第3章 助言は相手にも聞こえる
組合の裏の訓練場は思っていたより広かった。
踏み固められた土の広場に打ち込み用の太い杭が何本も並んでいる。端の棚には木剣や木の槍、使い古した盾が立てかけてあった。朝早いのに、もう何組かが木剣を打ち合わせている。乾いた音が広場に響くたび、俺の胸も一緒に鳴った。
「来たんだ、泥の新人くん」
杭の前で盾の紐を締め直していたカティアがこちらに気づいて笑った。
「鳴瀬翔太です。その呼び方、定着させないでください」
「今日一回も転ばなかったら考える」
稽古代は昼飯一回分くらいの額で、昨日の報酬から払っても宿代は十分に残る。ノアは見学だけなので払わなくていいらしい。俺は棚から木剣と小盾を借りて、昨日言われた通り盾が正面から動かないよう、紐を腕にきつく締めた。
「じゃあ、まずはそこの杭を打ってみて」
杭の前に立つ。広場の端にはノアが立っていて、隣ではカティアが腕を組んで見ている。
ここだ。ここで一発、いいところを見せたい。俺は木剣を振りかぶり、杭の真ん中に思いきり打ち込んだ。
かん、と気持ちのいい音がした。次の瞬間、カティアの持った短い棒が俺の脇腹をこつんと突いた。
「はい、今ので一回死んだ」
「えっ」
「打った後、盾がどこにあるか見てごらん」
見下ろすと、盾を着けた左腕は体の横にだらりと下がっていた。剣を振るのに夢中で、盾のことなんて頭から抜けていた。
「攻めたら戻す。打ったら盾を体の前へ。それだけ。それだけなんだけど、みんな最初はできない」
カティアは自分の木剣で杭を軽く打って見せた。打った瞬間にはもう、盾が胸の前へ戻っている。剣と盾が一つの動きみたいにつながっていて、打った後の隙がどこにも見えなかった。
「格好いい……」
「格好いいのは後でいいから。打って、戻す。はい」
打って、戻す。打って、戻す。言葉にすれば簡単なのに、体はなかなか言うことを聞かなかった。強く打とうとすると盾が遅れ、盾を意識すると剣が弱くなる。そのたびにカティアの棒が脇腹や肩をこつんと叩いた。
二十回ほど打ったところで、ノアが言った。
「マスター。今の十回のうち、盾が戻ったのは三回です」
「数えなくていいから!」
「強く打とうとした時ほど、戻りが遅れています」
悔しいけど、それはたぶん当たっていた。
*
一刻ほど打ち込みを続けた頃、カティアが広場の反対側に手を振った。
「セドリク! ちょっと来て」
やってきたのは俺より一つ二つ上に見える青年だった。日に焼けた顔に短い黒髪、手には木の槍を持っている。背は俺と同じくらいなのに歩き方がどこか違って、地面の上をすべるように、重心をぶらさず近づいてくる。
「こっちはセドリク。あんたと同じ頃に登録した新人。家が狩りをやってたから、足運びはもうできてる」
「どうも」
セドリクは俺を見て、それから後ろのノアを見て、もう一度俺を見た。
「あんたが噂の、泥まみれで跳ね牙を捕まえたやつか」
「噂になってんの!?」
「受付の人が笑ってた。あれ、俺は三日通って捕まえられなかったんだよ」
カティアがぱんと手を叩いた。
「練習試合をしよう。木の武器で、胴か腕に当てたら一本。先に三本取ったほうの勝ち。仲間の声出しはあり。実戦でも仲間は叫ぶからね。ノア、だっけ。何か気づいたら言ってあげて」
「はい。お任せください」
相手は槍だから、間合いは向こうが有利だ。でもこっちにはノアがいる。ノアの読みどおりに動いて一本取れば、ノアにもカティアにも格好いいところを見せられる。これはいける。
俺とセドリクは広場の中央で向かい合った。
「始め!」
セドリクの槍先がすっと俺の胸の高さに来た。
「マスター、相手は右足に体重をかけています。突いてくると思います」
ノアの声が広場にはっきり響いた。よし、突きだな。俺は盾を胸の前に構えて突きを待った。
槍は来なかった。
代わりに、セドリクの槍の柄がぐるりと回って、盾の下から俺の胴を払った。
「一本!」
カティアの声が上がった。
「……え?」
「聞こえてるからな」
セドリクが槍を構え直しながら言った。
「突きって言われたら、そりゃ突かないだろ」
広場の端でノアがぴたりと固まった。
「……予測を聞いた相手がその予測を外しに来るところまでは考えていませんでした」
「分析してる場合じゃない!!」
二本目はもっとひどかった。
ノアは声を落とすことにしたらしい。ところが小声だと、今度は俺のほうが聞き取れない。
「マスター、相手の……が……から……」
「何!? 何て!?」
聞き返した瞬間、セドリクの槍が俺の胴をとんと突いた。
「二本!」
周りで見ていた何人かがくすくす笑っている。顔が熱い。格好いいところを見せるはずが、二本続けて取られてこのざまだ。
