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1918/1921

第1918話 教育番組~結婚論10~

 本テーマはここまで。

「心得ました。おじい様」

「人を見下さないよう気を付けます。おじい様」


 マークとレクサーが気持ちよく返事をしてくれる。これに関しては機会があるごとに何度も話しているので耳タコだろうが、それでも嫌な顔ひとつせず聞いてくれるのは嬉しい。この感じなら大丈夫だな。


 人を見下さない。


 なぜこれを繰り返し言うかというと、この影響は過去世の積み重ねがあり甚大だからだ。人を見下すと対人間関係の悪化を招き、人との交流に支障をきたし、人から学ぶ機会を減らしてしまう。その状態では霊性進化を目指すどころではない。


 大事なことなので三回言う。

 人を見下すべからず。人を見下すべからず。人を見下すべからず。


 今世で人を見下すという悪業(あくごう)を捨て去るべし。

 自分はそうでないと思っていても、そうである人ばかり。

 人を見下すから、人に対しネガティブになり、人に対し攻撃的になる。

 

 この思いがある限り、高級霊界に行くことはできない。

 そこには人をリスペクトできる人だけが行くことができる。


 人を見下さず、人をリスペクトする。

 

 簡単そうに見えて簡単ではない。

 特定の誰かにできて、できた気になったらダメ。

 あまねく人々に対してできないと。


 見下しの業は根深くて中々消えないし、ちょっと油断すると、すぐ鎌首をもたげてくる。上から目線、マウント思考、俺様思考、高慢、傲慢、ジャイアニズム、エリート主義、選民思想、等々、言葉は違えど、すべて「自分が上で他人が下」という唯我独尊的な思いから生じている。人種差別もそうだし、パワー信仰もそうだし、大国主義もそう。争いや戦争が起きるのも、根本原因はこれ。


 これは「自分さえ良ければいい。他人はどうでもいい」という自己中心教でもあり、これが諸悪の根源となっている。僕らは転生する度に心魂磨きをし、汚れを落としているが、この汚れはしつこくこびりついており、だからこそ性根を据え本気で取り組む必要がある。自己肯定感を持つことは大事だが、それは他人を下げてするものではない。


 我が我がの「我」を捨てて おかげおかげの「下」で生きよ。


 今世で我が我がの自己中心教から脱退しよう。自分は宗教などやっていないという人も初期設定でこれに入信済みの人は多い。自分、自分、自分さえ良ければいい、表面上は他人と合わせていても、それもすべて自分のため。他人を自分のための道具か駒のように考えている。


 こういう人は少し付き合うとすぐ分かる。自分の利になることには恵比須顔で協力するが、そうでないと能面で知らん顔。要領よく立ち回るが、使えないと思った人は平気で切り捨てる。敏感な人ならゾクッと冷たいオーラを感じるだろう。


 利己の強い人はエネルギーが外側(世界)に還流せず、内側(自己)だけで還流するので、冷たく感じ、利他の強い人はエネルギーが外側(世界)に還流するので暖かく感じる。


 自信は持つべきだが、自分アゲはダメ。

 他人と仲良く対等に付き合うべきだが、他人サゲはダメ。

 この、人との距離感、『バランス感覚』が重要だ。 


 前世のプロ野球で、試合終盤、リードしている場面で登板し、勝利を確定させる役割を与えられた投手を守護神と呼んだが、あるチームのある守護神がスランプとなり、登板しては打たれ、試合を台無しにする日々が続いたことがある。


 その際、コーチがこうアドバイスしたそうな。「そんな弱腰じゃダメだ。上から押さえつけるように投げろ。圧倒的な力でねじ伏せるような感じでやれ」とね。体育会系的な精神論だが、これが効いたのか、それ以降、マウンドでの気迫が戻り、球に力が入り、以前のようにバッタバッタと打ち取れるようになったという。


 これは相手を見下すものであり、僕が目指す精神性とまったく違うものだが、周波数を下げることにより攻撃性を上げ、威力を発揮したということだろう。対戦型のスポーツは弱肉強食の修羅の世界に通じるものがあり、このエピソードで改めて、それを実感した。一昔前は交渉前に煙草を吸う人が多かったが、あれも煙草を吸うことにより周波数を下げ、無意識で攻撃力(交渉力)を上げていたんだろう。


