最終章 私を数えて、16人
「……キャプテン、辞めたいです」
その言葉を口にしてから、三日。
何かが劇的に変わったわけではなかった。
スタッフからは、
「分かった。少し考えよう」
そう言われただけ。
だから今日も、新宮楓花はキャプテンだった。
◇
「おはよう!」
「楓花おはよー!」
「今日、全員いる?」
「いる!」
「ほんとに?」
楓花はレッスンルームを見渡す。
一人。
二人。
三人。
四人――。
無意識に数えていた。
いつもの癖。
十五――いや。
15人。
「……よし」
小さく呟く。
「また数えてる」
振り返る。
真姫だった。
「え?」
「みんなのこと。ちゃんと15人いるかなって」
「……癖だから」
「そっか」
真姫は楓花の隣に並んだ。
そして、鏡を見る。
「じゃあ今日は、最後にもう一人だけ数えてあげて」
「もう一人?」
真姫が鏡の中を指す。
そこには、楓花がいる。
「この子」
楓花は一瞬、黙った。
「……昨日から、数えるようにしてる」
「そっか」
真姫は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、16人いるね」
「……うん」
たったそれだけの会話。
でも。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
◇
その日のレッスン。
「楓花、ここ分かんない」
「ごめん。今、自分のところ確認したい」
言ってから、少し怖くなった。
断ってしまった。
キャプテンなのに。
でも。
「了解。あとでお願い!」
それだけだった。
しばらくして、別の子が来る。
「楓花、スタッフさんにこれ聞いてくれる?」
「それ、自分で聞いてみて」
「えー」
「私よりちゃんと説明できるでしょ」
「……確かに」
「そこ納得するな!」
笑いが起きる。
誰も困らなかった。
誰も楓花を嫌いにならなかった。
当たり前なのに。
楓花には、それが少し不思議だった。
15人は、
自分が思っていたより、ずっと強かった。
◇
音楽が流れる。
楓花は鏡を見る。
今日は、15人を見ない。
自分を見る。
足。
腕。
身体の角度。
目線。
一つずつ。
「楓花、そこいい!」
「はい!」
嬉しい。
やっぱり。
踊ることが好きだ。
もっと上手くなりたい。
もっと前へ行きたい。
また選抜に入りたい。
誰かを支えるだけじゃない。
自分だって、アイドルとして見つけてもらいたい。
その気持ちを、
もう「キャプテンだから」で消したくなかった。
◇
レッスン後。
「楓花、ちょっといい?」
スタッフに呼ばれた。
前と同じ面談室。
「キャプテンのこと、考えた?」
「……はい」
「どうしたい?」
三日前なら、
「辞めたい」
と答えていた。
今も、あの気持ちが嘘だったとは思わない。
あのときは本当に、辞めたかった。
「私……」
楓花はゆっくり言った。
「キャプテンが嫌だったわけじゃないんです」
「うん」
「むしろ、好きだったと思います」
15人を見ること。
誰かの変化に気づくこと。
頼ってもらえること。
一緒に悩むこと。
全部、大切だった。
「でも私、キャプテンをやるなら、自分のことは後回しにしなきゃいけないって、勝手に思ってました」
「うん」
「だから……疲れたんだと思います」
「じゃあ、どうしたい?」
楓花は考えた。
「まだ、分かりません」
以前なら、言えなかった答え。
「続けたいのか、辞めたいのかも、ちゃんと考えたいです」
「うん」
「でも――」
顔を上げる。
「今度は、一人で決めたくないです」
「どうする?」
「15人にも、話します」
◇
その日の夜。
レッスンルーム。
楓花が前に立つ。
15人が床に座っている。
「えー、皆さん」
「何?」
「改まって」
「結婚発表?」
「なんで!?」
笑いが起きる。
「……ちょっと真面目な話」
空気が変わった。
楓花は15人を見る。
怖い。
選抜発表より、ずっと緊張する。
「私ね」
一度、息を吸う。
「キャプテン、辞めたいってスタッフさんに言った」