「ノアの助言は合ってるんだよ、たぶん」
セドリクが槍を肩に担いで言った。
「でも、聞いてる間に動けるだろ。あんた、ずっと耳で戦ってる」
言い返そうとして、言葉が出なかった。確かに俺は何が来るのかをノアに教えてもらってから動こうとして、目の前の槍をちゃんと見ていなかった。
三本目の前に俺は広場の端を振り返った。
「ノア。次は何も言わなくていい」
「よろしいのですか」
「うん。自分で見てみたい」
ノアは一瞬目を見開いてから、黙ってうなずいた。
俺はセドリクに向き直った。あと一本取られたら負けだ。でも今は勝ち負けより、自分の目で見ることのほうが大事な気がした。
「始め!」
セドリクの槍先がまた俺の胸の高さに来た。
今度は槍だけじゃなく全体を見た。セドリクの足、肩、槍を握る手。さっきの二本を思い出す。払う時も突く時も、セドリクは前の足を一度踏み込んでから動いていた。
その前の足がわずかに土をこすった。
来る。
突きだった。俺は盾を胸の前に立てて槍先を受け、そのまま外へ流した。木と木がぶつかる重い音がして、腕がしびれる。それでも盾は正面からずれなかった。紐をきつく締めておいたおかげだ。
槍は長いぶん、突いた後に引き戻すまで時間がかかる。流した柄に沿って一歩踏み込むと、剣の届く距離にセドリクの腕があった。
木剣を振る。セドリクの右腕にぱしんと当たった。
そして、盾を戻した。
考えるより先に体が動いていた。杭の前で何十回も繰り返した動きだ。戻した盾に反撃しようとしたセドリクの槍の柄がごつんとぶつかった。
「一本! 翔太!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。木剣を握った手がじんじんしている。セドリクが自分の右腕を見下ろしていた。
「……今の、見えてたのか」
「足が先に動くから」
セドリクは目を丸くしてから、悔しそうに笑った。
「取られたな。今のはいい一本だった」
四本目、セドリクは前の足の合図をほとんど見せなかった。突きを受けるのが一拍遅れ、引き際に踏み込むのも遅れる。無理に距離を詰めようとして体が前へ流れたところを、あっさり胴を突かれた。三対一で試合はセドリクの勝ちだった。
*
試合の後、俺は棚の前の地面に座り込んで、水をがぶがぶ飲んだ。
負けは負けだ。悔しいのに、自分の目で見て取ったあの一本を思い出すと、どうにも落ち込みきれない。
セドリクが隣に来て、木の槍を棚に戻した。
「あんた、踏み出しが遅いんだよ。だから最後は無理に詰めて崩れた」
「分かってるよ。お前の足運び、どうやったらああなるんだ」
「子供の頃から獣を追いかけてりゃ、こうなる」
セドリクは肩をすくめ、少し考えてから付け足した。
「次やる時は最初から目で戦えよ。そっちのほうが面白い」
「次は二本取る」
「言ったな」
セドリクは笑って、広場の反対側へ戻っていった。
入れ替わりにノアが隣に座った。
「マスターが取った一本、私は何も言いませんでした」
「うん」
「見ていて、とても嬉しかったです」
ノアは膝の上で手を組んで、まっすぐにそう言った。
照れくさくて、俺は水をもう一口飲んだ。
カティアが木剣を肩に担いでやってきた。
「いい一本だったよ。打った後に盾が戻ってた。四本目は出遅れて無理に詰めたね。それが分かってるなら十分」
「……ありがとうございます」
褒められた。しかも、ノアの目の前で。
顔がにやけそうになるのを必死にこらえていると、カティアが声の調子を変えた。
「それでさ。三日後、南の農場で小型の鎧猪を追い払う仕事があるんだけど。見張りと連絡役が欲しいんだよね。あんたたち、来る?」
俺は顔を上げた。
「俺たちが、ですか」
「戦うのは私。あんたたちは周りを見て、何かあったら知らせる役。報酬は取り分を決めて、ちゃんと出す。ノアはよく見てるみたいだし。翔太は今日みたいに自分で見られるならね」
鎧猪。こっちへ来た最初の日に見た、あの猪みたいなやつだろうか。膝が震えたあの感覚を思い出して、背筋が冷えた。
でも見張りなら俺にもできるし、報酬もちゃんと出る。それにカティアの戦い方を近くで見られれば、庭へ行くために足りないものが分かるかもしれない。
俺はノアを見た。ノアがうなずく。
「行きます!」
「よし。じゃあ三日後の朝、ここで」
カティアは手を振って去っていった。
俺は自分の右手を見下ろした。セドリクの腕に木剣が当たった時の感触が、まだ手のひらに残っていた。
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