第二章 キャプテンは、泣かない
キャプテンになって、しばらく経った頃。
新宮楓花は、初めて選抜メンバーに選ばれた。
◇
「新宮楓花」
名前を呼ばれた瞬間。
「……はい!」
少し遅れて返事をした。
聞き間違いかと思った。
選抜。
私が?
隣から小さく、
「楓花、おめでとう」
と聞こえた。
「ありがと」
笑った。
嬉しかった。
キャプテンだからじゃない。
15人をまとめているからでもない。
一人のアイドル――新宮楓花として選ばれた。
それが、何より嬉しかった。
◇
初めての選抜レッスン。
立ち位置は、決して前ではなかった。
それでも。
フォーメーション表に自分の名前がある。
何度も見た。
「そんな見る?」
となりで真姫が笑う。
「だって消えるかもしれないじゃん」
「消えないよ」
「ほんと?」
「印刷されてるから」
「そういう意味じゃない!」
二人で笑った。
レッスンが始まる。
「楓花、そこいいね」
スタッフから声が飛ぶ。
「はい!」
ダンスを褒められた。
胸が弾んだ。
キャプテンとして、
「ありがとう」
と言われることは増えた。
でも。
アイドルとして、
「いいね」
と言われることは――こんなに嬉しいんだ。
初めて知った。
◇
新曲が公開された。
ライブも終わった。
SNSには少しずつ反応が流れてきた。
『キャプテンの子、ダンス綺麗』
『新宮楓花ちゃん気になる』
『後ろにいる赤青の長身の子、目を引く』
楓花は何度も画面を見た。
「……私だ」
当たり前なのに、嬉しかった。
誰かが、自分を見つけてくれた。
「何ニヤニヤしてるの?」
莉歌が隣から覗き込む。
「見ないで!」
「自分の名前検索してる?」
「してない!」
「してるじゃん」
「ちょっとだけ!」
莉歌が笑う。
楓花も笑った。
もっと踊りたい。
もっと前へ行きたい。
もっともっと見つけてもらいたい。
初めてそんな欲が、自分の中にあることを知った。
◇
数か月後。
次回作の選抜発表。
16人が並んだ。
前回とは違う。
楓花は、一度その場所を知っている。
名前を呼ばれる喜び。
選抜衣装。
選抜だけのレッスン。
ステージから見た景色。
そして――
自分を見つけてもらえる嬉しさ。
だから。
期待していた。
――今回も、入りたい。
一人目。
名前が呼ばれる。
二人目。
三人目。
まだ。
四人目。
五人目。
楓花は膝の上で手を握った。
――大丈夫。
六人目。
そして。
「以上です」
「……え」
一瞬、意味が分からなかった。
自分の名前が呼ばれていない。
――なんで?
最初に浮かんだのは、それだった。
もっと頑張れた?
何が足りなかった?
前回は選ばれたのに。
今回は、どうして?
胸の奥から何かが込み上げてくる。
悔しい。
嫌だ。
もう一回、あそこに立ちたかった。
もっと見てほしかった。
――泣きそう。
そう思った、そのとき。
隣から、小さく鼻をすする音がした。
朝比奈こはるだった。
俯いている。
その向こうにも、唇を噛んでいる子がいる。
反対側には、選ばれたのに
喜んでいいのか分からない顔をしている子。
楓花は、自分の涙を飲み込んだ。
「こはる」
声をかける。
「……何?」
「こっちおいで」
「大丈夫」
楓花は少し笑った。
「それ、私の台詞」
「……大丈夫だから」
「じゃあ、隣にいるだけ」
壁際に座る。
しばらくして。
こはるが泣き始めた。
「入りたかった……」
「うん」
「今回こそって思ってた」
「うん」
楓花は背中をさする。
自分も同じだった。
入りたかった。
今回も。
悔しい。
でも。
――私は、あとでいい。
そう思った。
◇
少しして、こはるが顔を上げた。
「……楓花は?」
「ん?」
「楓花も、落ちたじゃん」
楓花の手が止まる。
「うん」
「悔しくないの?」
「……悔しいよ」
「じゃあ、なんで泣かないの?」
答えられなかった。
泣きたい。
本当は、今すぐ泣きたい。
前回の景色を知っているからこそ、
そこから外れたことが苦しかった。
でも。
目の前では、こはるが泣いている。
だから楓花は笑った。
「……今は、こはるの話」
「何それ」
「いいの」
「よくない」
「いいから」
また背中をさする。
こはるは、少し不満そうだった。
◇
翌日。
「楓ちゃん」
真姫に呼び止められた。
「何?」
「昨日、大丈夫だった?」
反射的に答えそうになる。
大丈夫。
でも。
少しだけ止まった。
「……悔しかった」
真姫が頷く。
「うん」
「入りたかった」
「うん」
「前回、すごく楽しかったから」
言葉にすると、胸が痛んだ。
「もう一回、あそこにいたかった」
真姫は黙って聞いている。
「でも」
楓花は笑った。
「みんなも悔しかったから」
「それ、関係ある?」
「え?」
「みんなが悔しかったら、楓ちゃんは悔しがっちゃダメなの?」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあ、昨日泣けばよかったじゃん」
楓花は少し困った。
「泣かないよ」
「なんで?」
「だって……」
口から出た。
「キャプテンだから」
真姫は、少し黙った。
そして。
「それ、便利な言葉だね」
楓花の笑顔が止まった。
「……どういう意味?」
「楓ちゃんが我慢するとき、いつもそれ言うから」
胸に刺さった。
「別に我慢してないよ」
「そっか」
「うん」
「じゃあいいけど」
真姫はそれ以上言わなかった。
その優しさが少しだけ苦しかった。
◇
選抜レッスンが始まった。
当然、楓花はいない。