沈黙。
「……え?」
こはるだった。
「なんで?」
楓花は、いつものように笑おうとした。
でも。
やめた。
今日は、笑って誤魔化さない。
「疲れたから」
言った。
「私、疲れた」
たったそれだけなのに、喉が痛かった。
「みんなのこと見るの、嫌じゃないよ」
「……うん」
「頼ってもらえるのも嬉しい」
「うん」
「キャプテンも、本当は好き」
声が震える。
「でも……」
楓花は自分の手を見る。
「私も、アイドルなの」
誰も動かなかった。
「私も選抜入りたいし」
「……うん」
「前に行きたいし」
「うん」
「見つけてもらいたい」
ずっと閉じ込めていた言葉だった。
「みんなが選ばれたら嬉しい。でも……羨ましいって思う」
声が小さくなる。
「選抜落ちたの、めちゃくちゃ悔しかった」
「うん」
「本当はあの日……」
こはるを見る。
「私も泣きたかった」
こはるの目が揺れた。
「でも、私が泣いてたから……?」
「違う」
楓花はすぐに首を振った。
「こはるのせいじゃない」
「でも――」
「私が勝手に決めたの」
胸に手を置く。
「キャプテンだから、泣いちゃダメって」
◇
誰かが困っていたら、
助けなきゃ。
誰かが泣いていたら、
自分は笑わなきゃ。
みんなが不安なら、
「大丈夫」って言わなきゃ。
「ずっと、そう思ってた」
楓花は言う。
「でも気づいたら……」
15人を見る。
「私が大丈夫じゃなくなったとき、どうすればいいのか分かんなくなってた」
静かな部屋に、楓花の声だけが響く。
「泣こうと思っても、泣けなくて」
声が震える。
「つらいって言うのも、下手になって」
それでも、逃げなかった。
「だから……」
ずっと言えなかった言葉を、ついに口にする。
「助けてほしい」
沈黙。
「私も、たまには……」
唇が震えた。
「みんなに甘えたい」
◇
しばらく、誰も何も言わなかった。
楓花は怖くなった。
やっぱり、言わなきゃよかった。
キャプテンなのに――。
「だから、最近ずっと苦しそうだったんだね」
顔を上げる。
真姫だった。
「……分かってたの?」
「全部は分からなかったよ」
真姫は少し困ったように笑った。
「でも、『大丈夫』って言うときの楓花が、全然大丈夫そうじゃないことくらいは」
「……言ってよ」
「言ったよ。何回も」
「……そうだっけ」
「そのたびに『大丈夫!』って笑うんだもん」
「あ……」
思い当たる。
何度も。
真姫は責めなかった。
ただ、楓花の近くへ座った。
「でも、今日言ってくれてよかった」
「……うん」
「私もね」
真姫は少しだけ視線を落とした。
「一人で抱えるのが優しさだって、思ってたことあるから」
楓花が真姫を見る。
「だから分かるよ」
真姫は笑った。
「頼るのって、意外と難しいよね」
その言葉は、
正論でも、慰めでもなかった。
同じ場所を通ってきた人の言葉だった。
「でも」
真姫は15人を見る。
そして、楓花を見る。
「楓花が私たちのこと見てくれてた分くらい」
優しく言った。
「これからは、私たちにも楓花を見させてよ」
楓花は何も言えなかった。
ただ、小さく頷いた。
◇
「私も」
声が上がった。
「楓花に頼りすぎてたかも」
「私も」
「気づけなくてごめん」
「もっと早く言ってよ」
「楓花だってメンバーじゃん」
「たまには頼る側やって」
「というか末っ子でしょ?」
「そうだよ!」
楓花が反応した。
「私、末っ子なんだから!」
一瞬。
沈黙。
「……そこ?」
「急に末っ子アピール!」
「いや大事でしょ!」
「今!?」
笑いが起きる。
楓花も笑った。
「私だって甘えたいときくらいあるんだよ!」
「甘えればいいじゃん!」
「言わなきゃ分かんないよ!」
「知らないよ!」
「キャプテン面倒くさ!」
「誰!いま面倒くさいって言ったの!」
笑い声が、レッスンルームいっぱいに広がった。
◇
その中で、こはるが楓花の前へ来た。
「楓ちゃん」
「何?」
「あの日」
選抜発表の日。
「私の隣にいてくれて、ありがとう」
「……うん」
