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二章第八話 冷たい口付け

 橙の炎に焼かれながらも、虫の姿をした影は動きを止めなかった。長く伸ばした四肢で壁に張り付く姿はやはり虫にしか見えない。楕円と円筒が合わさったような胴体。その背が不自然に隆起し、黒い槍と棘の散弾が連続して放たれる。

 トウマは右腕に纏った橙炎を大きく横に薙いで迫る攻撃を薙ぎ払った。炎と共に熱風が路地を駆け、黒色の粒子が弾けていく。舞い上がる炎と黒い粒子。トウマは駆け出し、壁を蹴って飛び上がった。そして、勢いのまま炎を纏った拳を叩きつける。

 しかし、虫影は粘つくような動きで拳を避け、着地と同時に更なる黒棘を放つ。対するトウマは空中で炎を収束させ、炎の大剣を握り締めた。

 黒棘を避けず、落下の勢いを乗せたまま、真下にいる影へ斬撃を叩き込んだ。

 爆炎が上がり、コンクリートが抉れる。炎と煙の中から、虫影が再び姿を現した。左の前後の脚が切断され、黒い体液にも見える影が滴っている。ダメージは見えていた。それでも、その動きは止まらない。反撃の槍が放たれ、トウマの肩を掠める。カッターシャツが裂け、血が飛ぶ。……痛みはない。ただ、熱い血が肌を伝う感触だけがあった。


 「硬ぇな」


 火力が上げた一撃でも倒せない影に、トウマは毒づく。

 その視線の先、路地裏の逆側から誰かが走り込んでくるのが見えた。青く燃える炎。


 「アオシ! 挟み撃ちだ!」「……わかってる!!」


 言葉と同時に、二人の炎が交錯する。トウマが正面から炎を纏った拳と炎剣でプレッシャーをかけ、蒼司が壁面を登ろうとする影の進路を青炎の射撃が封じる。

 橙と蒼の炎が路地に入り乱れ、熱と光が闇を裂いていく。虫影は全国左右から攻められ、動きが明らかに鈍くなっていく。


 「トウマ! 影の中に人がいる! 取り込まれてる!」


 蒼司の叫びが、トウマの耳に届く。連撃で一気勝負を決めようとしていたその手が、僅かに止まった。


 「くそったれ……!」


 トウマは舌打ちと共に、影の脚を直接掴んだ。超至近距離。盛り上がる背中から黒棘の散弾が撃ち放たれた。……トウマは避けない。右肩から腕にかけて複数の棘が食い込み、血が舞い散る。痛みはない。あるのは、自分が傷ついているという情報だけ。

 蒼司が炎の鞭を伸ばし、影の胴体を拘束した。その隙にトウマは握り締めた左の拳で影の内側を抉り、腕を深く突っ込んだ。

 開いた手が、何か、人の温もりに近いものを掴む。


 「オラァ!!」


 力任せに引きずる。影の表面が裂け、黒い粒子が噴き出す中から、小さな体が引きずり出された。黒崎響子だった。その姿を視界に収めつつ、蒼司が蒼炎の刀で残った影へと刃を叩き込む。青い炎が黒色の塊を両断し、影は燃え散るように崩壊していった。

 紫煙と、散っていく虫の影と残骸。夜の路地に、パトカーと消防車のサイレンが重なって響き渡った。


 消防車が放水する様子を、トウマは離れた位置から眺めていた。血の付いたカッターシャツはすでに脱ぎ捨て、黒のタンクトップ一枚の姿。

 蒼司には「デート中に火災に巻き込まれた」と説明しろ、と短く指示を出した。自分はZippoとタバコを持っており、この場で職務質問されれば面倒になるは目に見えていたからだ。蒼司と響子はおそらく救急車で運ばれるだろう。

 トウマは人混みに紛れ、夜の街の奥へ消えていく。十数分程歩いた先。人通りのほとんどない、廃れた駐車場に辿り着いてようやく腰を下ろした。車止めに座り、タバコを唇に咥える。Zippoの蓋に指をかけ、火を点ける直前……顔を上げた。