 と言いつつ、時として僕も修羅の周波数を使う時がある。これを僕はギアチェンジと呼ぶが、まぁ余程の場合だけだね。これを使うと後からドッと疲れるので、正直、使わないで済むなら使いたくないが、ここしばらく、もう何年も使わないで済んでいるので有難いことだ。


 本当は怒りたくなんかない。だが「あの人はまったく怒らない」というレッテルを貼られると、これ幸いと、蔑んだり、軽んじる者が出てくるからね。これは教育現場でも大きな課題であり、子供が悪さをしたなら、心を鬼にして(ギアチェンジして)怒るよう指導してきた。もちろんキレる感じではなく、冷静に諭す感じで。


 修行とは周波数を上げるためにするものだが、実は直線でまっすぐ上がるものではなく、下がって上がり、また下がって上がりの、ジグザグ上がりが実情だ。子供を怒る時は下がるが、子供が反省し成長すれば、一緒に上がることができる。高く飛ぶためには、一度低くかがまないとね。


「ところで、父上、ご自身の結婚生活はいかがですか?」


 おっ、ミローネからパスが回ってきた。一応、マークとレクサーへの話は一通りしたが、結婚がテーマだし、この流れとこのタイミングで聞くのは悪くない。『空気を読む』を的確に実践してるな。


「幸せな結婚生活をおくれているよ。有難いことにね。

 そうでなければ、人にこういう話はできないさ」


 僕は、自分がやって良かったこと、効果を確認できたことを

 他人に話すようにしている。


「ふふ、そうですよね。幸せなのは見ていて分かりますけど、

 何か苦労とかはなかったのですか?」


「苦労か……そうだな……」


 結婚は修行だ何だと説明してきたので、その線で話してもいいが、かと言って妃たちをネガティブに言うことは、たとえ身内を前にしても絶対にしたくない。ここは思案のしどころだな……ということもなく、実は他で聞かれたことがあるので答えは用意済み。


「僕の場合、妃が四人いるが、四人みんな平等に接するよう努めてきたところかな。誰かを贔屓することは絶対にしない。これは妃に限らず、子供たちもそうだし、身の回りの人すべてそうだ」


「平等ということですね。そう言えば、昔、そのようなことを

 言われていました。それをずっと続けているのは凄いことです」


「凄いと言われて悪い気はしないが、家庭円満のためにすべきことだからな。それともうひとつ、四人だからといって、一人に対し割って四分の一で接するのではなく、一人として接するよう心掛けたところだな。四人だから四人分のエネルギーを使ってきた。もちろん体は一つしかないから、物理的に難しい場面はあるが、少なくとも精神的にはそうしてきた。四人に四人分の愛や情を捧げてきたつもりだ」


 サラが話に乗ってくる。


「それは中々できることではないですよ。流石、義父上です」


「まぁ、あくまで“つもり“ではあるので、実際は四人に対し、至らない部分はあるはずだ。でも、それを意識して日々精進しているよ。何事もそうだが、これで十分・完全とは思わない。常に不十分・不完全であることを意識し、十分・完全を目指すまでさ」


 完璧主義という言葉があるが、自分が完璧でないことを自覚し、その上で完璧を目指すのは何ら悪いことではない。但し、完璧というゴールは現世で実現困難だろうから、完璧とは別に手の届く目標を設定するべきだ。それを実現できたら、また新たに上の(手の届く)目標を設ければいい。


 人生では実に多くの人と接するが、誰かに対しては1で、誰かは3で、誰かは5で、というような調整(力の加減)をすることはしない。誰に対しても、出来得る限り真摯に誠実に対応するようにしている。この人は自分にとって利益があるから大切にしよう、利益がないから適当にあしらおう、というようにならないよう心掛けている。


 人によって態度を使い分けることを処世術とする人がいるが、それを傍目で見た人がどう思うか想像力を働かせた方がいい。そういうことをすると短期的に一部の人に受けて、うまくいくかもしれないが、長期的には多くの人の信用を失い、立ち行かなくなるだろう。「あの人は人によって態度を変える」と判定されれば、たとえ今、いい態度をしていても、いつか変わるかもしれない、と疑念を持たれる。