「私、本当に嬉しかった」
「うん」
「でも」
こはるが笑う。
「次は、一緒に泣こうね」
楓花の笑顔が止まった。
胸の奥が熱くなる。
「……うん」
泣きそうだった。
でも。
まだ、涙は出なかった。
◇
少しして、莉歌が聞いた。
「で、キャプテンどうするの?」
「今聞く!?」
「大事でしょ」
楓花は15人を見る。
「……まだ分かんない」
「え?」
「続けるか、辞めるか。まだ分かんない」
正直に言った。
「みんなは、どう思う?」
初めて、
15人に聞いた。
「続けてほしい」
一人が言った。
「私も」
「楓花がいい」
「私も」
「私も」
次々に声が上がる。
「でも私、ぽんこつだよ?」
「知ってる」
「連絡間違えるよ?」
「知ってる」
「円陣の掛け声ダサいよ?」
「それは改善して」
「なんで!?」
笑い声。
莉歌が言った。
「完璧だから楓花がキャプテンなんじゃないでしょ」
「……え?」
「15人のこと、ちゃんと見てくれるから」
楓花は俯いた。
「でも、それで自分がいなくなったら意味ないじゃん」
そのとき。
真姫が楓花の隣へ来た。
「楓ちゃん」
「ん?」
「15人のこと、これからも見ててほしい」
「……うん」
「私も、見てもらいたいし」
真姫は笑う。
「でもね」
鏡を指した。
そこには、
15人に囲まれた楓花がいる。
「楓ちゃんが見なきゃいけない最後の一人、忘れないでね」
「……私?」
「うん」
真姫は頷いた。
「楓ちゃんまで入れて、Rain Crownは16人だから」
楓花の目が揺れた。
「……それ、ずるい」
「何が?」
「泣きそうになる」
真姫は、ふっと笑った。
「いいじゃん」
そして、
優しく言った。
「泣けるなら、泣いていいよ。今日は15人いるから」
「……何それ」
「楓ちゃんが泣いてる間くらい、私たちがキャプテンやるから」
「15人で?」
「うん」
真姫は周りを見る。
「15人もいれば、一人分くらいなんとかなるでしょ」
「多すぎでしょ」
楓花は吹き出した。
「じゃあ」
真姫が言う。
「頼って」
楓花は15人を見る。
そして。
「……うん」
今度は、
ちゃんと言えた。
◇
「じゃあ……」
楓花は少し考えた。
「一個だけ条件」
「何?」
「私も頼る」
「どうぞ」
「弱音も吐く」
「どうぞ」
「選抜落ちたら普通に悔しがる」
「当たり前」
「疲れたら、疲れたって言う」
「絶対」
「それから……」
少し照れる。
「甘える」
「どうぞどうぞ」
「うるさい!」
また笑う。
そして、楓花は15人を見る。
「だから、もう少しだけ、キャプテンやってみてもいい?」
15人の声が重なった。
「お願いします!」
楓花は深く頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
顔を上げる。
15人が笑っている。
その真ん中に、自分もいた。
◇
数週間後。
次の選抜発表。
16人が並ぶ。
楓花は手を握った。
怖い。
でも。
入りたい。
今度こそ。
そう思っていい。
名前が呼ばれていく。
一人。
二人。
三人。
四人。
そして。
「新宮楓花」
「……はい!」
顔を上げた。
選ばれた。
胸の奥から、喜びが込み上げる。
以前なら、真っ先に15人の顔を見ただろう。
誰かが傷ついていないか。
誰かが泣いていないか。
でも今日は。
ほんの数秒だけ、自分のために使った。
「……やった」
小さく呟く。
嬉しい。
ちゃんと、嬉しい。
それから隣を見る。
選ばれなかった子が、俯いている。
目が合った。
楓花は何も言わず、そっと手を差し出した。
少女が握る。
強く。
楓花も握り返した。
嬉しい。
悔しい。
喜びたい。
泣きたい。
全部、同じ場所にあっていい。
誰かの涙のために、自分の笑顔を消さなくていい。
自分の笑顔のために、誰かの涙を見ないふりもしなくていい。
ようやく、それが分かった。
◇
二度目の選抜レッスン。
楓花は鏡の前に立つ。
音楽が流れる。
踊る。
「楓花、そこいい!」
「はい!」
嬉しい。
