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1923/1924

第1923話 ルッキズム4

 関連回

 第1751話 若返りスキル

 第1752話 若返りスキル2

「ルッキズムですか?」

「そうそう、タラン君と論じていたんだ」


 タランと応接間でルッキズムについて話をしていたら、ひょこっとディオネが顔を出し、すっと加わってきた。どうやら僕がタランを呼び出し、二人きりで何を話していたのか気になっていたようだ。本当は注意めいた話だったが、そこはタランの顔を立てて馬鹿正直に言わない。「注意していたんだ」と「論じていたんだ」じゃ受ける印象が全然違うからね。


 人を傷つける正直より、人をいたわる嘘の方が何倍もいい。

 今回の場合、嘘ではないけどね。少しぼかした程度。


「セレネ(十才)とルアナ(六才)はイレーネが見ててくれてるのかな?」

「はい、母上(イレーネ)にお願いしました」


 お祝い会は終わり、皆、解散しているが、僕がタランを足止めしたので、タラン一家はまだ城にいる。でも、ここは皆の実家と同じなので気にする必要はない。明日は休みだし泊まっていってもいい。


 既にタランはルッキズムの何たるかを理解したようなので、用は済んでいるが、ディオネが来たなら、もう少し話をするとしよう。どんな話をしたのか聞きたそうな顔をしてるしな。意地悪気質のある人は、こういう場面で「二人だけの話だ。君には教えない」なんて言い、相手の困る様子を見て、快感を得るのだろうが、僕はそういう変質者ではない。


「ルッキズムは外見至上主義と言い、主に人の容姿を指すものだが、それに限らず、あらゆる物や物事について外見・表面だけで判断する考え方だ。これが善くない考え方だというのは二人とも分かるよね?」


「「はい」」


 ディオネは僕の娘だし、タランと違い、人間種族の教育を受け、人間種族が住むエリアで働いているから、元々、ルッキズムの理解が進んでいた。ディオネはハーフエルフだが、エルフの特徴である長い耳をしっかり受け継いでおり、これまで人間種族からじろじろ見られたことだろう。


 エルフに限らず他種族もそう。外見の違いを指摘されたり、時には侮蔑的なことを言われた経験があるはずだ。それはあってはならないことであり、その思いから反ルッキズムを説いてきた。


 但し、これは人間種族だけの問題ではなく、他種族の側にもある。ぼくら人間種族だって他種族の居住エリアに行けば逆に悪く言われることはあるからな。僕は種族宥和を願っており、そのためにも、反ルッキズムを当たり前のこととして浸透させたいと願っている。


 ルッキズムは優生学から派生したようなものだが、外見で人を判断する差別的思想は古来からあった。それを正当化するために優生学が生まれ、優生学が危険思想とみなされると、中身はそのままでパッケージを変え、今度はルッキズムとして世に蔓延した。手を変え品を変え、という奴だ。


 悪は意識しなくてもできるが、悪をやめるのは意識しないとできない。ルッキズムもそう。意識しなくてもやってしまうため厄介だ。やめるには意識しないといけない。そのためには前提としてルッキズムがどういうものか知る必要がある。


 悪をやめたいと思っても、悪が何か分からなければ、

 悪をやめることはできない。


 一人でどこかに引き篭もり、宙に向かって漠然と、

「悪をやめる」と言っても、そう簡単にいかない。

 現実の中で多くの人と交流し、その中で悪を経験し、悪を知る必要がある。

 悪を知って、初めて悪をやめられる。


 最初から喫煙をしないがごとく、この世には最初から悪をしないケースもあるが、それは過去世で経験し、懲りたからだろう。逆に今世で喫煙を続ける人は過去世で未経験か、懲りてないかのどちらかじゃないかな。どうしてもやめられないなら、一度、痛い目に遭った方がいい。これは相手の不幸を願う「ざまあ」ではなく、相手の幸せ(更生)を願ってのこと。残念ながら、その身で痛い目に遭わなければ、わからない人はいるからね。それも結構な割合で。


