮なぞ離れられるべきじゃ――



 十になる妹のませた言葉に苦笑したのを憶えている。



――兄君は、琴を見損なっておられる!! 疎ましくば、わしに寄越せ!!! ――



 わざわざ北鄙から出向いて、父にそう言った砕叔父の言葉を憶えている。


――報われている。

 彼はそう思った。だから、彼は慎むようになった。

 十五を迎えた時に見るようになった、≪竜眼≫を持つ赤子の夢が彼の思いに拍車を駆けた。


――どのような才覚があろうとも、時節を得ずば≪意≫は立たぬ。


 彼は清廉である事を己に課した。

 誰にも後ろ指差されぬように。

 巫術の修練に励み、身体を鍛えた。彼を想うひとびとに報いれるように。

 彼は成年に達し、一廉ひとかどの男になっていた――




――≪首≫が顕れた――


 ≪首≫は男を脅した。

 男の全てを奪う事も出来る、そう言った。

 証にそれより≪梧≫が変じた。


 寡黙な歴戦の将たる≪梧≫が、父の耳に太子の讒言を入れるようになった。

 その上、溢す。≪雷名≫長双が憎い、≪雷名≫なぞ≪威名≫たる己には及ばぬ、と。


 男は、≪首≫の許へと奔った。梧に何をした? そう、問い詰める。



――ひとは、己を偽るものだ。……ゆえに、その≪意≫を推しただけよ――



 ≪首≫は嗤っていた。


 男は父にも≪巫祝≫の長となった妹にも、何も言えなかった。

 ≪首≫が男に成させた≪易法≫――≪無感≫の術を利して、≪異気≫を宮全体へと細かく張り巡らせていたから。

 どのような動きも、≪首≫に喝破されてしまう。そして、男が≪首≫の事を喋った者は、翌日には≪首≫の配下となっている。


 気づけば、男の周囲に集まった者たちは、男を公位へ登らせようと動き始めていた。

 ≪首≫に接した者は≪梧≫を含めても四名。男が語った為に≪首≫に操られている者を含めても六名。なのに、周囲の者すべてが、その六名に同調し始めていた――

 太子の周りの者にも、妹の周りの者にも気づかれぬように、暗躍し始めていた――



――その者らは元より、そのように望んでいたからよ。我が主を王へ。……まさしく忠臣ではないか――



 なおも嗤う≪首≫。


「ばかなっ! わたしは公位を望んだ事など無い!」


 ≪首≫は気持ち良さげに嗤った。



――偽るな。……お前の心が見える。嫉妬だ。お前はもっと報われるべきだと望んでいる――



「偽りを申すは貴様のほうだ!!」



――知っているのだ、琴よ。お前の≪意≫を知っているのだよ――



「――何を知っていると言うかっ!!」


 ≪意≫を得た、とでもいうように≪首≫は朱い唇を頬まで裂いた――



――餓えているのだろう。渇いているのだろう。……お前はいつでも偽って来た。母の前でも、父の前でも。そして、妹の前でも――



 ≪首≫の言葉に、血の気が引く――



――己が猛悪を抑えきれぬのだろう。獰悪どうあくに身を委ねたいのだろう――



「何を……」


 男は自身の顔が蒼褪めていくのを感じた。

 ≪首≫を照らす燭の炎が、≪首≫の高らかな嘲弄に揺らめいていた――



――知っているのだよ、うに。お前がこの帝域とやらを呪っていることなど――



「……ふざける、な」



――呪っているからこそ、お前は下賤の者の言葉を聴いた。呪っているからこそ、お前は忍んだのだ。……お前のすべての≪意≫の源は、≪呪い≫だ――



――男には、その言葉を否定出来なかった。

 ≪首≫に己の来し方を、すべてを語った事など、勿論無い。

……だが、すべてを見透かされたように思った。


 ≪首≫は男自身さえ、知らなかった男の≪意≫を知っていたのかもしれない。



――さあ、皐琴よ。我が≪意≫を受けよ――



 既に歯車は回っていた。男に、周囲の者たちを止める力は無い。

 誰もが、酔っていた。

 男ひとり醒めている事など、出来ないのだ。


――なぜならば、みなが酔っていたのは、男が自ら作り出した毒だったのだから。

 主が――男が、公位に相応しかろう。そんな毒。

 男もまた、酔ってしまうほか無かったのだ――



 男は≪首≫に向かってこうべを垂れた――



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