第1922話 ルッキズム3
ルッキズムが世界に与える影響とは。
「ルッキズムは良くないと……。
外見のことはあまり言ってはいけないということですね」
「そうそう、たとえ誉め言葉であっても、悪気がなくてもね。
誤解されたり、相手を良からぬ方向にミスリードする恐れがある」
「気を付けたいと思います」
「うむ、そうするといいよ」
タランが理解してくれて良かった。彼は教育者であり、説明すれば分かるとは思っていたが、そうは言っても校長であり、エルフ居住地区の教育責任者でもあるから、相応のプライドはあるだろう。それを刺激しないよう、別室に呼び、一対一で話したのは正解だった。
こういうのは話す内容だけでなく話し方が大事だからな。前世のとある職場であった話だが、上司から送られたメールに誤った内容があり、それを部下が丁寧に指摘したという事案があった。それ自体は良かった。だが、メールの送り方が良くなかった。上司はメールを複数人に一斉送信していたが、部下は上司一人に返信するつもりで複数人へ一斉返信してしまい、結果、他の人にも上司の誤りを広めてしまったのだ。上司の面目丸つぶれであり、その後の人間関係にひびが入った。
ちょっとした事務処理のミスと言えるが、会話もまったく同じであり、人前で言った方がいい場面とそうでない場面を使い分ける必要がある。Toにするか、CCにするか、BCCにするかはメールだけの話ではない。上司のミスの訂正内容は他の人も知るべきだが、それをするのは上司自身の仕事。
「ルッキズムの良くない点は、外見を重視することにより、本人の本質を軽視することにあり、また、外見は生まれつき、本人の意思でどうにもならない要素が大きいから、それを言われたら反論しようがなく、無抵抗の人をいじめることにつながりやすい。例えば、背の低い人に『チビ』と言うことがあるが、背の低い人からすれば、それは本人が一番分かっていることであり、それを言われたからといって、どうしようもない。言う方は面白がって言うんだろうが、これは相手を傷つける」
魂の計画によれば、その容姿になることも、その容姿でいろいろ言われることも折り込み済みかもしれないが、たとえそうであっても、それはあくまで本人の問題。それで他人が容姿についていろいろ言っていいというわけではない。
これが認められるなら、迷惑を受けた人に対し、迷惑をかけた人が「お前が俺に迷惑を受けるのは、魂の計画によるものだ。黙って受け入れろ」が通ってしまう。万事そう(魂の計画通りに生きなければならない)とはならないし、仮に今回そうだとしても、それは迷惑をかけた側が言っていい話ではない。それを言えるのは迷惑を受けた本人のみ。
迷惑をかける人はその行為をすることによって迷惑の何たるかを理解し、以後、それを他人にしないという気付き・学びを得る。迷惑をかけるために迷惑をするのはでなく、以後、迷惑をかけないよう成長するために一時的に迷惑をかけるのだ。小さなマイナスと引き換えに大きなプラスを取る。これこそが魂の計画だ。迷惑をかけたのに反省も更生もしなければ、魂の計画から逸れてしまう。
僕らはこの世に苦を経験するために生まれてきたが、苦しむために生まれてきたわけではない。なので、苦の経験をしつつ、苦しまないようにするべきだ。また、苦しんでも、キャパの範囲に収まるようにする。そういう意味で、ルッキズムという苦を完全に無くすことは無理であっても、度を越えないよう抑えていく必要がある。
パネルを提示する。
□------------
チビ デブ ハゲ ブス
□------------
こういうことは示すだけで気分が萎えるが、
具体的を示した方が分かりやすいから、あえて示させてもらった。
「これは学校で子供がよく使う悪口の例だが、
どうだい、外見をいじるものばかりだろ」
「確かにそうですね」
いじめのほとんどは外見いじりから始まる。
これ、大人でもやるからな。どこかの国では首相のことを「増税メガネ」と嘲笑したが、こういうことは公の場で言うことではない。たとえ相手にネガティブな感情を抱いていても、やり返されないのをいいことに好き勝手言うことは、卑怯者がすることだ。政策に対して反論したいなら、人格や外見を悪しざまに言うのではなく、同じく政策で言い返せばいい。そのような方法は探せば、いくらでもある。
罪を憎まず、人を憎まず。言うべきことを言えばいいい。
そこに憎しみなど不必要だ。
悪(憎しみや怒り)を燃料にして正義を語れば、その正義は悪となる。
