第5話「優越者」
その日の夜。
俺は、パピルに抱きつかれていた。
「パピルさん。そろそろ寝ませんか」
「…………」
「せめて、ベッドから降りてくれませんか」
「…………」
無視。
悲しい。
事の顛末を説明すると、ベッドに座っていて、明日の準備をしていたところ、パピルが部屋に押し入ってきた。
慌てて追い返そうとした俺をベッドに押し倒した結果、今寝っ転がりながら抱きつかれている状況なわけだ。長い時間、この状態なわけ。
いい加減、苦しいものがある。
「パピル。どうしたんだよ」
「…………」
「黙ってちゃ、何も変わらないだろ」
怒っているわけじゃない。
むしろ、心配している。
こうなることは、今までにも何回だってあった。
その度に、押し倒されるか。抱きつかれるか。首を絞められるかはされてきたのだ。
パピルの中で、何か不安なことがあるのは明白だ。
今までがそうだったのだから。
「話せない?」
「…………デッドは、働きたい?」
「働きたいね。お金は必要だし」
パピルは俺の腰を強く締める。
なるほど、不安な理由が大体分かった。
でも、察しがつくからといって決めつけて行動するのは違う。
こういうのは、本人の口から言ってもらうまでは知らないフリをするべきだ。いや、墓場まで持っていけばいい。そうすれば、本人だけの勇気になるはずだ。
「パピルも、お金が欲しいから働いているところはあるだろう?」
「……そうだけど。私の場合と、デッドの場合は違うじゃん」
「そうかな。働くことに関しては一緒だと思うけど」
「一緒じゃない……」
一緒じゃないよ……。と二つ目に呟く。
指先にまで力が入っているのか、背中に感情が刻まれている。不思議と、悪くはない気分だった。
そんな気色悪い考えは、早々に切り捨てる。
「私はパン屋で働いている。でも、デッドは危険な場所に行くじゃん……。だから、銀貨まで貰えるんだから」
「まぁ、それはそうだけど」
危険な場所。
確かに、魔物を相手にしたり。ダンジョンとやらに潜ったりもしたことはある。
その中で、何度も死にかけたことがある。
生きているのが不思議なこともあった。
それだけ危険なところだからこそ、パーティーを組む必要がある。
「それにあの人、最後まで名前を言わなかったし」
「そういえばそうだな……」
思い返せば、自己紹介もなかった。
勝手に俺の名前が知られていて、事情も把握されていたけど、相手のことは今ひとつ分かっていない。
王国所属なのは聞いただけ。
これも嘘かもしれない。
名前も言ってこない人間から、何を信じられるだろうか。
なるほど、パピルの不安は正しい方向だった。
「そんな人の仕事て、まともじゃないはずだよ。不当な契約をされて、借金することになるんだよ」
「そこまでするかね。そんな手の込んだことを……」
俺のスキルを知っていて、それについての解決策を提示する。そこまでの手間をかけてまで、俺を騙すことに意味は無いように思う。
「俺、金なんてないぞ」
「だから、体で支払うとかなんとか要求してくるんだよ」
「こら、そういう下世話なこと覚えなくていいんだよ」
てち、とパピルの柔らかな髪を触る。
好奇心から色々なことを知りたがる時期は過ぎているはずなんだが、どうにも下世話だったり下品なことでも構わず首を突っ込みたがる。
男の俺が、奔放なのはいいとしても、うら若き乙女のパピルが性欲旺盛なのは大きな違いがある。
「でも体で払うでしょ? なんだっけ、体力が必要なんでしょ?」
「『債務者』のスキルだったらね」
とぼけたように笑うパピル。
なんだ。気分が持ち直しているのなら、いいや。
いや、いいのか?
「言っていることは正しかったのかもしれないけど、言っていた本人が正しい側なのかは分からないから。だから……」
そこから先を結ぶパピル。
だから——のその先。
それを詮索するなんて野暮だろうか。
「まぁ、実際本人の素性は分かっていないしな……」
「そんな人からの仕事て、デッドだったら受けるの?」
「受けないね」
「ほら」
当然だとでも言っているような表情のパピル。
「そもそも、パーティーに加入する時に身元不明、正体不明の依頼人からの仕事は断るように、て言われてるんだよ」
「あの人の場合は、身元不明?」
「まぁ、そうだと思う。軍服もそれらしいものを作っていればいいし」
なにより、あの人には勲章がなかった。
いや、王国勤めの人間が皆勲章を付けているかと言われたらそうじゃないと思うが、それでも王国の認定を受けた印とやらは大きな効力を持つ。
そうじゃなくても、それらしい見た目があるはずだろうに、そうじゃなかった。
「パピル。パピルて王国で働く人に会ったことはある?」
「あるよ」
「なんか勲章とか、腕章とか。こう、王国で働いてますよ、て証明するようなものとかあったりする?」
「あるよ」
あぁ、なるほど。
パピルはそこまで知っていて不安だったのか。
なるほど、行かせたくない理由に裏が取れた気分だ。
暗に、危ないとパピルは言っていたのだ。
俺の意思をできるだけ曲げないように。
俺の期待が裏切られないように。
俺が、傷つかないように。
優しい、幼馴染をもって幸せだ。
「じゃあ、行くの止めとくかな」
「私も、少し調べてみるよ」
「大丈夫か? あの人、パピルに釘刺してきただろう」
「大丈夫だよ。あの人が言ってきたのは自分自身の所属を調査されることであって、私の調べることには直接関わってこないから」
なんという屁理屈?
いや、関係ない部分を調べていくのは禁止されていない。
「ちなみに、何を調べるんだ?」
「まずは王国所属の人間から仕事が斡旋されることがあるのかどうか。紹介とかあるのか。後は、王国——今回だったら王城に向かった人がどうなるのか、を聞いてみようかなって」
今回、仕事の詳細を説明されることはなかった。
大雑把に——パーティーを組んで、護衛任務を行う。
これしか聞かされていない。
王城にやってきてから、詳しく話すとだけ言われた。
「私が部外者だから言えない話もあっただろうけど。王城に無断で入られないから、下手したらデッド捕まっちゃうかもしれない」
「騙されていたら、そうなるよな」
にしたって、隠されていることの方が多すぎる。
もちろん、俺を騙してどうにかしようとする理由はないはずだけど。愉快犯だったら、別に相手が誰であろうといいはずだ。
身元不明。
たったこれだけで、全てが疑問に——嘘じゃないのかと思ってしまう。
「とりあえず、明日は俺も調べてみるよ」
「うん」
パピルの抱擁が緩んだ隙に、腕から抜け出して寝支度を整える。
幼馴染だからといって、異性として意識していないかと言われたら誤魔化したくなる。
それを悟られたくないから、目を閉じる。
夢と現実が混ざりあう意識の中、ふと、パピルのことを薄目で確認する。
彼女は俺をじっと見ていた。
俺が、ちゃんと寝られるように。
優しく祈るように。
穏やかな笑みを浮かべて。
あぁ、お金さえあれば。
働かなくていいのにな。




