第三章 16人目を忘れていた
選抜に落ちてから、一か月。
楓花は以前より忙しくなっていた。
選抜ではない。
それなのに、忙しかった。
「楓花、今日の進行確認お願い」
「はい!」
「このあと取材あるから、みんなまとめておいて」
「分かりました!」
「次のイベント、代表コメント楓花ね」
「はい!」
キャプテンだから。
呼ばれる。
任される。
頼られる。
それは嬉しいことのはずだった。
でも。
ときどき思う。
――私、アイドルなんだよね。
◇
選抜メンバーが撮影の日。
残ったメンバーは通常レッスンだった。
鏡の前には、いつもより少ない人数。
「はい、もう一回!」
音楽が流れる。
楓花は踊る。
今度こそ、自分のダンスに集中する。
もっと上手くなりたい。
次は選ばれたい。
そのために――。
「楓花!」
「はい!」
「そこ、すごくいい」
「……本当ですか?」
「うん。その感じ」
嬉しかった。
久しぶりだった。
「ありがとうございます!」
自然と笑顔になる。
もっと。
もう一回。
もっと踊りたい。
そのとき。
「ごめん、楓花」
スタッフに呼ばれた。
「はい?」
「ちょっとこっち来てもらえる?」
「今ですか?」
「次のイベントのことで確認したくて」
「あ……はい」
楓花は鏡を見る。
「すみません。抜けます」
レッスン場を出た。
◇
打ち合わせは、30分続いた。
メンバーの集合時間。
当日の流れ。
MC。
注意事項。
「このへん、みんなにも共有お願い」
「はい」
「助かる。楓花がキャプテンでよかった」
「ありがとうございます」
嬉しい。
はずなのに。
レッスン場へ戻ると、音楽は止まっていた。
「お疲れさまでした!」
終わっていた。
「……あ」
鏡を見る。
さっきまで自分が立っていた場所。
誰もいない。
「楓花?」
「ん?」
「帰ろ」
「……うん」
笑う。
「帰ろっか」
誰も悪くない。
スタッフも。
メンバーも。
キャプテンを引き受けた自分も。
だからこそ、どこにもぶつけられなかった。
◇
それから数日後。
選抜メンバーの新しい写真が公開された。
楓花はグループチャットに送る。
『みんなかわいい!!』
すぐに返事。
『ありがとう!』
『楓花ママ』
『誰がママだ!』
笑いながらスマートフォンを閉じる。
そして。
一人になってから、もう一度写真を開いた。
真姫。
莉歌。
選ばれたメンバーたち。
かわいい。
本当に。
嬉しい。
応援したい。
でも。
「……いいな」
声が漏れた。
その瞬間、楓花は自分が嫌になった。
「最低」
仲間なのに。
キャプテンなのに。
喜ばなきゃいけないのに。
でも。
もう一度写真を見る。
「……私も、そこにいたかった」
それも本当だった。
◇
翌日。
「楓ちゃん!」
一人のメンバーが駆け寄ってきた。
「聞いて!」
「何?」
「仕事決まったの!」
「え!」
自分のことのように嬉しかった。
「すごいじゃん!」
「やばい! どうしよう!」
「喜べ!」
「怖い!」
「どっち!?」
二人で笑う。
「楓ちゃんに最初に言いたかった」
「なんで?」
「だって、一番喜んでくれそうだから」
楓花は一瞬、言葉を失った。
そして。
「……当たり前じゃん」
笑った。
嬉しかった。
頼られることが。
一番に報告してもらえることが。
でも同時に。
胸の奥で、小さな声がした。
――私の嬉しいことは、誰に一番に言えばいいんだろう。