蓮は汚泥を養分にして綺麗な花を咲かせるが、汚泥をそのまま体に取り込んでいる訳ではない。汚泥を分解して必要な成分に変えてから取り込んでいる。悪も同じこと。そのままでは利用できない。昇華(悪から善への転換)しないとね。
「他にルッキズムと関連して、貧乏や親の悪口もある。
これらの共通点は分かるかな?」
「はい、自分の意思でどうにもならないということですね」
「そう、自分の意思でどうにもならないし、自分がそうした訳でもない。だから、そういう点を突くのは質が悪い。しかも子供の中には叱ると『チビにチビと言って何が悪いの?』『本当のことを言ってるだけ』『嘘でなく正直に言っただけ』」と言い返してくるのもいるからね。そういう子供には『外見いじりはダメ』と叩き込む必要がある。『なんで?』と聞いてきたら『お前がされてどう思う?』と聞き返せばいい。他者攻撃の多くは想像力の欠如によって起こる」
他人を攻撃することは未来の自分を攻撃するのと同じこと。
チビ、デブ、ハゲ、ブスの四つを外見いじりの例として出したが、実はこの中でデブはいささか性質が違う。他の三つは本人の意思によるものでなく、本当にどうしようもないものだが、デブは多くの場合、過食が原因であり、本人の意思とまでは言わないが、本人の責任によるところが大きい。
もちろん遺伝や体質が原因の場合もあるので、一概に言えないが、肥満の多くは生活習慣が原因であり、もしそうであるならば、その点は指摘されても仕方ないだろう。悪いことをしてる人に悪いことをしないよう忠告することは人の道として正しい。もちろん言い方はあるので、相手に配慮して丁寧にすべきではあるけどね。『食べ過ぎは健康に良くない』と。
そもそもルッキズムは、1970年代にアメリカで始まった肥満差別への抗議運動「ファット・アクセプタンス運動」で使われたのが始まりとされる。日本でこの言葉が使われ始めたのは最近のことだが、ルッキズムの考え方自体は半世紀も前からあった。
現在、アメリカの成人肥満率は約40%を超えており、世界でも突出して高い水準だ。原因は高カロリーな食習慣、運動不足、貧困による健康食へのアクセスの難しさ等だが、富裕層より貧困層の方が肥満率は高く、大きな社会問題となっている。
そんな状況でアメリカでは、健康管理の重要性が叫ばれるようになったが、これはすなわち体重管理、外見管理へとつながり、太れば低評価、太らなければ高評価という社会になったのだ。元々は健康の問題だったが、肥満ということで、ルッキズムの問題と化してしまった。
アメリカのルッキズムは、
貧困問題、健康問題、人種問題、格差社会という燃料があり、
一気に火が広がった。
太ってるイコール貧困、不健康、有色人種、社会の底辺という
ネガティブなイメージを持たれるようになったのだ。
太ってるイコールすべてにおいてダメな人、人生の落伍者みたいにね。
アメリカは情報発信力があるので、このルッキズムの問題が世界中に拡散され、今や世界の多くの人が問題意識を持つようになったが、じゃあ、この数十年でルッキズムは減ったか? と言えば、むしろ逆に増えている。
改善の動きはあるものの、妨げる動きがある。
それはメディアやインターネットやSNSの影響だ。
メディアによって整ったルックスの人が取り上げられることによって、特定の外見を理想とするイメージが繰り返し強調され、画一的な美の基準ができあがることで、その基準に該当する人、そうでない人で優劣がつきやすくなってしまうことが、ルッキズムを助長している。
それはインターネットやSNSの普及によって、より強くなった。整ったルックスのインフルエンサーやモデルが頻繁に取り上げられ、ライフスタイルや思想などが称賛されるが、それらはフォロワーや「いいね」の数で可視化され、順列されてしまうのだ。
就職活動における顔採用やSNSにおけるフォロワー数など、社会全体に蔓延している外見至上主義の価値観がルッキズムをさらに加速させている。容姿が整っているとされる人がキャリア形成や経済的自由度において、得をする社会、明確な根拠がないにしても、そう感じさせる社会がルッキズムの助長につながっている。
日本におけるルッキズムは戦後GHQの影響によるところが大きい。GHQは戦勝国であるアメリカを賛美する情報を日本に流したが、それは白人社会の綺麗で整えられた社会の様子であり、それを通し、白人に憧れを持つよう巧妙に仕向けられてしまった。一方、欧米のメディアに登場する日本人はチビでメガネで出っ歯で短足で、見るからに気性が荒そうで野蛮、まるで猿か猿人のような描写。実際、イエローモンキーって口にしたしな。
