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二章第五話 第三種接近遭遇

 明確な身長差が、そこにはあった。藍原顎は178センチの長身でトウマを見下ろす。紺のストライプスーツに赤いネクタイ。手には夏物のジャケット。藍色の長い髪がモールの照明を冷たく反射し、神経質そうな藍色の瞳がトウマを捉えていた。

 周囲の買い物客のざわめきが、二人の間に不自然な空白を作る。


 「……まだケイを狙ってんのか? もっかいぶっ潰すぞ」


 トウマは低く唸る。橙の瞳に警戒と敵意を灯して。対する顎はそれを受け流すように、薄く目を細めた。


 「……今日はオフだ。知らんな」「スカしてんのか」「しつこいぞ。器に色が定着したならば、貴様はもう用済みだ。この場で処理してもいいが?」


 応えながらも、顎に本気で手を出す気配は見えなかった。彼はジャケットを持ち直し、歩み去ろうとする。

 その背中が数歩進んだ所で、ふとトウマを振り返った。


 「貴様だけじゃなく、他にも排除する対象がある。巻き込み事故には気をつけるがいい。

 ……その柄物の羽織り、目立つだけで品がないぞ」


 小さく鼻を鳴らし、嘲笑いながら、顎は他の客に紛れてレジの方へ消えていく。トウマは見送る視線のままに、小さく吐き捨てた。


 「……夏場にジャケットも大概だろうが」


 小言を投げつけつつ、顎の言葉を反芻する。用済み。排除する対象。器に色が定着した——ケイの瞳が黒から焦げ茶に変わったことを、組織は既に把握しているのか。

 トウマの指が、無意識にZippoの感触を探る。丁度そのタイミングで、試着室のカーテンがゆっくりと開かれた。

 ケイが、白いカーディガンを羽織って出てくる。袖口が花弁のように広がったデザインが、黒いワンピースの上で柔らかく揺れていた。

 トウマが振り返り、一瞥する。


 「……まぁ、似合ってるな」


 片眉を上げての、短い評価。それでもケイは、トウマに褒められたことが初めてのように胸の奥を熱くし、薄く笑って俯いた。言葉にならない感情が、頰の内側を埋める。トウマの瞳に浮かぶ警戒の色には気付かない、否、気付けない。


 「行こうぜ」


 短く言ってトウマが先に歩き出す。ケイはカーディガンの袖を小さく握りしめ、その背中を追った。

 顎の残した冷たい空気は、まだモールの通路に残っていた。


 

 廃虚に吹く熱風の中で、一弥の放った赤色の炎弾が爆発した。衝撃と共に煙と粉塵が舞い上がる。その中から、神威紫苑の姿が揺らめくように現れた。

 紫苑は紫炎で薄い盾を張り、無傷。プラチナブロンドの髪が夏風に靡き、紫紺の瞳は優しげな笑みを崩さないまま。


 「これは失礼したね。翠にはキツく言っておくよ」


 言葉尻に合わせて、紫炎が鞭のようにしなり、翠の体を打った。翠は右腕でガードするも、苦笑みの下に明らかな痛みが走る。紫苑の炎は、触れた箇所に小さな、しかし深い痛みを残す性質を持っている。