「ある人が友人に対し、毛深いことから『ワイルド』と外見を揶揄するニックネームで呼んでいたので、『それは善くないですよ』と指摘したところ、その人は『自分とあいつは、それぐらい言い合える仲なんだ』と言ったとしよう。よくある抗弁だが、僕はこれを額面通りに受け取らない。例えば、『チビ助』『出っ歯』『色黒』『太っちょ』『めがね』等と言われて気分がいいかい? 相手が大人だから一々文句を言わないだけで、内心、不愉快に思っているはずだ。それで勝手に『気にしてない』『了承された』と判断して外見いじりを止めないなら子供と同じ。立場上、言い返せないケースというのもあるだろうが、であればこそ、社会の共通認識として、反ルッキズムを広め、そういう行為をさせない雰囲気を醸成していくことが大切だ」


 外見に特徴があることは恥ずかしいことではない。

 それを悪く言うことが恥ずかしいことだ。

 本当の恥知らずとは、人に恥をかかせようとする者を指す。


 二人とも頷く。理解が早くて助かるね。差別は善くないものだが、それに気付くのは、差別した時ではなく差別された時だ。なので若い時分に差別体験することは成長の糧となる。15才で卒業し、就職すると、どの職場でも新人として、それまで味わったことのない苦労をするが、これも一種の差別体験と言えば、そうであろう。流石にルッキズムやブラック労働待遇はアウトだが、若い一時期、上司や先輩から社会人のいろはを厳しく教わることは通過儀礼として許容されると考える。


「『俺とあいつはマブダチだから何でも言い合える』とうそぶき、相手に失礼なことを言ったり、悪口や外見を揶揄するようなこと言うのは相手に対して敬意や思いやりのない行為と言える。言う方はそれで関係は壊れないと思っているのだろうが、その実、関係にどんどんひびが入っている。信頼関係を構築した途端、態度が悪くなる人は精神性が低く、物事の実相が見えていない。信頼関係とは過去のプラスの蓄積によるもの。それを壊すようなことをすれば、マイナス作用によりプラスの蓄積が減っていく。そして、ずっとマイナス作用を続ければ、いずれプラスの蓄積が消えて信頼関係はゼロになるだろう。そうなれば終わりだ」


 他人から悪口を言われた際、

 事実であれば、事実だから気にしない。

 事実でなければ、事実でないから気にしない。

 という対処法があるが、実際はどちらであっても気になるもの。

 気にしない、と考えた時点で、気にしてる。


 例えば、バカなことをして、バカと言われても、

 バカなことをしてないのに、バカと言われても、どちらも嫌な気分になる。

 修行を積めば、気にならなくなるが、誰も彼もが修行を積んだ人ではない。

 

 ディオネが口を開く。


「友達になる前は『さん付け』だったのに、友達になった途端、

 呼び捨てになるのはどうなんでしょう?」


「『さん付け』や『君付け』が基本だが、両者が合意するなら、呼び捨てぐらいはいいんじゃないかな。悪口はアウトだが、名前そのままの呼び捨てぐらいはね。逆に悪口は、相手が了承しても言うべきではない。そもそも『君の悪口を言っていいかい?』と訊くこと自体がおかしいから」


 これを認めると、いじめの免罪符になりかねないから、教育省を通じ、各学校に通知している。いじめを受けるような子は大人しい子が多く、いじめっ子から『お前のことを〇〇と呼んでいいよな?』と圧をかけられたら、断れないこともあるだろう。悪の手口は承知しており、あらかじめ防がせてもらった。


「二人とも、人にとって、もっとも大切なものは何だと思う?」


 二人なら即答だろう。


「それは心です」

「私もそう思います。心です」


 タランが答えるのを待って、ディオネが答える。ちょっとしたことだが、これも思いやりだよな。夫の面目を立てている。普段、タランはディオネの公爵としての面目を立てており、それにディオネが応えたのだろう。


「そう、心だ。だが、人は外見ばかり見て、心を中々見ようとしない。なぜか? それは心が目に見えないからだ。でも、その見えないものを見るよう努めることが、生きる上で非常に大切だ。とにかく人の中身、心を見るようにし、物事の表面ではなく、本質を見るようにする。これは人生の課題だ」


 僕が外見と中身を意識するようになったのは、この世界に来て、新たな肉体を得た時にさかのぼる。心は変わらずに肉体だけ変わったことにより、「肉体とは何か?」を否が応でも意識し、同時に「心とは何か?」も意識するようになった。