通常レッスンの日。
以前、自分が選抜として踊った曲が流れた。
身体が勝手に動く。
ここで前へ出る。
ここでターン。
ここで目線。
全部覚えている。
鏡の中に数か月前の自分が見える気がした。
選抜衣装を着て。
緊張しながら。
それでも嬉しそうに踊っている自分。
「……戻りたい」
小さく漏れた。
誰も聞いていない。
「私だって、もう一回あそこにいたいよ」
キャプテンじゃなく。
一人のアイドルとして。
◇
それでも日常は続く。
「楓花、ここの振付分かんない」
「どこ?」
「ここ」
「それ右から」
「楓花、今日元気ない?」
「大丈夫!」
「楓花、これスタッフさんに聞いていい?」
「私が聞いとく」
「楓花」
「楓ちゃん」
「楓花!」
呼ばれる。
頼られる。
嬉しい。
本当に嬉しい。
だからこそ、自分の気持ちは後でいいと思った。
◇
ある日のダンスレッスン。
「楓花、違う」
「はい!」
もう一度。
「そこ遅れてる」
「はい!」
もう一度。
「違う!」
音楽が止まった。
「楓花、今日どうした?」
「すみません」
「全体ばっかり見てない?」
図星だった。
隣の子の立ち位置。
後ろの子のタイミング。
フォーメーション。
気づけば、全部を見ていた。
「キャプテンだからって、全体ばかり見なくていい。まず自分の振付をちゃんとやって」
「……はい」
痛かった。
自分だってダンスが好きなのに。
自分だって上手くなりたいのに。
「もう一回お願いします」
音楽が始まる。
今度は自分を見る。
でも、できない。
焦る。
また間違える。
悔しい。
そのとき。
「……無理かも」
後ろから声が聞こえた。
一人のメンバーが座り込んでいた。
目に涙を溜めている。
楓花は――
気づけば、その子の前にしゃがんでいた。
「どうした?」
「全然できない」
「大丈夫」
「でも……」
「一緒にやろ」
「楓花も練習あるでしょ」
「私もできてないから、一緒にやるの」
少女が少し笑った。
「……キャプテンなのに?」
「キャプテンだからってダンス上手くなるわけじゃないから!」
二人で笑った。
休憩が終わる。
結局、楓花は自分だけの練習をできなかった。
◇
レッスン終了。
「お疲れさまでした!」
一人。
また一人。
帰っていく。
「楓花、帰ろ」
「ごめん。今日ちょっと残る」
「無理しないでね」
「大丈夫!」
扉が閉まる。
静かになった。
楓花は鏡の前に立った。
音楽を流す。
踊る。
間違える。
戻す。
また踊る。
また間違える。
「……違う」
もう一回。
身体が重い。
「違うって……」
音楽を止めた。
静寂。
鏡の中に、一人。
誰もいない。
誰のことも気にしなくていい。
今なら。
キャプテンじゃなくてもいい。
ただの新宮楓花でいい。
「……悔しい」
声にする。
選抜に落ちたこと。
今日踊れなかったこと。
自分より前へ進んでいく誰かを羨ましいと思ったこと。
全部。
「私だって、選ばれたいよ」
声が震えた。
「もっと踊りたい」
「もっと前に行きたい」
「私だって……見てほしい」
誰にも言えなかった本音。
やっと言えた。
だから。
もう泣いていい。
楓花は目を閉じた。
「……」
でも。
涙は出なかった。
「あれ?」
目を擦る。
悔しい。
苦しい。
悲しい。
泣きたい。
なのに――
何も出てこない。
「……なんで?」
鏡を見る。
笑ってみる。
できた。
いつもの顔。
「大丈夫」
言える。
もう一度。
「大丈夫」
簡単だった。
でも。
「……つらい」
その言葉だけが、ひどく下手だった。
楓花は鏡の前に座り込んだ。
膝を抱える。
そして、小さく呟いた。
「……私、どうやって泣くんだっけ」
◇
翌日。
誰にも言わなかった。
「おはよう!」
「キャプテンおはよー!」
「楓花、これ確認して!」
「はいはい」
「今日の集合何時?」
「連絡見て!」
「教えてよー」
「自分で見なさい!」
笑い声。
いつものRain Crown。
いつもの新宮楓花。
誰も気づかない。
いや。
気づかせなかった。
◇
レッスン後。
楓花は、いつものようにみんなを見送った。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
「また明日!」
六人。
七人。
八人。
九人。
十人。
「楓花も早く帰りなよ!」
「分かってる!」
十一人。
十二人。
十三人。
十四人。
最後に真姫が扉の前で振り返る。
「楓ちゃん」
「何?」
「……大丈夫?」
まただ。
楓花は笑った。
「大丈夫!」
真姫はしばらく楓花を見ていた。
でも。
「……そっか」
扉が閉まる。
静かになる。
楓花は、小さく息を吐いた。
そして。
「……15」
今日も全員いる。
全員、ちゃんと帰った。
よかった。
そう思ってから、鏡を見る。
そこには、一人だけ残っている。
新宮楓花。
でも。
楓花は、その一人を数えなかった。
◇
15人が大丈夫なら、それでいい。
いつからか、それが楓花にとっての
「キャプテン」になっていた。
選抜に落ちても。
悔しくても。
泣きたくても。
15人が前を向けるなら、自分は笑っていればいい。
そう思っていた。
まだ、知らなかった。
一度知った「選ばれる喜び」も。
選ばれなかった悔しさも。
甘えたい気持ちも。
泣きたい夜も。
全部を「キャプテンだから」で閉じ込め続ければ――
いつか「大丈夫」と笑うことしかできなくなる。
そして。
泣かないことと、
泣けないことは、
まったく違うということを。
ーー続くーー