そしてすぐに、その声をかき消した。
◇
ある日のレッスン。
こはるが失敗した。
何度も。
何度も。
「ごめんなさい!」
音楽が止まる。
「こはる、集中して」
「はい!」
もう一度。
また間違える。
「すみません!」
休憩に入った瞬間、こはるは足早に部屋を出ていった。
楓花は追いかけた。
廊下の端。
こはるがしゃがみ込んでいる。
「こはる」
「来ないで」
「来た」
「なんで」
「キャプテンだから」
口にしてから、自分で少し嫌になった。
こはるが顔を上げる。
「……それ、ずるい」
「え?」
「何でもキャプテンだからって言う」
楓花の表情が止まった。
真姫にも言われた。
――それ、便利な言葉だね。
「別に……」
「楓ちゃんは?」
「何が?」
「最近、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
「ほら」
こはるが言った。
「またそれ」
楓花は笑った。
「ほんとに大丈夫だから」
「じゃあ」
こはるは真っ直ぐ楓花を見る。
「選抜落ちたの、もう悔しくない?」
言葉が止まった。
「……それは」
「次、絶対入りたいって思ってない?」
「……」
「みんなが選ばれて、羨ましいって思ったことない?」
「やめて」
自分でも驚くほど低い声が出た。
こはるが黙る。
楓花も驚いた。
「……ごめん」
すぐに笑おうとする。
「違うの。こはるが悪いんじゃなくて――」
「なんで謝るの?」
「え?」
「怒っていいじゃん」
「怒ってないよ」
「今、怒ったじゃん」
「怒ってないって!」
思ったより大きな声が出た。
廊下に響く。
二人とも黙った。
楓花は俯いた。
「……ごめん」
また。
謝った。
◇
その夜。
楓花は一人で帰った。
イヤホンもつけなかった。
電車の窓に、自分の顔が映る。
疲れている。
「……何やってんだろ」
こはるを励ますつもりだった。
なのに。
怒った。
傷つけた。
キャプテンなのに。
その言葉が浮かぶ。
――キャプテンなのに。
まただ。
何か失敗するたびに、その言葉で自分を責める。
じゃあ。
キャプテンじゃなかったら?
怒っていい?
泣いていい?
羨ましいって言っていい?
「私も選抜入りたい」って、大きな声で言っていい?
電車の窓の自分は、何も答えない。
◇
翌日。
「昨日ごめん」
楓花は、こはるに頭を下げた。
「私もごめん」
「こはる悪くないよ」
「でも」
「ほんとに」
まただ。
自分が悪ければ、それで終わる。
そうすれば誰も傷つかない。
「楓ちゃん」
「ん?」
「私ね」
こはるが言った。
「楓ちゃんが怒ったの、ちょっと嬉しかった」
「……は?」
「やっと人間っぽかった」
「どういう意味!?」
思わず笑う。
こはるも笑った。
でも。
「もっと怒っていいと思う」
その言葉だけは、笑えなかった。
◇
数日後。
スタッフとの面談があった。
「最近どう?」
「大丈夫です」
いつもの答え。
「キャプテンは?」
「みんな頑張ってます」
「いや、みんなじゃなくて楓花」
「……私?」
「そう」
困った。
何を話せばいいのか分からない。
「ダンスはもっと頑張りたいです」
「うん」
「次は選抜も入りたいです」
「うん」
「あと、みんながもっと――」
「楓花」
遮られた。
「また、みんなの話になってる」
言葉が止まる。
「楓花自身は?」
「……」
分からなかった。
何を答えればいい?
自分はどうしたい?