 ただ当時は、この世界で生きること、この世界を知ることが最優先だったので、気になりつつも、その思いは後回しにしてきた。が、半リタイアして時間ができて研鑽を積むうちに、心・精神・魂こそが人の本性であり、これを磨き、成長させることが、人のあるべき道だと思い至るようになった。


 その道にルッキズムは反し、反ルッキズムは適うものだ。ルッキズムについては僕もまったく他人事ではない。若返りスキルを使うようになって以来、実年齢と外見年齢の差が広がり、若い外見を称賛される一方、奇異な目で見られることもある。僕の実年齢は87(前世通算)だが、外見年齢は35ぐらいに設定してるものだからね。


 でも、これも修行のうち、ルッキズムの害を受けやすい状況で、それを物ともせず乗り越える。ルッキズムを無くすため、すべての人の外見をロボットのように同じにしたら、表面上、外見による差別はなくなるが、外見による差別を乗り越える経験ができなくなる。


 これはルッキズムに限らず、すべてにおいてそう。差別的状況・不利な状況・困難な状況を無くせば、その分、楽になるが、成長する機会が減ってしまう。なので助け過ぎない。助けない助け、試練を与える助け、というものがある。


 というか、むしろ、助ける助けより、助けない助け、試練を与える助けの方が、結果的に助けになっているケースは多い。助けるのは一時的ならいいが、それをずっと続けると、助けられる側はそれが当たり前になり、助けられる状態が恒常的なものとなる。逆説的だが、それは、助けられた状態とは言えない。真の救済とは救済を必要としない状態にすること(なること)だ。


「ルッキズムの弊害は目に見える外面を重視するあまり、目に見えない内面を軽視してしまう点にある。内面とは、心、精神、魂だ。外面より、こちらの方が遥かに大事。生きてる間、ルッキズムを見聞する場面が多々あるだろうが、それにうっかり同調しないようにな」


「「はい」」


 二人仲良く一緒に返事をする。この二人なら大丈夫だろう。

 外面ではなく、内面で結びついている。夫婦はこうでないとな。


 前の世界では、実業家や資産家の男性と、モデルや俳優の女性が結婚するケースがあったが、数年後、別れているケースが目に付き、さもありなんと思ったものだ。財を成し、成功者を自認する男性は自分にふさわしい女性を選ぼうとするが、ルッキズムの影響が強いと、外見上の美人を選ぶことになる。金で大きな家を買い、高級車を買い、クルーザーを買い、ブランド品を買い、その流れで次は妻、という感覚だろう。万事、金で手にする様から、世間ではそれをトロフィーワイフと呼んだりする。


 一方、妻も成功者を自認し、自分に合うハイスペックの男性を望みし、ルッキズムの影響が強いと、金持ちを所望する。それは自分の我がままを聞き入れて、何でも欲しい物を買ってくれる男性であり、世間ではそれをATMと呼んだりする。


 男性も女性も相手の外面を愛しており、内面を愛していない。シュールに見える状況だが、こういうケースは世間ではままある。波長の法則により、同類同士が惹かれあい、一緒になるのだ。だが、これが不幸かと言えば、あながちそうでもない。相手が自分の内面を愛していないことを知り、ショックを受けるが、同時に、自分も相手の内面を愛していないことに気付き、根本原因は自分の中にあることが解かるようになる。


 人を見た目だけで判断してはいけない。

 表面だけで物事をすべて知った気になってはいけない。


 外面ばかり追い求めても、真の幸せを得ることはできない。真の幸せは内面にあるものだ。それに気付かない限り、何度も痛い目に遭うことになるだろう。それに気付かない限り、来世、さ来世と痛い目はずっと続く。でも、痛い目に遭ううちはまだいい。見込みがあるということだ。


 世の中には、互いに、トロフィーワイフ、ATMなどと、思い、思われても、自分の欲を満たせるなら、それでいいという奇特な夫婦もいるようだが、これは高め合う夫婦ではなく、低め合う夫婦であり、低級霊界の様を実現したかのよう。痛い目に遭わず、そのまま一生終えたら、行先はひとつしかない。 

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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