白人イコール美しい、日本人イコール醜い
これを欧米は日本悪玉論と共に堂々と世界中に喧伝した。
そして、これはまんまと成功し、日本人は白人の外見を美しいと感じるようになり、広告などで白人のモデルばかり器用するようになった。日本の漫画やアニメは日本人のキャラでも白人のような容姿のキャラが数多く登場するが、これはまぎれもなくルッキズムの影響によるものだ。少女漫画などは割と早い時期から、日本人でも当たり前のように金髪のキャラがいたからな。住んでる家も西洋風だったし。
「女性の中には容姿が整った人すなわち美人と呼ばれる人がいるが、
ちょっと想像してみよう。美人は美人と呼ばれて嬉しいだろうか?」
「私は男なので想像が難しいですが、義父上のこれまでのお話からすると、
あまり嬉しくないということなんでしょうか?」
「僕も男だが、ある程度は想像できる。実際、女性に訊くこともできるしな。それで答えだが、状況による、ということだ。例えば、見ず知らずの人からいきなり美人と言われれば、驚くだろうし、場合によっては恐怖を感じる」
「恐怖ですか?」
「性的な対象としてジロジロ見たりするとね」
「ああ、なるほど……」
残念ながら美人を性的対象として見る男性は世に多いと思慮する。
経験則から強く言える。物語の主人公は美人やイケメンばかりだし。
『男は、その相手を美人だと思うから欲しがるのではない。
自分の欲情を正当化するために、美人であるよう望んでしまうのだ』
と、フランスの小説家であり劇作家の
アンリ・ド・モンテルランは言い、
『僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。ただ欲望を感じるだけです。不美人のはうが美といふ観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。何故つて、醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね』
と、三島由紀夫は言っている。
「美人を見て、美人と言う人は、そこだけのことだと思い、問題視しないだろうが、言われる側からすれば、長期間に渡り、あちこちで、美人、美人と言われるわけだから、『またか……』『もう嫌』という気持ちが生じることだろう」
「なるほど、美人も大変なんですね……」
「最初の数回はまだいいとして、これを会う人、会う人から言われたら堪らない
だろう。まともな感性の持ち主から、『本当の自分を見て』となるはずだ」
美人も天才も誉め言葉ではあるが、それを何度も繰り返されると、レッテル貼りとなり、不愉快な気分となるものだ。誉め言葉でも、繰り返されたら悪口と同じになる。美人、美人、美人は、ブス、ブス、ブスと大差ない。
ルッキズムの根源を探ると、優生学に辿り着く。優生学とは19世紀末にフランシス・ゴルトンが提唱した、遺伝的素質の改善を目的として優良な形質を保存し、悪質なものを排除・淘汰しようとする思想や学問だ。
これは歴史的に負の側面が大きく、能力や身体的特徴を基準に人間の価値を決め、障害者や犯罪者とされる人々への強制不妊手術、隔離、殺害といった深刻な人権侵害を生み出したんだよな。
特にナチスは酷かった。優生学を「人種衛生学」として国家政策の根幹に据え、アーリア人種の純化を目的とした。1933年の遺伝病子孫予防法による約40万人の強制断種、T4作戦による約20~30万人の障害者・難病患者の計画的殺害、そしてユダヤ人へのホロコースト(大虐殺)を実行した。
生きていいのは美しい人だけ、そうなでない人は生きるべきではない。
という身勝手極まりないトンデモ思想により、多くの人が殺されてしまった。
この美の基準は誰が決めたものか?
それは権力者が決めたものだ。
「〇〇を美しいと思え、△△を醜いと思え」とね。
悪しき権力者こそがルッキズムの総本山だ。
かつて、ルーズベルトは日本人を病的に差別し、排斥し、殺害したが、
心の底から日本人を醜い存在、消したい存在と思っていたのだろう。
前の世界でルッキズムの影響は甚大だ。人種差別、性差別、年齢差別、障がい者差別なども、これが強く関係している。健康な状態で生まれたにもかかわらず、それに感謝せず、肉体のちょっとした形状に文句を言い、整形する人が多いのも、ルッキズムの影響によるものだ。そんなのまったく気にする必要はないのにね。
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