もっと。
もっと踊りたい。
もっと上手くなりたい。
「もう一回お願いします!」
その声は、
キャプテンの声ではなかった。
一人のアイドル。
新宮楓花の声だった。
◇
レッスン終了。
「帰ろー!」
「お腹空いた!」
「何食べる?」
「楓花決めて!」
「また私!?」
「キャプテン!」
「そういうときだけ使うな!」
笑いながら、
15人が廊下へ出ていく。
楓花は、
いつものように数える。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
七人。
八人。
九人。
十人。
十一人。
十二人。
十三人。
十四人。
十五人。
「……15」
全員いる。
そして。
鏡を見る。
そこには、笑っている自分。
楓花は、その子を見つめる。
「……16」
初めて。
最後の一人まで、ちゃんと数えた。
◇
「楓花ー!」
「早く!」
「置いてくよ!」
「待って!」
楓花は走る。
そして――
何もないところで、
盛大につまずいた。
「痛っ!」
「キャプテン!?」
「大丈夫!?」
「なんで何もないところで転ぶの!?」
「何もないところじゃない!」
「何があったの?」
楓花は床を指差した。
「……床!」
一瞬の沈黙。
そして。
「床はあるに決まってんだろーがよぉ!」
「私の口癖取らないで!」
爆笑。
楓花も笑う。
「もう!」
立ち上がる。
そして、15人の真ん中へ走っていく。
◇
キャプテンだから、
強くなくていい。
キャプテンだから、
泣かなくていいわけでもない。
迷っていい。
悔しがっていい。
誰かを羨ましいと思っていい。
甘えていい。
楓花は、
ようやく知った。
キャプテンとは、
15人の前に立つ人ではない。
15人を後ろから支える人でもない。
16人の中にいる、一人のアイドル。
ただ、
少しだけ周りをよく見て。
誰かが立ち止まったら、
「一緒に行こう」
と言える人。
そして。
自分が立ち止まったときには、
「待って」
と言っていい人。
◇
その夜。
楓花はベッドの中で、
選抜発表の動画を見ていた。
『新宮楓花』
巻き戻す。
『新宮楓花』
もう一度。
『新宮楓花』
「……へへ」
ニヤける。
「私じゃん」
当たり前なのに、嬉しい。
スマートフォンが鳴った。
グループチャット。
『楓花、選抜おめでとう!』
『おめ!』
『キャプテン頑張れ』
『でも無理すんな』
『今度はちゃんと頼れよ』
『末っ子なんだから甘えていいよ笑』
次々と届く。
最後に、真姫から。
『今日はちゃんと16人いた?』
楓花は笑った。
返信する。
『いたよ』
少し考える。
そして、
もう一言。
『私もいた』
送信。
すぐに既読がついた。
真姫から返ってきた。
『よかった』
たった四文字。
なのに。
胸の奥が、ふっと緩んだ。
「……ありがとう」
その瞬間。
頬に、
何かが落ちた。
「……え?」
指で触れる。
涙だった。
もう一滴。
また一滴。
止まらない。
「……なんで今なの」
選抜に落ちた日も。
一人で練習した夜も。
「辞めたい」と言った日も。
出なかった涙。
なのに。
今になって、次々と溢れてくる。
悲しいわけじゃない。
悔しいわけでもない。
ただ。
嬉しかった。
安心した。
自分が15人を支え続けなくても、
15人はちゃんとそこにいる。
そして。
自分が弱くても、
泣いても、
その15人のところへ帰っていける。
それが、たまらなく嬉しかった。
楓花は、涙を拭かなかった。
「……遅いって」
泣きながら笑う。
今夜くらい、このままでいい。
15人を数えることから始まった、
新宮楓花のキャプテン生活。
最後に足りなかった一人を、
ようやく見つけた。
それは、ずっと一番近くにいた。
鏡の中の、自分だった。
泣いても。
弱くても。
選ばれなくても。
キャプテンじゃなくても。
新宮楓花は、ちゃんとここにいる。
Rain Crownの、16人目として。
そして――
15人に見守られる、一番甘え下手な末っ子として。
ーー完ーー




