二章第四話 揺らめく熱
夏の廃虚に、蝉の声がジジジ、と高く響いた。その声を皮切りに、第二ラウンドが始まる。
翠は両の拳に緑色の炎を纏わせ、対する一弥は上半身を赤い炎で覆っていた。
笑みを深くし、飛び出していく翠。拳打が巨漢へと嵐のように降り注ぐ。鋭く切り裂く性質の炎が拳の軌跡を緑の円弧に変化し、大気が裂かれる音が甲高く響いた。
前後左右、振り下ろした拳から続く、跳ね上がる逆拳。小柄な体躯から繰り出される怪力が一弥の腕と肩へと放たれる。
しかし、一弥はそれを受け、流し、交わし、大振りの一撃に合わせたカウンターの拳を叩き返した。
「あはは!オジサンやるネ!」
赤炎を纏った肘が翠の側頭部を掠め、緑の炎が爆ぜる。翠の猛攻は確かに一弥の体にダメージを与えていた。皮膚が赤く腫れ、薄い火傷の跡が残る。……だが、決定打には届かない。
一弥の足は一歩も大きく後ろへは下がってはいなかった。
翠が目を細める。自分の炎の性質は、切断に特化している。刃物のように鋭く、触れたものを裂く。体質と相まって、受けきる事は難しい筈だった。
一弥の体を覆う赤色の炎は常に小さく爆ぜ続け、パチパチ、バチバチと音を立てている。攻撃が通る瞬間に小さな爆発が起き、衝撃を相殺・軽減していた。リアクティブアーマーのように、炎そのものが防御として機能し、翠の切れ味を殺していたのだ。
「面白いネ……オジサン」
並大抵の攻撃では届かない。ならば、と翠は笑みを更に深くする。確実にダメージを与える為に、両腕に緑炎を凝縮させた。大気が歪み、足元のコンクリートが熱でひび割れる。渾身の一撃を放つべく腰を落とし、踏み込んだ。
その瞬間、第三者の声が廃虚に落ちた。
「翠、そこまでだよ。楽しそうだけどね、止めようか」
声の主は、プラチナブロンドの髪を夏風に靡かせる青年だった。
名は、神威紫苑。細身のシルエットが、崩れた壁の影からゆっくりと歩み出る。紫紺の瞳が、優しく、しかしどこか遠くを見るように二人を捉えていた。
「虹の一角の赤、探してたんだよ」
紫苑が二人の間に割って入る。その影から黒紫の炎が翠の手足を縛ろうと蛇のようにうねる。翠の踏み込みが止まり、緑の炎が揺らめいた。
「邪魔しないでヨ、紫苑」
言葉では拒否するものの、翠は炎を収めた。そのまま不満げな表情で一歩下がる。黒紫の炎がその手首を優しく、しかし確実に拘束する前に、翠は自ら力を抜いていた。
一方、一弥は眼前の二人を警戒し、赤い瞳を細めた。
上半身に残る赤の炎が、警戒するように小さく爆ぜる。
「……なんだ、お前達は」「僕達は影喰い、影を狩る者達さ」
紫苑の答えに、一弥の眉間に皺が寄る。「影を狩る」という言葉が、彼の中の何かを強く刺激したようだった。眼光が鋭くなり、上半身に纏っていた炎をすべて右拳へ移す。赤光が拳に凝縮され、周囲の空気が熱で大きく揺らいだ。
「……影を狩る、か。敵対はしない。だが」
語尾と共に右拳が突き出される。真紅の炎弾が放たれ、二人の目前で激しく爆発した。
「名乗らないままに殴る無礼は詫びるべきだな!」
爆発の音とは対照的に、街の中心部は穏やかな土曜日の賑わいに包まれていた。
トウマのアメリカンバイクの後部座席に、ケイは控えめに腕を回していた。黒いワンピースに黒いカーディガン。黒ずくめの私服だ。ヘルメットの内側で、トウマの背中から伝わる体温が、夏の熱気とは違う熱さとして胸に沁みる。エンジンの振動と、彼の低い声。蒼司と別れた後、二人きりで買い物に出ることになった時から、ケイの心臓は少しだけ早く打っていた。
「服、買うか。夏場の黒は暑いだろ」
トウマの言葉はいつものようにぶっきらぼうで、それでもケイは小さく頷いた。バイクを停め、ショッピングモールの中を並んで歩く。先の戦いの場となった廃モールとは真逆の雰囲気。多くの人が行き交い、冷房の効いた空気が肌に涼しい。
手を繋いではいない。指先が触れることもない。なのに、友人よりも近い距離。はぐれないようにトウマの隣を歩き、彼が時折振り返って自分の位置を確認するたびに、胸の奥が熱くなった。
土曜日だからか、同世代のカップルが多い。手を繋ぎ、肩を寄せ合い、小さな声で笑い合う姿。ケイは気づかぬうちに、そうした二人組に視線を送っていた。自分とトウマも、外から見ればああ見えているのだろうか。それとも、ただの知人にしか見えないのだろうか。考えただけで頰の内側が熱くなる。
「ここで良いだろ」
トウマが立ち止まる。その背中越しに見えるのは、少し格式の高そうなセレクトショップだった。ガラス戸の向こうに、柔らかな色の服が並んでいる。
「柄モンとか似合わねーだろ、ケイ」
そう言うトウマ本人は、黒のタンクトップにカーゴパンツ、柄物の羽織りといういつもの格好だ。その言葉と服装のギャップに、ケイは思わず小さく笑った。口角が、自然に上がる。
この笑い方を、トウマと出会う前の自分は知らなかった。ショッピングモールで服を買う。二人きり。これは——デート、なのだろうか。頭の片隅でその言葉が過った瞬間、胸の奥に小さな泡のような感情が湧き上がる。嬉しい。不安。恥ずかしい。初めての感覚が、ごちゃ混ぜになって鼓動を速くする。トウマがラックから一枚の白いカーディガンを抜き出した。袖口が花弁のように広がった、柔らかなデザイン。彼が自分のサイズを測るように視線を走らせ、それからケイに差し出す。
「試着してみるか? 多分サイズは間違ってねーハズ」
服を受け取る、指先が僅かに触れた。熱を持った指。ケイは息をそっと吸い込み、頷く。トウマが試着室まで案内し、カーテンを閉める仕草は、どこか手慣れていた。その手慣れさに、ケイは高揚した気持ちで気づかない。カーテンの向こうで衣擦れの音がする。白いカーディガンの生地が肌に触れる感触。鏡に映る自分が、いつもより少しだけ柔らかく見える気がした。
カーテンの外で、トウマは壁に背を預けて待っていた。視線を横に流した時、知った顔がそこ、にいた。
藍原顎。紺のストライプスーツに赤いネクタイ。藍色の長い髪が、モールの照明の下で冷ややかに光っている。神経質そうな瞳が、トウマを捉えていた。
試着室の中で、ケイは白いカーディガンの袖をそっと握りしめ、トウマの声がかかるのを待っていた。胸の高鳴りは、まだ収まっていなかった。