 「僕達は影喰らい、組織の者。虹の一角と器を探していてね。君の炎を奪いたいのさ」


 揺らめく紫炎が触手のように蠢く。一弥は赤い瞳を細め、警戒を解かない。


 「ただ、今この場で君とやり合うつもりはないよ。僕の順番は違うからね」


 灯す炎が紫から黒紫へと深みを増し、紫苑は続ける。


 「目下はそうだね、文字通り影を喰らう者……影淵の者を炙り出しに来たのさ」


 その言葉に、一弥の目つきが鋭くなった。彼もまた、影を喰らう者——影淵の者を追っているのだ。弟を奪った仇。

 紫苑は芝居がかった仕草で右手を伸ばす。


 「共闘するかい?」


 その様子を、後ろから翠がつまらなさそうに見ている。

 一弥は紫苑の手を取らず、低く応じた。


 「……虎は群れんのだ。去れ」


 炎弾を防ぎ、翠を制御する紫苑の底知れぬ実力を、一弥は肌で感じていた。敵対も共闘もしない。そう告げると、彼は纏う炎を消し、瓦礫を超えて廃虚の奥へ歩いていく。

 その背を見送りながら、紫苑は薄い笑みを浮かべ続けた。


 「面白いね、彼。燈火色の狼よりも牙があるよ」


 振り返る紫苑に、翠が右腕の焼かれた部分を見下ろして言った。


 「紫苑の炎はチクチク痛いんだヨ」


 言ったかと思うと、翠は先の一撃を受けた部分を、肉ごと焼いて落とすように炎で処置、処理していく。赤い血と緑の炎が混じる。

 紫苑はそんな翠を見て、静かに告げた。


 「翠。オモチャは用意してあげるから、その時まで待ってね?」


 紫苑の視線を受け、翠はゆっくりと頷いた。


 「……わかったヨ」


 廃虚に再びジジ、と蝉の声だけが残っている。


 夕暮れの街を、蒼司は一人で歩いていた。影を喰う存在がいるのなら、逆に影が消えた痕跡があるはずだ——そう考え、蒼司は影の残滓が薄くなった場所を探していた。

 壁の染み、地面の黒い跡、空気に残る僅かな違和感。梅雨時に影が急激に減ったのは、トウマがこの街に来たからだけではないのではないか。思い返せばまだゲームとして影を狩っていた頃、減少のスピードと数は、自分とトウマの二人分だけでは説明しきれない異常さがあった。

 蒼司の青い瞳が、路地の壁や地面の染みを慎重に追う。イヤホンから音楽は流さず、周囲の音に神経を研ぎ澄ませる。


 (……梅雨時に影が減ったのは、トウマがこの街に来たからだけじゃない……?)


 ふと、路地裏で小さな物音がした。靴音ではない。何かが壁を這う様な、擦れる音。振り返った瞬間、黒い槍のような何かが眼前へと迫った。

 蒼司は咄嗟に身を沈めて避け、反射的に青炎の弾丸を放つ。青い光が路地を疾った。

 だが、炎の弾丸は空を切るばかり。


 「人……違う、影……?」


 蒼司の瞳に映るのは、ゆらりと身体を揺らす小柄な影。炎のように揺らめく黒い陽炎がその全貌を隠し、輪郭を曖昧にしている。

 いつもの影——感情の残滓が実体化しただけの影——とは、明らかに質が違った。


 「いつもの影じゃない……!?」


 黒い人影が片手を伸ばす。指先から黒い棘が散弾のように射出された。狭い路地裏では避けきれない角度と密度。蒼司は同じく炎の散弾で相殺を試みる。青と黒の散弾が互いを喰い合うように路地で交錯し、小さな爆発音が続く。

 しかし、爆発音と共に蒼司は腕と肩に熱い痛みを感じた。上着の袖が裂け、薄い血が滲む。自分が放った散弾よりも、相手の方が多く、強い。

 唇を噛む蒼司だが、その様子を意に介す事なく黒い人影は路地裏の壁と配管を伝い、這いずり飛びかかり、立体的な軌道で蒼司に襲い掛かった。

 上から、横から、死角から。放たれ続ける黒棘の弾丸と槍。

 蒼司は猛攻に苦戦しつつも、致命傷だけは避けていく。人間の動きの範疇を超えた明確な敵の動きに反撃の糸口が見えない。

 炎蛇を召喚しようか——そう考えるも、蒼司は呼吸を整え、精度を高めた一発を撃ち放った。

 青炎の弾丸が、黒い陽炎の隙間を縫って相手の右頬を削る。黒い粒子が飛び散る。

 影が小さく笑った。人の形をした口元が、愉悦のように歪む。それは、更なる猛攻の合図に見えた。

 その時だった。頭上から、赤色の炎が降り注いだのは。

 真紅の光が路地を染め、熱風が黒い陽炎を押し戻す。蒼司は反射的に後ろへ飛び退き、青い瞳で上を見た。

夕暮れの空を背景に、筋骨隆々な影が屋上の縁に立っているのが見える。


 「……オッサン?」





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