キャプテンとしてじゃなく。
Rain Crownのためでもなく。
15人のためでもなく。
新宮楓花は――。
「……分かりません」
初めて、そう答えた。
◇
沈黙。
スタッフは急かさなかった。
「分からなくてもいいよ」
その一言で。
なぜか、胸の奥が苦しくなった。
「でも」
楓花は言う。
「私が分からなかったら、ダメじゃないですか」
「どうして?」
「キャプテンだから」
また。
スタッフは静かに聞いた。
「楓花にとって、キャプテンって何?」
答えようとした。
みんなをまとめる人。
支える人。
誰かが困っていたら助ける人。
一番周りを見る人。
大丈夫と言う人。
でも。
その全部を口にしようとした瞬間、息が詰まった。
「……分かんない」
声が震えた。
「私、何のためにキャプテンやってるんだろ」
初めて出た言葉だった。
◇
スタッフは黙って待っている。
楓花は膝の上で手を握る。
「私……」
喉が痛い。
それでも続けた。
「アイドルやりたいんです」
「うん」
「もっと踊りたいし」
「うん」
「選抜にも入りたいし」
「うん」
「見つけてもらいたい」
言葉にするたび、閉じ込めていたものが出てくる。
「でも、みんなのことも大事で」
「うん」
「誰かが泣いてたら放っておけないし」
「うん」
「頼られたら嬉しいし」
「うん」
「キャプテンも……嫌いじゃない」
そこで。
楓花は止まった。
嫌いじゃない。
むしろ。
好きだった。
15人が自分を頼ってくれること。
「楓花」と呼んでくれること。
大切だった。
だから余計に苦しい。
「……でも」
小さく息を吸う。
「疲れました」
初めて言った。
◇
涙は出ない。
やっぱり。
でも。
声だけが震えていた。
「キャプテンじゃなかったら」
言葉が落ちる。
「もっと自分のこと考えてもいいのかなって」
スタッフは何も言わない。
「選抜落ちたら、普通に悔しいって言って」
「うん」
「誰かが選ばれたら、羨ましいって思って」
「うん」
「疲れたら、疲れたって言って」
「うん」
「誰かに……」
楓花の声が止まる。
ずっと言えなかった言葉。
「……甘えても、いいのかなって」
末っ子だった。
本当なら、甘える側だった。
でもRain Crownでは、
いつの間にか15人に頼られる側になっていた。
「私だって……」
声が小さくなる。
「たまには誰かに、大丈夫って言ってほしい」
それでも。
涙は出なかった。
◇
長い沈黙のあと。
スタッフが聞いた。
「楓花は、どうしたい?」
楓花は俯いた。
本当は。
キャプテンが嫌なわけじゃない。
15人が嫌なわけでもない。
アイドルを辞めたいなんて、一度も思ったことはない。
ただ。
少しだけ。
疲れた。
だから。
口を開いた。
「……キャプテン」
一度、言葉が止まる。
それでも。
続けた。
「辞めたいです」
言ってしまった。
静かな部屋に、その言葉だけが残った。
楓花は俯いたまま、スタッフの顔を見ることができなかった。
◇
その日のレッスン。
「楓花ー!」
「ここ教えて!」
「今日の確認した?」
「キャプテン!」
いつもと同じ。
楓花は笑う。
「はいはい!」
誰も知らない。
数時間前、自分がキャプテンを辞めたいと言ったことを。
真姫が遠くから楓花を見る。
一瞬だけ、目が合った。
「……何?」
「ううん、別に」
真姫はそれ以上言わなかった。
◇
レッスン後。
いつものように、楓花は15人を見送る。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
七人。
八人。
九人。
十人。
十一人。
十二人。
十三人。
十四人。
十五人。
「……15」
全員いる。
今日も。
ちゃんと。
そのとき。
扉の向こうから声がした。
「楓花!」
「何?」
「早く!」
「今行く!」
いつもなら、
すぐに走っていく。
でも。
今日は一瞬だけ、
鏡を見た。
そこにいる、
16人目。
新宮楓花。
「……」
初めて。
その子から、目を逸らさなかった。
そして、小さく呟いた。
「……私もいる」
その言葉だけで、胸が痛くなった。
泣きたかった。
でも、まだ涙は出なかった。
だから楓花は、笑わなかった。
ただ、鏡の中の自分を見ていた。
◇
15人を大切にしたかった。
それは、間違いじゃなかった。
キャプテンでいたことも。
誰かを支えたことも。
全部、本物だった。
ただ一つ、忘れていた。
Rain Crownは16人。
そして――
新宮楓花も、その16人の一人だった。
キャプテンを辞めたい。
その言葉は、
15人を捨てたいという意味ではない。
きっと。
ずっと置き去りにしてきた、
16人目の自分を迎えに行くための言葉だった。
ーー続くーー