 「……なんだよ、オッサン」


 視線の先に、赤い短髪の大柄な男が立っていた。

 赫鉄一弥。赤い瞳が、夜の闇の中でトウマを見据える。

「

 「オッサンではない」「うるせぇ」「赤鉄、一弥だ」「アカガネ……カズヤ。で、なんか用かよ」


 トウマは構わずタバコに火を点け、深く吸い込み、煙を夜風に吐き出した。一弥の赤い瞳が、トウマの全身——特に肩や腕の傷をゆっくりと見る。

「怪我しているが、何と戦った?」「関係ねーだろ」


 そう言いつつも、トウマは一弥が影の匂いを嗅ぎ分けることを思い出していた。影の存在を知る者。炎使いである可能性は高い。翠や顎と同じ組織の人間か。

 警戒の火が、橙の瞳の奥で静かに灯る。痛みを感じない分、自分の怪我の深さが正確にわからない今、不用意に戦うのは分が悪い。


 「質問に質問で返すのは失礼だろうが」「……そうか、そうだな。すまん」「で、用件あんのか」


 今すぐ敵対する気はない、と態度で示すように、トウマは車止めに腰を下ろしたままタバコの吸い殻をアスファルトに押し付けて火を消した。


 「俺は影淵の者を追っている」「……エイエンノモノ?」「そうだ。影に淵で、エイエンと呼ぶ」


 単なる影ではない……先ほど戦った異質な虫のような影。一弥が探す存在と同一である可能性が、トウマの中でゆっくりと繋がっていく。


 「……オッサン、炎使いだろ。影の匂いがわかるっつってたからな」


 予測を口にし、反応を伺う。一弥は無言だが、否定ではない。


 「ただの影じゃない、異質な影と今さっき戦った」「倒したのか?」「負けてたらここでタバコ吸ってねぇな……勝ったかどうかは微妙だ。倒したかと言われれば怪しい。アオシ……同じ炎使いと挟み撃ちで、一応は倒した、になるか」


 先の戦いの粗方を話すトウマ。一弥は腕を組み、渋い表情を浮かべる


 「……恐らく、撃滅には至っていない。少女が取り込まれていたと言ったな?……その少女が、影淵の者そのものだ」


 夜風が、駐車場へと沈黙を運ぶ。トウマの指が再び、Zippoの蓋を開閉した。カチン、と乾いた音が響く。


 夜道を、蒼司は歩いていた。隣には響子の姿。路地裏の戦いで救い出された後、二人は警察の事情聴取を受けた。火災は漏電からの出火、という事で処理されていた。響子の体に目立った傷はなく、多少の擦り傷程度で済んでいる。

 蒼司の青炎で影を抑え、トウマが彼女を引きずり出したおかげだった。


 「怪我、なくて良かった」「ありがとう、蒼司君」


 響子の声は、いつもの地味なトーンより少しだけ柔らかい。いつの間にか、下の名前で呼ばれている。

 蒼司の数歩先を歩き、ふと振り返る響子。街灯の逆光で、表情はよく見えなかった。


「私の為に戦ってくれて、凄い嬉しい……」

 ゆっくりと歩み寄ってくる響子。近づくにつれて、顔が見えてくる。薄い顔立ちには、笑みを。黒い瞳の奥に、小さく、赤い炎のような光が灯っている気がした。


 「蒼司君も……炎使いだよね」「……あぁ」「青い炎、好きだよ」


 響子の影が、街灯の光の中で蒼司の影に重なる。不自然に長い影。響子の顔が近づき、香りだけじゃなく、影よらも深く、唇が重なった。


 「……っ!?」


 柔らかいはずの感触は、氷のように冷たい。蒼司は、その冷たい感触に動ごけない。まるで、魂まで凍てつくような口付けだった。

 





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