 ある女性が男性とお付き合いし、男性の気配りができて礼儀正しい態度に好感を抱いていたが、ある日の飲食店のデートで、それが変わることになった。店が混んでいて注文した食事がなかなか来なかったのだが、やっと来た時、男性が「なんでこんなに遅いんですか!」と店員を叱責したのだ。


 それまで、自分に出したことのない厳しい声のトーンであり、自分にそういう態度を一度も見せていなかったので、女性は内心驚いてしまった。男性心理を察すると、意中の女性の前で恰好いい所を見せたかったのだろう。女性によっては、それを肯定的に受け取り、私のために強く言ってくれているんだと頼もしく思う人もいたりする。


 だが、その女性はそうではなかった。自分の知らない男性の一面(嫌な一面)を知り、それが、いずれ自分に向かう時が来るかもしれないと感じたのだ。結局、それがきっかけで破談になってしまったが、別にこれは不幸な出来事ではない。合うか合わないかだ。合えば良かったが、合わなくても早期に分かったのだから良かったと言えるだろう。


 合わない点に気付かず結婚してしまったら?


 そういうこともあるし、実際、それがほとんどだろう。でも、それが不幸かと言えば、これもそんなことはない。合わない点はあって当たり前であり、それを合わせていくのが結婚生活だ。結婚前に気が付かなかったのは、相手の嫌な面と接することにより自分磨きをしろ、という魂からの働きかけによるものかもしれない。合わない点が多ければ多いほど、結婚生活は苦が多くなるが、その分、修行成果が高くなる。


 魂は練度上げを望むもの。

 表層意識が練度下げを望んでも、そうはいかない場合がある。


 世間では相性が一致し価値観が同じカップルを理想とするが、心魂磨きの面から言えば、それは好ましいことではない。まったく合わないと流石にお話にならないが、ある程度、合わない方が磨き合うのに適している。


 結婚とは磨き合いを求める魂同士の邂逅であり、結魂とも言える。生まれる前に魂同士で打ち合わせし、いつ、どこで出会うか決めてきているのだ。なので、出会った瞬間、敏感な人なら分かる。「あっ、自分はこの人と結婚する」ってね。よく「ビビッとくる」と表現されるが、詳細に言うと「初めて会った気がしない」「懐かしい感じがする」「胸の奥が暖かくなる」という感じだろう。


 で、運命の人と思って結婚し、一緒に生活をおくるわけだが、そこで「あれれ、思ったのと違う」ということが次々で出てくるものだ。それで短気を起こすと「失敗だった」と早合点するわけだが失敗ではない。互いに丁度いい人であり、そこからが結婚生活の始まりだ。


 前の世界では、晩婚化・未婚化・少子化という情勢の中、婚活アプリや結婚紹介所などのサービスが活性化しているが、気になることは、総じて男女とも相手に求める条件(自分にマッチングする条件)を厳しく設定し、自縄自縛のドツボにはまっているという点だ。


 気持ちは分からないでもないが、はっきり言って自分に完全に合う相手はこの世に存在しないし、合いそうな人でも、いざ付き合ってみると、合わないことが多く、それを現実のものとして受け入れるしかない。結婚生活は修行であり、結婚相手は修行相手なのだ。「いいよ」と耳当たりの良いことだけでなく、「ダメだ」と耳当たりの悪いことも言ってくる。だが、それが良い。物凄く良い。


 良薬は口に苦し。

 自分にとって耳の痛いことを言ってくれる人ほど有難い人はいない。


 結婚とは最高にマッチングする相手とするものではない。

 共同生活を通して互いが最高にマッチングする相手になることを目指すことだ。


 合わせるということは、相手と同じになることではなく、自分と違っていても、肯定し、許容し、理解し、協調することだ。その作業をする過程で人は大いに成長する。何もかも合う人と結婚したら、合わせる努力をする必要がなくなり、成長の機会を失ってしまう。それでは結婚の意味がない。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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